奈良時代

第2話 奈良武士道

 奈良時代の頃。

 日本は、文武天皇の頃に大宝律令が定められ、中国の天帝の認めた天朝のひとつになった。日本と中国は、天地和合、日月和合の外交を行い、良好な外交を築いた。

 やがて、文武天皇の治世が終わり、何代か経て、聖武天皇の頃になった。

 聖武天皇はインドの有り難い教えを広めるために、でっかい仏像を建立するという。

 大仏の工事が始まった。

 やがて、大仏は完成し、民衆は、インドの有り難い教えを知るために奈良の都へやってきた。

 東大寺では、仏僧が民衆を集めて説法した。

 聖武天皇は、華厳経を根本として、金光明経を掲げて、日本を仏教国にした。

 「華厳経」は、利他的な人を利用して生きる教えである。

 「金光明経」は、はったりを使って自分を良く見せろという教えである。

 こうして、日本は護国仏教を奉じて、ずる賢い国を目指した。

 大仏を作ったら、宮城県で金山が発見されたので、これが大仏神通(だいぶつじんつう)かと、聖武天皇も驚いた。

「いったいインドからどんな教えがやってきたのですか」

 坊主がたずねると、仏僧が答えた。

「金光明経だ。自分の功徳を倍にして報告し、自分の身体能力を強めに報告し、自分の勇敢さを凄めに報告しろ。それをすれば、安穏快楽になる。金光明経を掲げる王は人天の王。金光明経を掲げる王は、インドの四天王が守護する。金光明経が那由多の勝論ある中で最勝の経典である」

「簡単にいってください」

「はったりを使って生きろという経典がインドからやってきた」

 それがインドの有り難い教えかと坊主は思った。

 やっぱり、インドはそっちかよ。

 確かに、はったりをいえば、みんな笑う。最勝の経典だ。

 やっぱり、仏教はそっちかよ、と坊主は思った。

「それだけで幸せになれるのですか」

「この世は一切皆苦。有為を探せ。生きて有為といえるものを探すのだ。仏教の教えなど、ただ一切皆苦の中で有為を探すことのみ」

 聖武天皇はなぜ数多くある仏典の中から、お笑い経典を選んだのか。

 はたして、日本で有為が見つかるのか。

 坊主は東大寺に入り、出て来た時には、

「おれは今まさに衆生を救うだろう!」

 などと大声で吠えた。

「なんだい、今のは」

「さあ。あのお寺に行った人は、よくああして叫んでいます」

「大仏なんか建てて、日本はけったいな国になったねえ」

 そして、日本の勇猛さは諸国によく知られるようになった。はったり国家日本の誕生である。

 すべての存在は、万有平等。天皇絶対制といわれた奈良時代に、最も重要な経典とされた華厳経には、身分など生きるために利用するものだとしか書かれていない。これが奈良時代のからくりであり、聖武天皇の目指した国づくりだった。


参考文献。

「続日本記」講談社学術文庫。

「華厳経」国書刊行会。江部鴨村訳。

「金光明経」国訳一切経・経集部5。

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