国粋姉妹受難曲(第一巻収録)

 政治対立の激しいダイトーア・東京の中でも、秋葉原から末広町にかけての地域は異様な色彩にあふれていた。日が傾き、漢字とハングル文字で構成されたネオンや電気看板が光り始める。電機問屋のディスプレイとサブカルチャー的ペイントが、ダイトーアに染み付く物々しいプロパガンダ色を覆い隠していた。

 大通りは一癖も二癖もある男女が、国籍を問わず往来する。問屋を行き来し何かを買い求めるギーク。サブカルチャー・ショップへ熱心に通うナード。それらを顧客とするビジネスマン。ここで日々を過ごす彼らにとっては、ダイトーアの政治事情などどうでもいい。穏健中立派にくくられているが、実質的な無関心層だ。

 だが、そんな街でもどこかに政治団体の影が差すのがダイトーアだ。とある路地から地下へと通じる階段を下っていった先にあるライブハウス。そこは秋葉原を中心に活動する保守派団体「一億で進む組合」の根城だ。

 その中では今、保守系アイドルユニット「国粋姉妹」のライブが行われている。

「……トンネルつきてあらわるる、ヨコスカ港の深みどり……」

 ステージでは軍服姿の少女が二人、歌い踊っている。かつて日本に実在した伝説の軍人作曲家、セトグチ・トーキチの代表曲「シキシマ」。それがテクノ調の編曲にホーンセクションを加え、アイドル風の曲に仕立て上げられていた。

 ワダツミ・ナビキとイカズチ・ヒビキのユニット。彼女ら二人を観覧客は食い入るように見つめ、声援を送っていた。

「滅私奉君! 滅私奉君!」

 「私を滅し君に奉ずる」という、オリジナルのコールだ。バックバンドに加わっていたマサヒロは、その気迫に気圧されていた。トロンボーンを構える守信も、コルネットを吹くチャンスも同様に、少し驚いたように観客を見ている。

 マサヒロはもちろん、守信もチャンスも、アイドルのバックバンドは初めての経験だった。テレビで活躍するような有名なアイドルならば、プロのミュージシャンが演奏を受け持つが、国粋姉妹はそうではない。

 彼女たちは結成して一年と経っておらず、秋葉原のナードたちにしか名を知られていない。さらには保守団体のイメージ戦略として活動していることもあり、歌うのはテクノ軍歌や、国粋思想が盛り込まれたアイドルソングだ。望んで演奏を買って出るプロのミュージシャンは少ない。

 それを知ったシラカバが、第〇楽団の演奏活動の一環として、バックバンドを請け負ったのだ。保守・革新・中立の政治思想が対立するダイトーアにおいて、分け隔てなく演奏するのが第〇楽団だ。

 入団以降少しずつ、政治的な場への訪問活動経験を積んだマサヒロだったが、こういった場は初めてだった。今までは政治団体の会合ばかりで、政治活動のためのアイドルがいるとは思ってもいなかった。

 狭いライブハウスのステージで、ホーンセクションが息を吹き込む。マサヒロを含むパーカッション隊も、窮屈そうに打楽器を叩いた。通常のアイドルソングならばドラムセットを用いるが、国粋姉妹の曲はスネアにバスドラムにシンバルといった、軍隊バンド式だった。

 マイナーなアイドルではあるが、保守派の人間たちの心は掴んでいるらしい。観客たちは一様に、彼女たちと同じ軍服を着て、飛び跳ねていた。コール・アンド・レスポンスも、示し合わせたような統率感がある。

「みんな、声出してください! 名もかんばしき!」

「シキ、シマ、カーン!」

 ナビキのコールに観客たちが一斉に叫と、今度はヒビキもレスポンスを要求する。

「もう一度、タオヤメ・コールいくよ! もっと大きな声で、ハイ!」

手弱女也タオヤメナリ! 手弱女也!」

 国粋姉妹の二人は、揃ってオリーブ色の軍服を着てこそいるが、顔かたちは全く違う。片やたおやかな黒髪のナビキ、片や華やかな金髪のヒビキという対照的な二人だ。ライブハウスほどの大きさの会場なら、十分に映える。

 マサヒロにとっては名前すら知らないユニットだったが、アイドルを名乗るだけあって、身なりはしっかりと整えられている。演奏の途中にすぐ彼女たちが前を通ると、少し身構えるものがあった。まだ知名度こそ低いが、ファンを抱える存在だ。もしかすると、政治団体の人間以上に下手な真似は許されない。ここに集まった観客らは、ナードであろうがなかろうが保守系だ。中には、彼女らを見て保守に傾倒し始めたものもいる。

 大戦から相当の月日が経った現代、日本の軍国主義を経験した人間はもはやほとんどいない。秋葉原の若い人間にとっては、受け取る情報が正しかろうが間違っていようが、発信する人間が心を惹かれるものかどうかも重要だった。

 ダイトーアには、小数でこそあるものの、国粋姉妹のような芸能活動を行う人間もいた。政治団体を後ろ盾に持ち、プロパガンダ的公演を行っている。特に、ライブハウスや演劇場の多い東京は、そういった人間のメッカだった。

「以上をもちまして、演舞の一切を終了いたします」

「みんなの挺身、マジ感謝でーす!」

二人のアナウンスを受け、観客も声を張り上げる。

「滅、私、奉、君! 敬礼!」

 百人に満たない規模ではあったが、興奮のうちにライブが終了した。最後に観客たちが一斉に敬礼する。彼らは国粋姉妹に目上と仰ぎ、挙手の敬礼を行うのが通例だ。それを確認したナビキとヒビキも、観客へ向かって答礼し、緞帳が降りるまで姿勢を崩さない。

 表向きは、思想の対立など感じさせない秋葉原だが、その地下ではこうした政治団体の一派が息づいていた。


 舞台が終わっても、演者たちは忙しい。楽団は片付けに追われ、国粋姉妹は出入り口でファンとの交流に勤しむ。

 なまじ全国的に有名なアイドルならば、膨大な数の観客に近づかれると危険が及ぶ。しかし彼女たちは名前も売れていないうえ、保守団体の思想を宣伝する役割を持つ。ファンと同士を増やすためにむしろ、積極的に無関心層に近づいていく必要があるのだ。

 楽団の面々は、出入り口から楽器を搬出する。途中マサヒロは横目で、二人の姿を見てみた。物品販売は運営の政治団体と覚しき人間に任せられている。一方二人はファン一人一人と握手したり、一枚いくらで写真を撮ったりと、サービスに余念がない。

「アイドルって、ああして一緒に写真撮るものだっけ?」

 マサヒロは、不思議に思いチャンスに訊いてみる。彼が雲の上のように思い描いていた、いわゆる芸能人と比べ、彼女たちはずいぶんファンと距離が近い。

「えっ、知らねえの? 秋葉原のアイドルなんかは、けっこうやるぞ」

 まるで当然のようにチャンスは言うが、それでもマサヒロは知らなかった。聞けば、マイナーなアイドルがファンの獲得や収入源のために行うものだと言う。

「国粋主義のアイドルなんて珍しいから、保守系の男なんか撮りたがっているみたいだぞ」

「へえ……チャンス、詳しいね」

「こういう流行はやりくらい知っとかないと、すぐに老けるぜ。まあ、おれもマニアってほどじゃないけど」

 へらへらと笑いながら、チャンスは管楽器のケースを運んでいく。彼は楽団の中でも年少で、入団する直前まで中学校へ通っていただけに、若者の文化を知っている。もっとも孤児院育ちのマサヒロは、今まで最先端の流行に進んで触れることなく生きてきた。チャンスが特別ミーハーというわけでもない。

 ナビキとヒビキは、笑顔で会話しつつ手際よく写真撮影を進める。軍隊式の敬礼で撮影することもあれば、ファンの要望に応じてレプリカの銃剣まで構えていた。

 するとにわかに、二人がマサヒロの方へ目線を移した。目が合ってしまったマサヒロは、じろじろ見すぎたと思いとっさに目を反らしたが、ヒビキが声を上げる。

「お兄さんも、あたしたちと一緒に写真どう?」

 その言葉が自分にかけられたものだと気づくまで、マサヒロは少し時間がかかった。まさか話しかけられるとは思っていなかったうえに、向こうから誘いが来たことに驚いた。

 ちょっと戸惑ったマサヒロだが、取り巻きからオオッというどよめきが起きる。

「驚いたッ、ヒビキ嬢から誘うとは!」

「うーん、何という果報者ッ」

 保守系ナードたちの大仰しい声で、断りづらい空気が出来あがってしまった。楽団のメンバーも、その様子を見て薄笑みを浮かべていた。遠くからチャンスが、「撮ってこい」といった風に指差すので、結局マサヒロは観念する。

 おずおずと二人のもとへ近寄るが早いか、突然ヒビキが距離を詰めてきた。アイドルと名のつく女がぴたりと横にいるので、マサヒロは大いに戸惑う。

「はーい、じゃあ私たちの間に立ってね。何か、とってほしいポーズってある?」

「そ、そんな急に言われても。初めてで……」

 されるがまま、二人の間に立たされてしまう。ナードたちの視線がマサヒロに突き刺さった。

「しかしあの男、一体誰だ? 関係者か?」

「国粋のマスラオには見えねども……」

 誰かの声がするが、それを知りたいのはマサヒロも同じだ。国粋姉妹というアイドルなど、まるで関係がない。ヒビキと同様に、ナビキも横から話しかけてくる。

「表情が硬いですよ? ほら、もっと笑顔で……」

 何が何だか分からないが、もはや写真を撮らなければこの場を立ち去れそうにない。マサヒロは力ずくで笑みを作った。顔の横で二人の髪が揺れる。彼女たちの距離が異様に近く、体こそ触れていないが、空気越しに体温が伝わってきそうだった。

 そして、撮影係のカウントダウンの後、シャッターが切られる。

 ……しかしその時、マサヒロは耳元でただならぬ言葉を聞いた気がした。

 ――助けて。

 言葉の主は、ヒビキだった。


(ここまでで約10ページです。続きは本編で!)

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