第5話 嵐の前

 萌は学校からの帰宅中、数人のスカウトとナンパを断り、やっとの思いで駅前に着くと、初めて視線を上へ向けた。

 宗四郎が一緒のときは少なくともナンパはされないため、比較的スムーズな登下校なのだが、一人だと途端にこれである。

 宗四郎との夕食も今日で終わり。

 空は萌の心模様と同じ鈍色で風が強い。

 この風に心をえぐる感情をどこか遠くへ運んでほしかった。

「もーえちゃん」

 萌の背後から声をかけたのは攻だった。

「攻くん。部活は?」

「天気悪くなるみてぇだからミーティングだけ。ってか宗四郎と一緒じゃねぇんだ?」

「今日が最後の登校日で手続きとかあるから、先に帰っていいって言われたの」

 萌のほほ笑みがいっそう陰る。

「……萌ちゃんも転校先教えられてねぇってマジ?」

「うん……」

「はぁー……。相変わらず、なーんも話してくれねぇのなー」

 それなりに付き合いの長い二人でさえ、宗四郎が休学していた一カ月半を、どう過ごしていたのか知らずにいた。

 萌は休学中に流れた、宗四郎の悪い噂の信憑性を問われるたびに強く否定してきたが、あれだけ情熱を傾けていたものを失ったのだから、噂が本当でも仕方がない……と、思うときがなかったといえば嘘になる。

「いつか家を継ぐ立場だから、色々大変なことが多いみたい」

「……じゃあ膝の怪我がなくてもサッカーやめなきゃなんなかったんだな。すげーもったいねぇ話だけど」

「……」

 もしサッカーを続けられていたとしても、宗四郎はいつか家督を選んでいたのだろうか。

 楽しそうにプレーする彼の情景が今でも脳裏に焼きついている萌にとって、選んでほしい選択肢は当然決まっているが、それを口にする図々しさはもち合わせていない。

「なんで告白しねぇの?」

 思いがけない攻の言葉に、

「え……!?」

 萌の頬の血流が一気に加速する。

「あいつのこと好きな女かなりいたのに、だーれも告白してねぇ理由って萌ちゃんなんだぜ」

「私……?」

「まぁ……あんくらい・・・・・の容姿レベルだったら、ライバルが萌ちゃんでも尻込みしねぇで告白でもなんでもできるんだろうけど、普通は諦めるよな」

 言いつつ攻が指さしたビルの壁面には、アイナ・サハリーこと沙針愛名さはりあいなが広告を務める、英国老舗ハイブランドの大きな広告が打ち出されていた。


 ――The most beautiful princess who was loved the most by horses in the history of mankind――


 人類史上、もっとも馬に愛された美しいプリンセス。

 それはアイナが初出場した五年前の世界馬術選手権の総合馬術で、優勝した彼女を褒め称えた数ある言葉のひとつだ。

 以来彼女は毎年ほぼミスなしの最高得点で優勝し、賛美の言葉が正しいことを証明し続けている。

 しかし何より人々が驚いたのはアイナの容姿で、奇跡レベルの功績すら霞ませるほど彼女は美しく、たちまち世界中の人間が女神アイナの虜となった。

「……宗四郎にふさわしい人は、何かに夢中になってて、一緒に支え合っていける人なんだろうな……」と萌が呟く。

「萌ちゃんだって宗四郎に夢中になってんだから、支え合っていけるって」

 告白が成功しない原因第一位は、宗四郎の"鈍感"で間違いないが、萌の自信のなさも相当上位だろう。

「転校しちまう前に、さっさと気持ち伝えとけよ」

 挑発するような口ぶりだったが、攻の笑みは優しかった。

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