軍歌の主題によるロンド(第二巻収録)

 正午前の歩行者天国。その中にある、東京で屈指の人気を誇るファイティング・スタイルのラーメン店「一殺多生」。ワダツミ・ナビキとイカヅチ・ヒビキは午後の仕事に備え、早めの昼食をとるところだった。

 二人が注文したラーメンを待つ間も、店内には怒号と暴力が絶えない。それらは店主と従業員、あるいは店主と客によるものだ。

こうしたファイティング・スタイルのラーメン店は、ダイトーアの中でも日本特有の文化として、東京に限らず各地に存在する。そこでは強いこだわりを持つ店主と従業員が、最高のラーメンを作るため日夜喧嘩に明け暮れていた。

「ラーメンを汚す者は残らず批判せよ! 場合によっては殺しても構わん!」

「ウッス! ヨゴザンス!」

 店主の号令に、従業員は喉が潰れるような大声で返事をする。修行中の身である従業員は、雇い主である店主に対し絶対服従でなければならない。人権の一切を店主に捧げ、あらゆる不条理を修行の名のもとに受け入れることが必須なのだ。

 コップに二杯目の水を汲んだ男を蹴り飛ばしつつ、従業員がナビキとヒビキにラーメンを運んでくる。

「貴様ッ、ラーメンとの戦いの最中に水を飲むべからず! お嬢、お待たせしましたッ! 醤油と味噌ですッ!」

「どうもー。あ、お兄さん。お水ください」

 ヒビキの言葉に、従業員は一瞬戸惑いを見せたが、すぐさま絶叫する。

「ウッス! 不肖私め、水を汲みに行かせていただきますッ!」

 今しがた、水を汲んだ男を蹴りつけたばかりの従業員だったが、さすがに年頃の女にまで手はあげない。回れ右して、水の入ったポットを取りに行く。一方、それを見た店主が従業員に向かって包丁を投げ飛ばす。

「貴様ッ、水を汲むなッ! 女とて水を汲めば違憲判決だ!」

「しかし店長! 私めには、女に手をあげる真似はしたくありません!」

「歯向かうな! 全てをラーメンに捧げろッ!」

 カウンターを乗り越え、店主と従業員が激しく殴り合う。それを尻目に、ナビキとヒビキはラーメンを食べ始めた。

 この店は、二人の所属する芸能プロダクションの社屋からほど近い場所にある。修行と称して、店主が従業員たちを法外な安月給で働かせているからか、味が良い割りに値段が安い。まだ稼ぎの少ない二人は、時折ここで食事をとるのだった。

 ヒビキは、自分の派手なネイルアートに用心しながら箸とレンゲを取る。脂の浮いたジャンクな味噌ラーメンを前に、思い出したようにナビキに訊ねた。

「ところでさ。あたしたち、今日ほんとに昼からの会場入りでよかったの?」

「だって、マネージャーからそう言われたんだし……。それでいいと思うよ?」

ナビキは黒い髪を後ろに結びつつ答えた。今日、二人は上野公園で開催されるイベントに出演することになっている。とはいえ、まだ芸能界では駆け出しであるだけに、前座のみの出番だ。

「こういうのって普通、午前にリハーサルとかやるっしょ? スタジオで練習はしたけどさ、ぶっつけでステージに上がるってどうなの」

「うん……。歌と振付はまだいいけど、外でやる感覚なんてまだ全然わからない」

前座だけあって、今日の二人はメイン出演者の引き立て役でしかない。だが、今はすべての仕事が芸能界でのし上がるための機会だ。最善を尽くす必要がある。短い出番でも、リハーサルはしておきたかった。

時刻は午前十一時。これから二時間後に会場入りする予定だった。上野公園では今日、一日かけて自治体主催のチャリティーイベントが行われている。その最中、昼間から夕方にかけて、二人を含む様々な歌手が歌を披露するのだ。

 しかし今日は難儀なことに、十分な準備もないままステージに立つようなスケジュールが組まれていた。事実、営利目的でないイベントであるだけに、前座にすぎない二人には控室が用意されていない。出番の時だけ会場入りし、終わればすぐに退散しなければならないのだ。

「確かにそうだね。チャリティーだから、予算ないのかな」

「いやいや。いくらなんでも、リハの予算まで削るとかないじゃん」

 ハードな芸能活動だが、それでも二人には楽しみにしていることが一つある。

「だけどさ。また楽団の人たちに会える準備も進んでるし、それだけでもまだいいかな」

 楽団とは、誰あろう第〇楽団だ。二人がかつて、保守系アイドル「国粋姉妹」を名乗り政治団体の傀儡かいらいと化していた頃、団体を抜けるために手を貸したのが第〇楽団だった。

それ以来二人は楽団の支援者として、いずれバックバンドとして起用することを約束していたのだ。今日のイベントも、そこへ向けた足掛かりだ。楽団とともに活動するためのノウハウをここから蓄積し、今後に繋げることが当面の目標だ。

「でもさ。今日はチャリティーイベントなんだし、楽団に出すようなギャラなんて貯まらないんじゃね?」

「あっ、そうかも。まあ、国の団体なんだし、たぶん大丈夫だよね……」

 そう言いつつ、ナビキは特に悪びれもせずに、野菜と煮豚をまとめて頬張った。

 実際、慈善事業である今日のイベントでは、本来出演者に支払われる金の大半が寄付にあてられる。その点第〇楽団は、国の予算と一般市民の支援を受けて活動する半官半民の形態であり、半ば非営利の組織だ。営利目的で運営する通常の芸能事務所よりも、金の心配はないと思われた。

 さらに第〇楽団は、他の楽団が請け負わない政治団体との仕事を第一に請け負っている。なので大衆向けの音楽をプロデュースする芸能事務所は、わざわざ彼らに演奏を頼まず、プロのミュージシャンと契約を結ぶ。仕事の依頼は競合しないはずだ。

 そうした事情もあり、政治団体脱出の件以来となる楽団と二人の共演は、決して遠い未来の話ではない。自分らを救ってくれた人間たちにいずれ会えると思うと、不安で忙しない本番を前にしても二人には心強いものがあった。

「そうは言ってもさ、ヒビキ。今日のギャラは少なくても、そこは私たちが頑張ればいいことだしね。売れたらその分、楽団に出すお金も確保できるから……」

「そうだね。今までみたいな狭いライブハウスじゃなくて、武道館あたりで演奏させてやんなきゃ」

 談笑しながらラーメンを啜る二人だったが、店主がカウンターを飛び越えて怒鳴り込んでくる。

「貴様らッ! ラーメンとの戦いの最中に会話を交わすべからず!」

 少し驚いた二人だったが、すかさずヒビキが店主の手を握り、わざとらしく色目を使う。

「ごめんなさーい、ここ初めてなんです! 次も来るからゆるして、ね?」

 一瞬、店主がドキマギしたのを見計らい、ナビキが別の店員を呼ぶ。

「すみませーん、店員さん。お水ください」

「ウッス! ヨゴザンス!」

 従業員が駆けつけるが、それを見逃さず店主が拳を浴びせる。

「水を汲むべからず! 違憲判決を下されたいかッ!」

 睨みあう店主と従業員のもとに、今度は一番下っ端の従業員もやってくる。

「店長ッ、早く俺にラーメンの作り方を教えてください! 一日中シュレッダー係なんて嫌です!」

「口ごたえするかッ! 修行である、受け入れろ!」

「そんなこと言われても……。だいたい、シュレッダーで廃棄するような書類なんて、ラーメン屋じゃ出ないじゃないですか!」

「明日には出るかもしれないだろうが! 備えておけ!」

 店主たちはナビキとヒビキから目をそらし、喧嘩に勤しんでいる。その隙を見て、二人はラーメンを食べ終えてしまう。代金は前払いだったので、あとは喧嘩を横目で見つつ、スタスタと店を出ていった。

 二人が食事をとっている間に、空模様が悪くなっている。霧雨が降っていた。

 大金を貰っている格の高いタレントやアイドルならば迷わずタクシーを使うだろうが、二人にはまだ自由に使える金が少ない。小走りで地下道に潜り、上野行きの鉄道に乗ることにした。


(ここまでで約6ページです。続きは本編で!)

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