第4話 萌が言えない言葉

 夕食が済み、宗四郎は萌に後片づけの手伝いを申し出たのだが、『ゆっくりしてて』と言われたため、サッカーボールを手にリビングからフラットに続く庭のウッドデッキへと出る。

 宗四郎が一人暮らしをしているのは、一戸建てのような低層高級メゾネット型マンションで、閑静な住宅街にあるため夜はいつも静かだ。

 リフティングを始めると不安な気持ちが消えていく。

 サッカーだけにのめり込めていたら、どんなに楽だったか――。そう思うのは、もう何度目だろう。

 英国で生まれた宗四郎は幼いころから身長が高かったこともあり、若干六歳でジュニアサッカーU-12英国代表に選出された神童であった。

 八歳で日本に帰国してからも、毎年ナショナルチームのスターティングメンバーに選出され、大いにその類まれなる能力を発揮し続けた。

 ハイレベルな技術。

 無尽蔵かと思えるスタミナ。

 圧倒的なカリスマ性。

 すべてが神がかり的で、海外のいくつもの名門からサッカー留学の話を持ちかけられたが、サッカーを続ける場所にはこだわりがなく、また高遠分家の猛反対もありそういった話をすべて断ると、高校一年にしてフル出場した全国高校サッカー選手権大会で、攻とともにそれほど名門ではないチームを優勝に導いた。

 ……だが大会が終わってすぐの一月中旬。膝に疼痛を覚え、行った病院で突きつけられたのは、予想だにしなかった現実であった。


『このままハードな練習量をこなしていれば、サッカーはおろか走ることもできなくなるでしょう。しかし今やめるのなら、生涯趣味としてスポーツを楽しむことが可能です』


 レントゲンを背にした医者の言葉で、期待された未来は無情にも閉ざされ、サッカー界はその至宝を失ったのだ。

 休学前は宗四郎に想いを寄せる異性も相当数いたようなのに、休学している間にどこからともなく流れた、膝を故障したニュースと、警察の厄介になっただの素行の悪いグループと夜な夜なつるんでいる……などといった噂のせいで、評判は一気に地の底まで落ちたらしい。

 実際宗四郎に性格的な変化はなかったのだが、元々自分から積極的に話すタイプではなく、誤解を解く努力を一切しなかったことから、いまだに萌以外の女子生徒には腫れ物扱いされたままだ。

「……宗四郎」

 片づけが済んだのか、萌がウッドデッキへ出てくる。

「今日のお昼……無理言ってごめんね。那奈さんから宗四郎が全寮制の学校に転校するって聞いて……もうあまり一緒にいる時間ないんだなって思ったら……」

 萌の声には寂しさがあったが、

「それにしても、突然だったからビックリしちゃった」

 宗四郎を心配させまいとしてか、明るい調子に戻った。

「随分前から決まってたんだけど、そこでだとサッカーできねぇからずっと延期してたんだよ」

「そう……だったんだ」

「萌にとってはいい話だろ。もう俺の世話する必要なくな――」

「私、一度だって嫌だなんて思ったことない……!」

 言い終わる前に強く否定される。

「……萌はホント優しいな。……もう帰る時間だろ。送って行くよ」

「そ――宗四郎っ……」

 リビングに戻ろうとしたとき、萌に腕を両手で掴まれる。 

「あ……のね…………」

 萌が紡ぎたいのは、たった二文字。”好き”――の言葉であるはずだ。

 しかし今までの関係が壊れてしまうかもしれない。自分の気持ちが宗四郎の重荷になってしまうかもしれない。といった恐怖や気遣いが、彼女のささやかな勇気を奪っていくのだろう。

「ご、ごめんなさい……。なんでもないの」

 彼女の告白成功までの道のりは、まだまだ遠いようだ。

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