幕間

 まがい物の大地はいとも容易く崩れ落ち、暗黒の空はそのまま虚空に様変わりしていく。全てが粉々になり、全てが無に却っていく。

 この世界、夢幻世界は魔王という支えを失い、消滅しようとしていた。

 そして、魔王の本拠ギガソルド城も崩れ始め、天辺てっぺん常闇とこやみも激しい振動に襲われていた。

 そこに残っていたのは、勇者一行と、魔王の巨大なむくろだけであった。

「どうすんだい!? これじゃあ、あたいら犬死じゃないかい!?」

 武闘家カレンは悲痛に叫ぶ。

 だが勇者エルフィンは、床に手を付き絶望に囚われたまま、応えることができない。

 その様子に彼女は、くっ、と歯噛みする。今度はエルフの賢者フローネに尋ねる。

「なんか手はないのかい!? 強制転移詠唱術とかで脱出できないのかい!?」

「やめておいた方がいい」

「はぁ!?」

 エルフの賢者フローネは、彼女特有の冷静さで即断する。

「最初に言ったであろう。渡る術はあっても帰る術はないと。…この夢幻世界に渡ることが出来たのは、魔王ギガソルドという巨大な魔力の指針があったからだ。逆に我らの元居た世界には、その様な指針はない。…無目標に転移しても、戻れる可能性は限りなく低い。…そのまま消滅してしまう可能性の方が大きいのだ」

「魔王の奴は、魔物をほいほいこっちの世界に転移させてたじゃないかい!?」

「それは魔王が、なんらかの指針を掴んでいたのだろう。疑似時空すら創造を可能とする転移魔法の使い手だ。有り得る。…だが、もうそれを探る時間はない」

 ゴゴォッという、巨大な音が鳴り響き城が傾き出す。もう夢幻世界崩壊は目前まで迫っていた。

「ああ、もうっ!! それでもいいから転移しちまおう! 少なくともここよりはマシだ!」

「…まだ転移詠唱術が出来る程度には聖力を残してはいるが…いいのか、勇者エルフィン?」

 エルフの賢者フローネは、彼に一応確認した。だが、

「いや、待ってくれ。フローネ」

 彼はそれを差し止める。そして、

「奴を…

 そう確かめるように呟いた。

「……それって」と怪訝けげんに呟く武闘家カレン。

…って、ことですか」と理解を示す僧侶サンドラ。

「あんた何言ってんだい!?」

「このまま無駄死にするよりは、…俺は奴を追いたい」

 そう言って力なく立ち上がる勇者エルフィン。

 その眼差しには新たな希望を宿らせている。そんな勇者の意志を見やったエルフの賢者フローネは、

「可能だ」

 と、なんでもないと言う風に呟いた。

「ええ!?」

「で、できるんですか!?」

 彼女の言葉に、まさかと驚くカレンとサンドラ。

「奴の使った魔法 《転生の秘儀》。これは古代エルフ族の詠唱術にも《輪廻循環の秘法》として似た術が伝わっている。そして私は…これを習得している」

「ほんと、都合がいいねぇ!」と皮肉るカレンと、

「まさに賢者です! 全ての英知を得し者、です!」と純粋に尊敬するサンドラ。

「ただし成功例は一つとして確認されていないがな」

「「え?」」と、フローネの続く言葉に、二人は目を点にさせた。

「……当り前だ。反魂と同じで、この世の理を破る術なのだぞ。少なくともエルフ族の間では、転生も反魂も成功例は皆無。だから魔王も“禁術”とのたまったのだろう。おそらく魔族側でも成功例は無い筈だ」

 その言葉に、二人は横目を合わせる。と、カレンが疑問をぶつける。

「じゃあ、なんだい? 魔王は調子ぶっこいて最期の台詞なんかをほざいてやがってたけど、結局、奴は転生することはないってことかい?」

「……少なくとも、元の世界に蘇る可能性は低いだろう。なにしろ、我らの地球テラ世界では成功例が皆無なのだから。…だがもし、があったとしらば、そちらに転生するかもしれない」

 他にも世界があるという賢者の言葉。その意味を理解しかねるカレンであったが、それを問う時間なんぞないので、棚上げる。

「………つまり、どっちみち転生する意味はないってことだろ! 言っちゃ悪いがのことなんて、あたいたちに関係ないだろう! そもそも、魔王を討つという主目的は果たしてるんだ! おい、エルフィン! 悠長な暇はないんだ! 賭けかも知れないけど転移詠唱術で逃げるんだよ!」

「それでもだ!」

 渾身の力で叫ぶ勇者エルフィン。

「………俺は奴を許せない。どこの世界だろうと、今度こそ奴を追い詰め完全に滅ぼす」

「……本気なのかい」

「エルフィン様…」 

 エルフィンの言葉に息を飲むカレンとサンドラ。

「ああ」

 勇者は迷いなく頷く。そしてフローネが重ねる。

「……どうする? 勇者エルフィンだけを転生させて、他は転移させるなんて芸当はさすがに無理だ。聖力が足らんし時間もない」

 一瞬、沈黙する勇者一行。

「皆、すまん」

 エルフィンは申し訳なく呟く。……暗に同意を求めるように。

 そして夢幻世界の崩壊は、すぐにそこまで迫っていた。無駄な時間を過ごす暇はない。

「…わかったよ。奴を…追おう。旅は道連れやけっぱちだ!」と観念するカレン。

「私も、エルフィン様にどこまでも付いて行きます」と健気に呟くサンドラ。

「私の方は気にするな。全く問題ない」とあくまで終始冷静なフローネ。

「…………本当にすまん」

「では時間はない。始めるぞ」

 フローネはそう言うと、瞑想し勇者たちには理解できないエルフ語で呪文詠唱を始める。

 途端に、彼女を中心に幾重もの巨大な詠唱陣が展開した。

「皆手を出せ」

 フローネが右手を差し出し、他の勇者一行も同じようにそれに重ねる。

 すると淡い緑の光が、彼らを包みだした。

「……まだ、気になるんだけどさ」とカレンが紡ぐ。

「そもそも魔王を追い掛けて、同じ世界、同じ場所、同じ時に転生なんてできるのかい?」

 彼女の疑問にエルフィンとサンドラは、あ、という顔をする。

 例え転生できたとして、魔王より先に生まれ先に死んでしまっては意味がない。それに同時に転生したとしても、星の反対側生まれてしまっては、魔王をすぐには止められない。そして、勇者一行が再び集うことが出来るのかもわからない。

「…………正直言うと、わからん。魔王の魔力の残滓を捉え追うことはできるが…。何しろあの世に逝って帰って来た者などいないからな」

 いつもは無表情のフローネが珍しく眉を下げ、首を振った。全ての英知を得し者とて、この疑問に答えることが出来ない様であった。

「……さすがにそこまで都合はよくないか」

 そうカレンが呟くと、

「俺は皆を信じている」

  エルフィンがそう紡いだ。

「「え?」」

「だから、皆も俺を信じろ。…必ずまた、出会うことが出来る筈だ」

 空元気だが、迷いなくそう呟く勇者。

 武闘家と僧侶の二人は、勇者のいつもの、根拠曖昧な謎の自信に、ふふっ、と笑みを漏らした。

「そうだったな!この幸運野郎!」

「そうですね!精霊の加護を受けし勇者がいれば、絶対大丈夫です!」

 二人の笑顔に、エルフィンも笑う。フローネは三人の絆が垣間見れるやりとりに「…そんなものか」と片眉を上げる。と、

「あ! ……あの、エルフィン様!」

 サンドラが、なぜか慌てた様子で呟く。

「なんだ? サンドラ」

「来世では、私と、け、結婚して下さい!」

「なっ!」と驚くエルフィン。

「こ、こんな時に、何を…」と頬を赤らめる。

「……今世では、もう無理ですが。…せめて来世では」

 そう言って、サンドラも真っ赤な顔に成り果てる。と、

「ちょいと! 抜け駆けは許さないよ、サンドラ! エルフィンの子を孕むのはあたいさ!」

 と、清々しさを覚える程に妊娠宣言をするカレン。

「ちょっ! ………お前まで」

「なんだい? 仲間になる時、あたいを嫁にするって言ったじゃないかい!」

 そう鬼気迫る表情で詰め寄るカレン。エルフィンは二人の女性に言い寄られ「いや、その」とタジタジになる。

「ならばついでに私も勇者エルフィンに婚姻を申し込むかな。なーに、妾で構わん」

「「「フローネっ!?」」」と驚く三人。

「? どうしたお前たち」

 と若干無表情を崩し、キョトンとなるエルフの賢者。

「な、フローネ…お前まで何を言い出すんだ…」と唖然となる勇者エルフィン。

「そうだよ! あんた人間嫌いじゃなかったのかい!?」

「その通りだ。だが勇者は別だ。…なにより勇者の血を引くハーフエルフという物に興味がある」

「…そんな、実験動物みたいに」と、ちょっと信じられないという顔をするサンドラ。

 勇者エルフィンは、なかなか煮え切ら居ない態度で、空いている左手でポリポリと頭と掻き、

「……いや、その、他に、シエラ姫との約束も…」と、申し訳なさそうに呟く。

「「ええっーーー!」」

 と、その勇者の言葉に同時に驚くカレンとサンドラ。

「なんだい!? やっぱり姫とも契を交わしていたのかい!? このスケコマシ!」

「ち、違う違う! 手も握っていない! た、ただ生きて帰ったら、また一緒にお茶を飲みましょうみたいな…」

 語尾に向かって、だんだんしどろもどろになる勇者エルフィン。

「死線を共にした仲間より、結局、権力目当てで王族かい!? 悪かったね盗賊の出で!」

「そ、そんな…私と結婚すれば神官の地位が得られたのに…」

 愛憎相反するテンションで嘆くカレンとサンドラ。

 そんな彼らを見て、普段は冷静無表情であるエルフの賢者フローネは不意に、ふふっと僅かに笑みを漏らした。

「なんだい? 石像が突然動いたみたいで、気持ち悪いね」と失礼なことを言うカレン。

「……失敬な。私とて笑うこともある。ただ本当に可笑しかったのだ。お前らは、死を目前にしているのに普段と変わりがない。それがなんともな」

 そのフローネの言葉に、キョトンとなる三人。

 と、皆、ははっと屈託なく笑う。

「確かに! これじゃいつもの酒場と変わりないね!」

「そうですね! ……なんか悲観に暮れる気がしないです! だってまたエルフィン様に会えるんですもの!」

「お前ら……」

 そう呟き、目頭を熱くするエルフィン。

「………皆、本当にすまない。俺の我儘に突き合わせてしまって」

「今さらだよ!」

「そうです!」

 元気に答えるカレンとサンドラ。

「別に私は問題ない。夢幻世界からだが、お前らと旅をし、色々と勉強になった。それに来世やあの世がどんなところか興味があるしな」

 と、淡々と答えるフローネ。

「…死ぬ間際だってのに、あんたも相変わらずだね」

「褒め言葉と受け取ろう」

 そして、とうとうギガソルド城の足場が崩れ去り、中空に放り出される勇者一行。その周囲には空間の崩壊により、凄まじい砂塵の嵐が吹き荒れていた。

「手を離すな! 離れれば転生できないぞ!」

 この状況ではさすがに叫ぶフローネ。

「ちょっと、やっぱやばいねこれ! 楽に死ねるのかい!」

「あわわわわ」

 怯えるカレンとサンドラ。そしてあっという間に砂塵に覆われる。

「大丈夫だ! 痛みを感じる間もなく塵に還る筈…だ…」と、いきなり遠くなるフローネの叫び。

 それは大丈夫っていうのかい!? というカレンの軽口も、とうとうあまりの砂嵐に叩けなくなる。

 そんな砂嵐の中、勇者エルフィンは皆の手を掴む右手に力を入れる。それと同時に走馬灯のようなものが駆け巡った。

 精霊様より聖剣を授かり、独り故国を旅立った日の澄み渡る青い空。

 盗賊団に襲われていた村を救い、その棟梁だった武闘家カレンと相対した月夜。

 聖教会本拠の大司教の正体が侵入したデーモン種だったことを見破り、大聖堂の中で行った激しい空中戦。

 そして、夢幻世界に乗り込むため、転移詠唱術が使えるという人間嫌いのエルフの賢者を大森海に尋ね、その強大な詠唱術に返り討ちに合い仲間を石に還られながらも、助ける交換条件として、死に物狂いで毒竜を聖剣なしで破った瞬間。

 ……よくしてもらったシエラ姫には、約束を叶えられず申し訳なく思う

 ……怪我のため元の世界に置いて来た、あのエロジジイ剣士は、殺しても死にはしないだろう。あの温泉事件はまだ根に持っているぞ。なんで俺だけ覗き見の犯人として、袋叩きにされなければならなかったのか。

 そして元の世界に心残りがあるかと言えば、それは是だ。

 やり残したことなど、それは山の様にある。そして最も心残りだったのは、魔王討伐後に故国の復興に尽力できないことだった。残念ながらそれはもう叶いそうにない。ただ、元の世界に平和が戻るのだけは確実だろう。もう魔王はいないのだから。それだけで……良しとしよう。

 と、勇者の身体に異変が起こる。

 それは末端から重みが消えて行く感覚。いや、身体そのものが消えて行く感覚だった。

 ……最期の時は近い。

 勇者はそう悟る。しかし不思議と、死に対する恐怖や不安を感じない。

 なぜか?

 ………決まっている。

 これで終わりではないからだ。

 勇者一行の旅路はまだ終着地点についていない。

 未だ魔王の完全な消滅には至たらず、奴は転生し、そしてまた世界滅亡を目論むに違いないだろう。

 それだけは、どんな世界であろうとも絶対に阻止しなければならない。

 なぜなら自分は勇者なのだから。

 それに今は、信頼できる仲間がいる。

 あの絶望に打ちひしがれ、憎悪にまみれ旅立った時のように自分一人ではない。…まぁ、問題の多い奴らだが。

「皆ぁーー!」

 勇者エルフィンは、無理とは分かっていても、視界0の轟音吹きすさむ激しい砂嵐の中、渾身に叫んだ。

「来世で会おう!」

『『『おう!』』』

 聞こえない筈の、その皆の応えに勇者エルフィンは破顔する。

 それと同時に、

 彼らの肉体を巻き込み、

 夢幻世界は、文字通りに無に帰した。


 そうして、彼らの物語の結末は先延ばしとなるのだった。


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