第12話 愛名と登校

「もう離れてもらっていいか……?」

 宗四郎の照れくささも限界だ。

「ごめんなさい、つい――……」

 ”懐かしくて”と愛名が言葉を続けたような気がするが、多分気のせいだろう。

 ギシッ

 ベッドから下りた愛名が部屋から出ると、ドアを閉める直前、「次にくるときは、ちゃんとノックをしてから入室するわ」と言って宗四郎のハートを射抜くウィンクをした。

「……」

 まるで夢かと思える時間。だが彼女の残り香が現実だと囁く。

 この世には、万人に愛されるために生まれてきたとしか思えない人間が少なからず存在する。

 他者との垣根を簡単に取り払い、人々を虜にする不思議な力――。百合園学園は程度の差こそあれ、そんな能力をもった少女たちが集う場所だ。

 と同時にこの世には、そんな不思議な力が通用しない人間が少なくとも一人存在している。

 彼女たちと自分の次元が繋がる可能性を刹那も考えたことのない宗四郎が、どうして繋げるための努力をできようか。

 これはチャームレベルマックスの許嫁たちと、鈍感レベルマックス&チャームキャンセラーの戦いでもあるのだ。

(沙針愛名が許嫁……ってことでいいのかな……)

 その事実は男性にとって気が狂うほどの喜悦であるはずだが、宗四郎には懸念材料が増しただけだった。

 意味のないことはしない那奈が、許嫁は愛名だと伝えなかった理由。それがわからないうちは、喜ぶどころか安堵さえ早い。


 翌日。

「おはようシュウくん」

 登校しようと部屋を出た途端、愛名の清涼な声に耳を洗われる。

 清潔感あふれるシンプルなホワイトコットンブラウスに、ブラックベストと、ブラックサマーウールのフレアスカート。足元はリボンタッセルローファー……とシンプルな装いだが、まったく物足りなさを感じないのは、きっと愛名自身の魅力が桁違いだからだ。

 ちなみに学園の制服は、ブラウス・ベスト・スカート・ソックスすべてに数種類の色と形のパターンがあり、生徒はその日の気分に合わせて召し物をチョイスしている。

 いうまでもなく、それらは高級服地を使用したフルオーダーメイドで季節によって生地も違う。

「おはよう、愛――」

 挨拶を返すシュウの背中に腕を回してハグをした愛名は、続いて頬へのAirkissを手慣れた様子で行った。

 シュウはそれが欧米流の挨拶だと早い段階で気がついたが、随分久しぶりのことで一瞬硬直してしまう。

「もう誰かと登校の約束をしていたりする?」

「いや……してねぇけど」

「よかった♡ 私、シュウくんと登下校するのが夢だったの。あ……でもシュウくんが嫌だったらいいのよ」

「嫌じゃねぇよ……」

 昨日、許嫁とはいえ異性のベッドに隠れていた愛名であるが、今日は控えめなアプローチだ。

「嬉しい」

 自分だけに向けられる大輪の華のような笑顔に、まだ夢のなかなのでは……と、己の頬をつねりたくなる。

 会ったばかりにもかかわらず、積極的に親しくしてくる愛名が信じられない。

 しかし隣を歩く彼女の表情はとても幸せそうだ。

 シュウがそう思いたいだけ――という可能性すら感じさせないほどに。

 ……それにしても、ハイスペックの男性から数え切れないほどの求愛を受けてきただろうに、彼女はなぜ、結婚できるかどうかもわからない男の許嫁候補になることを承諾したのだろうか……。

 女性側の許嫁契約は決して強制ではなく、本人の意思を絶対的に尊重していることはシュウも知っている。つまり、断りたければ自分の意志で自由に断れるのだ。

(……………………一個も理由、思いつかねぇな)

 シュウ自身、条件だけで異性を好きにはならないだろうに、愛名もそういった人間であるとは思い至らないらしい。

「シュウくんは、どういう女の子がタイプなの?」

 登校しながらの”女子”トークが開始する。

「……俺、サッカーばっかりだったし、考えたことねぇかも。愛名は……好きな人とかいなかったのか……?」

「ふふっ……どうしてそんなこと聞くの?」

「どうしてって……そんなに――……」

「そんなに、なぁに?」

「……いや、なんでも」

 "そんなに綺麗なのに、なんで俺の許嫁になったんだ?"。

 その質問は愛名にとても失礼な気がして飲み込んだ。

 鈍感だが優しいシュウは、たまにこういった直感が働くときがある。

 受信機はポンコツだが発信機は少し性能がいい……といったところか。

「……檻のような学園にも、いいところはたくさんあるのよ。乗馬の練習は何不自由なくできるし、共通の目的をもった友人もいるし……何より今は、シュウくんがいてくれるんだもの……」

 愛名が手を絡めるように繋ぎ、じっとシュウを見つめる。

 表情豊かでスキンシップが多い彼女からヒットを食らい放題であるが、シュウがアウトを取れるはずもなく、彼女の攻撃はまだ続く。

「……どうかしたの?」

「いや……手……繋いだまま教室まで行くのかなと思って……」

「女の子同士が手を繋ぐのは、ここではそれほど不自然なことではないのよ」

「そりゃほかから見れば同性同士だろうけど、俺は――」

「許嫁でしょう?」

「いや……まぁ、そうなんだけど……」

(手繋ぐのってそんなに恥ずかしがることじゃねぇのかな。……ってか、萌と繋いだことってあったっけ)

 このタイミングで辿るには長すぎる萌との思い出記憶

「もしかして、ほかの子のこととか考えているの?」

 愛名に顔を覗き込まれる。

「――ご、ごめん」

「ふふ……相変わらず素直なのね」

 怒ったのかと思いきや、愛名の表情はさっきまでと同様に優しく柔らかい。

「相変わらず……?」

「……シュウくんは昔からそうなんだろうなぁって、少し思っただけ」

 琥珀色の瞳を約50m先にあるイギリス式庭園に移した愛名が見ていたのは、少し歩けば辿り着ける庭園ではなく、きっと歩くほどに遠くなる”過去”であろう。


 10分程度の登校はあっという間に終わった。

 先に愛名の教室に到着し、シュウが「じゃあ、がんばれよ」と言って自分の教室へ向かおうとしたところ、

「待ってシュウくん」

 愛名に呼び止められる。

「ん?」

「今日のランチ、一緒にとらない?」

「……あぁ」

「ありがとう。じゃあまたあとでね」

 昨日と同じく、愛名のウインクで二人は別れた。

(すげー自然なウインク……)

 ふっとほほ笑んで、軽く息をつく。

 愛名とクラスが違うことに安堵したのは、ドキドキしすぎて心臓がもちそうになかったからだ。

 彼女の美貌と、煌々としたオーラを前に平然としていられる男は、相当な自信家か身のほど知らずだけだろう。

(今でもサッカーやれてたら、もう少し自信もって愛名の隣、歩けてたのかもな……って、俺も大概女々しいな)

 ほとんど無意識に浮かんだIF論をすぐに打ち消し、シュウは何事もなく学園での二日目を過ごせるよう祈った。

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