第11話 沙針愛名 Ina Sahalee②

 愛名は宗四郎の長い前髪の隙間からグレーの瞳を見つけ、懐かしさで胸が満たされていくのを感じた。

 英国の歴史ある貴族の血を引く父と、資産家の娘の母は、一人娘の愛名には厳格であったが、父方の祖父だけは違っていた。

 生物学の権威である大学教授の祖父は、Robert Louis StevensonやJules Verneらの小説を愛読する少年のような人物で、まるで小説のような実体験を聞くことが、幼いときの一番の楽しみであった。

 祖父の住まいの、水辺にある美しい古城は時が止まっているかのようで、マントルピース、机、本棚に所狭しと置いてある、なんの生物かわからない骨や宝石の原石が、なんともいえない世界観を形作っていた。

 色褪せた朱色のペルシャ絨毯。

 透かし彫りが美しいカロリアンチェア。

 すっかり埃を被った古めかしいレザートランク。

 モダンとは無縁のその部屋に、厚く長い髭を蓄えた祖父は少しの違和感もなく溶け込み、古城の世界を完成させていた。

 日中は馬を駆って実際の小さな冒険を楽しみ、夜は祖父の思い出話を聞きつつ空想の世界へ――。祖父の地底から響くような太い声は、暖炉にくべられた薪がパチパチと弾ける音と相まって眠気を誘い、一日の最後は夢へと旅立つ。

 そう、彼女の馬に対する愛情、意思疎通の仕方、乗馬の技術は、愛する祖父によって育まれたのだ。

 そんな祖父がある日、『彼は私の古い友人だ』と言って、一枚の写真を見せてくれたことがある。

 そこに写っていたのは、数式で埋め尽くされた黒板を見つめる、背の高い整った顔立ちの青年だった。

 未知のものに魅せられた少年のような瞳と、それには決して手が届かないであろうことを、どこか悟っている憂いを帯びた横顔。


『志は高く、求める成果は遥か遠い。自分は追い続ける宿命を負っている。……そんな第一声の人物は、後にも先にも彼ぐらいだ』

 写真の人物は誰か――と問いかけた愛名に、祖父はそう答えた。

『ならこの方、おじいさまといっしょだわ』

『”私も君と同じだ”と私が言ったら、彼は少し笑って、ソウゴ・タカトウと名乗ってくれたよ』


 ……飽きるほど眺めた写真は瞼の裏に焼き付き、目を閉じるだけで容易に浮かんでくる。

 今愛名の視界にいる宗四郎は、写真の青年によく似ていて、嬉しさと同時にときめきを覚えた。

 胸の苦しさを感じて窓の外に視線を逃すと、格子窓から郷愁を誘うイギリス式庭園が見える。

 広い庭園には小川も流れ、まさに学園に入学する直前まで慣れ親しんだ景色で、愛馬と駆けた若草色の丘陵や、短時間で変わりゆく空が恋しくなるのだった。

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