帝国時代
第13話 我ら幕末のことを何も知らず 1、黒船来航
1、黒船来航
1853年、日本の浦賀にアメリカの鉄製蒸気船四隻がやってきた。世にいう黒船である。
それを見た日本人は驚いた。
「あんなでかい船、どうやって作るんだ」
やがて、黒船が、中国清朝をアヘン戦争で倒した西洋列強の船だと知れるにつれ、脅威は大きくなっていった。
これは、そのうち、日本もやられるのではないか。いわずとも、その危機を感じずにはいられなかった。
当時、日本の江戸幕府は鎖国していて、オランダ以外の来航を禁止していた。しかし、黒船の提督ペリーは、日本に二百五十年続いた鎖国をやめて、開国することを要求した。
もちろん、ただ巨大な船がやってきただけで日本が譲るわけがない。
日本の武士もいろいろな手を打った。
忍者沢村甚三郎は、江戸幕府老中の密命を受けて、黒船に侵入して、艦隊の長ペリー提督の姿を見て帰った。沢村甚三郎五十三歳。
長州藩の吉田松陰などは、許可がないにも関わらず、アメリカの黒船に密航を企てて逮捕された。吉田松陰ニ十歳である。
土佐藩の坂本龍馬もこの時、江戸に居て、警備を兼ねて黒船見物をしていた。坂本龍馬十七歳。
黒船来航から始まる十五年を幕末と呼ぶ。
人類の歴史は、産業革命からずっと激動であるけども、日本も二百年遅れてそれに参加する。当時の日本は、江戸などは人口百万人であり、これはロンドン、パリと並ぶ大都市であった。
忍者がペリー提督の姿を見て帰ったのは、大きな意味がある。見知らぬ国の人に会う時は、もしかしたら人外が相手かもしれないと考えるものだ。少なくても、同じ人間であるとわかれば、自分と相手のちがいもわずかなものだと思うものだ。西洋人はサルよりは日本人に近いと幕府老中は思っただろう。
「いや、サルのが日本人に近い」などという人もいるかもしれないが、ここではそれは取り扱わない。
江戸幕府は次々と手を打つ。
幕府は、黒船来航に対して、海防の意見を全国から広く募集した。こういう意見の募集は、くだらない意見が九割方だが、ちゃんと目を通せば、これはと思うものが少しはあるものだ。幕府のこの時は、勝海舟がそれにあたる。
勝海舟は、海防の意見の募集に対して、「江戸幕府に必要な海軍は二百七十隻、海兵六万人。」と書いて送った。この数字は机上の空論であり、そんな大艦隊を日本が備えることはなかったが、勝海舟の論理的な思考は幕府に気に入られたのだろう。勝海舟は下級武士から取り立てられて、急出世していく。もちろん、この出世は勝海舟の実力である。勝海舟、この時、三十一歳。
1855年、江戸幕府はオランダから木造蒸気船・観光丸を買う。
太平の眠りから覚める日本。どうなる、幕末風雲急。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます