第1話 恐怖から始まる異世界。



 清涼な風が吹き抜けて行く、瑞々しい生命力に満ちた大聖堂。

 馴染みのオンラインゲームで、死者が蘇る場所として知られるそこに私が久々に舞い戻ったのは、ちょっとした欲をかいてしまったからだ。


「ぷはぁ、死んじゃった………」


 蘇生地点である大聖堂、その礼拝堂の最奥に置かれた生贄台にも見える大きな台座の上に蘇った私は、本当に久々の蘇生を経て上半身を起こし、辺りを見回した。

 厳正な雰囲気が支配する大理石や古代コンクリートで作られた大聖堂の中はたくさんの人が居て、何故か驚きの顔で私を見ていた。

 死亡したプレイヤーが大聖堂で蘇生されるなんて日常茶飯事であるはずなのに、プレイヤーかNPCか分からない人々が驚愕に染まっている事に違和感を覚えて、私は自分の身を確認する。

 そこまで驚くからには、余程変な格好をしているのかも知れないと思い視線を下げると、そこにはいつも通りの装備があって、私は彼ら彼女らが何に驚いているのか分からなくなった。

 黒を基調とし桜色の蝶柄が鮮やかに映える反物で作られ、純白レースでフリルを大量にあしらった着物ドレスが、ゲームの仕様通りに肩を剥き出しにする形で着崩された、私のお気に入り衣装である。

 蘇生直後のため汚れ一つなく、変なバグも見られない。

 股下六センチと言う際どい着物ドレスのスカートから覗く太ももにも傷など無く、心配になってアイテム収納機能『アイテムポーチ』から手鏡を出して顔まで確認する。

 何かの粒子が集まって出来た鏡を覗くと、中に映るのはクリッとした大きな目に、ふわふわの頬とふっくらした唇に薄らと赤みがさした幼い顔と、肩甲骨の下まで伸びて毛先十センチ程がふんわりウェーブしたサラサラの黒髪が見える。

 間違いなく私のキャラクター『ののん』である。

 身長は百二十八センチで、体重は機密事項な私の片割れ。自分がゲームの中で操作する化身。可愛らしい幼女アバターだ。

 見た感じなんの異常も無いはずだが、大聖堂に居る人々は何を驚いて居るのだろうか。


「………あー、そっかそっか」


 私は一人納得して、手鏡をポーチに戻して台から飛び降りる。

 私のキャラクター『ののん』はゲーム中でも『到達者』と呼ばれるちょっと知られた存在なので、到達者が死に戻りだなんて何事なんだと、きっとそう言った類の驚きが大聖堂の中で広がっているのだろう。

 そう思い込んだ私は、さっさと大聖堂から出る事を選択した。

 こう言った有名税的な視線は、無視して気にしないのが一番だと私は学んでいるのである。

 台から降りた私はそのまま大聖堂から出ようとテクテク、またはヨチヨチと称される様な頼りなく幼い足取りで出口に向かう。


「……………あ、あの」

「んー、はぁい? なんですかー?」


 途中、見知らぬ人に声をかけられて立ち止まる。

 プレイヤーかNPCか分からないが、声をかけてくるという自律行動から考えるとプレイヤーなのだろう。

 見た事が無いタイプの衣装に身を包んだ相手で、歳の頃は四十代では利かなそうなので五十代だろう。白髪で音楽家の偉人さながらなもっさりウェーブした髪に、深いシワを顔に刻んだ男性は、衣装から見れば聖職者にしか見えない。

 ただ、このゲームには聖職者の服は存在しないので、相手がプレイヤーであるなら衣装作りから聖職者をロールする拘り派のゲーマーなのだろうと思う。


「あ、貴方様はいったい、なぜ神台から現れたのですか……?」

「……………………………はぁ?」


 推定拘り派プレイヤーさんが何を聞いているのか私は一瞬分からずに首を傾げてしまう。

 神台と言うのは、蘇生台座の事だろうか? プレイヤーが大聖堂の台座から現れる理由なんて、死に戻り以外有り得ないだろう。

 相手は初心者装備ではなく、見た事もない衣装に身を包んでいる事から、始めたばかりの駆け出しプレイヤーと言う訳でも無いだろうし、ゲームの難易度を考えれば死に戻った事が一度として無いと言うのも考えにくい。

 であるなら、彼が聞いているのは私が死んだ理由だろうか?


「……えーっとですね、初めて見る魔物を見付けて追い掛けたら、ちょっと深追いしてしまいまして……」


 自分の失態が恥ずかしくて照れながら答える。

 てへへ、なんて可愛こぶった態度だが、実際『ののん』は可愛らしさ満点の幼女アバターで、この仕草も愛らしさで溢れている。さすが私の『ののん』。


「そ、そんなに幼い身で魔物を追い掛けたのですか!? あなたは何をしているのですか! 死にたいのですか!?」

「………はへぇ?」


 ところが、ちゃんと答えたにも関わらず私は怒られてしまった。死にたいのかって、死んだから死に戻りしたのだけど?

 幼い身でって、到達者どころかプレイヤー全般にキャラクターの見た目なんか関係無いのだが、彼は何を言っているのだろうか?

 こちとらLv.500の一次上限解放クエストも、Lv.1000の二次上限解放クエストもキッチリこなして、三次上限解放クエストが実装されるまでのカウントストップであるLv.1400まで到達した廃人プレイヤーなのだ。見た目が幼いだけでNPCから見ても通常プレイヤーから見ても歩く災害みたいな存在である。

 最新の上限解放クエストが実装されるまで、上限に到達しているプレイヤーは全員が到達者と呼ばれ、公式サイトにもゲームトピックにも名前が乗っているし、現存する到達者二十八名中アクティブな十四人は例外なくイベントに参加して大暴れしているので、初心者にも良く知られている。当然私もその例に漏れない。


「………えっと?」

「二度とそんな真似をしては行けませんよ? まったく、親は何をしているのですか………! それで、魔物を追い掛けた事と神殿の神台に突然現れた事に、何か関係が有るのですか?」

「…………えぇぇぇっと?」


 ここまで来て、いくらなんでも様子がおかしい事に私は気が付く。

 とりあえず目の前の相手がプレイヤーじゃない事は分かった。

 大聖堂でプレイヤーが蘇生する事を知らず、相手を外見で判断するうえに私と言う到達者を知らない様子。

 いくらロールプレイを徹底していると言っても限度が有るので、この人はプレイヤーじゃ無いと考えるのが自然だろう。もしプレイヤーの拘り過ぎるロールプレイだとしたら彼は頭がおかしい。

 だが、だとすると彼はNPCと言うことになり、今NPCが自発的に話し掛けてきたと言うことになる。

 しかし、NPCだと言うなら尚更大聖堂で蘇生されるプレイヤーを知らない訳が無い。なぜならNPCとは運営が用意した存在であり、死に戻りの蘇生も運営が作ったゲームシステムなのだから、運営が大聖堂に居るNPCに蘇生に関する情報を入力していない訳が無い。

 何か、異常事態が起きている事だけは理解出来た。


「えっとえっと、追い掛けた魔物に変な魔法を使われて、気が付いたらアソコに居たんです」

「なっ!? 魔物に魔法を使われたって、あなたは大丈夫なんですか? どこも怪我は有りませんか……?」


 そうして、私はとりあえず嘘を着いた。

 相手の反応から、「死んだので蘇りました」なんて言ったら大惨事になる気配を感じたからだ。そして彼はそれを信じた。

 いったい何が起きていると言うのか。

 そりゃぁ誰だってゲームとは言え死にたくは無い。死にたくは無いが、そんな事を言ってはオンラインゲームなんて攻略出来っこないのだ。

 だと言うのに、死に戻りを知らない様子で幼い外見とは言えプレイヤーを、しかも到達者をやたら心配している聖職者の格好をしたNPC?

 バグだろうか? と言ってもこんなバグ聞いた事が無い。何事なのか。


「えっと、心配をさせてしまってごめんなさい……。今日はもう帰って大人しくします」

「そうだね。でも出来れば今日だけじゃなくて毎日大人しくいい子にしてて欲しいものだね」

「はい、気を付けます………」


 私は何とか聖職者の男性と会話を打ち切り、大聖堂から飛び出した。

 彼は大聖堂を『神殿』と言っていた。他の人々も聖職者の男性と同じような表情をしていたし、下手したらNPC個人のバグでは無くエリア一帯の大規模なバグかも知れない。

 そんな事を考えながら大聖堂から出た私は、現実に打ちのめされて言葉を失った。


「………………………………どこ、ここ?」


 そこは、私の知らない都市だった。

 ゲームの中に存在する街や都市と言った規模の場所は全て把握している私が、少しも知らない風景が目の前にある。


「あ、アップデート情報なんて無かった……。こんな、こんな場所、私知らないっ! 一旦ログアウッ……………!?」


 こまめに確認しているアップデートの情報に新都市実装なんて言う言葉は絶対に無かった。

 死に戻りは死んだ場所から一番近い大聖堂か蘇生設定がされた拠点が選ばれ、私はゲーム中全ての大聖堂から出た景色を覚えているし、そもそも今考えれば私が大聖堂で蘇生された事もおかしい。

 私は到達者と言う廃人でオンラインゲームの中にいくつか拠点を持っていて、蘇生場所の設定はそこにしてあるはずなのだ。

 死に戻りが久々過ぎて頭からすっぽ抜けていたが、何から何まで全部おかしい。

 そんな恐怖に支配された私は、一旦ログアウトして運営にGMコールでもしてバグの報告と苦情でも入れてやろうとして、固まった。


 ログアウトが出来ない。と言うか--……。


「そもそも、ログアウトってどうやるんだっけ…………?」


 怖くなった。

 ログアウトの仕方が思い出せない。いや思い出せるが記憶が酷く薄く曖昧になっていて、核心の部分が消え去っている。

 確かシステムウィンドウからどうにか操作するはずだが、自信が無い。と言うかシステムウィンドウってどうやって呼び出せばいい?

 怖い。

 当然に出来ていた事が分からなくなって、記憶から消えている感覚が凄まじく怖い。


「わ、わたしさっき、どうやってポーチ使ったの………?」


 顔を見るために手鏡を出すとき、私はアイテムポーチと言う、オンラインゲーム特有のアイテムボックスやインベントリと呼ばれるシステムを使ったはずなのだが、ポーチシステムは、起動して表示されるアイテム一覧から、出したいアイテムを選んで取り出す仕様じゃなかったのか。

 なぜ出したいアイテムを考えただけで、手元にソレが出てきたのか。そんな事は出来なかったはずである。


 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。


「やだ、やだよぅ………」


 怖い。凄く怖い。ログアウトしたい。お父さんとお母さんに会いたい。

 だけど、何が怖いのか具体的に分からない。それがまた恐ろしいほど怖い。

 燦々と降り注ぐ陽光で辺りは明るいはずなのに、私は暗闇の中に飲み込まれてしまった様な不安に苛まれた。

 怖い。凄く怖い。

 何かが怖い。全てが怖い。

 だが、具体的に何が怖いのか分からない。それがまた怖い。

 完全に負のループに飲み込まれ、硬い石畳に両足で立っているのに足元がぐらつく感覚に、さらに恐怖が募る。


 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。


 そして押し潰されそうな恐怖に耐え切れなかった私は--




 -容易く意識を手放した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る