第7話 眼傷のビッカ。



「あ、あんた眼傷のビッカだね! 出とっとくれ! あんたなんか泊めたら、宿が潰れっちまうよ!」


 金等級探索者になってから二年が経った。

 木札級、廃鉄級、銅等級、銀等級と登って、やっと辿り着いたシーカーの頂点だ。


「ああ、そいつぁ悪かった。邪魔したな………」


 凄まじい剣幕で門前払いを受けた俺は宿屋から出て、天を仰ぐ。

 俺はいったいどうすりゃ良いんだ畜生め。

 ああ、贅沢は言わない。巣窟の床よりマシな寝台で寝て、塩辛い干し肉より美味い飯が食いたい。それだけなんだ。

 たったそれだけの事がここ一年出来ていない。

 泊まるのに金貨が必要な高級宿も、賎貨で泊まれるボロ宿も、どんな宿も全部『眼傷のビッカ』を拒否するのだ。

 原因は分かっている。結局自分が悪いのだ。

 金等級シーカーになったその日、あまりに浮かれていた俺はとある酒場で、酔いのあまりこう叫んだ。「この俺に勝てる奴が居れば、金等級に推薦してやんよぉ!」と。

 金等級シーカーになるには色々と方法がある。例えばシーカー協会に昇級を打診される程に多くの功績を積むか、例えば四十階層以上の巣窟を完全攻略してデカい功績を見せるとか、例えば既存の金等級シーカーから推薦を貰うとか。

 もちろんどれも、やればすぐ金等級へ昇級と言う訳じゃないが、それでも可能性がグッと上がるのは間違いない。

 その中で、金等級シーカーが推薦すると言う方法は形骸化してる。金等級シーカー達は自分が誰かを推薦する事は殆どなく、また明確な推薦基準を設ける事もしないからだ。

 それは何故かと言えば、今の俺の状況が物語っている。付け狙われるのだ。

 腕だけしか取り柄のない莫迦な銀等級探索者に付け狙われ、いつしか俺を倒せれば金等級になれるだなんて噂話に変わって各地に広がり、ひどい時は昼夜問わず毎日、莫迦野郎が俺を襲ってくる。集まってくる。

 何時でもどこでも襲われるから、宿屋にだって甚大な被害が出ていて、最終的には俺自身が宿屋から締め出される形になってしまった。

 許されるなら、二年前の俺をぶん殴ってやりたい。

 そんな騒動の中で目元に負った傷のせいで着いた通り名が『眼傷のビッカ』だ。まぁ口さがない奴は『宿無しビッカ』とか呼んでいる様だが、お前らのせいで宿から追い出されてんだよコンチクショウ。


「馬鹿みたいに安い所ならあるいは、なんて思って貧民窟方面に来てみたが………、んあ?」


 一泊賎貨五枚と言う激安のボロ宿から追い出された俺は、不思議な建物を見つけた。

 いつの間にか貧民窟の大部分が壁に覆われてて何事かと思ったが、今いる場所はどうやらその場所の正面に当たるらしく、そこだけ壁ではなく鉄格子になっていた。

 その奥には貴族の館と見紛う見事な屋敷があって、門扉は開きっぱなしになっている。門番も居ない。


「なんだ、ここ? 貧民窟の近くに貴族が住んでんのか……?」


 門から真っ直ぐ伸びる石畳は屋敷に続いていて、石畳は美しく咲き乱れる花々に囲まれている。

 よく見ると開いた門扉の柱に看板のような物があり、『笑う黒猫荘』と書いてあった。


「………荘? 動物の名前ってぇ事は、宿なのか、ここは?」


 開いている門から足を踏み入れ、見事な庭の石畳を歩いてみる。

 防犯の類は特に無く、門番も居ないのだから当たり前だが止めるものは居ない。


「入っても、良いのか? まぁ今更だが……」


 貴族が住むような屋敷に、背中に大剣を背負って踏み入る俺。傍から見たら完全に不審者だな。

 ふと、気配を感じて花畑の方を見やると、びっくりするほど大きな黒い狼が昼寝をしていた。

 うぉい、黒猫荘なのに居るのは狼かよ。

 思わず変な事を心の中で突っ込むと、それがきっかけかは分からないが、狼が寝そべったまま目を開ける。


「………---ッ!?」


 狼と目が合った俺は凄まじい悪寒を感じて後ろに飛び退り、背中の剣に手をかける。

 あれはただの狼じゃねぇ。魔狼で間違いない。しかもとんでもない強さの魔狼だ。


「なんだって街中にこんな化け物がっ………!?」


 臨戦態勢の俺と視線を交えていた狼は、俺の心の内などどうでも良いとばかりに、また目を閉じて昼寝を続行した。


「なっ、はぁ? …………くっそ、俺なんて眼中にねぇって事かよ!」


 確かに目が合っただけでも凄まじい圧を感じた。俺じゃ相手にならないだろう。

 これでもシーカーの頂点たる金等級シーカーの一人なんだが、自信無くすぜチクショー。

 しかし拙いな。あの魔狼は拙い。何をどうしたって勝てそうにない。頭からパックリ食われる前に逃げた方が良さそうだ。

 だが逃げられるのか?

 それこそ背中を見せた瞬間殺されるんじゃ無いか?


「…………くっそぅ、入らなきゃ良かったぜ」


 悩みに悩んでも答えは出ず、まごまごしている内にまだ遠い屋敷の方からガチャっと音がする。

 事態が一気に動き過ぎだ莫迦野郎。

 魔狼の気配に気を配りながら音の方を見ると、屋敷から一人の少女が出てくる所だった。

 年齢は十歳も無いだろう幼い子供で、この距離からでも艶があると分かる長い黒髪。大きくパッチリした二重の目。整いつつも小さな鼻筋に、薄く染った頬。小さいながらふっくらした唇。頭に猫のものらしき黒い耳がピコピコしていて、尻にも尻尾がある。

 そして見た事がない様式のヒラヒラふりふりとした黒い服に身を包んだ、控えめに言っても見目麗しい女の子である。

 どうやら本気で貴族の館だったらしい。あれは庶民じゃ無いだろう。

 ここは宿じゃなかったのかよ? 黒猫荘なんて紛らわしい名前使いやがってコンチクショー。

 いやだが、獣人の特徴を持っている。この国で獣人が貴族になれたか?


「……あら?」


 黒髪の子供を観察しつつも、魔狼が怖くて動けない俺は呆気なくその子に見つかってしまう。

 目が合うと、まさに花が咲くような笑顔を浮かべた後に、とてててと軽い足音を響かせて俺の側まで女の子が寄ってきた。


「ようこそいらっしゃいました。私はここ、笑う黒猫荘のおかみノノンです。黒猫荘へはご宿泊ですか? それとも黒猫荘へ何か御用ですか?」


 色とりどりの花が咲き乱れる庭に、女の子の笑顔と言う一輪の花が追加され、俺は内心「結局ここは宿なのか!?」と慌てる事しか出来ない。

 しかし、宿だと言うならありがたい。俺を見て即座に追い出さないのも助かる。

 もしや俺の事を知らないのだろうか?


「あー、っと、ここは、……宿、なんだよな?」

「はい。民宿と言うちょっと特殊な経営ですが、宿屋ですよ」

「そうか。部屋は、空いてるか?」

「ふふふ、実は始めたばかりの宿屋でして、お客様がご宿泊なら、初めての宿泊客になります。つまり全室空いておりますよー」


 良し良し良し良し!

 本当に俺のことを知らないらしい。始まったばかりの宿屋だと? 最高かよ!

 民宿と言う言葉は耳慣れないが、とにかく宿であるなら構わない。


「じゃぁお願いしたいんだが、一泊いくらだ?」

「はい、一泊だと銀貨五枚になります」

「んんっ!?」


 くっそ高かった。

 いやあの屋敷が宿だと言うなら高いのも納得なんだが、高すぎる。

 確かに一泊で金貨が必要な宿も存在するが、あれは本気で王族御用達とかそう言った類の宿であり、普通の宿なら高くても半銀貨一枚あれば一泊して飯も付く。銀貨五枚と言うのは一般的な高級宿の実に十倍の値段だ。本気で高い。

 もしかして俺の足元を見て値段を決めているのか?


「んー、立派な宿なのは見れば分かるんだが、高すぎないか?」

「ふふふ、そうですよね。でも黒猫荘は長期滞在を前提にした宿なので、短期だと割高になるんですよ。ひと月のご滞在でしたら諸々含めて金貨一枚になります」


 俺が軽く探りを入れると、ノノンと名乗った女の子はニッコリ笑いながらそう言った。

 あーっと、ひと月が三十五日だったか。銀貨五枚が三十五日だと、銀貨百七十五枚。つまり金貨一枚と銀貨七十五枚か。

 となると、ひと月泊まると銀貨七十五枚も得する計算になる。

 それでも一泊銀貨二枚以上だが、あの屋敷を見ればそのくらいなら妥当なのか? なんて思えてくる。


「なるほど。長く泊まった方が安いんだな。じゃぁそれで頼んでも良いか?」

「はい! では早速ご案内しますね! あ、その前に宿の説明でしょうか?」


 追い出される前に部屋を取ってしまおうと、サッとノノンへ金貨を渡すと、初の来客にノノンの笑顔が咲き誇る。

 俺の事を本気で知らないらしい。もしかしたら顔を知らないだけかも知れない。名乗るのは後にしておこう。

 迷惑をかけるかも知れないと思うと良心が痛むが、噂が本格的に広がった一年も前からマトモな生活が出来ていないのだ。一日くらいは許して欲しい。

 そして莫迦共は今日くらいおとなしくしていて欲しい。切実に。


 そんな事を考えたのが悪かったのか、はたまた俺はマトモな生活を送れない運命にあるのか、奴らは来る。


「みぃぃぃぃぃつけたぞぉぉぉぉお! 槍穿突撃!」

「ふふ、隙だらけね。螺旋射ッ!」


 黒猫荘の外。開きっぱなしの門から大声を発しながらこちらへ爆走してくるハゲ頭の槍使いが、槍技能-槍穿突撃-を発動しながら突っ込んでくる。

 その後ろに居る弓使いの女が弓技能-螺旋射-をそれに合わせて放ち、俺はどちらに対応するべきか、そんな事を考えている内にどちらにも対応出来なくなってしまった。

 拙い。ノノンを巻き込んでしまう。

 幸いどちらの技能も俺を一撃で殺すには役不足。だからせめて、ノノンの盾になるべく動こうとすると、すぐ傍からゾッとするほど冷たい声が聞こえて来た。


「……--いくらなんでも、不躾過ぎやしませんか?」


 そう聞こえた次の瞬間、まず目の前まで突っ込んで来ていた槍使いが門の方へぶっ飛ぶ。次に女が放った矢が寸分の狂いも無く女が持った弓の弦を貫き切断した。


「……--ぬぅぐッ!?」

「ぎぃやっ!?」


 俺の覚悟も虚しく、襲って来た莫迦二人はあっと言う間に門まで押し返され、ノノンは襲撃者など取るに足らないと言うように俺を見詰めている。


「あの、人違いならごめんなさい。もしかして『眼傷のビッカ』さんですか?」

「ッ!?」


 知っていたのか!?

 バレてしまった。襲撃者のせいか。あの莫迦二人のせいでやっとあり付けた宿にバレてしまった。

 くっそ、ちくしょう……! ただちゃんとした寝台で寝て、マトモな食事を口にしたいだけなのに、なんでこうも上手く行かねぇんだっ!

 顔が強ばった俺を見て何か得心がいった様子のノノンは、また花が咲く様に笑う。

 やっぱり俺を追い出すのだろう。そんなに楽しそうにしなくても良いじゃないか。名乗りもせず騙そうとしたのが気に入らないのか? それとも--……。


「お世話になった宿で聞きました。今まで大変でしたね。もう大丈夫ですよ?」


 暗い考えに埋もれそうな俺へ、ノノンはやっぱり花が咲く様な笑顔を向けてきた。

 何が、大丈夫なのだろうか? だって、俺を追い出すだろう?

俺は追い出されるだろう?


「私はもうお代を頂いてしまいました。だからビッカさんはもう黒猫荘のお客様です。安心してください。あなたの安らぎを邪魔する全て、私が薙ぎ払います」


 そう言ったノノンは、俺を追い出すことなどせず、花畑で眠りコケている大きい狼に「ポチー、手伝ってー?」と声をかけた。

 …………え、あの狼ポチって名前なのか?


「くっそ、油断したっ!」

「良くも私の弓を……! これいくらしたと思ってるのよ!」

「知りませんよ馬鹿じゃないんですか? 何なんですかアナタ達。いきなり私の黒猫荘へ押し入って来て、死にたいんですか?

 ぶっ殺しますよ? ぶち殺しますね? ポチー、玩具だよー?」

『ヴォゥフッ』


 そこからはもう、言葉に出来なかった。

 それでもあえて言葉にするなら、巨獣と羽虫の喧嘩だろうか。

 槍使いがノノンへ突っ込み、ノノンはいつの間にか手にしていた反った木剣で槍使いをぶっ叩き空へカチ上げ、それを狼が空中で弓使いへ向かって叩き落とし、その時にはもう移動していたノノンが弓使いを槍使いへ向かって蹴り飛ばし、宙でぶつかった二人は縺れ合いながら石畳へ落下する。

 だがそこで終わらず、二人の襲撃者が絡み合って出来た球をノノンが蹴り転がし、狼が蹴り飛ばし、ノノンが木剣で打ち返し、狼が殴り返し、またノノンが蹴り返す。

 当事者にしてみたら地獄みたいな応酬だろう。俺から見てもノノンの動きも狼の動きも見切れない。それでいて、殺さないように手加減しているように見えた。

 あの動きでまだ手心を加えているらしい事実に戦慄する。

 しばらく人球を玩具にした一人と一頭は、何やら話すと狼が人球を咥えて門の外へ行き、ノノンが俺の元まで帰ってきた。


「終わりました」

「………………あ、えっ?」


 何が起きたのか、全く分からない。

 奴らは少なくとも銀等級シーカーで、間違っても幼い女の子が蹴り転がせる相手ではない。

 なのに、それが当たり前だと言うようにこの女の子は、ノノンはひと仕事終えただけと言った風に、俺へ語り掛ける。


「今まで大変でしたね。もう大丈夫ですよ。ビッカさんを苦しめる人達は、全て私が斬り捨てます」


 二十を越えた歳の男が、幼い女の子に言われる言葉じゃない。


「だから、ビッカさんが黒猫荘に居る限り、ここがビッカさんのお家ですよ」


 なのに、なんで、その言葉で、俺は泣きそうになっているんだろうか。


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