第3話 再決戦

 都立多摩川高校一年一組。夕暮れの陽を受け、陰影が濃くなる放課後の教室。

 張りつめた空気の中、謎の相対をしている者が二名いた。

 一人は箒を剣の様に構えた、パッと見大人しそうな多摩川高校指定のセーラー服にカーディガンを羽織った女子高生。手には得物(穂先が立てかけた重みで、にょろっと曲がった箒)を順手で構えている。

 もう一人は、そんな彼女に対し身構えている、どこにでもいそうな男子高校生。武器のようなものは持っていなかったが、彼女がどう動こうと対応できるようにしている。

 

 この二人は、異世界地球テラにて激しい争いをした、魔王と勇者の転生者であった。

 

 彼らは針の一突きではじけ飛びそうな緊張の中、互いの出方が読めず膠着状態に陥っている。

 だが最初に動いたのは、勇者の転生者の方であった。

「やっー!」

 そんな恐ろしく気の抜けた鬨の声を上げ、勇者は先手を打つ。

 順手に持つ箒を上段に掲げ、魔王に一撃を食らわせようと襲い掛かった。

 魔王の転生者は、勇者の動きを読もうと刹那に視線を走らせる。

 …それは、よたよたとした足取り。

 …それは覚束ない視線。

 そしてバカ正直に振り上げた箒。

 その動きを読み、彼は確信する。

 間違いない。この勇者……運動音痴だ! 

「ふんっ!」 と、魔王の転生者は、自身の脳天目がけて振り下ろされた剣閃(箒閃)をあっさりと白刃取りした。

「な、なんだと!」

「笑止!」

 魔王の転生者の嘲笑を受け、勇者の転生者は歯噛みする。

 その戦いはまるで、ドリフの剣聖コントのようであった。

「くくくく、貴様そのような実力で魔王に刃向うというのか。我は50mを8秒台で走り、握力は30キロを超え、ハンドボール投げは20mにも届くつわものぞ!」

「…く、おのれ!」

 魔王の転生者の力は、全国男子中学生体力測定の平均に達する実力だった。

 それに比べ勇者の転生者は女子平均以下の体力しか持たず、単純な力比べでは勝つ見込みは少なかった。

「く、くそぉ!」

 勇者の転生者は、剣(箒)を引っ込み、再度横一文字に魔王の転生者に斬りかかる。

「やーっ!」

「遅い! 遅いぞ、勇者エルフィンの転生者よ!」

 勇者の転生者の一撃を紙一重で躱す、魔王の転生者。

「この! この!」

 と彼女は悔し紛れに、剣(箒)をぶんぶん振り回す。

「まことに遅い! 蠅も止まる遅さよ!」

 余裕をみせる魔王の転生者。しかし彼は勇者の策略 (たぶん)にはまっていることに気付かなかった。

 彼が一歩一歩よける先に、教卓の机角のでっぱりが、まるで落とし穴の中の剣山のように待ち構えていることを。

「い、痛っでぇーー!!!」

「ほわっ!」

 教壇の机に、どかっと勢いよく背中へ会心の一撃を食らい、もがき苦しむ魔王の転生者。

 勇者の転生者は、彼の突然の叫びに、何が起こったのかとビックリして目を白黒させた。

「………」

 あまりの痛みに声が出ず、近くの机に持たれ背中を摩る魔王の転生者。

「だ、大丈夫ですか? 保健室行きますか?」

 おずおずと魔王を心配する勇者の転生者。

「…勇者のくせに魔王の心配するのかよ!」

「ち、違います! 心配なんかしていないです!」

「あーもう! 我の怒りは頂点に達したぞ!」

 多少摩って背中の痛みが和らいだ魔王の転生者は、教卓の上に駆け上る。

「覚えているか、勇者よ! 我の最終究極魔法≪絶望への導きインデゥーシット ディスペレショネム≫を!」

「な、何!?」

 勇者の転生者は、魔王の言葉に背筋を凍らせた。

 それはギガソルド城の半分を吹き飛ばした強力な破壊魔法。

 あの時は、勇者の仲間僧侶サンドラの聖属結界詠唱術≪座天使の盾オファニム エイジス≫が間に合い事なきを得たが、いま彼女はいない。勇者の転生者は焦りから一筋の冷や汗を流す。

 そして魔王ギガソルドは邪悪な声で呪文詠唱を始めた。

「混沌のさざなみに洗われよ」

 魔王の転生者が右手を構える。

「夢幻のさざなみに堕とされよ」

 魔王の転生者が左手を構える。

「原初の闇をも併呑せしめし、流浪なる魔性の魂たちよ。我が言に従い憎悪を発せ。我が僕となり絶望へといざなえ!」

 そして魔王の転生者は学ランの上着とYシャツのボタンを外し、心の魔眼 (アンダーシャツのロゴ)を露出させた。

 さすがに、ほぼ初対面の女子の目の前で上半身の裸を露出させ、変態扱いされる愚を魔王の転生者は侵さない。

 勇者の転生者の方は、呪文詠唱中は攻撃できないというお約束の為、動けずにいた。

 だが彼女は覚えていた。魔王ギガソルドの弱点が、魔法を放ち終わった瞬間の心の魔眼であることを。

 …僧侶がいなくとも、この魔法に耐えきればチャンスはある!

 そう思った勇者の転生者は、来るであろう衝撃に身構える。

「勇者よ、我が最終究極魔法を食らうがいい!《絶望への導きインデゥーシット ディスペレショネム》!」

 魔力 (っぽいもの)が心の魔眼 (アンダーシャツのロゴ)に集まった魔王の転生者は両手を構え、ついには最終究極魔法を解き放つ。

 そして瞬間、都立多摩川高校を中心に周囲数キロが灰燼に帰すのだった、

 …のなら、良かったのに。

 嘘です。調布市民の皆さん、ごめんなさい。

「……」

「……」

 そこにはまだ、多摩川高校一年一組の教室にて、謎の相対をしている高校生男女二人が立ち竦

すく

んでいた。

「………しまった! MPが足りない!」

「油断したな! 魔王ギガソルドぉ! これで貴様は終わりだー!」

 そう叫ぶと勇者の転生者は、魔王の転生者に再度討ちかかった。

 と、

「…あなたたち、一体何やってるの?」

 それは文字通り、時を止める呪文だった。

 驚いた二人が見やった先に、恐ろしく呆れ返った目で口元を引き攣らせた、一年一組の担任和歌月千夏が扉に手を掛け立っていた。

「……」

「……」

 げ、しまった。また怒られる、と顔に出す蘇我直人。そして瞬間ゆでだこ状態になる久住朋子。

 彼ら二人は気まずさに覆われる。

「あの……久住さんと、かめはめ波選手権ごっこを。…はい次、久住さんの番」

 直人は誤魔化すつもりで虚言を吐いたが、余計に誤魔化せていない。朋子の方は彼の無茶振りに、さらに顔から火を放っていた。

 だが千夏は、そんな虚言をガン無視して、…はぁ、と溜息をつきながら、ツカツカと二人に歩み寄った。

「蘇我君、取りあえず机から降りなさい」

「……はい」と、直人は千夏の指示に大人しく従う。

 彼女はそれを確認すると、項垂れる朋子に視線を向けた。

「…久住さん」

「………は、はい」

 朋子は耳まで真っ赤である。

「その、まさかあなたが、ちゅ…こんなに想像力豊かだったのは、ちょっと驚いたわ」

「え!?」

 千夏の言葉に顔面真っ赤なままで驚く。

「ずずずずずずずっと、見てたんですかぁ!?」

「…エルリード? とか言う国の話のあたりから」

 つまり、今までの茶番を全て千夏に見られていたことになる。

 その事実を突き付けられ、朋子の顔面はさらに沸騰した。

「ち、違いますぅ! 違うんですぅ!」

「…何が? いい? 別に恥ずかしがらなくていいわよ。誰だってそういうことはあるんだから、先生だって昔は、ね? ほら? …魔法使い、とかに憧れてたんだから」

「っぷ、魔法少女っすか」

 と直人が野暮を入れる。

「黙りなさい」

 千夏は直人の野暮に鋭い睨みを効かす。

 その睨みに魔王の転生者は、…すんません、と口を噤んでしまう。

 彼女は直人から視線を外すと、朋子に向け柔和な笑顔で語りかけ始めた。

「久住さん、いい? 先生ね、別の意味でも驚いてるの。それは何だかわかる?」

「…………いえ」

 恥ずかしさのあまり顔を上げれない朋子。

 そんな朋子の反応に、千夏は苦笑を漏らす。

「だってあなた、いつもは自分を出すことが得意じゃないんじゃない?」

「………」

 和歌月千夏は、まだ生徒の全てを理解したワケでは無いが、久住朋子は目に見えて大人しかったのだ。

「入学式の日もずっと下を向いてるばかりだったし、今朝の自己紹介の時も、声が小さすぎてあまり聞き取れなかったの。……正直、この子このままじゃ、クラスに溶け込めないんじゃないかな? 大丈夫かな? って思っちゃったりしたの」

「………」

「でもあなた、本当はこんなにハキハキ喋れるじゃない。先生、少し安心したわ。やっぱり好きな事とかには熱くなれるわよね? 久住さんもファンタジー小説とか好きなんでしょ?」

「……」

「そういう自分の好きな事をもっと表に出した方が……こいつみたいに出し過ぎるのは、ちょっと問題あるけど」

 そう言って千夏は、ちょっと嫌味っぽく直人を見る。

 直人の方は、もうこいつ呼ばわりっすか、と声に出しそうになるが、どうせ黙れと言われそうなので、押し黙る。

「とにかくあなたは、もっと自己主張すること。謙虚は美徳、っていうのは今の時代にそぐわないんだからね。少なくとも今のやりとりを見た限り、あなたはそういうこと出来なくはないんだから。…そうだ、もしかしたら役者さんとか、向いてるかも知れないわよ?」

 そう言って、少し悪戯っぽく微笑む千夏。

 しかし朋子は、下を向いたまま「…違うんです」と漏らすのみだった。

「ん? だから、あなたはもっと自分を出せる子なんだから…」

「だから違うんです! 今のは私じゃないんですぅ!」

 と、朋子は顔を上げると真っ赤な顔で必死に弁明した。

 そんな彼女の反応に、千夏は片眉を上げてしまう。

「……どういうこと? あなたは勇者の転生者なんでしょ?」

「ちっ! 違います違います違います! 私は勇者なんかじゃないんです! …し、失礼します!」

 そう言うと朋子は真っ赤な顔で泣きながら、自分の席に掛けてあった鞄を乱暴に取り上げ、教室から走り去って行った。

 千夏は、廊下を走っちゃダメよ!

 と注意しようとしたが、ふと今の朋子のリアクションが、自分の言葉のせいではないか? と考えが過ぎり躊躇ためらった。まだ新学期の初日が終わったばかりで、生徒たちの人となりが全てわかった訳ではない。迂闊にも触れて欲しくない部分を触ったのかも知れない。

 千夏は暗に悟る。

 …教師である自分とて、結局は赤の他人でしかなく、そしてミスを犯す人間という生き物だ。

 やっぱり、恩師と呼ばれるのはまだまだ先かな。

 そう思うと和歌月千夏は、まだまだ教師としての力の無さを実感し己に苦笑った。

「あーあ、先生、今の不味いっすよ」

 と、横から直人の嫌味ったらしい声がする。

「本人だって、自分の考えがちょっと恥ずかしい事は分かってる筈だから、他人にそれを…しかも先生みたいな身近な大人に諭されるのは、ものすごく恥ずしい筈っすよ? …先生もまだまだ若輩者っすね」

 バンッ

 と、直人の位置を気配のみで察知し、見事に彼の脳天を教員日報で叩く千夏。

「痛ってぇ! だから先生、それ体罰!」

「お黙りなさい! 子供が知った風な口を聞くんじゃないの。魔王ギガバイト」

「ギガソルド!」

 和歌月千夏とて、一教師、一教育者として、自分の間違いは真摯に受け止める姿勢を持っている。

 しかしこの生徒、自称魔王の転生者蘇我直人の指摘には、なんか腹が立った。

「でも…考えてみたらおかしいよな?」

 と、直人がポツリと何かの疑問を口にする。

「…何が?」

「い、いや、《転生の秘儀》で転生したのは、魔王の俺だけの筈なんですよ。だって自分にしか掛けてないんですから。勇者たちは、そのまま夢幻世界崩壊に呑まれるしかない筈だったんですけど…なんでここに?」

 偶然でもある訳が無い。

 おなじ前世世界の記憶を持ち、同じ世界、同じ時間、同じ土地に転生する。

 某チート艦隊じゃあるまいし、宇宙創造が起こるよりも遥かに低い確率。有りえない。不可能だ。

 …であるのに、なぜ勇者の転生者がここに存在するのだ?

「………何を言っているのかさっぱりわからないけど、あなたそんな無駄な設定まで作ってたの?」

「別にいいじゃないですか」

「…まぁどうでもいいけど。……で? 蘇・我・くぅん!」

 と、千夏は憮然と直人を睨む。

「は、はい?」

「今度は教卓に上るってどういうつもり?」

「……」

「今朝、私の言った事覚えてる?」

「……調子に乗って、忘れてました」

「……」

 その後、魔王の転生者たる蘇我直人は、担任である和歌月千夏に、机に乗った事と暴れてぐちゃぐちゃになった教室のことをこっぴどく叱られ、……なんで俺ばっかり、と悪態をつきながら、とぼとぼ独りで下校する羽目になるのだった。

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