怠惰はいずれ死をもいざなう

綾波 宗水

第1話 コンビニよりも身近な堕落

「うん、無理だな」

 大学生という若輩者ながら須藤直樹スドウ ナオキは悟った。

 自分は結婚する、いや、養うことは出来ないと。アルバイトでさえ、長くはもたないこの有り様だ。社会人として働き、あまつさえ妻や子どもを養うなどという無謀な人生計画など早々に諦めて然るべきなのだ。

 彼女がいないことはまた別の問題としておこう。

 近頃は一人でいる時間が長く、脳内議論は止まることを知らない。モラトリアムを盾に、どこにぶつけるでもなく、独り社会に悪態をついているのだ。

 しかし、世間的にみれば、ぼっちでオタクで準引きこもりの大学生というまごうことなきダメ人間の卵でもある。

 したいことは特になく、したくないことは多い。

「そろそろ行くか」

 訂正しよう。厳密に言えば僕はぼっちではない。高校の同級生 佐々木徹ササキ トオルは、近場の喫茶店「ルソー」を拠点に、今でも時折会う仲なのだ。受験勉強なんかもそこでした。

 季節は気付けば春。清々しくも面倒事が多くてあまり好きではない。コートを着なくてもよくなった身軽さを感じつつ、ルソーへと向かう。

「相変わらず人生つまらなそうだな」

 開口一番無礼な彼が徹だ。

「そんな事はねーよ」

「おっ、珍しい返しだな。何があった?」「困っていた幼女にボールを取ってあげたのさ」

 彼は失笑と共にコーヒーを口にした。

「そんな事よりさ、直樹もそろそろ本気で彼女見つけろよ。腐った上に、脆いメンタルなんだから、せめて彼女から癒しを貰わないと死ぬぞ?」

「腐った上に、脆いメンタルだから彼女がいないんだよ、言わせんな」

 確かに彼の言わんとすることはわかる。ダメ人間予備軍が二次元美少女だけに目を向けていれば、悲惨な事になりかねない。

「「うわぁ!」」

「す、すみません!」

 人生計画を練り直していたら熱湯が跳んできた。珈琲を店員がこぼしたのだ。僕に。

「本当にすみません。火傷はしてませんか?あっ、もちろんクリーニングもさせていただきますので!」

「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」

 実際大したことはなかったのだ。それに通いつめてはいないが、見慣れないのでおそらく新人だろう。アルバイトを継続出来ない僕が、新人に対してどうして強く当たれようか。それに可愛い。


 なんとなく僕らは店を出ることにし、別れを告げた。一人夜道を歩き、サンクチュアリと称すにはもったいない古びたアパートへと向かった。

 住めば都は正しい用法なのかはしらないが、気に入った小説や漫画があり、なんといってもここだけが、唯一心の安らぎの場なのだから、やはり聖域としておこう。

 ピンポーン

 来客だ。無論、徹ではない。彼の喫茶店で別れた後の予定はデートなのだから。クソっ。

 ピンポーン

「は~い、ちょっと待ってください」

 ドアを開けた先には、月明かりに照らされた微笑みを浮かべる美少女がいた。

 一瞬、とうとう幻覚が見えはじめたのかとも思ったが違った。彼女はあの新人だ。コーヒーを僕の服に飲ませてくれたあの美少女。

「あの、どうしてここに?」

「先程は本当に申し訳ございませんでした」

「いや、別にもういいんで。まさかそのためだけにここへ?」

 なんと丁寧な娘だろう。年下なのに人間出来てるな。いやでも、普通家まで来るか?どうやって?尾行?なんだか不穏な事になってきたぞ。

「あの、じゃあ、ご丁寧にどうも」

 ドアを閉めようとしたが、彼女はそうさせなかった。

「用事はもうひとつあるんです」

「なんですか?」

「クリーニングに参りました」

 理解が追いつかない。いや、理解はしたが、この現実に納得出来ていない。

 焦る僕を彼女はただ微笑んでいた。

「私、言いましたよね?クリーニングもさせていただきますって」

 確かに言った。つまるところクリーニング「代」を払うという事ではないと。

「結構です」

「洗わせてください」

 どうしてだ?まるで意味がわからない。

「私、あなたのことが好きになりました」

 どうも永遠にわかりそうにないな。

「そりゃどうも。だからと言って初対面の女性にわざわざ洗濯してもらおうなんて思いませんね」

「直樹さんったら照れちゃって」

 なんだコイツ。

 とは言え常識を取っ払って、感情的に捉えれば、美少女が自分を好きだといい、積極的に関わってきてくれているのだ。嬉しくない訳がない。

「わかったよ、じゃあお言葉に甘えて」

「お言葉に甘えられます」

 この家に引っ越してから初めて女子を部屋に上げた。それも美少女。それも好きだと言ってくれている。唯一の不満は思考回路が随分世間とは違うようだといったところか。

「ふん🎵ふん🎵ふふ~ん🎵」

 楽しそうに僕の服を手洗いでシミを落としてくれている。

「それで、付き合ってくれますか?」

 なんなんだコイツ。

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