ドライブ
村の桜はいつの間にか散り、瑞々しい葉桜に変わった。
ゴールデンウィーク前の土曜日。
僕はまたいつものように、家でベッドに寝転んで本を読んでいた。近頃は少しずつ、初めて覚えるどんよりとした疲労感も溜まってきて、休日は寝て過ごしていることが増えてきている。それは僕だけでなく、さくらもそんな感じだと言っていた。
午後二時を過ぎた頃、遠くから車の甲高いマフラー音がして、それがどんどん近づき家の庭へ入ってきた。
「あれ、誰だろう――」
部屋の窓を開けて庭を見下ろすと、いかついタイヤを履き、リフトアップされたモスグリーンのジムニーが停まっていた。運転席のドアが開き、ステップを降りてきたのは、さくらだった。
「おお、さくら。やっと納車になったんだ」
「うん、今朝取りに行ってきた」
「でも何それ、すごく男前というか何というか……」
「へへへ、そうでしょ。――あのさ、今暇かな」
「うん、暇も暇。ゴロゴロしてた」
「じゃァさ、海までドライブに行こうよ。由良海岸とかどう。夕日が見たい」
「いいねッ、行く行く」
僕は急いで着替えた後、庭へ出たのだが、近くで見るとさくらのジムニーは迫力がすごかった。呆と見上げる。
「ねぇ、これ、お金かかったでしょ」
「うん、それはね。コンプリート仕様だから。本体とは別に百万ぐらいかな」
「ひゃっ、百万。別な車買ったほうがよかったんじゃない」
「うーうん、やっぱりコレじゃないと。しばらくローンを返さないとだけどね、エヘヘ」
頬を桃色に染めて恥ずかしがるさくらは、やっぱりどこからどう見ても可愛らしい女の子であって、軍用車を連想させる筋肉質なジムニーとの対比が奇妙だった。
いざ助手席に乗せてもらうと、視線がトラックのように高くて見晴らしがよい。レーシングバイクのようなマフラー音が室内に響き、運転席に座るさくらとは、大声でないと会話できない。もちろん五速マニュアル。
カーステレオからは、昔からさくらが好きなレニー・クラヴィッツの『are you gonna go my way』が大音量で鳴っていた。草木と土の匂いを乗せた風が、開け放たれた窓から入ってくる。
すごく心地が良い。
爽快な開放感がある――のだけれど、道路を走っているときも、信号待ちをしている時も、みんなこちらを見上げているので困った。
僕ではなく、運転席のさくらを見ている。ゆるりとしたパンツに大きめのパーカーを着て、白のコンバースシューズ、あとはポニーテール。
何か後ろからとんでもない車がやって来たと思ってみれば、華奢な女の子がゴリゴリにカスタマイズされたマニュアルのジムニーに乗っているのだから、誰もが呆気にとられて見送るのは無理のないことだった。
それから途中で蕎麦を食べて、鶴岡市の西側にある由良海岸に着いた。まだ空は赤くなっていないが、日がすでに西側へ行っていて、ちょうどこれから夕暮れを楽しめるところだった。
一旦海岸へ下り、二人して波打ち際で遊んだ。さくらは白くて細い足首を透明な海水に浸し、はしゃいで駆け回っていた。
由良海岸の近くには、白山島という二等辺三角形状の急峻な小島がある。そこへ通じる赤い欄干の長い一本橋がかかっていて、僕らは橋の途中で肩をならべ、頬杖をつきながら海面に沈んでいこうとする夕日を静かに見送った。
海はさらさらと凪いでいる。
夕方の潮風が頬をなで、さくらのポニーテールがゆらゆらと揺れていた。円らな瞳には、七色が染まった空が深みを帯びて映り込んでいる。
遠くを見たまま、ふと、さくらが呟いた。
「――あのさ」
「ん」
「別れちゃったんだよね、奴と」
「彼女と……ってこと」
「うん」
「え、何で。ついこの間まで、遠距離でも四年間頑張るって言ってたのに」
さくらはいつになく、不似合いな深いため息を漏らし、少し俯いた。
「やっぱりさ、互いの環境が急激に変わりすぎた。向こうは横浜とか東京で楽しく過ごす女子大生。こっちは山形の田舎で働く役場職員――でしょ。もはや二人とも別な生き物になる分岐点をまたいじゃったんだよ。分岐点……それも違うな。背中合わせに歩きはじめたというか」
「ううん……」
「高校生までは二人とも一緒の立場だった。でも今は、やっぱり全然違う。奴はサークルがどうとか、新しい友達や先輩がどうとか目を輝かせて言っているし、こっちは変わらぬ景色のなか、仕事に慣れることで精一杯。正直、こうなることは何となくわかってたんだけど、いざ現実を目の前にしてみると隔たりは予想以上に大きくて重かった。四月に入ってからは、それを思い知らされる期間になっちゃったよ、エヘヘ……。だからボクから言ったんだ。縺れて傷つけ合う前に、もう別れようって」
「彼女は何て」
「うん、私もそう思ってた――ってさ」
「そっか……」
今日のさくらは、ずっとテンションが高かった。てっきり僕は、納車されて喜んでいるとばかり思ってきたけれど、そうでもなかったらしい。
もうすぐ決壊してしまうのではないかというほど、瞳が煌煌と潤んでいる。僕はとても居た堪れない気持ちになり、両腕を広げ、華奢な身を抱きしめてやろうと思った。
ところが――
「何してるの」
すかさず顔を押さえつけられた。
「い、いや、こういう時は友ならばハグをするのもありかな、なんて……」
「馬鹿だなァ、耕太は。ボクらは親友だけど男同士。いくら女の子が少ない過疎地だからとはいえ、幼馴染のBLなんてシャレにならないよ。だいたい、失恋して弱った子につけこむなんて最悪だし。ボクは嫌だ、そういうの」
「そっか、そうだよね。ゴメン。ハハハハ」
「そうだよ」
僕はすごすごと元の位置に戻り、すっかり暗くなってきて星がぽつぽつと浮かびはじめた空を眺める。
暫し二人の間に沈黙が流れ、波がおだやかに橋脚へ当たる音がしていた。
すると僕の頭に何かが乗ってきて、撫でるように動いた。腕を辿ってみると、誰そ彼時のなか、目に透明な涙の粒を乗せ、微笑んでいるさくらの顔があった。
「でも、そうやって心配してくれる耕太がいて、ボクは嬉しいよ。ありがとう」
「……さくら」
それから帰り道は、僕が運転を代わった。
新しい環境へ適応しようとする傍らで、心を引き裂かれるような恋に悩んでいたのだから、やっぱりひどく疲れていたのだろう。さくらは助手席で舟を漕いだ後、結局抗いきれずに眠っている。
カーステレオから、米津玄師の『メトロノーム』が流れていた。
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