第17話 宗四郎の過去
高熱の眠りのなかで、宗四郎は若くして亡くなった母の夢をみていた。
『宗四郎ったらひどい寝ぐせね。そういうところも、宗司さんそっくり――……』
嬉しそうに言いながら、華奢な手で頭を撫でてくれた母は、透き通るような白い肌の、見目麗しい女性であった。
先代の急死により、16歳で当主を受け継いだ宗司は、責任感も自覚も欠如した自由奔放な人物で、19歳までに百合園学園の許嫁候補から妻を選ぶしきたりを破り、35歳のとき、英国で出会った19歳の
16歳の年齢差も、高遠分家の反対も二人の障害にはなり得ず、英国での結婚生活二年目には、双子の春と那奈が産まれ、その七年後には跡継ぎとなる宗四郎も誕生し、誰の目にも幸せな日々だった。
しかし出産直後から花蓮の体調が悪化し、順風満帆な日々は陰っていく。
宗四郎が八歳になるころには、一日の大半をベッドで過ごすようになり、見かねて宗司は、東京にある志夕家へ居を移すよう諭したが、それは治療のためというよりも、花蓮を溺愛していた義両親のためだったと思われる。
15歳の春と那奈は飛び級で米国の大学に通っており、精神的にも自立していたため、花蓮は宗四郎だけを連れて日本へ帰国し、志夕家での新しい生活を始めた。
『花蓮! 宗四郎! よく帰って来てくれた……!』
『これからはここが宗四郎のおうちになるのよ。遠慮なんかしないで、なんでも言ってね』
『そうだぞ宗四郎。ここでは好きなことをしていいんだ。誰もお前の本当にやりたいことを、止める人間なんかいやしないんだから』
自由と無償の愛を与えてくれた祖父母。
『宗四郎ったらすごいのよ。あの萌ちゃんと、もう仲よくなったんだから』
『へぇ! そりゃすごいな! ちゃんと捕まえておけよ宗四郎』
『きっと萌ちゃんのほうが離さないわよ』
『それもそうだな。このプレイボーイめ!』
自分の息子のようにかわいがってくれた伯父夫婦。
『今度の試合も応援しに行くからね』
『でも無理しちゃ駄目よ? 勝たなくても、宗四郎が元気に走ってるのを見れるだけで、十分なんだから』
『新しいビデオカメラの使い方を、しっかり覚えとかんとな』
『僕と父さんの二台で撮るから、どれだけ走り回っても大丈夫だぞ。花蓮も楽しみに待ってろよ』
『一台だけで十分よ。兄さんのだって、まだ二年前に買ったばっかりなのに……。二人とも、宗四郎のことになるといつもこうなんだから……』
『宗四郎は僕たちの大事な家族なんだから、このくらい当たり前だろう』
『ふふ……本当に仕方ないわね』
帰国してからの三年間は、ひたすら平和で穏やかであった。
しかし……。
『宗四郎、嫌なことは嫌だって言っていいのよ……。あなたが楽しく幸せでいられることが、一番大事なの。私もそれが、一番嬉しい……』
息子にそう言い残して花蓮が息を引き取ると、再び生活は一変してしまう。
喪が明けてすぐ、次期当主としての教育を本格化させたい高遠分家と、子供のいない伯父夫婦の養子にし、サッカーを続けさせたい志夕家による宗四郎争奪戦が勃発したが、果たして双方一歩も譲歩せず、一時間もたたないうちに話し合いは決裂。国内外に多数の不動産を所有する志夕家にとって、有能な弁護団を雇うことは容易かったが、それは高遠分家も同様で、泥沼が明らかな裁判は目前だった。
そんななか、ぎりぎりのところで宗司が仲裁に入る。
最終的に、サッカーは当分続けさせ、志夕家近隣に宗四郎が一人で暮らすマンションを用意し、生活の面倒は主に志夕家の者が”通い”でみることになり、教育については、若干18歳ながらすでにそれぞれの分野で認められていた、春と那奈の活動拠点を日本に移させ、家庭教師につける折衷案でケリが着いた。
長期化は明白だった裁判を回避できたのは、とかく好き勝手に生きてきた宗司であっても、功績のみにおいては他の追随を許さないほど優秀で、何より高遠分家が前時代的ともいえる、”当主の決定事項は絶対で、覆せるのは当主のみ”――の理念を掲げていたせいにほかならない。
宗司はことあるごとに、『当主は好き放題やっていいんだろ?』と言って、分家のお偉いさんたちを困らせていたが、実際その通りなのだから仕方がない。
結局周りが口うるさいのは、どの時代、どの世界でも一緒なのだ。
と……なかなかどうして、波乱の人生を送ってきた宗四郎ではあるが、幼少期のことが心の傷になっていないのは、サッカーのお陰であった。
常に応援してくれていた母はどんな気持ちで、練習に励む”宗四郎”と名付けた息子を見ていたのだろう。
今となってはわかりようもないが、何度想像してみても、罪悪感ばかりが湧いてくる。
現在の自分は、夢という名の”脱線した道”を走る脚を失い、結果決められていた道に戻っただけで、そこに自分の意志などない。
もっとも最悪なことは、その結果をよかった――とはどうしても思えずに生きていることだ。
――あなたが楽しく幸せでいられることが、一番大事なの。私もそれが、一番嬉しい……――
宗四郎が天国の母を安心させることができるのは、まだ先の話である。
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