第三話 死が止まる
色白の少女――
俺は、この文様に見覚えがある………?
瞬間、こめかみに鋭い痛みが走った。
「いっ!つぅ………」
七姫は落ち着いた様子で俺をじっと見つめる。
「何か思い出したッスか?」
怪しく光る紅い瞳。文様の形こそ違ったが、あれは……。
―――そう、
「ああ。そうか。そうだった。……思い出したよ。俺が瀕死になった経緯を」
「そッスか。七姫はその瞬間にいたわけじゃないッスけど、日宮さんのそばから走り去っていく赤い服のお姉さんを見たッスよ。あの人が犯人ってことでいいんスよね」
「……ああ。彼女が、薫が俺を刺したんだ」
段々と明瞭になっていく記憶。痛み。身体が冷えていく感覚。
薫は包丁を引き抜いていったので、失血も相当量になったはずだ。ここまでの七姫の状況説明にはなんの証拠もなかった。しかし記憶と照らし合わせて考えると、なるほど、辻褄は合っているようだ。
そうなると、七姫が度々言う『死んだ』という表現も冗談にはならなくなってくる。あれだけの出血を、器具や設備もなくここまで回復させた?一体どうやって?死人の世界とはどういうことなんだ?
「何か聞きたいことがありそうッスね」
俺の思考を遮るように、七姫が口を開いた。
聞きたいことは山ほどあるが。何よりもまず、俺が聞かなくてはならないのは……。
「……俺は見たんだ。薫の目にお前と同じ文様が浮かんでいたのを。それは……一体なんなんだ?」
七姫は黙って俺の言葉を受け止めると、一度まばたきをする。再び目を開いた時、そこにあの文様はなくなっていた。
「瞳に浮かぶ紅い文様は《
「しいん?アンデッド?」
「ええ、そしてそれが死人の世界に足を踏み入れた証でもあるッス」
「……あんまり愉快そうな話じゃないな」
「どうッスかね~?とりあえず死の淵から脱した奇跡の御業の結果でもあるッスから。でもま、これからの人生は確かに一変してしまうと思うッスけど」
「よくわからないが。とりあえず教えてほしい。薫は、尋常じゃなく怯えていたんだ。彼女は、その……。これからどうなる?」
「さて?会ってみないことには詳しいことは言えないッスけど。最悪な事態ではきっと、その薫さんの処分もありえるッスかねぇ」
「処分……っ?一体何を―――」
「とどのつまり、殺すッス」
「そんな!何故そこまで!?」
「それが、死人の世界の道理だからッス」
俺の見た薫の最後の表情。怯えきって憔悴した彼女。あの表情が頭から離れない。
何故、どうしてこうなった?一体彼女が何をしたと言うのか。
「というか。ヒトゴトじゃないッスよ?日宮さん。そこの窓に写るご自身の姿、ご覧になってくださいッス」
そういって七姫が指し示したのは、俺の左側。
月明かりが薄ぼんやりと入り込む程度のこの部屋では、窓に俺の顔が映り込む。見つめ返してくる無表情の俺。普段と違う顔色だが、もともと日陰暮らしだ、血色の悪さは自分以外気づかないだろう。……いや、俺のことをよく見てくれていた薫なら、あるいは。
そしてそれよりも特筆すべきはその瞳。薄々気がついてはいたことだったが、案の定、瞳には《死印》が浮かんでいた。
初めは猫の眼かと思った。俺の虹彩には、紅い紡錘形の断面図のような文様が浮かんでいる。七姫の《死印》とは異なり、ある程度の幾何学さ、整った印象を受ける。色合いもなめらかで、ほぼ均一な紅色をしていた。
「これは……」
「そう。日宮さんの《死印》ッス。日宮さんの場合、死因、あ、えと、ここで言う死因とは死の原因の方ッスけど、死因が刺殺なんで刺し傷のような文様になってるッスね」
「文様は死に方で変わるのか」
「そうッス。それにご自身の傷跡を現した文様が浮かぶので、同じ刺殺でも多少違ってくるッス。死に方も十人十色ってことッスよね~」
この文様も、七姫の冗談も、全くもって趣味が悪い。笑えそうにもなかった。そして、いよいよもって、俺の常識の範囲外のことが起きている。
「こんなものまで見せられればもう、疑いようもない。お前は死にかけた俺を治療したわけじゃない。一体俺に何をしたんだ」
「先程も言ったッスけど、《死印》は《半死人》の証ッス。……七姫たちは、日宮さんのことを《半死人》として《
アンデッド。
随分とオカルトじみた話になってきたが、俺や七姫の眼に浮かんだ《死印》を見るに一笑に付す事はできない。
お茶をすすって一呼吸置く七姫に、俺は黙って話の続きを促した。
「さて。『日宮さんが《半死人》になった』ってことに関しては概ね理解していただけたと思うんスけど、そもそも《半死人》ってなんだってことを説明せにゃーならん訳ッス。この先随分と日宮さんの常識から外れた話になるッスけど、準備はいいスかね?」
「聞かないわけにはいかないよな」
「まあ、日宮さんはもうすでに《半死人》になってしまった訳ッスから、聞かないのはオススメできないッスね」
「……理解できない点に関してはあとから質問する。とりあえず概要を教えてくれ」
「わかったッス~。ところで日宮さんは、オカルト話には詳しいッスか?」
「あんまり興味ないな」
「では、吸血鬼はご存知ッスか?」
《半死人》の次は吸血鬼か。
漫画やゲームの
「西洋の方の怪物の話か?人の生き血をすする化け物だろう?」
「不死者の王。そんな呼び方をされることもあるッス。死人が生き返り、人の血を吸う。血を吸われた者は眷属として吸血鬼になる。他にも、様々な姿かたちや能力が伝承されるビッグネームのオカルトちゃんッス!ですが、ただの伝承ではないんスよ。元になった存在がいるッス。それが、《
「デス、キーパー……」
「《
人の命を生き延びさせる能力。恐ろしい話だが、そんなものが実在するのならば、何故伝承でしか存在し得ないのか。人のために活かせる能力だ。隠れ潜んで生きる必要はない。
「ですが、彼等の能力は同時にある種の
「命を奪わなければ……って、つまり、人を、殺せ、ということか」
「……大体正解ッスね。正直人でなくてもいいッスよ?虫とかでも。ただし、《死止め人》は、他の生命を奪わないと生きて行けず、次第に身体が麻痺して、動けなくなってしまうんッスよ。そして、奪った命が複雑であるほど、頻度が少なく済むッス」
七姫はしばらく逡巡した後、再び口を開く。
「例えばッスね~。身体が麻痺しそうな《死止め人》がいるとするッス。この時、《死止め人》が虫を殺せば、数時間だけ麻痺が回復するッス。もし虫の代わりに人を殺したとするなら、おそらく一月以上は麻痺しないで済むことになる、という具合ッス」
なるほど。
人を延命させる能力以前に、自分が生きる上で《盟約》に縛られているのか。生かす能力の代償として自分以外の命を奪わなければならない。人の社会で理解を得て暮らすのは難しいのかもしれないな。
「そして本題の《半死人》ッス。簡単に言えば、《半死人》は《死止め人》の眷属ッス。《死止め人》の能力である《繋命》とは、単純な蘇生ではないッス。瀕死の人間の死因の影響をなくし、《繋命》を使用した《死止め人》と『命を繋げる』奇跡なんッスよ。」
「命を、繋げる……」
「そッス。なので眷属の《半死人》は主人の《死止め人》が命を落とせば一緒に死ぬことになるッス。《半死人》は一度命を救われただけであって、特別不死なわけではないんスよね~」
「そうなのか。つまり俺は、命を救われた代償に、俺を救った《死止め人》と一蓮托生になってしまったということか」
「ええ。おそらく日宮さんが思う以上に代償は重いッスよ。《半死人》は《死止め人》同様、盟約に縛られるッス」
「つまり、殺しをしなくては生きられない……?」
「というッスか、主人と眷属をあわせた《派閥》として、《盟約》は適用されているッス。《盟約》による猶予、いわゆる殺しのノルマは《派閥》で共有しているッス。例えば日宮さんと七姫は同じミナちゃんの《派閥》ってことになるッスけど、殺し自体は七姫がやっても日宮さんがやっても全体で1キルってことッスねー。個々人でやらなきゃいけないって話ではないッス。だからまー、別に日宮さんがやらないというのであれば、ほかのメンバーがやれば、日宮さんは生きられるっちゃ生きられるッスよ。七姫たちのヒモとしてッスけどね~?」
試すような七姫の視線。
しかし、いうなれば殺人集団の一員になれといっているようなものだ。社会からあぶれて生きてきた俺には今更持ち出すような正義感などないが、到底看過できる話じゃあない。
「冗談じゃない!勝手にやってくれ。俺はそこまでして生きたいとは思わない。そもそも生かしてくれと頼んだ覚えもないしな」
「はぁ。そうッスか……」
七姫は嘆息するとおもむろに立ち上がる。
囲いのカーテンを開け放し、台所まで向かっていく。そこで収納から包丁を取り出して手にするとこちらへと戻ってくる。
「何を―――?」
思わず口をついた言葉とは裏腹に、頭ではもう理解していた。心が受け止めきれなかっただけだ。
俺に刺すつもり、なのだろう。
今しがた彼女は『自身が日常的に他の生命を奪っている』ことを自白したばかりじゃないか。そして俺を仲間に勧誘した。俺は、断った。
……彼女は、人殺しなのだ。
突然の現実が染み渡り、逃げようと身を捩ろうとする。が、あいも変わらず身体は身じろぎ一つ許されない。逃げられない。
……いや、逃げる意味などあるか?
進んで死にたいわけではないが、俺は元々薫の手で殺されたも同然だったのではないか。先程自分で言っただろう、俺は生かしてくれと頼んだわけじゃない。勝手に彼女が生かし、そして勝手に殺そうとしているだけだ。
抵抗することに意味はないな。
もはや拾いかけた命に未練などない
あるとすればまあ、意味不明なオカルト話を聞かされ、その口封じのために殺されんとしているのがあまりにも馬鹿らしいな、という感想くらいか。だが、それもどっちもどっちだ。ここで生き延びてしまえば、その馬鹿な現実に振り回されることになっていただろうしな。
覚悟を決め、諦観の眼差しを向けた時、七姫は軽く息を呑み、再び俺の傍らに座り直した。
「癪ッス」
「………は?」
「いえ、このまま逝かれるときっと、日宮さんは七姫のことを殺人鬼と誤解したまま逝くッスよね。それは、すごーく癪ッスね」
「何を言って……」
七姫は持ってきた包丁をそばに置き、首を振って口を開く。
「そういえば、七姫はまだ《半死人》の説明の途中だったッス。とりあえず最後まで説明させてもらうッス」
「いや、俺は……」
「いいから聞きやがれ下さいッス!」
苛ついた様子で語気を荒げる七姫。
まあ、俺が説明を頼んだのだ。彼女に協力する気はないが、聞くだけならいいだろう。俺は黙って頷いた。
七姫はふてくされているように怒っているが、俺の首肯を一瞥すると説明を始める。
「……で。おそらく日宮さんは、七姫のことを殺人鬼かなんかだと思っていると思うッスけどぉ、まああながち間違いではないッス。さっき言ったとおり、《盟約》に縛られている限り七姫たちには殺しのノルマがあるッスから、生きるために命を奪わなくちゃならないわけッス。ノルマは命が複雑であるほどリターンが大きくなって、虫より魚類、魚類より爬虫類、爬虫類より鳥類……というように生物の進化が進んでいる命ほど大きな猶予が与えられるッス。とーぜん、人が一番大きな成果を得られることになるッスね」
ここで湯呑を手にするとお茶を口に含み、七姫は一拍置いた。
正面から俺の顔を覗き込み、得意げな顔で指を立てる。
「そして、最大の利益を上げるのは―――同じ《死止め人》や《半死人》を殺すことッス」
そうして七姫は包丁を手にする。
……まさか今度こそ殺すつもりか?ご丁寧に、自分の利益を説明してから?いや、殺人鬼は誤解だと言ったのでは?……間違いじゃないと言ったのだったか?
一体どうしたいんだ……?
俺の混乱をよそに、彼女は俺に包丁を突き立てた。
いや。本当にやりやがった。
俺は痛みを覚悟して目を閉じる。が、一向に痛みが来る様子がない。
「説明するより体感してもらうほうが早い……っていうのは建前で、正直ムシャクシャしたのでやったッス。これでさっきのは許してやるッスよ」
衝撃的な展開に反して陽気な声を上げる七姫。恐るおそるまぶたを開くと、確かに俺の身体には包丁が突き刺さっている。
しかしどうしたことか。刺し傷からは鮮血が流れることはなく、仄暗い色をした赤色の灰が舞う。灰はやがて黒く染まり、塵と化す。
「これは……」
「《半死人》は、《繋命》によって
そう言って七姫は片目を閉じる。
俺は再び刺さったままの包丁に目を戻すが、痛みはなく、赤色の灰がこぼれ続けていた。
「日宮さんの《死印》は『刺殺』。もう二度と、刃物による刺し傷で致命傷を負うことはないってことッスね」
「まさか……こんなことが………」
「さて、やっとこさ話が戻ってきたッス!死人の世界、それは《死止め人》や《半死人》による殺し合いの世界、七姫たちは誓って、一般の方々に手は出さないッス。ですが残念なことに、心無い虐殺を行う《派閥》がいるのも事実ッス」
七姫は俺の身体から包丁をそっと引き抜いて、胸元に抱え込んだ。伺うように俺を見る。
「日宮さんが命を粗末にしたいというのなら、それでも構わないッス。主人の《死止め人》が命を落とせば、その《派閥》はみんな命を落とすことになるッスけど、一眷属であるところの日宮さんが自害しても、七姫たちに迷惑はないッス。刺し傷は無理ッスけど、溺死なり服毒自殺なり他の死に方なら可能ッス。……それでも。それでももし、拾った命をむやみに捨てる気がないのなら、七姫たちが生きるために、力を貸してはくれないッスか……?」
俺は……。
荒唐無稽な話だった。
瀕死の重体から目覚めてみれば、現実離れした世界の話を聞かされ、果ては殺し合いに力を貸してほしいと請われている。
でも七姫は、俺が見失ってしまった、日宮秀という人間の価値を、俺に与えようとしてくれている。自分の為に生きることはできなくても、誰かのために生きるのならば。それが許されるというのならば、俺は……。
「……そうだな、俺は。どうせ拾われてしまった命なら、お前たちの好きにしてくれ」
その言葉に、七姫はほのかに笑った。
「その言葉を聞けてよかったッス」
噛みしめるように、そう呟いた。
真っ直ぐに喜ばれると、どうにもむず痒いものがある。なんとなく見ていられなくなって視線を窓側へ逸らした。
窓に写り込んでいる七姫は、身体を反らし、陽気に声を張り上げた。
「いやー、ほんとよかったッスー!プランAで納得してくださって!恩返しを強要させるプランBから、武力で脅迫して働かさせる最終プランGまで考えてたッスけど、いやはや、すんなり了承してくださって助かったッス!」
どうやら初めから断ることはできなかったらしい。
まあいいか。
窓の奥の月明かりが目に染みて、俺はまぶたを閉じた。
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