6月

第9話 百合園学園入学

「高遠シュウさん、教室へどうぞ」

 ”宗”の別読み。という理由からこの名前にしたと那奈に言われたが、慣れるまでは呼ばれても無視してしまいそうだ。

 そう思いつつ、”シュウ”は地獄への扉に手をかけた。

「失礼します……」

 ざわっ

 教室へ入って来た転校生の姿に教室が騒がしくなる。

 それでも今まで通っていた学校と比べたら、微々たるものだ。

(ホントに美少女ばっかりだ……)

 異性や俗世から隔離されて育った、美しく清らかな少女たちの視線を一身に受け、シュウの心臓の鼓動スピードが増す。

 その原因は甘い期待などではなく、ここで正体を隠しながら過ごすことへの不安。ただそれだけである。

 一時限目は数学で、授業終盤に配られた問題用紙を短時間で解き終わったシュウは、不自然にならない範囲でクラスを見渡した。

(……こうしたところで、何もわからないんだから意味ねぇけど……)

 許嫁の顔どころか、名前さえ知らないまま学園での生活をスタートさせていたシュウ。当然納得済みのことではない。

 転校準備で忙しくて、那奈を問い詰める時間がなかったのだ。

 まぁ、例え問い詰める時間があったとて、教えてもらえはしなかっただろうが。

 那奈は『心配しなくても、普通に接してるだけで好きになってもらえるわよ』と言っていたが、その自信の根拠がまったくわからないのだから、気休めにもならない。


 学園には一芸に秀でた生徒が多数在籍しているが、それは彼女らの両親が、幼いころから金銭を惜しまず、英才教育や稽古事を続けさせてきた賜物だ。

 午前の四時間は普通科目の授業。午後はレッスンの必要な生徒のみ、講師の待つ教室――あるいは体育館やコートへそれぞれが向かい、どうしても男性の講師が必要な場合は、学園外でのレッスンを許可している。

 才能ある生徒一人ひとりに、その道のスペシャリストである特別講師を用意し、ほぼ個人レッスンを受けさせているのだから、世界で活躍する学園出身者が多いのも頷ける。

 昼休みが終わるころ、自室での歯磨きを終えて戻って来たシュウが、教室のドアを開けて入ろうとすると、

「きゃっ――!」

 出て来た誰かと衝突してしまい、反動で後方に倒れていく髪の長い少女を咄嗟に抱き寄せた。

「ごっ、ごめん。大丈夫か?」

「――……」

 少女が小さく頷いたことに愁眉を開くも、教室に残る生徒たちの好奇の目に気がつき、急いで彼女から身体を離す。

 令嬢といえども、普通の少女同様、恋愛事への興味はあるらしい。

「ホントごめんな……。これからはもっと気をつけるよ」と言って、落ちた楽譜を拾い上げてやると、ずっとうつむいたままだった少女が、少しだけ顔を上げた。

 アドリア海の真珠・ドブロブニクを連想させる、ふんわりとウェーブがかったミルクティー色の髪と、スカイブルーの美しい大きな瞳。

 自然とカールしている、長くて厚い睫毛。

 白い肌に、赤みの強い小さな唇。

(――人形みたいだな……)

 ワールドワイドな両親をもつがゆえ、学園の生徒たちはほとんどが混血児で、彼女もご多分に漏れず様々な人種の血が入っているらしく、神々しささえ感じるほどの美しさだった。

「わ、私こそすみません……ありがとうございました……」

 か弱いソプラノの声。少女が頭を下げて急いで教室を出て行くと、そのあとすぐに予鈴が鳴り、シュウは着席した。

(男ばっかりだった前の学校とは違うんだから、気をつけねぇと……)

 例えば彼女が許嫁だったとしても、好意をもってもらう自信などシュウにはない。

 彼女ほどの美少女に釣り合うのは、豊かな国のハンサムな王子か、ハンサムな音楽家で、許嫁に会うためとはいえ、女子高に潜入している男など論外もいいところだ……。

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