第31話 巣窟での一幕。
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「……………………」
前人未到の六十階層。
眼傷のビッカは薄暗い巣窟の中で、宿の主から手に入れた断刀黒鉄を手に残心を取る。
今しがた屠った魔物は、この階層から出現する様になった蟲型の魔物で、暫定的に鬼百足と呼んでいる化け物である。
「…………………………………」
想像を絶する硬度を持った黒い甲殻は魔法を弾き、物理攻撃でも生半可な探索者では傷すら付けられない。
頭部に備わった長い二本の角は雷を宿し、金属の武器で防ごうものなら使い手が感電して黒焦げにされ、躱しても掠っだけで猛威を振るう。
「……………………………………………」
長く禍々しい躯体から生える夥しい脚は、その巨体に充分な速度を与え、鬼百足は硬く、早く、強い、厄介な魔物であった。
肩で息をしているビッカも、断刀黒鉄の斬れ味と不壊の頑丈さが無ければここで死んでいただろう。
比喩でもなんでもなく、断刀黒鉄とその製作者に命を救われたビッカは、もし自分が黒猫荘と、ノノンと出会っていなかったらを思うとゾッとした。
「……………………………………………………」
「さっきから何なんだちくしょー! 言いてぇ事があんなら言えや!」
殺めた鬼百足が魔石化するのを待っていたビッカは、確かな圧力が込められた無言の視線に屈して振り返った。
視線の先には、ビッカと同じく残心を取っている格闘家、豪腕壊拳の二つ名で知られるザムラが居た。
ザムラはビッカを、正確にはビッカが持つ断刀黒鉄をジーッと見ながら微妙な顔で無言の圧力を発していたのだ。
「…………いや、なんつぅかよぉ。………その武器、狡くね?」
「あん? 俺の黒鉄がどうズリぃんだよ」
ほんの先日、やっと宿泊先に先払いしていた代金分を消化しきったザムラは、意気揚々と黒猫荘に引っ越して来た。
金等級のシーカーは実力に比例して我が強く、気の合う固定の探索団を組むか、単独で活動する場合が多いのだが、黒猫荘には三人も金等級が揃っているので、最近は一時的に組む事も多くなってきた。
ビッカとレーニャは言うまでも無いが、新しく黒猫荘に宿泊し始めたザムラも、今回はビッカと一緒に潜っている。ちなみにレーニャは今探索では別行動で、知り合いの女性探索団に臨時で加わっている。
「いや狡いだろ。なんだよその剣。なんで初めて来た六十階層で普通に通用すんだよ。おかしいだろ」
「狡くねぇよ。それだけの業物ってだけだろうが」
「いやいやいや、絶対おかしいだろ! お前金等級でも中堅だったくせに、ここ最近は到達階層が独走状態じゃねぇか! なんだよ六十階層って! んでもって何でこの階層の魔物に普通に通用する武器なんて持ってんだよ! 俺の
良く見ろと言わんばかりに自分の拳を突き出すザムラの両拳は、刺々しい鋼拳に覆われていた。
ザムラが持っている武器は、ビッカが持っていたシールシラーと同じ階層で魔物から手に入る巣窟産の業物で、金等級が持つ武器の中でも最上級の武装である。
そんな虎撃が通じなかったにも関わらず、ビッカが持つ断刀黒鉄は鬼百足をスパスパ斬れていた。ザムラが叫ぶのも仕方ない。
「俺たち探索者ってのは、武器や素材が手に入る階層で探索団を組んで数のゴリ押しで巣窟産の武器を手に入れて、やっとその階層をまともに探索出来るんだろうが。だってぇのに初めて来た階層で、しかも今までにねぇくらいの強敵に、当たり前に通用する武器はどう考えても異常だろうが!?」
「……………あー、まぁそうだよな。うんうん、普通はそうだよな」
ザムラの言い分は尤もで、ビッカも黒猫荘に来る前までは全く同じ考え方をしていた。
だが黒猫荘に来て日が浅いザムラに比べて、毎日ノノンから地獄の扱きを受けているビッカにとっては、この階層の魔物など死力を尽くせば倒せる敵に過ぎず、死力を尽くし己が魂を一滴残らず絞っても、その足元にも及ばす手加減に手加減を重ねられても勝てない相手であるノノンに比べたら、「頑張れば倒せる」程度の敵など、負けてやる方が難しい。もちろん断刀黒鉄があっての話だが。
ようするに、ビッカは完全に感覚が麻痺していた。
ちなみにだが、レーニャもビッカから断刀黒鉄の事を聞いてすぐにノノンへ新武器の製作を依頼している。今頃は新しい杖の威力に舞い上がって、魔物相手にヒャッハーしている事だろう。
「まだ黒猫荘に来たばっかのザムラには信じられねぇと思うがよ、こと戦闘に関してはお嬢に相談すれば大体なんとかなんだよ。黒鉄もお嬢に作って貰ったんだ」
「………はぁぁあー? あの嬢ちゃんに?」
「その内お前も分かると思うがよ、お嬢舐めてると本当に死ぬから気を付けろよ。…………あれ? お前ってポチ達紹介されたっけか?」
「あ? 誰だポチって」
「ウィニーは分かるよな?」
「おう、食い物届けてくれるコイツだろ? 可愛いんだよなぁ」
ザムラはまだ、黒猫荘へ来て本当に日が浅い上に、タイミングが少し悪かった。
ノノンは基本的に自分の力を必要以上に隠す事は無いのだが、ザムラがやって来たその日に、何故かケルガラ王国の第一王女までもがやって来て、流石に竜を含めた召喚獣を隠す事になり、ザムラもそのせいで未だにウィニーしか面識が無かったりする。
今日も今日とてお食事配膳要員として着いてきてるウィニーは、ザムラの肩でもにょもにょと撫でられ気持ち良さそうにしている。
「そのウィニーも、本気を出せば俺達を瞬殺出来る超高位の魔物だからな?」
「…………は?」
言葉で信用させるのは難しいと判断したビッカは、ザムラの肩でデローンと伸びているウィニーに手招きし、少しその実力を見せて欲しいとお願いする。
時間をかけて魔石化した鬼百足の戦利品を回収したビッカは、ウィニーにぶち殺される魔物を探して歩き始めた。
「次に出てくる魔物をウィニーに倒して貰うからよ、良く見とけ」
「…………おいおい、こんなチッコイ鼠に何させる気だよてめぇ。気でも狂ったのか?」
「まぁ見てろって。俺が気狂いじゃねぇってすぐ分かっから」
そうして、薄暗い洞窟の様な階層をてくてく歩いていた一行は、開けた空間に出た。
ビッカとザムラはその先にある光景に顔を引き攣らせ、ザムラは死の覚悟を、ビッカはウィニーが居て良かったと心から思った。
開けた空間、広間と呼んで差し支えないその場所には、数十匹に及ぶ鬼百足が絡み合っていた。
「お、おい逃げ……」
「んじゃウィニー、頼むわ」
「ちゅっちゅー!」
小声で叫ぶ器用なザムラの声を遮り、ビッカの言葉に返事をしたウィニーはぴょんっと地面に降りると、散歩に行くような気軽さで戦闘を始めた。
とてててと歩いてビッカ達から少し離れたウィニーはその小さな体で、地面が月面の様に陥没する程の踏み込みで加速し、弾丸さながらに鬼百足へ突っ込んで行った。
まず一匹。凶悪な牙がガシャガシャ動く口元からするりと中に入ると一瞬で増殖。あっと言う間に鬼百足を破裂させたウィニーは、圧倒的な体格差など塵に等しいとばかりに可愛らしい四肢と前歯で鬼百足を殴って蹴って噛み付いた。
増殖したウィニーの一匹一匹が極小の前足で鬼百足を殴れば吹き飛び、蹴飛ばせば潰れ、噛めば引き裂いた。
ノノンの能力に依存する召喚獣として個の質でも圧倒しているにも関わらず、鬼百足の群れを超える物量でもってすり潰す。
ビッカとザムラの視界に広がる光景はまさに地獄。
先程まで苦戦していた鬼百足が、まるで羽虫の如く殺されていく。
「…………………うそだろ?」
「現実だ。ウィニーはお嬢の使役する魔物で、その力はお嬢の能力に依存するらしいぜ」
あっと言う間に終戦。
魔石化するのを待つと、夥しい数が居た鬼百足は綺麗さっぱり駆除され、残ったのは広々としたドーム型の空間だった。
時間もいい頃で、この広場で夕餉と洒落込もう。ビッカはそう言って休憩の準備をするのだが、ザムラがウィニーを相手にビビってしまった。
ちなみにウィニーは増殖した個体を食事以外はリソース無しで維持出来るが、消す事も可能で、今回増えた分は既に消えている。
ザムラは見た目に似合わず可愛いものが好きで、ウィニーも良く構って貰っていたのだが、急に態度が変わったザムラを見て落ち込んでいた。
「………おいザムラ、てめぇデカいナリして肝がちいせぇぞ。ウィニーが寂しがってんじゃねぇか」
「いや、だってよぉ……」
「言っとくけどな、お嬢の配下でいったらウィニーが一番良識的で可愛くて気が利いて大人しい奴だからな?」
「……………俺とんでもねぇ所に泊まってんだな」
とは言え、ザムラも金等級にまで上り詰めた男である。切っ掛けさえ有ればそうビビりっぱなしで居る訳もなく、ウィニーもウィニーで意思疎通が出来る稀有な魔物である。
ザムラを怖がらせない様に距離を空けたまま、紙にメッセージを書いてザムラに見せる。
『さみしい』
たった一言に込められたウィニーの気持ち。
ザムラは土下座した。
そしてウィニーを可愛がった。いつも以上にもふもふして撫で撫でして揉み揉みした。
『うれしい。すき』
「ごめんなぁ! 俺も好きだぞぉ!」
「おめぇ手の平くるっくる回してんじゃねぇよ」
『ビッカもすき』
「この子は渡さんぞ、ビッカぁ!」
「そもそもウィニーはおめぇのじゃねぇよ。お嬢の配下だ。ウィニーもお嬢の方が好きだろ?」
『いちばんすき』
「ちくしょうっ! 俺は!? 俺は何番目だ!?」
殺伐とした巣窟で広がる、ほのぼのとした夕餉の時間だった。
ウィニーの好きな相手ランキングトップテンは、一位が不動のご主人様ノノンで、二位がツァル。三位ホルン。四位グラム。五位ベガ。六位シェノッテ。七位シルル。八位アルジェ。九位レアノア。十位ウルリオとなった。ザムラは現在圏外である。
ザムラは膝から崩れ落ちた。
九位のレアノアは孤児院の院長で接点は少ないが、黒猫荘で余った食事をウィニーとウルリオが運搬する仕事の中で、度々可愛がられている事でランクイン。
トップテン入りして居ない同僚、召喚獣仲間達はじゃれつく際に甘噛みする癖があり、体の小さなウィニーはそれが丸呑みされそうな気がして苦手なのに思っており、圏外である。
特にロッサなどいくら抗議してもハグハグしてくるので、ウィニーはなるべく近付きたくないのだ。
ツァル、ホルン、グラム、ベガはほぼ同率だが、付き合いの長い順でこうなり、甘噛みもしないし大人しい性格なのでウィニーとはとても仲がいい。
六位シェノッテは、シルル関係で良く夕暮れ兎亭まで行きメッセンジャーの仕事をするのだが、その時に可愛がってくれるし、食べ物もくれるのでこの世界で出会った人の中では一番気に入っている。シルルも可愛がってくれて好きなのだが、一番好きなノノンのハートを射止めてて羨ましいので、シェノッテの一つ下になった。
八位アルジェも甘噛みしない同僚だが、付き合いは長いのに寡黙かつストイックなので言うほど交流がなく、でも嫌いじゃないし信頼もしてるので八位に収まった。十位のウルリオは本雇用までとても頑張っていたし、その後も頑張っているのし、何より良く一緒に仕事をしているのでウィニーはそこそこの好意を持っている。
もともと勝訴と窮鼠をかけて勝鼠となったネタモンスターのウィニーは、裁判関係のクエストで平民側の勝利が入手条件であり、報われるべき持たざる者に対して好意的なのだ。
一位のご主人様については言うまでも無い。どの世界だろうとも変わらず最愛のご主人様である。
「とりあえず、もう分かったろ? 黒猫荘ではあらゆる意味でお嬢が頂点なんだよ。俺のこの武器もお嬢が用意してくれたんだ」
「………え、狡くね? つまりビッカおめー、最近の実績はほぼ全部嬢ちゃんのお零れってこったろ?」
「ぐっ!? い、痛てぇところ着きやがるなコンチキショー」
「否定しねぇのな」
「否定出来ねぇからな」
伝説の魔物である竜や獅子鷲との戦闘に始まり、ノノンが直々に行う戦術の講義や実技訓練。そして武器。
手厚い薫陶を受けて手に入れた力に間違いは無いが、それでもノノンのお零れを貰っていると言われれば、それもまた間違いでは無かった。
「お嬢はなんて言うか、
「……なにを?」
「んー、言葉にするのが難しいが……、あえて言うなら、戦いそのものって言うか……」
「もしかしてあの嬢ちゃん、見た目通りの歳じゃねぇのか?」
「どうだろな。ただ歳相応に見える事もあるから、見た目と大きく外れてる事は無いはずだ」
「するとおめー、嬢ちゃんはあの歳で、俺ら金等級が唸る程の実力に、鍛治の腕に、料理やら何やら全部身につけたってことか? どれか一つでも相当なのに、いったいどれだけ血反吐を吐けばあの若さでそこまで出来るようになるってんだ?」
「知るかよ。……ただまぁ、本当に血反吐を吐いて手に入れた技術なんだと思うぜ? 教わってる感じ、付け焼き刃のちゃちなもんじゃ無いってことだけは分かるからよ」
人知れず見た目通りの年齢で無いことを看破されつつあるノノン。
だがビッカにとってノノンの年齢など大した問題では無く、ザムラも言うほど深く考える質でも無かったため、事実に掠った話題はただの暇潰しとして消化されたのだった。
「……帰ったら、俺も何か作ってもらおうかねぇ」
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