第14話 倉本咲

 ”シュウ”としての生活も二週間が経過。

 相変わらずストレスは多く、以前の高校ではありえなかった授業にも慣れないが、なんとか正体をバラすことなく過ごせている。

 これはひとえに高遠分家から出向してくれている、お世話係の手厚いサポートのお陰だ。

 シュウの熱烈なファンたちも、愛名と特に親しい間柄だと知ると露骨な行動は慎むようになり、一部例外・・・・はあるが、遠くからうっとりとした様子で眺めるにとどめてくれていた。

 そしてモデル活動や乗馬の練習で忙しく、自由な時間が少ない愛名とは、今のところ食事の時間しか一緒に過ごせていないが、関係の進展をまったく期待していなかったシュウにとっては、それで十分であった。

 そんなある日の昼休み。サッカーボールを手に中庭へ足を運んだシュウが、バレーボールで遊んでいる生徒たちのなかに同じクラスの倉本咲くらもとさきを見つける。

 午後に彼女の姿を見るのは、今日が初めてかもしれない。

 咲は貿易を主な生業とする倉本商社創業者一族、現取締役の娘であると同時に、今話題のテニスプレイヤーでもあった。

 たびたび取り上げられるメディアでは、”天才美少女”、”才色兼備の令嬢”――といった言葉が常套句で、まだ高校二年生ながら海外でも十分に通用する実力があり、彼女は愛名同様、学園のなかでも特に将来を期待されている少女だ。

 シュウに気がついたのか、咲がショートカットの髪を飛び跳ねさせながら駆け寄ってくる。

 日焼けした小麦色の肌に、しなやかに引き締まった身体。姿勢がよく頭も小さいため、実際の身長である170cmよりずっと高く見える。

 ボーイッシュでありながら女性らしさもしっかりと感じ取れるのは、走ると大きく揺れる豊かな胸と、まだ少し幼さも残る自立心旺盛な瞳をより大きく見せる、細くシャープな輪郭。

 肌の色に合った淡いオレンジ系の唇。そして健康的でかわいらしい顔立ちのお陰だろう。

 愛名は甘さの強い、例えるなら華のような可憐さがあるが、咲は爽やかで清潔感があり、天に輝く星のような美少女だった。

「あの――……今話しても、平気……かな?」

 教室でははきはきと快活な咲が、どうにもしどろもどろだ。

「バレー、抜けて来ていいのか?」

「うん。ちゃんと断ってきたから。……キミは、サッカー?」

「サッカーってか、リフティング」

「やってるとこ見たいな」

 全体的にはショートカットの咲だが、前下がりの前髪は顎まである。

 シャンプーの香りがふんわり漂う、さらさらの前髪を片側の耳にかけつつ、咲は爽やかな笑顔でおねだりした。

 シュウのフリースタイルフットボールの技術は、今や相当なレベルにまで昇華されており、彼が”高遠宗四郎”という、生き方を決められた人間でなかったら、その世界で有名になるのは容易いことだろう。

「すごい! 信じらんない!」

 咲からとびきりの笑顔を向けられる。

「簡単なのしかやってねぇけど」

「あははっ。キミのなかではそうなんだろうけど、ぜんっぜん簡単じゃないよ。私絶対できないもん」

「咲ならすぐできるようになるよ」

「ホント? じゃあちょっとやってみたいかも」

  シュウからボールを借りた咲が挑戦するも、すぐにボールが思わぬ方向へ飛んでいく。初挑戦なのだから当然だ。

「楽しいけどっ、難しいっ……ね!」

「初めてでこれならすごいよ」

「えへへっ。せめて、10回はできるように、なり、たい、な!」

 シュウは咲の邪魔にならない距離を保ちながら、何かあったときにすぐフォローできるよう見守っていた。

 彼女の目が追うのはボールばかりで、足元や前方の情報は脳に届いていない様子だったからだ。

「わっ――!」

 お陰でモグラが作った穴に、躓いて転びそうになる咲を正面から抱きとめることができた――のはいいのだが、マズいことに、右手に大きくて柔らかで温かな感触が……。

「――ごっ、ごめん!」

 すぐに咲の胸を掴んでしまったことに気がつき、慌てて手を離す。

「――っ」

 咲がうつむいたまま頭を左右に強く振り、気にしていない意思表示をするも、黙ったまま動こうとせず、シュウの不安はどんどん募っていく。

(まさか俺が男だってバレたんじゃ……) 

 恐ろしい可能性に気がついてしまい、このあとのベストな行動を思案すること数十秒。しかし気まずい沈黙を破って口を開いたのは、咲のほうだった。

「あの……私が誰か、ちゃんと知ってる……?」

「……??」

 妙なことを、妙なタイミングで尋ねられ、シュウの頭がハテナで埋まる。

「倉本咲……だろ?」

「……知ってるなら、どうして何も言ってきてくれないの……?」

 少し責める色をもった、切実な問いかけ。だがシュウには、咲の言葉に隠された意味も、またそんなものがあるのかどうかもわからない。

「私だって、宗四郎君・・・・のことずっと待ってたのに」

 風に揺れる新緑の音や、鳥の声にかき消されてしまいそうな声量であったが、咲が口にした自分の名前は、鮮明にシュウの耳に届いた。

「い――今……俺の――」 

 ~♪

 タイミングがいいのか悪いのか予鈴が鳴り、周囲に目をやると、二人以外の生徒は誰もいなくなっていた。

「今日コーチの都合で、いつもより練習時間が遅かったんだけど、もう行かなきゃ……」

 走り出した咲が振り返ると、「またね!」とシュウに手を振った。

「……」

 咲が中庭と学園とを仕切るアイアンフェンスの奥に消えてしまってからも、しばらくは事態を受け入れられなかったシュウ。

(俺の許嫁って、愛名……なんだよな……)

 一刻も早く那奈に問い質したいところだが、予鈴が鳴った今は教室に急ぐのが先決だ。

 シュウは急ぐ――というより、不安と苛立ちから逃げるように教室までを駆けた。

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