第6話 懺悔と独り立ち。



 夜、夕暮れ兎亭の一室。ベッドに腰掛けながら窓に見える星空を見上げる。


「………お父さん、お母さん。ごめんなさい」


 今日一日で何回も恐怖して、絶望に近い感情も抱いた。

 だが、その抱いた絶望は、手足を失ったあの時よりも余程大きかった。

 だってあの時は、それでも両親に会えたから。

 この場所、仮に異世界だと仮定して、ここでは『ののん』の体でノノンとして過ごし、手足は自由に動かせるしレベルも高いからトラブルも比較的怖くなく、お金だって文字通り山ほど有るけど、四肢を失ったあの時より辛い。寂しい。緩く深い絶望が心に揺蕩う。

 だって、両親に会えないから。


「ごめんなさい。………真萌は悪い子ですね。お父さんとお母さんの元に帰ることを、諦めてしまいました」


 知らず、涙が頬を伝って落ちてゆく。

 諦めたくなんか無い。また両親に会いたい。頭を撫でて貰って、ジワルドで今日はこんな事をした、こんな遊びをして、こんな敵を倒したんだよって、普通の子供みたいに一日の事を親へ報告して、その日を終えたい。

 でも、私はノノンになってしまった。真萌から、体が自由に動くノノンへ。


「ごめんなさい。私は悪い子です。今日、私は真萌からノノンになりました」


 親から貰った、真っ直ぐ萌ゆる、真に萌す、そんな意味を込められた真萌と言う名前を名乗れなくなってしまった。

 だって、今自分が真萌なのか自信が無い。体は『ののん』で、真萌が知らない言語を喋り、真萌の脳も無いのに真萌の記憶を持っている。

 そんな存在は、果たして本当に真萌なのか?


「ここがどこだか、分かりません。帰り方が分かりません。分かっても、真に真萌に戻るなら、帰りたくない気持ちも少しあります」


 星空にとける声は、涙で湿って震えている。


「私が居ない方が、お父さんとお母さんは幸せになれるんじゃないですか? 地震で、手足と内臓と、子宮も失って、子供が産めなくなった娘は、本当に二人を幸せに出来ましたか?」


 考えるのは今と真萌。これからとノノン。


「もし、ノノンのまま真萌として帰れるなら、私はきっと何を捨てても帰ります。何を犠牲にしても帰ってみせます。だけど、だけど………」


 帰りたい。帰れない。帰らない。

 愛してくれる両親が、ふとした瞬間見せる辛そうな顔。後悔と懺悔に塗れた顔。あの顔をさせているのは、紛れもなく真萌だった。


「帰りたいです。会いたいです。でも、また二人にあの顔をさせちゃうなら、私は帰れません。ごめんなさい、ごめんなさい………」


 それに、怖かった。

 もし私が居なくなって、もし向こうの私が死んでた時、二人が、少しでも、『ほっ』としてたら………。


「ごめんなさい、ごめんなさい………。真萌は悪い子です。お父さんとお母さんはそんな事しない、そんな事思わないって分かってます。だけど、だけど、頭の中から消えないんです……」


 この不安を、妄想を、抱えているうちは、帰れない。帰る資格なんて無い。

 あれだけ愛してくれたのに、あれだけ大事にしてくれたのに、私が居なくなって二人が喜ぶシーンを思い浮かべるなんて、酷い話だ。


「いままでありがとうございました。私は幸せでした。幸福でした。お父さんとお母さんの娘に生まれて良かったです。だからどうか、二人は幸せになってください。悲しまないでください。私なんか忘れてください」


 星空を見上げているはずなのに、ボロボロと涙が溢れて何も見えない。

 新しい体で自由に動けても、ちっとも嬉しくない。

 だってこの体には、お父さんとお母さんの血が流れてない。真に二人の娘では無くなった。


「………どうかお元気で。おやすみなさい」


 私は、今日からノノンとして生きる。

 さようならお父さん。さようならお母さん。さようなら真萌。

 おはようノノン。こんにちは異世界。おやすみなさい私の日常。


 χ


 懺悔の日から、一週間経った。

 帰れない事、明智家の事、この体の事、その他諸々、考えても仕方ない事はすべて頭の端っこに追いやって、この世界の事を勉強する。

 シルルちゃんと遊びながら、夕暮れ兎のお手伝いも少しして、お話しも聞いて常識を学び、少しずつ新しい生活が色付いていく。

 シルルちゃんは八歳で、半年後に学校へ通い始めるそうだ。

 耳と尻尾だけの獣人シルルちゃん。世間はこのタイプの獣人を『半獣』と呼んで嘲笑するらしい。だからシェノッテさんはあまり外に出したがらないのだが、学舎を卒業していると言うのは最低限の教養を身に付けたと言う証なので、この都市で半獣が生きて行くには必須なのだと言う。

 そもそも、獣の種族を獣人、普通の人間を技人と呼ぶらしいのだが、獣人と技人が結ばれて子供を産んでもハーフにはならないらしい。獣人か技人、普通はどちらかが産まれる。

 なので、半獣はどっちつかずの半端者。そんな誹りを受けるのだ。


「ルルちゃん、一緒に学校行こうねー?」

「うんー!」


 私はシルルちゃんと同じ八歳という事にして、同じ学校に通うことを決めた。

 手っ取り早く仕事にありつくなら私も探索者になろうかな、と思ったら、探索者も学舎の卒業が必須だと法律で決まっているとシェノッテさんに言われた。

 魔物の巣窟を探索するため、探索者は法的に武装を許された人材であり、そんな者には最低限の教養と学識が求められると言うのが理由だそうだ。

 巣窟探索は国家事業なので、国家資格とまでは言わないけど、資格が必要なのは頷ける話しだ。

 探索者になるか分からないが、武装が許されると言う所に魅力を感じたので私も学校へ通う。


「それじゃぁ、お世話になりました」

「また遊びにおいでね。シルも寂しがるからねぇ」

「はい。迷惑になるくらい来ますからね!」


 そして私は夕暮れ兎亭を出た。

 半年後に入学する学校、へリオルート学園の入学資格は八歳の児童であることと、居住がハッキリしている事なので、私は宿暮らしのままだと入学出来ないのだ。

 だから、商業組合でとあるスラムの土地を半分買った。

 その土地にある建物は業者に解体してもらい、住み着いた貧民達も商業組合がノリノリで追い出した。

 酷いと思われても、向こうは土地を不法に占拠しているので手心は要らない。後でケアの一つくらいしてもいいが、今は私の家が必要なのである。


 この国はケルガラ王国と言う名前で、ここはその首都たる王都へリオルート。

 広大過ぎる都市に国家事業として管理された巣窟を内包し、探索者が多く訪れる大都市のスラムは広く、私はその半分ほど一キロ四方の土地を買って更地にした。

 へリオルートは二重の城壁に囲まれた都市で、内側の壁の中は貴族街。外側は城下町として庶民が暮らす領域になっていて、さらにその外側の一部に、貧民窟スラムが発生している。

 購入した更地はそのスラムの一つを半分食い潰して城下町に接している。


「ふふ、見事に更地。………ポップアップベース起動。建築開始」


 私は更地に辿り着くと、その中心にポーチから取り出したアイテムを置いて起動した。

 これはポップアップベースと言う課金アイテムで、ゲーム内に拠点を作る時に使用するアイテムである。

 S、M、L、Gと四つのグレードがあり、起動するのはLサイズのポップアップベース。

 Sは古民家くらいの一軒家で庭無し。Mは2LDKから5LDKくらいのマイホームサイズ庭付き、Lは十部屋から二十部屋の大豪邸で庭園付き、Gは城である。

 主にソロプレイヤーがS、パーティーでM、小規模ギルドがL、大規模ギルドがGのポップアップベースを使用する。

 非課金タイプのポップアップベースも存在するが、当然課金タイプの方が豪華で機能的だ。

 起動前と起動後の建築中に仕様内ならば間取りも自由に決められるので、私は予め決めてあったソレを実地に合わせて微調整していく。

 一階は私のプライベートスペースを除いて全て共同空間として、二階は客室を詰め込む。

 客室はそれぞれ3DKで同じ規格の間取りを採用して、屋敷全体は上から見るとコの字型になる。

 一キロ四方と言う敷地の殆どは花咲き乱れる庭園として、裏庭の最奥に闘技場も作った。

 私は従魔がたくさん居るので、庭は広く無くては行けない。


「………プライベートスペースには鍛冶場も作って、調薬室、あと名刀を展示するコレクションルームも置いて、裁縫と木工も専用工房作っちゃえ」


 かくして、へリオルートの一角に私の屋敷が完成した。

 私は、ここで民宿をやろうと思っている。

 やっぱり、私は誰かのお世話をするのが大好きなのだ。入学までの半年、ぐーたらした生活も送れてしまう資金力があるのだけど、嫌だ。両親とある種の決別までしてニートは嫌だ。ネオニートなんて嫌だったのだ。

 両親に顔向け出来る立派な仕事かつ、私の長所を活かして私が楽しめる仕事を考えた時、浮かんできたのがコレだった。

 民宿か下宿。どちらも民家を使った小規模な宿泊施設の事だが、私は規模を大きくしてソレをやってみるつもりである。

 大豪邸で民宿だなんて、モドキもいい所だけど、コンセプトとしては、「私が住む屋敷で一緒に生活する」宿である。

 私の豪邸にお金を払って居住権を買う感じ? なので基本的に月極料金で、一泊単位だと割高になる。


「ん、よく出来た。あ、そうだ………」


 この屋敷の名前を決めないと行けない。

 夕暮れ兎亭でお世話になったし、動物の名前を使うのが習わしだと聞いた。

 シルルちゃんが兎だとして、私は何だろう?

 本当はオジサンが兎亭の『兎』何だろうけど気にしない。シルルちゃんの方が可愛い。


「………ふむ、《遍く光よ》《蠢く闇よ》《揺蕩う水よ》《我が身に装飾を施せ》」


 私は呪文を唱えて変身する。

 ゲームではこの後表示されるウィンドウで変身先を設定するのだが、この世界ではそんな物出ないし、やり方はこの体が知っている。知らない言語を知っているこの体が、ポーチを無意識で使えるこの体が、変身呪文の使い方を知っている。


「……にゃんにゃん?」


 私は頭とお尻、いや尾骶骨辺りに猫の耳と尻尾を生やした。

 水で実態を作り、光で色艶を与え、闇で精神と繋ぐ。ほぼ本物の偽猫耳と偽尻尾だ。

 黒和服ドレスにふわふわ黒髪の黒猫耳幼女。属性もりもりだね!


「シルルちゃんの所が兎亭なんだから、今日から猫な私の屋敷は、黒猫荘だね」


 ちょうど、シルルちゃんが学校で半獣だからと虐められないか心配だったのだ。私も半獣になれば同じ立場でシルルちゃんを助けて上げられる。屋敷の名前も決まるし一石二鳥だ。


「よし、住むところ決まったし、落ち着いたらへリオルート学園へ入学願書出してこよう」


 高い塀に囲まれた屋敷と広大な庭園を前に、私は新しい一歩を踏み出した。

 屋敷の中を探検したあと、裏庭に従魔達を召喚して放し飼い? にしようか。


 

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