第15話 サラ・レイハントン Sara Reyhunton
やっと放課後だというのに、昼とはうって変わって気が重い。
教室棟へのスマートフォンの持ち込みは、学園の数ある禁止事項のひとつで、寮に戻るまで那奈に連絡はとれないというのに、シュウはいつもの倍以上の時間をかけて、寮までの道のりを歩いていた。
那奈に”許嫁のことを全部教えろ”と言ったところで、はぐらかされるか、最悪な答えが返ってくるかのどちらかしかないことに気がついたからだ。
それでも咲のときのようなサプライズはもうこりごりで、聞かない訳にはいかないのだからジレンマである。
(考えてみれば、咲が俺のこと知ってても、別におかしくねぇんだよな……。いつの間にか、許嫁は愛名だけで、あいつに会うために転校して来たって思い込んでた……)
どうやらあまりのストレスに自己防衛が働き、できるだけ心と脳への負担を軽減しようと、ここへ来た目的が単純化され、結果”許嫁が複数人いる”という
”許嫁は愛名だけ”。そう思い込んでしまった理由に、精神的負担を減らすため以外の――例えばシュウの願望もあったのかどうかはわからない。
初めて許嫁として認識したのが咲であったならば、やはり同じように思い込んでしまっていたのだろうか……。
寮のロビーに到着し、エレベーターに向かう途中、
「……シュウ様」
大理石の女神像を備えた噴水前に立つ少女に、名前を呼ばれる。
彼女は転校初日にシュウとぶつかった、
その場所が妙に彼女とマッチするのは、瞳の色と、水中からライトアップされた水の色が同じスカイブルーだからであろう。
「……サラ。……どうかしたか……?」
「す……少し、お話ができたらと思いまして……」
「話……」
いくらなんでもサラまで許嫁だとは思えないが、一応心の準備はしておく。
「できましたら……シュウ様のお部屋で……」
恥ずかしいのか、消え入るような声だ。
「先に用事済ませてからでいいかな……? 多分10分ぐらいで終わると思うんだけど……」
許嫁が誰で、何人いるのかを那奈に聞かないうちは、サラの話に集中できる気がしない。
「あ、あの、それでしたら、また夜に改めておうかがいいたします」
「そっか……ごめんな。ちょっと那――じゃなくて……姉に電話したくて」
「シュウ様にとって、
自分の発言がシュウに多大なるショックを与えたことなど知るはずもなく、サラは軽くおじぎをして、シュウとは違う棟のエレベーターへと向かった。
(……心の準備しておいてよかった)
本日二度目のサプライズに、シュウはもうお腹一杯だ。
シュウは自室に到着するやいなやバッグを無造作にソファーへ投げ置き、テーブル上のスマートフォンを手に取ると、目的の番号を呼び出し、目を閉じてコール音がやむのを待った。
「……学園では快適に過ごせてる?」
なんとも那奈らしい開口一番だ。
「一応聞いとくけど、俺のことなんだと思ってるんだよ」
17年の付き合いで、姉たちとの言い争いほど無駄なことはないと学んでいるシュウは、淡々と質問を始めた。
「心配しなくても、それは的確に把握しているつもりよ」
「そのせいで心臓止まりそうになったけどな」
「
電話の先の那奈がさらりと話したことは、耳を疑う内容であった。
「……許嫁が五人ってバカだろ」
姿を変えてからまだ八時間も経過していないが、頭痛がしてきそうだ。
「あら……昔に比べたら、大分少なくなったほうなのよ」
「そんなこと比べなくていい……ってかせめて俺が何も知らねぇで転校して来てるって、彼女たちに伝えといてくれたっていいだろ」
「女性トラブルの対処法を身に付けるいい機会じゃない。まぁ……彼女たちは、許嫁が自分以外にもいることを知ったうえで承諾した、優しくて忍耐強い子たちだから、そうそうトラブルにはならないでしょうけど」
「……いくら俺が次の当主だからって、五人のなかから――」
「選ぶ資格がない……とか言うつもり? いつまでもそんなことを言っているから、萌ちゃんを傷つけちゃうのよ」
「そ――……れどういう――」
萌の名前が出る理由を問う前に、通話が切れてしまう。
(……萌……元気かな……)
神経をすり減らす日々のなかでさえ、萌を思い出さない日はなかった。
それでも連絡をとらずにいたのは、優しい幼なじみを自分から開放してやれるチャンスだと考えていたからだ。
異性が絡むことにはマイナス思考のシュウは、本気で”萌は自分と関わらないほうが笑顔でいられる”と思い込んでおり、この勘違いは当分続く。
”魂をもった、美しいキャストドール”。そんな形容詞が似合うサラ・レイハントンが、シュウの部屋を訪ねて来たのは午後七時のことで、湯上りなのか、とてもいい香りが漂ってくる。
「ご挨拶が遅くなりましたが……これからよろしくお願いいたします」
「こちらこそ……よろしく」
自分の家とはいえ、百合園学園のなかでも、トップクラスの美少女ばかりを許嫁にできる高遠家には脱力してしまう。
「とりあえず……姿戻してもいい……かな……」
「は、はい、もちろん」
来客に応じるときは、必ず”シュウ”に変わってからドアを開けているため、眼鏡を外して宗四郎に戻ると、サラが視線をふいっと下に逸らしてしまう。
「嫌だったらシュウに戻るけど……」
サラを怖がらせないよう、最大限優しい声をかける。
「いいえ……平気です……。想像していた通りの方で……嬉しいです」
どうやら視線を外したのは怖かったからではなく、恥ずかしかったかららしい。
「想像通り……だったのか?」
「はい……。高遠家の方はお顔立ちが似てらっしゃると、うかがってましたから……」
その顔立ちは、目まで覆う伸びっ放しの前髪と寝癖で台無しのうえに、普通であれば異性が好む高い身長も、ことさら陰気さに拍車をかけていることは、宗四郎自身とうに理解している。であるからして、姿を戻した途端、婚約を解消されることもありえる。と考えていた宗四郎にとって、サラの好意的な言葉は青天の霹靂であった。
「宗四郎様……どうかなさいましたか……?」
「いや、なんでも。ってか呼び捨てでいいのに」
仰々しい呼び方に思わず少し苦笑いすると、呼び捨てにするのは恥ずかしいのか、サラが戸惑った表情を見せる。
「余計なこと言ってごめん……。好きに呼んでくれていいよ」
「す、すみませ――……」
突然サラの頬が紅潮し、「あ、あの、明日また、うかがっても……ご迷惑ではないでしょうか……?」と申し出てくる。
「うん」
「ありがとうございます……では、おやすみなさいませ……」
「おやすみ」
愛名のようにウインクをすることはなかったが、恥ずかしがりながらも天使のようなほほ笑みを最後に見せて、サラは自室へと戻って行った。
嫌悪感を示されなかったことにほっとするが、この”面談試験”をあと二回経験しなければならないのだから、気が滅入る。
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