第33話 直人の追憶 その六

 父は死んだ。


 堤防から落ちた我を助けようとして海に飛び込み、そのまま帰らぬ人となった。我と一緒に救助され、病院に担ぎ込まれたがダメだったらしい。後からそのような話を聞いた。

 そして父の死を聞き、まず我の思考を駆け巡ったのは、幾つもの“どうして?”だった。


 どうして父が死んだ?

 どうして我の方が助かった?

 どこかで何かを間違えた?

 どうすれば誰も死なずにすんだ?

 どうして、どうして。


 暫くは涙が止まらず、胸に大きな穴が開いたようだった。

 母の方も、この数日は葬儀や手続きなどでとにかく忙しく、我の病院の世話も近くに住む母の弟夫婦がやってくれていた。


 そして葬儀も結局退院が間に合わず、自宅に戻れた時にはもう、父は骨になっていた。

 父の最期の言葉もまともに聞けず、最期の瞬間にも立ち会えず。

 親不孝とはまさにこのことだろう。

 我…いや直人は今、後悔とも懺悔ともつかぬ色々な負の感情にさいなまれている。

 それは筆舌に尽くし難く耐え難い。


    *****


 我は自宅に戻っても、自分の部屋に閉じこもっていた。

 これからのことを、どう折り合い付ければいいか。それが分からず。

 そんな時、母の弟夫婦が部屋に来た。

 彼らは葬儀が終わってからも母の様子を見に度々訪れており、何度も我に優しい言葉をかけてくれていた。別に救いにはなっていなかったが。 

 だが今日は強めの口調で言われた。

 今日はちゃんと母と話せと。

 …思えば母とろくな会話をしていなかった。母の方から求められることもなかったからだ。

 ふと気になり、我は階段を下った。

 母は、父の祭壇の前にポツンと座っていた。

 その背は寂しい。

 直人は、母のこともちゃんと考えていたつもりだった。

 父は自分の父であるが、同時に母の夫でもあるのだ。我と同じように苦しんでいるだろうと。

 ……母とは話さなければならない。そうすべき。そう思ってはいた。

 だが勇気が出ない。何を話せばいいかわからない。ずっと二の足を踏んでいる。

 ……だから、魔王たる我が出来るのは一押しだけだ。

「……お母さん」

 直人の小さい呼びかけに、母は振り向いた。

「どうしたの? 直人」

「…お母さん、大丈夫?」

「…私は大丈夫よ、直人。……でもこれからのことを考えなきゃね」

 母が気丈に振舞っているのは、すぐにわかった。

 それで余計に胸が苦しくなる。母は耐えているのだ。

「………お母さん、あの…あの」

 耐える苦しみをどうにかできるとは思わない。

 でもどうしても、言いたいことがあった。


「………ごめんなさい」


 その言葉に母はショックな顔をした。

「…なんで、直人が謝るの?」

「だって、僕が……あの時、海に行かなきゃ」

「………いいの、直人。あなたのせいじゃないの」

 母は諭すように言う。

「…私がもっと引き留めて入ればよかったのよ。お父さん、楽観的な感じだったから、私がもっと」

「違うよ! お母さん!」

直人は、嗚咽混じりに叫んだ。

「…直人」

「僕が…僕が海に落ちなきゃ」

「…いいの。あなたのせいじゃないの」

「僕が…僕が…魔王だとか、調子に乗って、海に行かなきゃ」

 息が苦しい。でも母に言わなきゃ行けない。

 今の思いを口にした。


「僕の方が死んじゃえば良かったんだ!」


 それは今の直人には自己否定の言葉。散々悩んだ末の答えだった。

 今の我は直人であり、直人が我である。

 いつのまにか意思の境は曖昧になり、思考は共通のものになっていた。

 そして父の死を誰かのせいにするなら、きっかけを作った魔王のせい。つまり自分のせいにするしかなかった。

 だから自分が生きているのは間違い。それが答えだった。


 パンッ


 直人の頬に痛みが走った。


「馬鹿なこと言わないで!」


「お、お母さん」

 母は泣き、直人を抱きしめた。

「…直人が、魔王だっていいから、……………私を一人にしないで」

 母はすすり泣いていた。

 直人も堰を切った様に泣き出した。

 只々、家中に二人の鳴き声が木霊している。

 この時は、なぜ母が自分の頬を叩き、なぜ泣いたのか分からなかった。


 ただ…

 死の意味を考えることが出来るのは、生きている者のみ。

 そして生の意味を考えることが出来るのも、生きている者のみ。

 しかしずっと昔から、その答えは出ていない。

 その意味を、これからずっと母と一緒に考えて行くことなるだろうと、

 我…いや僕は思った。

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