その2
彼は少年刑務所を出所後、保護司の紹介で自動車修理工場で働く傍ら、ある文化センターにあった、
『小説教室』に通い始めた。
勉強は好きではなかったものの、小説は昔から好きで、色々なものを読んだり、自分でも書いたりしていた。
それに磨きをかけて、出来れば『プロの作家として立つ』という決意を心の中に秘めていた。
講師は、幾つかの文学賞を受賞した女流作家で、
『読ませる』作品を書くことで有名な人だった。
最初の講義で、彼女は初歩の文章作法や、自分の経歴について話した後、最後に、
”誰か作品を書いた人がいたら持ってきてください。”
そう受講生達に言った。
どうしようかと迷ったが、思い切って書いてみることにした。勿論自信などまるでない。今まではただ好きだから書いていたに過ぎなかったのだから。
幸い次の日は仕事が休みだったので、一日がかりで、四百字詰め原稿用紙二十枚ほどの短編小説を書き上げた。自分の体験を元にした作品である。
次の講義の時、彼はそれを講師に手渡した。
彼女は銀縁の眼鏡を上げて、原稿用紙と自分の顔を見比べたが、さほど関心も示さなかった。
しかし、彼にとっての修羅場は次の講義だった。
彼の外にも原稿を提出した生徒は数名いたのだが、そちらの評価はおおむね『まあ、良く書けていますね』という程度のものだったが、彼の原稿に移った時、のっけに女史が口にしたのは、
『これは小説とは呼びません』だった。
その上で彼女は文章や用語の使い方の間違いをいちいち細かく指摘した。
負けん気の強い彼も、この日の彼女の言葉には打ちのめされた。だが、それだけで終わりたくない。
悔しくてたまらなかったが、講義が終わって帰宅してから、また必死になって書き始めた。
そして、次の講義の日、また原稿を持って行った。
翌週(講義は週に一度だけである)、また講評があったが、彼女の口からはやはり辛辣な言葉しか返ってこない。
用語の間違いや文法の使い方を指摘されるならまだしも、
『意味が分からない』
『主人公の行動が出鱈目』
『これでは読者を惹きつけられない』
そんな言葉が続いた。
一対一ならまだしも、他の受講生もいる中で、これほど叩かれては、幾ら彼でも我慢の限界というものがある。
彼はそこで彼女に向かって、
『ふざけるな!』とやり返した。
『こっちが下手に出てりゃいい気になりやがって!もうこんなところ辞めてやらあ!』
そう啖呵を切って教室を飛び出してしまった。
まあ、所詮はカルチャーセンターに毛が生えたようなものであるから、別に辞めたって特に困るようなことはなかった。
それからというもの、彼は暫くの間悔しくて何もする気にならなかったが、
”もっといいものを書いて、あの女を見返してやる”とばかりに、兎に角書きまくった。
そして、出来上がったものを持って、あっちの出版社、こっちの編集部と、時間の許す限り持ち込みをして回った。
反応はどこも似たようなものであったが、それでも彼女にあれだけの罵声を浴びせられ続けたこともあって、何を言われても一向に気にならなくなっていた。
そのうちに、あるマイナーな雑誌を出版している編集部で、彼の体験を元にした短編の冒険小説が編集者の目に留まり、その雑誌が主催していた新人賞に応募、入賞とはいかなかったものの、佳作に入選し、それを弾みにその雑誌で連載が決まり、また他の雑誌からも仕事が来るようになり、そして今に至っているという訳だ。
『で?俺に彼女の行方を探し出して貰ってどうするつもりなんだね?まさか復讐の手伝いをさせようというんじゃなかろうな?』
彼は二杯目のコーラを飲み干し、大きく首を振った。
『違いますよ。ただ逢って礼が言いたい。本当にそれだけなんです』
『彼女は今、作家としての活動は殆どしていないそうです。二年ほど前から新作も発表していません。知り合いの編集者に聞いたのですが、どこで何をしているか、それすらはっきりしていないそうです』
で、どうしたって?
引き受けたのさ。俺も人がいいからな。
確かに隆介が言ったように、彼女・・・・名前を大林五月という・・・・は、確かに今ではもう作家としては『忘れられた存在』になっていて、普通の書店はおろか、古書店にだって著作が見かけないほどだ。
どうやって探すか・・・・まあ、やってみるしかあるまい。
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