真夏の夜の現場不在証明

葛西京介

真夏の夜の現場不在証明

 7月も終わろうかというある暑い日の昼下がり、私は友人・小木おぎゆず(ペンネーム)の仕事を彼のアパートの部屋で手伝っていた。友人はミステリ作家を標榜しているが、30歳にして大したヒット作もなく、バイトで食いつなぐ典型的な売れない物書きだ。ちなみに私のバイト代の稼ぎの方が多い。

 そこへ探偵のさと義助よしすけ氏がやって来た。友人の大学の先輩で、個人探偵ではなく中規模の探偵事務所に所属していて、主に素行調査に携わっている。友人のところへしばしば相談に来るのだが、それがなぜか決まって私がいるときだった。しかも一度も手土産を持って来たことがない。

「今日はちょっとアリバイ崩しを手伝って欲しいんや」

 そしてこれだ。プロの探偵がそんなことでいいのだろうか。

「新聞に載った事件ですか?」友人が目の色を変えて訊く。

「載ってない。大した事件やない。でも警察もちゃんと調べてる。盗難でな」

 詳しい背景は省略する、と安里氏は言いつつ、関係する三人の登場人物について話してくれた。男X、男Y、女W。女はwomanだからWなのではなく、二股がけしているからWだそうだが、そんなのはどうでもいいのに。

「Wは元々Yの愛人やったけど、Xとも付き合い始めたんで、YはXの弱みを握って別れさせようと、我々に調査を依頼した。調査はうまくいっていろんなネタを掴んで、その証拠の品々を報告書と一緒にYに渡したんやけど、間抜けなことにYはマンションの部屋からそれを根こそぎ盗まれてしもたんや」

 調査報告書だけならもう一度出せるが、証拠の品々の中には原本しかないものがいくつか含まれていて、それが特に重要なのだという。詳しく言えないらしいのだが、別に聞かなくてもいいことだろう。

「Xが盗みに入ったという証拠はあるんですか?」友人が尋ねる。

「Yが警察から聞いた情報やけど、マンションの防犯カメラにそれっぽい男が映ってたらしいねん。マンションの玄関を入るところと出るところ。Xは大柄で、結構特徴のある身体つきなんや。顔は帽子とサングラスで隠しとったけどな。他に怪しい人物は映ってない。ところがその時間、XとWは天保山の花火大会を見に、この近くへ来てたっちゅうアリバイがあるんや」

 天保山花火大会は今年(2020年)の新型コロナウィルスの流行にもかかわらず開催された希有な花火大会で、海上の船から打ち上げるのが特徴だ。数日前、私も友人とこのアパートの窓から見た。もっとも、他の高層マンションの隙間からちょっと見えただけだけど。

「XとWがそこへ来てたという証拠は?」

「スマホのGPSデータ。しかも、マンションに盗みに入ったと思われる時間に、XはYに電話をかけてるんや。Yはその時、休日出勤で会社へ行っとったんやけどな」

「花火やってるような遅い時間に、大変ですねえ」

「しゃあないわな、今年の春は新型コロナで営業時間短縮しとった会社がようけあるから、代わりに今働かんと」

 XとYは、Wを挟んで仲違いしているものだから、電話をかけるときにはお互い内容をスマホで録音するらしい。安里氏はYからその音声データを預かってきたとのこと。

「そこにアリバイ崩しの根拠になるような音が録音されてへんか、一緒に聞いてくれへんかな」

 もちろん安里氏は自分で何度か聞いた後で依頼に来たのだろう。私はそう信じているのだが、調査情報を一般人に漏らしていいのだろうか。コンプライアンスの欠片もない。

「GPS情報が天保山を指してて、そこから電話してたっちゅうんなら、アリバイはほぼ完璧ですやん。それをどうやって崩すんです?」

「スマホを天保山付近に残したまま、別の場所から電話かける方法があるんや。昔の推理小説の応用やけどな」

 安里氏が説明した方法は以下のとおり。

 まず準備として、スマホを3台用意する。XもWもスマホを持っているから、もう1台をどこかから借りてくればよい。この3台をXのスマホ=A、Wのスマホ=B、借りてきたスマホ=Cとしよう。

 WにスマホAとBを持たせて天保山に残し、XはスマホCを持ってYのマンションへ行く。マンションは意外に近く、大阪環状線の弁天町駅の近く。天保山からは4キロほど。

 XはYの部屋の中へ入り、証拠の品々を探して盗む。Yはそれら自室の鍵のかからない机の抽斗に入れていたらしい。ちなみにYの部屋の鍵はWが預かっていたものを使ったのだろうと思われ、Yはかなりの迂闊者のようだ。

 Xはすぐには逃げず、部屋にいたまま、スマホCからWの持つスマホBに電話をかける。Wは電話を受けたらスマホAからYへかける。そしてWはスマホBとAを上下逆向きにくっつける。すなわち互いのマイクとスピーカーを対向させる。昔の推理小説ではここが固定電話だったらしい。

 これで「スマホC⇔スマホB・A⇔Yのスマホ」とつながるため、XとYの会話ができるわけだ。しかもXが天保山にいると見せかけたまま。

「ほう、考えましたねえ。しかもスマホAからWの声や周囲の雑踏の音が入るから、それっぽく聞こえるわけですね」

 友人が感心している。きっと次の作品のネタに使うことだろう。

「そや。ただ、周りの声がうるさすぎると敵わんから、ちょっと陰に隠れたところから電話したってXは言うてたけどな。でも、花火の音とかもちゃんと入ってるし」

「やり方はわかったけど、そのとおりにした証拠がないっちゅうわけですね」

「そや。だから、入ってへんはずの音が入ってるのを探したい」

「マンションの部屋から電話してたら声の反響が違うから、何となくわかるんやないですか」

「たぶん、窓を開けて電話したんやないかな。そうしたら反響しない。ちょうどそのマンションからも、花火が見えるんや。上がるタイミングに合わせて話ができるし、都合がいい」

「弁天町駅の近くやから、JRの音とかは入ってないんですか」

「それは一応注意して聞いたんやけど、窓が線路と逆向きで、そういう音は入ってえへんみたいや」

「USJの音……はちょっと遠いか。阪神高速の車の音とかも無理でしょうね。ちょうどその時間にパトカーとか救急車とか通ったりしてなかったんですか? 花火の時にはたまにあるやないですか、気分が悪うなる人が出るとか」

「調べたけど、その日の出動はなかったみたいやな。ついでに言うと消防車の音もなかった」

「逆のパターン、つまり入ってるはずの音が入ってないとかは……ないんか。スマホAが全部音を拾うはずやから。そういえば何かのテレビミステリで、時計のチャイムの音が入ってるはずやのに入ってなかったっていうのがありましたね。何やったかな」

 私は何の作品か憶えているけど、敢えて言わないでおく。

 とりあえず1回聞こう、ということで、音声データの入ったUSBを友人のPCに挿し、再生してみた。会話の内容はほぼ喧嘩なのだが、二人とも「大人らしく」それなりに静かな口調で話し合っている。大阪人らしくない。

 会話は10分ほどにも及んだが、途中で花火の音が消えた。友人も気付いたらしく、再生が終わった後で「花火のちょうど終わり頃やったんですか」と安里氏に尋ねた。

「そうらしい。Xは花火が終わる時間に電話することになってたそうやけど、花火の方が予定より5分ほど遅れて始まったから、終わるのも遅れたみたいや。待たしたらYが嫌味言うかもしれんと思ったから、Xは約束どおりの時間に電話したんやて」

「最後の一番派手な連発が見所やのに」

 スターマインと言えばいいのに。100発くらいババババと連続で上げた後で、最後に3発、ドン、ドン、ドーンと上げて終わり。空が真っ赤になって、アパートの壁も震えた。その音は今の録音データにもちゃんと入っていた。

 念のためもう一度聞く。Yのマンションの隣の部屋の人もベランダから見てたかもしれないから、その声が入っているかも、と思ったが、天保山の歓声に紛れてしまっている。テレビドラマの科捜研ならわかるかもしれないけど、実際はたぶん無理。

「もう一回聞かせて下さい。ところで、Wの声って入ってました?」友人が粘る。

「ほとんど入ってなかったな。最後のドンドンドーンの時に、『わあ、すごい』て言うたくらいちゃうか」

 もう一度聞く。安里氏の言ったとおり、ドンドンドーンの後にWさんと思われる、ちょっと気の抜けたような声が入っている。大人の女性の反応とは思われへんけど、何歳なんやろ。

「壁叩く音とか入ってないんかなあ」

「花火見て壁は叩かんやろ」

「あのー、すいません、花火の終わり頃から、もう一度聞かせてもらえませんか?」

 二人の会話に割り込んで私が言うと、二人が私の顔を見た。

「なんか変な音入ってた?」友人が言う。どうしてそんな不満そうな目をするのだろう。

「いえ、花火の音が何となく気になって。ついでに、音大きくしてもらえます?」

 友人に言うと、PCの音量を上げて、途中から再生を始めた。ドンドンドーンが終わってもX氏はしゃべり続けている。

「何の音が入ってるの?」

「しー! もうちょっとしたら聞こえる」

 花火が終わったため、周りの観衆の声や雑踏の音が少し大きくなったが、それでも聞こえた。花火の音が。

「聞こえたやんな?」再生を止めてもらって、二人に訊く。

「何が?」

「花火の音。マンションって4キロ離れてるんやろ? 音速は秒速340メートルか350メートルくらいやから、11秒か12秒くらい遅れて聞こえるんちゃうの、小さい音で」

「あー!」

 二人が揃って声を上げた。もう一度聞く。花火終了の約12秒後、Xの声と雑音の合間に、ドンドンドーンの小さくなった音がかろうじて聞こえた。

「素晴らしい。ありがとう。完璧。急いで報告せな。ほな、またな」

「あっ、ちょっと待って下さい」

 USBを受け取って帰りかけた安里氏に向かって私は言った。

「何?」

「アリバイ崩し代、5千円下さい」

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