狼が書いた日本史

木島別弥(旧:へげぞぞ)

飛鳥時代

第1話 飛鳥山岳記

  1、守屋が神を考える


 飛鳥時代のこと。

 物部守屋は、日本には日本の固有の神がいると聞いていた。

 しかし、守屋は神に会ったことはない。

 帝(みかど)は、日本の神の子孫なのだという。

 何が日本の神なのかはっきりしない。

 日本の神が何なのかを伝える伝承には、別伝が多く、ひとつの見解は定まらない。

 日本書紀によれば、世界はもともと鶏卵であり、鶏卵が割れて天地が開闢したのだという。その天地開闢の後、すぐに現れたものが神だという。

 その神の名前ははっきりしない。

 日本は多神教の国なので、最初の神だけが神ではない。

 古事記によれば、世界はもともと海しかなく、海水を体とした海神が島を作ったという。

 さらに異なる伝承によれば、巫女の口伝では、高天原に最初に現れたのは、カミロギ、カミロミという男女一対の神であり、この二神が日本の最高神なのだという。


  2、蕃神議論


 敏達天皇の時代、聖徳太子と蘇我氏が日本に仏教を取り入れるべきだと主張した。

 仏教は、ネパールで生まれた尊い教えであり、インドに伝わり、中国、朝鮮にも伝わり、詳しく研究されているという。

 しかし、そこで物部守屋は意見した。

「いや、日本にはすでに日本の神がいます。なぜ、異国の教えなどを取り入れなければならないのですか。日本は、日本の神を重視するべきです」

 守屋は、神が何かよく知らなかったし、仏教がどんなものか知らなかったが、そう意見したことは朝廷の議論に役立つと思ったのだった。

 そしたら、帝は、

「それならば、守屋よ、あなたが日本の神に会いに行って、我が国に仏教を取り入れるべきかどうかたずねてきてください」

 とおっしゃられた。

 そういうわけで、物部守屋は、日本の神に会いに行くことになったのである。


  3、山岳


 物部守屋は、神はどこにいるのかをたずねた。

 そしたら、神は、空から山頂に降ってくると教えられた。

 神は、山頂以外に降ることもある。

 神は地上に降りて行動することもある。ヤマトタケルなどは地上に降って行動した神だった。

 しかし、よく降るのは山頂であるという。

 そこで、守屋は、神が降るという御岳山の山頂へ旅に出た。

 御岳山では、たくさんの山岳修行者がいて、天狗を崇め、修行に明け暮れていた。

 天狗とは、天を駆ける犬、流星のことである。

 流星は、何か神と関係あるのだろうか。守屋は考えた。

「いったい、この山で何を修行しているのだ」

 守屋が山岳修行者にたずねると、

「我らは、神が山頂に降るのに備えて、それに対処するために、山で修行と研鑽をしている」

 と答えた。

 山岳信仰というものは、日本に古来からあったが、役小角(えんのおづの)の時代から修験道(しゅげんどう)といわれるようになる。

「神とはいったい何だ」

 守屋が質問すると、

「神とは、鶏卵が割れて天地が出来た時に現れたもので、無色透明で山頂に降る。神とは、彼身(かみ)という日本語であり、『あちらの存在』という意味だ」

 と、山岳修行者は答えた。

「この世界はいったいどのようにできているんだ」

 守屋がさらに質問すると、

「上には高天原(たかあまはら)があり、地には葦原瑞穂国(あしはらみずほのくに)があり、死後の世界は根国底国(ねのくにそこのくに)という」

 と、山岳修行者は答えた。

「そんなことはまったく知らなかったよ」

 守屋が嘆息すると、

「このような教えを神奈備(かんなび)の教えというのだ」

 と、山岳修行者がまとめた。

 守屋と山岳修行者は、神社にたどりついた。

「この男は、山頂へ神に会いにいくらしい。カシカよ、その時はおまえが神が降る依代となるために、この男について行くのだ」

 山岳修行者は、神社の巫女にいった。

 守屋は、カシカという巫女がありえないほどきれいなので目を見張った。


  4、神との会話


 神社には、祖先を祭る氏神神社(うじがみじんじゃ)と、土地を守護する産土神(うぶすながみ)の地主神神社(ぢぬしがみじんじゃ)とがある。

 神社の神職を社僧といい、社僧は、仏教の仏僧とは異なる。

 神社には、御神体があり、依代となる巫女がいて、管理をする神主がいて、神が降った時に捧げる神食神酒(みけみき)がある。

 神社は、大忌祭(おおいみまつり)を行い、夏越しの祓いを行い、巫女舞を行い、その神域をまがごとなきものにする。

 そして、物部守屋とカシカは御岳山の山頂にたどりついた。

 二人はじっと神霊が降るのを待った。

 長く、長く、待った。

 ここに神が降るのはまちがいない。とカシカがいうので、守屋はずっと待った。

 そして、ついに、御岳山の山頂に神が降った。

 神はカシカを依代として話した。

「守屋よ、おまえは神をたずねてきて、いったい何用(なによう)だ」

 神がいう。

「わたしは、日本に仏教を導入するべきかどうか、日本の神に確認に来たものです。日本にはすでに神がいるのに、異国の教えなどいるでしょうか」

 守屋がいうと、

「知恵は広く世界に求めるものだ。仏教についてもよく調べよ」

 と神が啓示を与えた。

 ここにおいて、守屋の目的は果たされた。日本の神は仏教の導入に賛成だった。

 依代の巫女カシカは、

「物部守屋はこの後、都へ帰ると、おまえがまちがっていたのだと責められて、厳しい運命が待っているだろう。その前に、この巫女であるわたしとちぎって子をなさねばならない。巫女カシカとちぎらなければならない。これは神勅(しんちょく)である」

 といった。

 そして、物部守屋と巫女カシカは激しくむつみあい、子をはらむくらいに致した。


  5、その後


 その後、物部守屋は、朝廷に帰り、

「日本の神は、仏教を導入することを望んでいました」

 と報告した。

「そらみろ。いってたとおりだ。」

 と蘇我氏は怒った。物部守屋と蘇我氏の対決は、蘇我氏の勝ちということで決まった。

 仏教を日本に導入することが決まった。

 しかし、守屋とカシカの子はその後、子孫をつないでいった。

 神は、きっとうまくいくと考えて、高天原に帰った。

 神が高天原に帰る時は、「八十(やそ)の隈道(くまぢ)のはるけき幽世(かくりょ)に雲隠れたまいぬ。」という。

「守屋は『ふと』。」

 と神はいった。

 『ふと』とは、飛鳥時代の「強い」とか「偉大だ」という意味であり、現在の「太い」の語源である。

 ここにて、物語を語りおえんとや。


参考文献。

「現代語訳 日本書紀」(河出文庫)

「よくわかる祝詞読本」爪生中

「古事記」(岩波文庫)

「ラノベ古事記」小野寺優

ウィキペディア。

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