第2話 勇者再誕

 一学期初日の全授業日程を終えた和歌月千夏は、職員室に入るなり、自分の教卓に付箋のたくさん付いた、担当教科である社会史関連の教科書をドサッに無造作に置き、気疲れからオフィスチェアに深く沈みこんだ。そしてそのまま、はぁぁ…とため息一つ。

 彼女は社会人を数年経験し、教員になって十年近く経つベテランである。担任業務というのも別に今年が初めてではない。ただし、今年から本格的に学年主任も請け負うことになり、さらには自分のクラスに問題児まで出て来てしまっていた。今年は今までの教師生活で一番大変になるであろうことが簡単に予想が出来た。

 おまけに、これから職員会議に学年主任としての日程のまとめや、ごたごたして片付いていなかった保護者へ渡す書類などの作成。自分の授業の明日の準備にクラスの行事日程の作成エトセトラ…。やらなければならにことがまだ山の様にあった。まだ部活の顧問を請け負っていないのが幸いなくらい。…日付けを跨ぐ前に家には帰れるだろうか?

 脳内でこれからの作業量の見積もりを出すと、和歌月千夏はさらに深く「はぁ~」とアラサ―の哀愁ただようため息をついた。

「お疲れ様です。和歌月先生」

 と、和歌月千夏の背後から若い女性の声。今年初任の女性英語教師、傘塚かさづか香織かおりである。

 そのままポスンッと和歌月千夏の隣にある教卓へ座った。

「お疲れ様。傘塚先生。一年三組の子たちはどうだった?」

「はい! いい子たちばかりでしたよ! 早速ライン交換しちゃいました」

「……そう」

 眉をひそめる和歌月千夏。

 傘塚香織は一年三組の副担任。本来の担任は本日所用で欠席しており、仕方なく教師一年目の傘塚沙織が今日は一年三組を担任していた。千夏は香織が、ちゃんとクラスをまとめられるか心配していたが、まぁなんとかなったようだった。…さすがに友達のノリでライン交換までしてくるのは頂けないが。

「一年一組の子たちはどうでした?」

「…よくも悪くも普通の子たちだったわね。…一人を除いて」

「一人ですか?」

 素行が気になる生徒は他にもいたが、その一人というのは、無論、自称魔王の転生者の蘇我直人のことである。

「……中二病って知ってるわよね?」

 教師という職業柄、それくらいのネットスラングはよく生徒たちとの間で耳にする。

 初めて聞いた時は、十四歳の子が掛かる疾患か何かか? と勘ぐって大真面目に調べたものだが、後にその意味や内容を知り、これで病気扱いってアホか、と口を開けたことをよく覚えている。

「もしかして中二病の子がいたんですか!?」

 そう言って嬉々として目を輝かせる傘塚香織。

 そんな大学出たての若い子の反応に千夏は、この子も良くも悪くも、ゆとり…もうサトリ世代か、と失礼ながら思ってしまう。彼女は遥か以前の受験戦争時代の世代なのだ。

「……自分は魔王ギガなんとかの生まれ変わりだ、って言ってる男子がいたのよ。しかもホームルームの自己紹介で丈々と」

「なにそれなつい!なんかハルヒっぽい!」

「……」

 何のことか分からず、怪訝けげんに顔を曇らせる千夏。

 と、

「あ、香織ちゃんいた!」という黄色い声と共に女生徒が二人、ずけずけと職員室に入ってくる。

「あら、あなたたちどうしたの?」

 香織は一年三組の生徒らしき二人の行動に、何も咎めることなく声を掛けた。

「ほら、これこれ、さっき言ってたお店」

 そう言って片方の女生徒がスマホを香織に差し出す。

「あ、ホントに調布にあったんだ!」

「今度、一緒に食べに行こうよ! 調布案内してあげるから!」

「ホントに!? ありがとう!」

 と、職員室内でキャッキャワイワイ騒ぐ香織と生徒二人。

 その場違いな行動に、唯でさえ機嫌の悪かった千夏の血圧は急上昇する。

「…………あなたたち何やってるの?」

 恐ろしく冷たい響きが、職員室内を凍らせる。

 香織と騒いでいた女生徒二人は、その声の迫力に一瞬で口を噤んだ。

 それに生活指導の男性教諭は注意しようと開きかけた口を閉じ、ウザそうな顔でお茶を飲んでいた教頭は手を止め、他の先任の先生方も固唾を飲んだ。

 ……あいつら和歌月先生の逆鱗に触れやがった。と、皆冷や汗を流す。

 和歌月千夏は、ルールやマナー、社会常識を破ることを何よりも毛嫌いする性格なのである。彼女はふと立ちあがって腕を組み、その長身で香織の傍にいる女生徒を憤然と見下ろした。

「あなたたち、何勝手に職員室へ入って来てるの?」

「…あ、いやその」

「香織ちゃんにお店を教えようと…」

「はぁ!?」

 ビクッとなる女生徒二人。

「…全てが間違ってるわね」

「え?」

「何が?」

「まず第一に! 何で先生に向かってちゃん付けなの?! 曲がりなりにも目上の人間よ! これから教えを乞いて行く立場のすることではないわ! 次に、何勝手に職員室に入って来てるの!? 入る前にノックか入っていいか中に確認して、何年何組、何々です! って名乗って、入室許可を経てから入りなさい! そして仮にも学生身分が、職員室でタメ口を使うな! 敬語をちゃんと使えぇ!!」

 それは鬼神が如き、あまりの剣幕。威圧。威勢。

 彼女の機嫌を損ねることは、この学校ではタブーの一つされていた。だって先生方でも無茶苦茶怖いのである。

 したがって案の定、女生徒二人は涙目になっていた。

「あ、あの…すいません」

「ごめんなさい」

 女生徒二人は、おずおずと謝罪するが、

「やり直し」

 と千夏は二人を許さない。

「「え?」」

 と、女生徒二人はハモりながらキョトンとなる。

「傘塚先生に、ちゃんと報告があったんでしょ? どんな個人的なことでも報告がるなら、ちゃんと手順を踏みなさい」

「え…でも、話は終わって…」

「いいからやる!」

「「は、はい」」

 そう言って女生徒二人はバタバタと、職員室を出て行く。

 意外と肝が太いのか目を白黒させているだけだった香織は、何もそこまでしなくてもと、千夏を見たが、逆に蛇のような睨みを返された。

 そして先の女生徒らが、キョドリながら再度入って来る。今度は、一応空気を読んだのか、教師らしく対応を始めた。

 それを見た他の先生方も業務を再開し、千夏の方もゲンナリと再びオフィスチェアーに座り込む。

 和歌月千夏は、この若い女性教諭を見てマジマジと思う。

 ……どうやらこの子は恐ろしくマイペースらしい。教師の威厳なんてものもどこ吹く風の様だ。

 そう思うと千夏は頭が痛くなる。学年主任として先生方への教育指導、監督業務も今年は大変なようであった。

  *****

 朝のホームルームに続く形で一限目でクラス委員決めや係決めが行われた。

 そこで直人は、和歌月千夏直々じきじきの御指名で男子のクラス委員に決まってしまっていた。

 この高校のクラス委員の仕事は、日直制がないため各授業での起立の号令他に、クラス委員会などの出席、各行事の主導まとめ、先生と生徒の橋渡しなどなど、ぶっちゃけめんどい。この上なくめんどくさいのオンパレードマーチ。無論、直人は「職権乱用だ! 訴えてやる!」と抗議したが、「魔王ならクラスくらいまとめなさい!」と一喝され渋々承諾してしまっていた。…どうも苦手だ。あの人は。と思う直人。

 そして放課後の今、直人は教室に残りさっそくクラス委員として暫定掃除当番をやらされていた。

 なんでも掃除当番の割り当てが、五十音順で適当に決めればいいのに、担任の怠慢のせいで(千夏がうっかり忘れていた)まだ決まってないらしく、全く腑に落ちないことに「今日だけでいいから、クラス委員のあなたがやりなさい」と、また千夏に強制されてしまっていた。

 ただ、ちょっと嬉しいこともあった。

「…あの、こっち終わりました」

「あ、久住くじゅうさん、ありがと」

 箒で教壇付近を掃除してくれていたのは、直人の右隣席のクラスメート、久住くじゅう朋子ともこ

 綺麗な黒髪を腰近くまで真っ直ぐ伸ばした女子で、細い体に多摩川高校指定のセーラー服を着、紺のカーディガンを羽織っている。

 彼女は、手際は悪いながらも、せっせと掃除を手伝ってくれていたのだ。

 なぜ彼女が中二病患者と共に掃除をしているかと言えば、それは、不憫(ふびん)、の一言に尽きた。

 それは、女子のクラス委員の方は誰も志願せず中々決まらなかったのだが、それに業を煮やした千夏は「ジャンケンで一番負けた人がクラス委員!」と取り決め、女子全員でジャンケンした結果、彼女が今年一年間、自称魔王の中二病患者と共に、いろんな職責を担うクラス委員に選ばれてしまったのだった。

 直人は、彼女がクラス委員に選ばれた時の、世界の滅亡を目の当たりにした様な顔を見て、若干ヘコんでいた。

 そして彼女に対する、直人からパッと見た第一印象は…地味っ子、の一言だった。

 昨日の入学式の時は全く記憶に残らず、今朝の自己紹介の時も声が小さ過ぎて殆んど聞き取れず、昼間の授業中でさえもポケッーとしてノートをとる訳でもなく、ずっと上の空状態だった。

 それに目線を引いて見渡してみても、身長は平均くらいながら覇気のない猫背のため案外小さく見えてしまい、おそらく彼女生来の性分。引っ込み思案な性格が表れているようであった。

 誰が見てもすぐに分かってしまうだろう彼女の人となり。あまり元気のない子。

 …おまけに和歌月千夏と違って、出るとこは出ていない。無念。と失礼なことを思う直人。

 ……が、

 でも、

 しかしながら、

 改めて、

 マジマジと、

 変に思われないように直人が観察すると…

 顔立ちは、実はちょっと好みであった。

 痛みのない綺麗な黒髪をなびかせ、ニキビ一つない綺麗な白肌。その前髪の隙間から覗かせる双眸は、大きく円らな瞳。下げ気味の眉であまり力のない印象を与えるが、目鼻立ちは小顔にすっきりまとまっている。

 言うなれば、磨けば光るダイヤの原石。

 直人の彼女に対する第二印象はそう上がっていた。

  そして、現在の状況は、

  放課後の誰もいない教室でちょっと好みの女子と二人っきり、というシチュエーション。

  ……やばい、ちょっとテンション上がる、と内心昂る。

  例え元魔王の直人と言えど、思春期真っただ中の健康な男子だったのでしょうがない。嬉しいやら恥ずかしいやら心臓バクバクだったのである。

 一応、クラス委員としての仕事と男子特有の強がりから、その感情はなんとか押し殺してはいたが。

 直人と朋子は、後ろに引いていた皆の机を元の位置に戻し、なんとか掃除を一段落させた。後は掃除道具をロッカーにしまうだけだ。

 …ということは、もう帰るというワケで。他にクラスメートはいないので、二人っきりで下校するというワケで………。

 駅まで送ろうか?

 となんかのドラマよろしく試しに声掛けてみようかと、直人は暗に悶えた。

「あの」

 と、不意に、朋子の方が小さな声で尋ねて来る。

「…ん!? な、何?」

 一瞬、キョドってしまう直人。

「そ、その……」

 そう言って、彼女は俯き加減にもじもじする。

 その小動物みたいな反応に、直人はちょっとかわいいかもと少し心臓が高鳴ってしまう。

「……蘇我君って、本当に、前世は魔王なんですか?」

 その質問は直人の期待とは裏腹で、彼は勝手に興ざめる。……まぁ、気になるよな。と軽くため息をついた。

「………正直言うと、わからん」

「わ、わからない?」

「…正確に言うとさ、前世の記憶ものがあるだけで、ホントかどうかわからないんだ。…なんていうか、脳内でずっとFPSゲームを見ていた感じ? かな」

 直人が前世の記憶らしきものを、思い出す? ようになったのは小学校を上がる前くらいからだった。

 些細なきっかけで断片的に記憶やその時の感情が蘇えり、自分が魔王だったと自覚…いや思い込み始めたのは、小三くらいのころ。

 酷い時は、自分の正体は魔王であり世界を滅ぼす宿命を担っている! とガチで中二病だったこともあったが、でその思いもとうの昔に消え去っていた。

 現在、魔王状態になるのは思い込んだ名残から、ぶっちゃけ、ふざけてやっているに近い。

 黒歴史的な峠は越えて、これが自分のアイディンティティと感じる域には達していたものの、魔王の記憶は妄想の産物と直人は納得しかけていた。もっとも、魔王ギガソルドの記憶? を全て思い出しわけでもなくせいぜい生前数年程度の、地球テラ侵略を開始したくらいまで。魔王ギガソルドは一応、齢千年超を生きた魔族だったのだから、たかだか一五年しか生きていない自分の記憶容量に収まるわけがない。直人はそう勝手に納得していた。

「前世の…記憶はちゃんとあるんですか?」

「記憶……らしきものは、ね」

「………いろいろ質問してもいいですか?」

 と、真面目な顔で続けて訊ねる朋子。

「………別にいいけど」

「じゃあ…」

 そう言って朋子は、むぅと唸り、手を口にやって何か考え込む。

 その真剣そのもの反応は、直人にとっては初めてのリアクションで、少々面食らう。

「どうやって転生したんですか?」

「どうやってって、……勇者に殺されたからだよ」

「殺されてすぐ、転生したんですか?」

「……いや、魔法で。死ぬ間際…死んでからだっけ? 《転生の秘儀》っていう古代の禁術を使って」

「転生の秘儀…」

「? …死んだときの意志と力を持ったまま、生まれ変われるって言う、ご都合魔法。転生先生命体もある程度指定できるんだと。魔王自身は元の魔族に生まれ変わるつもりのようだったけど、結局、俺みたいな普通の人間に生まれ変わっちゃったみたいだけどね。しかも全然関係ないこっちの世界に」

「…じゃあ蘇我君は、現世の今も魔法とか使えるんですか?」

「……使えない」

「え? 使えないんですか?」

「魔法とか現実に存在するワケないじゃん」

「……」

 腑に落ちない顔をする朋子。

 ……って、実はね…。あの力が魔法と呼べるかどうかは知らないけど。

「…その戦った勇者は、どんな人だったんですか?」

 朋子は棚上げするつもりか別の質問をする。

 ………たち? 複数人と闘ったって言ったっけか? と直人はちょっと何か引っかかる。

「まんまドラクエパーティ。勇者と武闘家と僧侶とエルフの賢者っぽいの」

「……勇者の名前とか覚えてますか?」

「いや全然」

「……」

 なぜか顔を曇らせて行く朋子。

「何か……本当に前世が魔王だった証拠はないんですかぁ?」

 今度は少々、語気を荒げる。

「証拠ぉ? いや、だから証拠も何も、俺の前世って異世界の話だから証明のしようが…」

 と、直人はそこでハタと気付く。

 朋子の問い方は、

 転生したのは本当かどうか?

 ではなく、

 転生したのは本当で、むしろ前世が本当に魔王かどうか、

 それを確認するような感じだ。

「…久住さん、あのさ?」

「え? はい」

「もしかして、……本気で信じてんの? 俺が転生者だってこと」

 その直人の直球的質問に、朋子は目を見開いた。だが観念するように。こくりと頷き、

「蘇我君の言っていること信じます」

 と言い放った。

「え? マジで!?」

「マジです」

 直人は心底驚嘆する。

 家族以外で初めてだったのだ。自分が魔王の転生者であることを信じるという人は。

 それは正直、嬉しさ半分だが、呆れ半分でもあった。

「あ、いや、あのさ、…前世が魔王ってほざいてる俺自身が言うのもなんだけどさ…バカじゃないの?」

「な、なんでですか!?」

 目に見えてプンプンする朋子。

「だって前世だぞ? 輪廻転生だぞ!? そんなもんあるワケないじゃん。どう考えって中二設定じゃん!」

「そんなことないです! 蘇我君の言ってることは真実なんです!」

 真剣な眼差しで言ってくる朋子。直人は…えぇ、とまた面食らう

「……言ってる本人が否定してるんだけ。第一、輪廻転生っておかしい考え方なんだぞ? 一世紀前の地球人口って16億人だったのに、今は70億人突破してるんだ。後の54億人の魂ってどっから来たんだよ」

「それこそ蘇我君みたいに、異世界から転生して来たんですよ! それなら辻褄合います!」

 朋子の言うとおりなら、ネットにあふれる異世界転生ものよりも、遥かの数の異世界転生が起きていことになる。…んな、アホな、と直人はうなだれる。

「…それが正しいと仮定すると、地球世界はどんだけ他の世界の魂吸ってんだって話だぞ!? 地球はあの世かよ! バカなの!?」

「バ…ッ!? さっきから酷いじゃないですか!?」

 そう言って、直人の遠慮ない物言いに涙ぐむ朋子。

 そんな彼女の表情を見て、あ、しまった、と後頭部を掻く。

「……ごめん。言い過ぎた」

「………うぅ、べ、別にいいですもん。私の頭が悪いのは分かってますし」

 と、俯き加減で悔しそうに呟く朋子。小動物のように、若干プルプル震えながら。

 直人は中学時代の同級生のつもりで遠慮なく言ってしまったが、考えたら彼女と出会ってまだ二十数時間しかたっていないのだ。これからのことを鑑みれば下手なことを言うものではない。直人は若干、後悔する。

 しかしそう考えながらも、やはり不思議に思うこともある。

 昨日今日あったばかりの、別の中学の男子のバカらしい中二設定を、なぜ初対面の女の子がいきなり信じてくれるんだろうか?

「…あのさ、逆に聞きたいんだけどさ…」

「…はい?」

「……なんで俺の事を信用するんだ?」 

「……」

 ………まさかね、まさかね、ひ、一目ぼれして気を引きたいからとか…。

 顔に努めて出さず、直人は期待する。

「全然、信用なんかしてないです!」

 ……ですよねー。世の中そんな上手かないですよねー。

 また、顔に努めて出さず、直人はガーンとなる。

「…でも、貴方が魔王の転生者と言うのは真実なんです。だって私…」

 行末を言いよどむ朋子。何か躊躇う様子だった。勝手に内心悶えていた直人は、一応「……どうしたの?」と尋ねる。

「勇者ですもん」

「………は?」

 一瞬、意味が分からず、直人は聞き返す。

「だから勇者なんです」

「…………ゆうしゃ?」

 と、キョトンとなる魔王の転生者。

 彼の理解しかねると言う顔に、朋子はむぅーっ! と唸り、

「あなたを追って! 私もこの世界に転生したんですっ!!!」

 あらん限りの力を振り絞り朋子は叫ぶ。

 それに一瞬、教室の空気は凍りついた。

 直人は思わず、今まで散々他人に言われ続けてきたある言葉を、皮肉にも自分自身が言ってしまう。

「君、何言ってんの?」

「なんでですか!?」

 自称魔王の転生者の無慈悲な反応に、自称勇者の転生者は憤慨してしまう。

「……………あのさ、その偏った想像力が俺と同類なのは理解したけどさ。何も俺の設定に付き合う必要はないんじゃない? 別に俺が魔王だからって、それに合わせて…勇者って」

 あからさまに呆れる直人。だが朋子は引き下がらない。

「私は別に、あなたに合わせたワケじゃありません! 元々蘇我君のいた世界の勇者だったんです!」

 彼女の言葉に眉をひそめながら、直人は一応、前世の記憶らしきものを掘り返してみる。

  夢幻世界のキガソルド城常闇とこやみにて、数々の配下を破り攻め込んできた勇者一行。

  それ率いた者は、身の丈が多分180センチくらいで、スマートだがガタイが良くミスリルの鎧を纏っていた。そしてその特徴として印象に残っていたのは、精霊の御加護を受け雷の力を宿していたという、勇者の身の丈と同じくらいのサイズの聖剣だった。

 勇者はその大剣を軽々と扱い、驚くほどの俊敏な動きで、我が腕を何度も切り落としたのだ。

 その鬼気迫ってくる勇者の表情は鮮明に覚えていた。

 そう、茶目黒髪の結構イケメンだった…。

「って、勇者って男だったじゃん!」

 今、目の前にいる勇者の転生者と名乗る者は、どうみてもただの女子高生だ。

「蘇我君だって、人間じゃなくて、馬鹿でかい魔族の甲虫種(こうちゅうしゅ)だったじゃないですか!?」

「はぁ!? なんでそれを!?」 

 直人はまた驚嘆した。

 異世界地球テラ、並行宇宙の地球には、こっちの地球とは分類項目が異なるが、人と魔と言う大きな生物種の括りがあり、さらにその中では獣人種、魔竜種、デーモン種、魔人種などで分けられていた。魔王ギガソルドが属していたのは魔族の一種である“甲虫種こうちゅうしゅ”という種族であった。

 それは普通の昆虫だったものが、魔力のためまる場所などで長い間過ごした結果魔物化し、更に年月を得て、知性と魔法を得たものが甲虫種と呼ばれるものだ。

 魔王ギガソルドは決戦始め人型形態だったが、第二形態で半人半昆虫の姿となり、最終形態では、地球尺位で体高十メートル以上体重三十トンを超える巨大な黒光りの甲虫の姿に変貌したのだ。

「……よく甲虫種とかの、脳内設定をご存じで…」

「脳内設定なんかじゃありません! 現実だったんです!」

「……えぇ」と困惑する直人。

 朋子の方はだんだんと、なぜか怒りを滲ませる。

「……最初に滅んだ国の名前を憶えてますか?」

「………悪いけど、そんなの覚えていない。ってか、魔王は一部を除いて魔物を手当たり次第転移させてたみたいだから、人間の国がどんなとこかなんて眼中になかったと思う」

「っ!? …周囲を気高きアロクス山脈に囲まれた小領邦国、エルリードです! 貧しい土地で僅かな鉱山と細々とした畑しかありませんでしたが、精霊信仰の残る国で、人々が信仰を胸に慎ましやかに生きている国でした!」

 小領邦国エルリード。そんな国聞いたことも見たことも無い。無論、こっちの地球にも過去現在存在したことはない筈だ。直人は歴史社会史が得意科目。国連加盟国193ヶ国の名前と首都も暗記していたので間違いはなかった。

 と、教室背後の扉から誰かが顔を覗かせたが、二人とも気が付かない。

「で、その国が最初に滅んだの?」

 突然、ぽっと出た架空の国の名前に、怪訝けげんな顔をする直人。

 朋子は体を強張らせ、絞るようにうんと頷いた。

 そして淡々と語り出す。

「……その国の領主には一人の息子がいました。彼は貧しい領主の生活ながらも健やかに育ち、物心が付く頃にはもう、立派な騎士を目指して剣を振るっていました。そして年に一度の国を上げての精霊祭の夜ことでした。祭りの夜の空に突然、大きな穴が現れました。そこから現れたのは……異形の魔物たちでした」

 そこで言葉を区切る朋子。

 顔を真っ赤にし、思い出したくない記憶を掘り出しているようだった。

 直人はなんとなく、野暮を言えないでいる。

「祭りの賑やかな声は恐れおののく阿鼻叫喚の叫びに変わり、人々は逃げ惑いました。ですが魔物たちは圧倒的で、領民たちは次々に殺されて行きました…。無論、エルリードの領主は配下の騎士団を率いて勇敢に戦いましたが…多勢に無勢、皆無残に食い殺されてしまいました。……小領邦国エルリードは魔王の侵攻から一刻と持たず、滅んでしまったのです…」

 まるで目の前の出来事のように悔しそうにする朋子。

 そんな彼女のあまりの真剣さに、直人は唾をのみ込む。

「そんな中、領主の息子は命からがら、なにか導かれるように精霊の洞窟へと逃げ込みました。そこは人々が聖域と信仰していた場所で、立ち入るのは禁忌とされていた洞窟でした。そこで彼は、自分の無力さを嘆き独り泣いていましたが、……彼女が、精霊様が顕現けんげんなさいました。精霊様は恐るべき魔王の侵攻が始まったことを彼に伝えると、驚くべき奇跡の力を用い雷霆らいていの化身を出現させました。それが……聖剣カリバーン」

「聖剣カリバーン…」

 その名に何か訊き覚えがあるのか、唸る直人。

「彼は……その剣を胸に、ある決意をしました。父の仇を、皆の仇を、そして魔王を討つと!」

 語気を強めた朋子は手に持っていた獲物(穂先が立てかけた重みで、にょろっと曲がった箒)を不意に構える。

 その朋子の鬼気迫る表情に、直人は電撃的に記憶が蘇る。

 それはギガソルド城にて常闇の間とこやみ  まの扉を打ち破り、飛び込んできた男の表情とそっくりだったのだ。

 ……たしか奴は、その時、

「……エルフィン」

 不意に言葉が漏れる直人。

「そう。……我が名はエルフィン・エルリード! アルフォンス・エルリード辺境伯が一人息子。そして精霊の加護を受けし、聖剣カリバーンを手にする者!」

「なぜ、貴様がここに!?」

 思わず後ろに飛びずさる直人。そして不注意で机に腰骨をぶつけ、痛みで悶えそうになる。が、空気的に我慢する。

「…知れたこと。貴様を生かして置く訳にはいかぬ! この世界でも討ち果たされよ! 魔王ギガソルドぉ!」

「ほざけ、小童!」

 東京都調布市都立多摩川高校、一年一組の教室。

 張りつめた空気の中、そこに残るは、互いの表情をきつくする魔王と勇者の転生者。

 しかし、彼らはもう一人の存在に気付かなかった。

 今日の仕事を少し一段落させ、あのクラス委員二人がちゃんと掃除をしているか気になり、様子を見に来た担任の和歌月千夏が、教室の扉から顔を覗かせていることに。

 そして、あまりの予想斜め上の展開に、あんぐりと口を開け半ば呆れ返った視線を問題児二人に向けていることにも。

 テンションの上がった男子高校生と女子高生は、気付くことはなかった。

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