第四話 死に惑う


「《死止め人デスキーパー》は普通の人間とは大きく異なるッス。既に説明したように《死印しいん》によって特定の死に方には抗体を持っていることだけでなく、単純な身体能力から変わってるんス。これを見て下さいッス」


 そう言って七姫は、どこからともなく一枚のスライドを取り出した。

 スライドには大きなモノクロの横線のグラフが描かれている。左端が白く、右へ進むに連れて段々と黒くなってゆく。


 これまたどこから出したのか、片手に指示棒を持つと、グラフの右端を指し示す。


「日宮さん。《繋命けいめい》とは、瀕死の人間を延命させる奇跡ッス。つまり、完全に息を引き取ってしまった方には意味がない、ということッスね。その状態、『死にきってしまった状態』を、ここだと思って下さいッス」


 スライドに指示棒を突き立てたまま、白い方へ寄せていく。


「反対に白色が残っているこちら側は、死にきっていない状態と言えるッス。《繋命》は何かの原因で命の危機に瀕した時、『死にきった状態』になる前に止める能力ッス」


 概ね理解できた。

具体例に置き換えて整理する。例えば失血死。何らかのきっかけで致命傷を負ったとする。一般的に、人間は出血多量でおよそ30%の血を失うと命に危険があり、50%の出血で失血死に至ると言われている。このグラフで言うのならば、白い左端が出血30%、黒い右端が出血50%であり、この30~50%の間で死の危険をなかったことにするのが《繋命》であるのだろう。


「……なるほど」


 俺が頷いて返すと、七姫は説明を再開する。


「さて、ここでネックになってくるのが、《繋命》による奇跡が可能なタイミングには幅があるということッス。……不謹慎な言い方になるッスけど、この幅の中で、限りなく黒に近い地点で《半死人アンデッド》としての質が高い、ということになるッス」

「質が高い?」

「ええ。主に《等級とうきゅう》と呼んでるッス。これは如実に身体能力の違いとして現れて、最低のDランクで生前の2倍以下、Cランクで3倍、Bランクで4倍、Aランクで5倍、まれに見られるそれ以上の人間が、Sランクとして扱われるッス」

「5倍以上だと……?どうしてそんな……」


 七姫は俺の問にしばらく逡巡してから、吐き出すように答える。


「まあ、七姫は医学的な知識がないので確かなことは言えないッスけど。人体って生前は脳にリミッターがかかってると言うじゃないッスか。そういうことだと思ってるッスよ、七姫は」


 火事場の馬鹿力、というやつか。《繋命》は回復させる奇跡ではなく、死の進行を止めてしまうだけなので、常時馬鹿力が出せてしまうことになる。

 しかし本来は緊急時の話。命のために、常時機能していたリミッターを外す状態。それはある意味、生命活動を維持する本能が弱まってしまっているとも考えられる。随分と危険な状態にも思える。


「それだけではなくてッスね……」


 七姫は続ける。


「『質が高い』、というのは等級だけの話ではないッス。もう一つの要素が《能力アビリティ》ッス。まー、さっきの話同様に、脳のリミッターが外れてしまった影響で特殊な能力に目覚めてしまう《半死人》もいるんスよ」

「能力……」


 まあ、考えられない話ではない。現代科学でも人の脳のポテンシャルは図りきれていないと言う。解明されていない部分も多い。《死止め人》そのものよりは受け入れられる話だ。


「そッス。んで、それも限りなく黒に近い状態で《繋命》された人ほど目覚めやすい傾向にあるッスかね~。後天的能力、というか、臨死体験で開花した超!後天的能力ッスね!………《死印》、《等級》、《能力》……っと。うん、こんなところッスか」


 話題を指折り数えると、七姫はこちらに向き直る。


「以上の要素を駆使して、《死止め人》や《半死人》は殺し合うッス。実際は《死止め人》に戦う力はないッスから、主人の《死止め人》を守りながら、私達眷属が戦うッス。おわかりいただけたッスか?」

「話自体はそうだな、だいたい理解した。問題は実際にどこまでできるのかということだが……」

「そうッスね。まあそのへんは追々でいいんじゃないッスか。ちなみに、日宮さんにお願いしたいのは、七姫たちの《派閥》の主人のミナちゃん――早嶋はやしま美奈津みなつの護衛なんッスよ。最初から殺しなんてさすがの七姫でも酷だと思うッスから。んで、つきましては、とある高校に編入してもらわなくてはならないわけッス。南学園高校というところで、ミナちゃんの父上の息がかかってるッスから、編入自体は可能なんスけど………。はぁ。手続きめんどいッス……」

「……南学園?南学園って、あの?」

「あのって言われても、よくわかんないッスけど。まあ、市内の高校ッスよね」


 偶然なのか。運命なのか。俺はその高校をよく知っている。

 ……先々週に、催促の手紙が届いていたはずだ。


「待ってくれ。手続きはいらないかもしれない。」

「それは……。どういうことッスか」

「いや。まだ席があるかはわからないが、俺はその、南学園の1年だ。」

「………はい?えぇ?まじッスか?」


 俺はただ頷いて答える。


「冗談……じゃないんスね……。いや、そっか、七姫は編入手続きをしなくていいってことッスよねヤッター!!んじゃまあ、今日から登校して下さい」

「ああ。って待て。今日から?」

「はいッス。本来は今日が金曜ッスから、七姫が早速編入手続きして、土日でみんなと顔合わせしたり動きを見たりして月曜から……と思ってたんスけど。早いに越したことはないッス」

「………それはそうかも知れないが」


 渋る俺の反応を見て、七姫は首を傾げる。


「何か問題でもあるッスか?……席があるか~とか言われてましたッスけど、もしや不登校児?」

「……ああ。高校にはまだ、一度も登校したことはないんだ」

「えっと……。それって席あるんスか?」

「先々週の時点では登校の催促をする手紙が来ていたはずだ。あの学校はなんというべきか、金さえ払っていれば多少の非常識がまかり通る学校だからな」

「あぁー。わかるッスよ、うん。七姫も編入させるために同じことしようとしてたんで」


 評判自体は悪くない学校だが、俺は知っている。そもそも俺は高校受験自体していない。俺の親が、世間体のために裏で手を回したのだ。出願してもいない推薦で合格したことになっている。中学すらぎりぎりの出席で卒業している筈であるので、推薦など通るわけがないというのに。

 反吐の出るような話だ。自分のために形だけ整える親と、利益のために不条理を通す学校。どちらも気に入らなくて、通うことなどないと思っていた。


「十中八九、まだ席はあるだろう」

「あはは……。七姫もそー思うッス」


 よいしょ、という掛け声とともに立ち上がる七姫。


「そうと決まれば、席があるか確認するためにも、今日から登校して下さいッス。今は……と、朝の5時半くらいッスね。日宮さんが薫さんに刺されてからちょうど12時間くらいッス。動けるようになってもいい頃合いッスよ」


 そうか。あれから半日経っていたのか。

 七姫の言葉に従って、試しに身体を起こそうとしてみる。未だに節々は硬く、動きはふらつくが動けない程ではない。ゆっくり、ゆっくりと起き上がる。

 が、支えがきかず横に倒れ込みそうになる。すかさず七姫が手を貸してくれる。


「日宮さんってばどうやら理屈っぽい人みたいなので、一応言っておきますッスけど、その硬直は多分、死後硬直と筋肉反射のあわせ技みたいなもんだと思うッスよ。《繋命》は失った血自体を復元したりする効果はないッスから、血の巡り、それに伴う酸素のめぐりが悪くなっちゃうッス。それと瀕死による無意識の行動制限が……と、立てましたッスかね」


 改めて意識すると不思議な感覚だった。

 全身の筋肉がほぼ緊張状態であるのに、貧血のようにふらつく感覚もある。


「……貧血感は一生ものッス。慣れて下さいッス。ただ、筋肉の方はそのうち身体が適応して気にならない程度にはなるッスよ」


 言いながら、七姫はそっと俺から手を離す。

歩き出そうとしてみるが、足が棒のように固まってしまっているので、少し重心がずれると思わずたたらを踏む。


「……うん、一人で歩けそうにはないッスよね。お風呂入っちゃいましょうッス。温めて体温が上がれば、一時的ッスけど酸素も巡ると思うッスから。こっちッス」


 頭一つ分背の低い七姫に肩を借り、誘導されるがままついていく。


「助かる」

「んー、いえいえッス。……あれ、七姫、命の恩人なのに、今初めてお礼言われたッスね。まあいいッス。ところで日宮さん、かろうじて動ける程度じゃないッスか。お風呂、一緒に入ってあげても……いいッスよ」


 こちらを見上げながら、器用にウインクをする七姫。

 心底げんなりする。


「助からない。何をされるかわかったものじゃない」

「は、はぁ~~!?それはこっちのセリフッスけどね!年端のいかない美少女と二人っきりでお風呂ッスよ?貞操の危機ッス!でも慈愛の心からお背中お流ししてあげましょうか?って提案してあげたッスのに……」


 むくれて彼女は俺を突き飛ばした。


「いてっ……!っておい!」

「風呂場ッス。着いたッスよ」


 確かに脱衣所だった。


「着替えはないッス。刺されたままの状態で連れてきたッスから、服にも身体にも黒ずんだ血が付ちゃってるッスけど、上がったら服の血は我慢して着直して下さいッス」

「……わかった」

「あ、それとシャンプーとかボディーソープとかは適当に使っちゃって構わないッス」

「ああ」

「あとあと、バスタオルはそこのかごの中に―――」

「わかった!勝手に使うからもう行け!」



 七姫は肩をすくめておどけてみせると、扉を閉める。


『あー、あと……!』

「なんだ!!」


 扉越しに聞こえてくる声に思わず怒鳴りつける。


『十中八九、一人で服を脱げないでしょうッスから……。早めに諦めて呼んで下さいッスね』


 ……。


 …………。


 …………………。


 ああ糞っ!

 

 どう頑張っても上着が絡まって脱げない!


「七姫!……手伝ってくれ」


 バタンと大きな音を立て、楽しげに入ってくる七姫。というかお前、扉のすぐ向こうでスタンバイしていただろ。


「は~ぁ。しっかたないッスね!任せて下さいッス!この七姫にかかれば一瞬で丸裸に―――」

「上だけでいい!!」



 *



 浴室の姿見。こびりついていた血を流すと、そこには腹部の刺し傷が写り込んだ。


 傷跡を覆っているのは黒い皮膚。触ってみると普通の皮膚と変わらない。鏡に視線を戻すと、いつの間にか《死印》が浮かんでいた。文様は腹部の傷と酷似している。


 ……そういえば、ぬるいな。

 身体を温める為に風呂に入ったので、とりあえずレバーを赤に振り切ってみたが、限界まで倒してみてもあまり熱を感じない。

 と言うよりは、肌の感覚が鈍いか……?腕を皮膚をつまみ上げ、つねってみる。痛くない。神経が鈍っているのか。


 俺は一つ、大きく息を吐き出すと、風呂場をあとにした。



 *



「上がったッスか」


 適当に借りたバスタオルで髪を雑に拭きつつ、俺は頷く。


「どうぞ、牛乳ッス。やっぱ風呂上がりはこれッスよね!」


 差し出されたグラスを無言で受け取って、口をつける。半分ほど飲み干したところで、違和感を覚えた。


「味が……」

「ええ。ほとんど感じられないッスよね。神経が軒並み弱くなるッス。それだけじゃないッスよ。食欲、睡眠欲などの生理的欲求がすごく弱まるッス」


 風呂場で腕をつねった時、ほとんど痛みを感じなかったのも同じことだ。痛覚や単純な触覚が弱かったのだろう。


「随分と変わるんだな」


 七姫はその言葉を苦い顔をして受け止めた。


「ええ。入浴前に話したのはあくまでも闘いに関する話だけッス。《半死人アンデッド》っていうだけあって、生き方が結構変わるッス。………悲しいッスか?」

「どうだかな」


 命を失った。

 殺し合いの運命に巻き込まれた。

 感覚がなくなった。


 目覚めてから突きつけられた現実は、圧倒されるものばかりだ。ただ、心のどこかで『そんなものか』と達観して受け止める俺がいる。目まぐるしい情報量に、理解が及んでいない、というのも一因だろうが、きっとそれだけじゃない。

 他人事なのだ。いつだって、俺の人生は他人事。誰かの都合の為だけに生きている。俺の命は、誰かのための命。


 だから、自分の命に期待することがない。元々望んでいなかったのだから、失ったことにもならない。最初から、何もない。どんなことを言われても、最後には『そうか』と受け止める。受け止められてしまう。


 それだけだ。


「今までも牛乳は特別好きじゃなかったしな」

「そうなんッスか?じゃあ、日宮さんは何が好きなんッスか?」


 なにもない。


「……煙草かな」


 惰性で買っていただけだが。

 その答えを聞いた七姫が突然、「あーーーーー!」と大声を上げた。


「そう!そう!そうッスよ!日宮さんを回収してきたときに、ここに手荷物も預かってるんッスけど、これ!日宮さん未成年ッスよね!?」


 七姫が指し示したこたつの上には、たしかに俺の荷物があった。そこには当然、俺の煙草もある。


「高校1年だ」

「そうッスよね!?没収ッスから!」


 そう言って七姫はゴミ箱に投げる。……お、入った。

 まあ、血だらけの煙草を返されても困るところだった。


「さて、そろそろ帰る。登校しないと行けないしな」

「はい。あ、そうッス。連絡先だけ交換してからでないとお互い困るッスよ」

「ああ」

「携帯貸してもらっていいッスか?」

「ほら」


 言われるがままに、ロックを外した携帯を手渡す。自分の携帯を反対の手に、しばらく操作した後、俺の携帯は返された。

 ちゃんと登録してあるか確認して―――


姓 愛しの    名 七姫

     ↓

姓 ニイグマ   名 七姫


 誤表記があったので訂正する。

 七姫は俺が訂正したことに気がついていないのか、ひどくしたり顔だった。それともリアクションを待っているのか。なんにしろ、ここで言及するのが癪だったので、彼女の名字の漢字表記については後日確認することにしよう。

 無言で携帯をしまう。


「じゃあ行く」

「ちょっ……!見たッスか?ねえ、見てたッスよね!」

「なにかあったら連絡……、すると思う、多分」

「いや!して下さいッス!そのために交換したんッスよ、連絡先!!」


 こたつの上の他の手荷物もまとめて受け取ると、七姫にバスタオルを押し付けて立ち上がる。


「わぷっ……!気をつけて下さいッスよ!仕事の基本は報・連・相ッス!何かあったら絶対連絡するんスよー!!」


 その言葉に手を振って返すと、俺はこの場をあとにした。



 *



「ふぅ……」


私は息を吐いた。


 がらんどう。

 それが、彼と言葉を交わして抱いた、正直な私の感想だ。


 《能力》なんて使わなくてもわかる。能面のような無表情。彼の感情はどこかに質量を失っているようだった。

 死亡を宣告しても、突拍子もない運命を伝えても。果ては包丁を身体に突き立てても、彼の感情へ手応えはない。


 そして、私の《さとり》だからこそ垣間見てしまった、その根幹。


 もっと、もっと深いところで。諦め、苦しみ、怯え、それを受け入れてしまっている。彼は命を失う以前から、とっくに心が麻痺している。


 そして何より、命を軽視している。


 湧き上がるのは、怒りでもあり、そして哀れみでもある。


「とんだ拾い物をしたもんッスね……」


ドアの魚眼レンズに映る私は、とても悲痛な面持ちをしていた。その姿が見たくなくて、私は背を向け、ドアに寄りかかる。


 彼はどうやって生き、何を思って死んだのだろう。


 正直怖い。気味が悪い。彼はあまりにも空っぽで、《さとり》で覗けば覗くほど、なにかが持っていかれそうな気がする。これはあれだ。突然、空に放り出されるのに似ている。いや、放り出されたことないけど。


 生き延びたことが、何か、彼を変えるきっかけになればいいと、切に願う。

 私は無意識に、強くバスタオルを握りしめていた。


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