〜最終章〜


 季節は冬になり、受験は佳境に入る。この時期からもうほとんどの人は勉強にすべてをささげる。自分の進路実現のために。俺はというと、純恋さんとの約束はちゃんと守って、毎日欠かさずお見舞いに来ている。というより行かないと俺自身気が済まない。そしてそれと同時に毎日、どうすれば純恋さんに思いを伝えられるか迷う毎日だった。勉強面では、ようやく模試A判定とかなり成長が見受けられているが、恋愛面は停滞気味だった。

 そして、冬休みのある日の夕方、俺はいつも通り純恋さんのお見舞いに来ている。病室に入ると純恋さんが笑顔を俺に向ける。

「遅いよ!」

「いつ来るとは言ってませんよ。」

 ちなみに俺は今日は十時に起きた。そして病室の時計を見ると18:45と表示されていた。俺は、パイプ椅子を持ってきて座り、その隣に荷物を置く。

「それより、今日は何の日か知ってる?」

「え、分かりません。」

 なにか特別な日ではないはず。クリスマスでもないのに。

「もー、忘れたの?」

 不満そうに言う。わからないものはしょうがない。

「はい。何ですか?」

「私と涼太くんが初めて会った日でしょ。それくらい覚えといてよね。」

 少しすねたような言い方だった。というかそんなことはどうでもいいし、正直あの時はあんまり思い出したくはない。

「あ、はい。」

「ほんと、涼太くんのばか。」

 不器用に微笑む。なんか幼くて可愛らしかった。

「覚えてる?出会ってしょっぱな涼太くんってば、私に怒鳴ったでしょ?」

 純恋さんは可笑しそうに言う。俺はその時の光景が思い浮かんだ。たしかあの時は俺が純恋さんをよく思ってないのに、姉にどうとか言われたことに俺は切れた。よく考えれば生まれてあそこまで怒ったことはほとんどない。

「そうですね。」

「あれはほんとにびっくりしたよ。ため口でうわぁーって叫んでたね。」

「やめてください。」

 今となっては軽いことだが、あの時はほんとに大変だった。

「ほんと、人って変わるもんだよね。」

「そうですね。」

 なんだか馬鹿にされてるようで少しむっとなる。

「今じゃ私がいないと寂しいでしょ?」

 少し誇らしげな笑顔で言う。悔しいが事実、否定ができない。

「それは、どうでしょう。」

「否定しないってことは、やっぱ図星なんだー。もう、涼太くんは素直じゃないな。」

 ニヤニヤしながら純恋さんは俺の頬を指でツンツンしてきた。事実だからなにも言い返せない。でも、心のどこかで嬉しさはあった。ほんとに俺は変わってしまった。

「やめてください。」

「なに?照れてんの?よーしもっとしてやる!」

 そう言って今度は両手で俺の両方の頬をつまんできた。俺は動揺を隠すのに必死だった。

「なんですか?」

「涼太くんのほっぺもちもちしてて気持ちいい!」

 子供みたいな笑顔で、俺の頬をつまみ続ける。

「そうですか。」

「顔赤くしちゃってー、嬉しいんでしょ?」

 そう言って、さらに強くつまんできた。もう痛いレベルだ。

「痛いです。」

「あぁごめんごめん。」

 ようやく純恋さんは手を放してくれた。

「僕、今から勉強します。」

「オッケー!」

 俺はバッグから教材を取り出し、それを純恋さんに手渡す。そして純恋さんは教材に沿って俺に問題を出してくれる。ただ出してるだけでなく、途中で教材にはないような豆知識も教えてくれたり、いろいろ形式を変えたりしてくれて、飽きなかった。俺的には勉強にもなるし、純恋さん的には暇つぶしになるので一石二鳥だ。

 しばらくすると、病室にノックの音が転がり込む。

「はーい!」

 純恋さんは陽気な声で返事をする。そして扉が開くと、看護師の人が昼食を持っていた。この人は純恋さんの担当の看護師で、毎日来てるためある程度面識もあるし、何度か話もしたことがある。俺は軽くその看護師の人に会釈する。

「夕食ですよ。」

 その人はそう言って、ベッドのテーブルの上にそれをおいた。

「どうも!」

 純恋さんは教材片手に笑顔を向ける。すると看護師さんは微笑むと、

「なんか、ここだけ病院にいる感覚がなくなるんですよね。」

 俺は、言葉の意味が分からない。

「どういうことですか?」

 と同時に純恋さんも不思議そうに首をかしげている。

「だって、お二人とも付き合いたてのカップルみたいですよ。」

「へ!?」

 俺は思わずびっくりしてしまった。

「ふふふ、他の看護師の方もここの近くを通るとお二人の楽しそうな会話が聞こえて心が温まるって言ってますよ。」

「えぇ、まじですか。」

 驚きはしたが、今の自分の状態と、純恋さんのことを合算すればある程度納得はできた。

「ありがとうございます!」

 そんな俺に対し、素直に喜ぶ純恋さん。なんだか見てて恥ずかしい。

「それじゃあ失礼します。」

 看護師さんは俺たちに頭を下げ、病室を後にする。俺は軽く頭を下げた。そして純恋さんは昼食を食べ始める。

「何とも言えない感じですね。」

「そう?私は全然いいと思う!」

 どういう意味でいいのかがあまり察しがつかない。

「そう、ですか。」

「そういえば、夜ごはんどうするの?」

 言われてみれば俺は何も持ってきてなかった。でも正直わざわざこの寒い中外に行くほど俺はお腹はすいてなかった。

「大丈夫です、別に家帰ったら食べれるので。」

「いいの?」

「はい。」

「少し分けてあげよっか?」

 そう言って純恋さんは持っていた器を俺に近づける。

「いいですよ、ちゃんと食べないとだめです。」

「説得力無いね。」

 確かにごもっともだ。発言が一瞬で往復してしまったようだ。

「僕は良いんですよ。」

「なにそれ?ていうか食べ終わったら病院内散歩しよ!」

 突然の提案に戸惑う。

「大丈夫ですか?体調は。」

「大丈夫!体動かさないと落ち着かないからね。」

 そう言って純恋さんは食べるスピードを速める。俺はその間、英単語帳を見ることにする。

 やはり病院の食事は、純恋さんのような若者にとっては量がかなり少ないのだろうか、あっという間に純恋さんは食べ終わってしまった。

「それじゃあ行こう!」

 そう言ってベッドから降りて、スリッパをはく。

「わかりました。」

 俺も椅子から立ち上がる。そして俺たちは病室を出る。もちろん純恋さんは俺の手を握ってべったりだった。ここはかなり大きい病院なので、廊下には看護師や老若男女問わずたくさんの患者を見かけるので、視線が気になってしょうがない。

「あの、ここで手は握らないほうがよくないですか?」

 すると純恋さんは俺に不満そうな顔を向ける。

「なんで?こういう時にしか会えないのに。」

 俺との時間を貴重に思ってくれてるのは嬉しいが、流石に恥ずかしい。

「それはそうですけど。」

 歩きながら口論みたいなことしてると、前から純恋さんの担当看護師さんが歩いてきた。こんなとこ見られたら誤解されてもおかしくない。

「あらあら、お散歩デートですか?」

 看護師さんは笑っていた。

「いや、あの、それは…」

 おどおどしていると純恋さんは、

「はい!」

 と声高らかに言う。もう半分そんな感じな気がしてきて否定できなくなる。

「お二人ともここは病院ですよ。」

 注意というよりは、からかってるような感じだった。

「あ、はい。」

「どうも!」

 素直に喜ぶ純恋さん。どういう意味の喜びなのか少し考えてしまう。それから再び俺たちは歩き出す。やっぱり純恋さんは離れないままだった。

「ねぇ見て!夜空が綺麗!」

 するといきなり純恋さんは足を止め、窓の外を指さす。俺もそれにつられ、窓の外を眺めると雲一つない夜空に星が無数に広がっていた。

「綺麗、ですね。」

「外行きたいな。」

 割と本気でそう言っていたが、恰好はかなり薄着って感じだし、風邪ひかれると困るので、俺は止めることにする。

「ダメです、その恰好だと風邪ひきます。」

「いいの、私は強いから!」

「ダメです。いろんな人に迷惑がかかるかもしれませんので。」

 といったものの、本心は純恋さんにはずっと元気でいてほしかった。

「むー、ケチ。」

 ほっぺを膨らませる。

「体調が心配なんですよ。これでも気は使ってるんですよ。」

「えへへ、ありがとう!」

 そう言って俺の手をさらに強く握ってきた。

「もう少し、良く見えるところ探しますか?」

「うん!」

 それから俺たちは、夜景がよく見える場所探しを始めた。特に意味のない散歩のはずだったのに。しかもこの階だけでなく、他の階まで移動して探していた。結局行きついた場所はロビーだった。大きなガラスの壁からは、壮大な夜景が広がっていた。建物の明かりと星の輝きがこの世界を光らせていた。

「うわぁ!すごい神秘的!」

「そうですね。」

 言葉を失うほどの夜景に見とれてしまう。

「冬って、人肌が恋しくならない?」

「あまりそう思ったことはないですね。」

 今までは単純に人に興味がないからだったが、今は違う。俺には純恋さんがいてくれる、そんな安心感が俺のなかにあるからだ。

「涼太くんって一匹狼みたいだよね。」

「それを言われたのは初めてです。」

「だって、涼太くんって最初の雰囲気とかはチクチクしてて怖そうだけど、こうやって仲良くなると心開いて優しくしてくれるじゃん。」

 よくよく考えると、俺が特定の人ばかり仲いいのはこういうことなのかもしれない。自分でも自覚はなかったが。ていうか、俺は最初は純恋さんから怖がられていたことを初めて知った。

「そう、ですか。」

「まぁ対応は冷たいところはあるけど、涼太くんなりに頑張ってるんだなって伝わってくる。和樹くんや翼くんは涼太くんのそういうところをわかってるからこそ仲良いのだと思う。」

 なんだか純恋さんは、俺が思ってる以上に大人なのかもしれない。モテる所以は容姿だけじゃなく、この人のすべてなんだと確信した。

「そうなんですかね。」

「私の単なる予想だから、それは定かじゃないけどね。」

「そうですか。」

 こんなこと、親父にも実母にも言われたことがないし、俺自身もそんなことは思ってなかった。いい意味で言ってきたのか悪い意味で言ってきたのかはわからない。でも、俺のことをここまで見てくれているというのは純粋にうれしかった。

「ねぇ?」

 すると純恋さんは急に小声になる。

「なんですか…って、え!?」

 急に純恋さんは、俺の両肩をつかんで、無理やり向かい合わせてきた。

「私、今とっても幸せ!病気なんて忘れちゃうぐらい。」

 俺は純恋さんの方を見ると、彼女の顔は赤くなっていて、表情は幸せの感情をそのまま描いたようなものだった。

「それは、良かったです。」

「私が退院して、涼太くんが入試終わったらまたいっぱい遊んでね!」

 このピュアな笑顔を俺はずっと守りたいと心から思ってしまった。

「わかりました。」

「約束だよ!」

 そう言って純恋さんは、俺を強く抱きしめる。

「はい。」

 それから俺たちは、しばらく抱き合い、その後は話しながら星空を眺めていた。傍から見れば完全にいちゃついてるバカップルみたいだが、今の俺はそんなこと気にしなかった。俺自身も幸せだったからだ。

 病室に戻り、俺たちは再び勉強を再開しようとしたが時間が迫っていたため残りの時間は話でもして過ごすことにする。

「体動かすっていいね!」

 そう言って、純恋さんはベッドに戻る。

「そうですね。」

「早く退院して、涼太くんにいっぱいちょっかい掛けたい!」

 満面の笑みで言う。いつものニヤニヤした感じではなく。

「もう今もたくさんかけてますよ。」

「こんなんじゃ足りないから!」

 誇らしげに言う純恋さん。この人と大学生活が送れたらどれだけいいことか、そんなことを考えさせられる。

「そうですか。」

「相変わらずの冷たさ、涼太くんらしいね。」

 さっきとは変わって今度は大人の笑みを浮かべる。

「あぁ、はい。」

言い方的に皮肉ではないとわかってはいたものの、やはり返答には困る。

「もー、そんな申し訳なさそうな顔しない!」

 すると純恋さんは、ほっぺを膨らませ身を乗り出して、両手で俺の両頬をつまんできた。

「いたたた、痛いです。」

「反省すべし!」

「ごめんなさい。ていうか触りたいだけですよね?」

「あー、私に逆らうつもりなんだね。それじゃあ…」

 いきなりニヤニヤしだす。

「え?」

「頬ずりの刑だ!」

そして純恋さんは俺の頬に自分の頬をくっつけてスリスリし始める。純恋さんの肌は見た目通り、柔らかくもちもちしていた。

「ちょっ、何してるんですか?」

「涼太くんに罰を与えてるの。私に逆らった。」

「罰って…」

「このほっぺ好きー!」

 もう完全に自分がしたいだけだ。心の声だだ漏れだったがあえて言わなかった。

「そうですか。」

「こんなこと、去年の今の涼太くんにしたらどうなるだろう?」

「軽々しく言わないでください。」

 想像したくもない。あんな心境でこんな事されたら怒鳴るだけでなく、下手すりゃ手を出してたかもしれない。これ以上考えると顔に出そうだ。

「過去のことなんだし、気にしない!」

「気になりますよ。」

「どうかな?反省したかな?」

「はい。」

「よろしい。」

 そう言って純恋さんは俺の頬から離れてくれた。

「柔らかいほっぺっていいね!」

「自分の触ったらいいじゃないですか。」

「もー、わかってないな。こういうのは他人のほっぺだからこそなんだよ。」

 そう言ってまた顔を近づけてきた。

「そうですか。」

「そういうこと!涼太くん現に少し嬉しそう!」

「いや、そんなこと…」

 そう言いながら自分の頬に手を当てる。するとなぜだろう、いつもより熱を帯びていることが分かった。しかし赤面してると馬鹿にされてないあたり、顔には出てないようだ。

「どう?少し熱くなってるでしょ?」

 真面目な顔で言っている。でたらめではなく本気で言っているようだ。

「あ、はい。」

「やっぱり!」

「どうしてわかったんですか?」

「女の感ってやつ!」

「何ですかそれ。ほんとのこと教えてくださいよ。」

「だーめ!」

「そう言うってことは、女の感っていうのは嘘っていうことになりますね。」

「あっ、いやそれはねあの、あれだよ、あの、えっと…」

 急に純恋さんは早口になる。慌てる姿も俺にはめちゃくちゃ可愛く見えた。

「引っ掛かりましたね。」

「ふんっ!いじわる!」

 そう言って純恋さんはそっぽを向く。俺はこの後どうするのか気になって黙ってることにした。すると十秒ちょっとしたところで、

「もー!そこは寄り添うところでしょ!」

 何となく想像してたが、もう少し粘ってほしかった。しかしそれはそれで面白かった。俺は少し笑いがこみあげてしまった。

「ふっ、もう少し斜め上のことしてほしかったです。」

「え!?涼太くん!?今、笑ったよね!?」

 いきなり純恋さんは大きな瞳をさらに見開いて、俺に顔を近づけてくる。

「はい、そうですけど?」

「初めて笑った!涼太くんの笑ったところ初めて見れた!」 

 ほしかったものを買ってもらった子供みたいに喜ぶ。思えば俺は純恋さんに対して笑ったことはなかった。

「確かにそうですね。」

「ねぇ!もう一回笑って!」

「いやですよ。というか、もう帰らないといけないですし。」

 病室の時計は20:20と表示されていた。俺は椅子から立ち上がろうとすると、

「ねぇお願い!一回だけ!」

 そいって俺の手首をつかむ。

「じゃあ、僕の言うこと一つだけ聞いてくれたらいいですよ。」

「わかった!」

「いいんですね?拒否権はないですからね。」

「うん!」

「手を放してください。」

「もー!ずるい!」

「ほら、拒否権ないって言いましたよね?」

「むー!」

 ほっぺを膨らませながら俺の手を放す。俺は椅子をたたみ、荷物をもって病室を出ようとする。

「ねぇ!帰ったらダメ!ちゃんと約束守ったじゃん!」

「僕はいつするとは言ってませんからね。」

「もー!涼太くんなんか嫌い!」

「嫌いな人がお見舞いなんて来たら迷惑ですよね?じゃあ明日から来ません。」

 そう言って俺は病室の扉を開ける。

「あ!嘘だってば!嫌いじゃない!」

「冗談です。面白いもの見れました。」

「明日、絶対やり返してやる!」

「期待してます。それでは失礼します。」

 俺は病室を出る。そして俺は病室の扉を閉め、そこになんかかる。やはり今日も伝えられなかった。

「くそ、何やってんだよ。」

 小声でそう呟き、俺は歩き出す。そして、ナースステーションにいる担当看護師さんに挨拶だけでもしとこうと、俺はナースステーションに行くと、すぐ近くにその人はいた。

「あの、僕はこの辺で。」

 俺は、頭を下げる。

「大切にしてくださいね。」

 すると看護師さんは突然変なことを言い出す。といっても純恋さんのことだってことぐらいはわかる。

「どういうことですか?」

「あの子、あなたがいる時といない時では全然違いますよ。」

「そうなんですか。」

「はい、検温や食事の関係で病室に行きますし、私と少し年が近いし、医療関係の勉強もしてるってことで少し話をすることはあるのですが、あなたがいないときの彼女はもう重症の患者さんみたいで、ぜんぜん笑いませんよ。」

 俺の知らなかった純恋さんの一面、俺は硬直してしまう。

「はい。」

「でも、あなたがいる時もう花が一気に咲いたかのように幸せそうになりますし、あなたが来るのが遅いとき私に『まだ来てませんか?』って聞いてくることもありますよ。」

「え…」

「だから、これはあまり声を大にしては言えないのですが、彼女に寄り添ってあげてください。これは担当医の先生や私にもできないことです。彼女の笑顔を守ってあげてください。」

 純恋さんに寄り添う、俺がいることで純恋さんは笑っていられる。

「純恋さんは、死にませんよね?」

 俺は怖くなって看護師さんに尋ねる。

「今のところは問題ないです。ただ、持病はいつどうなってもおかしくはないんです。なので、百パーセント大丈夫とは言い切れないです。」

「そうですか、ありがとうございます。」

 そして俺はエレベータに乗り下へ降りる。純恋さんに寄り添ってあげること。そうすれば純恋さんは笑ってくれる。しかしその笑顔は本当の辻元純恋の心からの笑顔なのか、もしそうだとすると、俺が純恋さんに思いを伝えることは正義なのか悪なのか俺にはわからなかった。ただ少し気がかりなことがある、あの時の看護師さんの言葉だ。

『持病はいつどうなってもおかしくはないんです。なので、百パーセント大丈夫とは言い切れないです。』

 言葉自体はなにもおかしくはない。ただあの言い方、俺の心の奥に呼びかけている、そんな感覚だった。

 そして冬休みに入る。結局思いは伝えられないままだった。このままだと、ほんとに試験後になるかもしれない。それだけは何とかして避けないといけない。そして俺はあの一件から、すこし早めに純恋さんの所へ行くようにしている。もちろん向こうでは演習系の勉強はできないので、朝は少し早めに起きて集中して勉強する。そして帰ってからも同じだ。

 ある日の昼すぎ、俺は純恋さんの病院に来ている。いつも通りエレベーターで純恋さんのいる階まで移動して、担当看護師さんに軽く挨拶して病室に向かう。このいつもの流れさえなんだか前と違うことをしてるみたいだった。病室の扉をノックすると、

「はーい!」

 いつも通りの陽気な返事が聞こえ、俺は病室に足を踏み入れ、椅子をいつもの定位置に開き、そこに座る。病室と外の温度差がすこし不快に感じた。

「寒かったでしょ?」

「はい。」

「最近、早く来てくれるよね!」

「まぁ、心配はしてますからね。」

「ほんとは、私に会いたくてしょうがないとか?」

 ニヤニヤしながら言ってくるが、全否定をすれば嘘になるのかもしれない。

「・・・・・・。」

「あれ?」

「すいません、ぼーっとしてて聞いてませんでした。」

「あー!今わざとそらしたでしょ?」

「なんのことですか?」

「ほんと、涼太くん生意気!」

 怒るどころか、もう笑顔がにじみ出ていた。

「顔、笑ってますよ。」

「怒りすぎで笑っちゃったのかもねぇ、誰かさんのせいで。」 

「そうですか。」

「それじゃあ、昼の散歩と行きましょう!」

 そう言って純恋さんは、ベッドの上に立ち上がる。

「ちょっと危ないですよ。」

「平気平気!」

 そしてさらに片足立ちをしだす。

「ほんとに駄目ですよ。」

「だいじょうぶ…っ!?うわぁ!」

 純恋さんはバランスを崩し、体は傾き始めた。

「危ない!」

 俺は急いで純恋さんの倒れてくる方向へ行き、純恋さんを受け止めた。純恋さんは軽かったので、特に巻き込まれることはなかった。しかし、体勢は俺が純恋さんを抱きとめる形になっていた。

「ごめんね、大丈夫?」

「僕は大丈夫です、ほんとに気を付けてくださいね。」

 俺は純恋さんをゆっくり床に立たす。

「ほら、スリッパはいて、行きますよ。」

 そう言って俺は先に病室を出る。

「あ、ちょっと!待って!」

 純恋さんは、慌てて俺を追いかけてきた。そして俺に追いついた段階で、今度は手を握るのではなく腕に抱き着いてきた。昼間からこれはさすがにきつい。

「昼間ですよ、せめて手だけに…」

「やだ!これがいいの!」

 俺の言葉を遮断するかのように断ってきた。

「もう、ここ病院ですよ。」

「そんなの関係ない!場所なんか気にしてたら一生彼女できないぞ。」

 彼女が欲しくない。この言葉、もうすでに俺は使えない状態だ。

「そうですね。」

「あれ?否定しないの?」

 ニヤニヤしながら俺の顔を覗き込む。

「まぁ、はい。」

「ついに涼太くんにも春が!」

「勝手に決められると困ります。」

「誰なのそのお相手さんは?」

「・・・・。」

「そらそうとしても無駄だから!いくらでも言及するよ。」

 いつかは言わないといけないことではある。しかしそれはいまではない。

「いつかは、言いますから。」

「何それ?」

「少なくとも、今年中には。」

「絶対だからね!」

「はい。」

 それから、病院内を二人で歩き回る。やはり視線が気になる。というか普通に見られまくって恥ずかしかった。ナースステーションとかは特にきつかった。看護師の人全員こっちを見て、ひそひそ話していた。もはや公開処刑だった。そして、しばらく歩いて俺たちは病室に戻る。なんだか今日はやけに純恋さんのスキンシップが激しい。

「ほんとに、時間と場所を考えてください。」

「いいもん!誰が何と言おうと私は私!」

「僕を巻き込んでますけどね。」

「まぁまぁそんなお堅いこと言わずに!」

 お堅いこと以前にこの人と俺のハードルを同じにしないでもらいたいものだ。

「はぁ。」

「あー!ため息ついた!」

「そりゃ出ますよ。」

「せっかく涼太くんが喜ぶかなぁって思ってしてあげたのにさ。」

「やけに上から目線なのが気になりますが。」

 喜ぶ喜ばないに関しては、答えなかった。また変なことを言われる気がしたからだ。

「だって私のほうが年上だし?」

「理由になりません。」

「理由になりますから。先輩の言うことは絶対なんだから。」

「僕そう言う先輩無理なんで。」

「むぅ!言ったな!」

「言いましたよ。それが何か?」

「ふっふっふ、私を甘く見たなぁ。」

「へ?」

「すぅー…」

 純恋さんは大きく息を吸う。俺は何をするのかわからなかった。

「何してるんですか?」

 その直後純恋さんは大声で、

「きゃー!涼太くんに胸触られたー!」

「え!?ちょっと!?なにして…」

「へへへ、これが私の力だ。」

 ニヤニヤしながらこっちを見る。

「それ笑えないやつですよ。ほんとにどうするんですか?」

「それは君の力に任せるよ。」

そうこうしてるうちに、病室の扉が開く。振り向くと純恋さんの担当看護師さんが来た。

「どうされました?」

「いや、なんか勝手に…」

 俺は必死で弁明する。ほんとに笑えないレベルで社会的に終わる。すると純恋さんは、

「涼太くんが、私の胸を…」

 泣きそうな顔を作ってそう言う。ほんとにやばい。そう思った瞬間。

「嘘はほどほどにしてください。」

 看護師さんは微笑んでいた。よかった、看護師さんが天使に見えた。

「ばれちゃいました?」

「ばればれですよ。」

 そして俺の方を向いて、

「大丈夫です、私の方でほかの看護師の方には話しておきますから。」

「ありがとうございます。」

「はい、では失礼します。」

 そして看護師さんは病室を出る。ほんとに助けられた。

「はぁ、なんてことするんですか?流石に限度がありますよ。」

「大丈夫!ちゃんと私なりに声は抑えたよ!」

「そういう問題じゃありません。もう、ここに来づらくなりますよ。」

「まぁまぁ、気にしないで。さっ!勉強始めよ!」

「するのは僕なんですけどね。」

 そう言って俺はバッグから教材を取り出す。そしてそれを純恋さんに手渡す。勉強では純恋さんは一切ふざけずに真面目に付き合ってくれた。

 そして夕方、純恋さんの夕食とともに勉強をいったん終える。純恋さんが食べ終わり、勉強を再開しようとしていた時、まさかあんなことになるなんて・・・。

「チャージ完了!」

「そうですか。」

「あのさ、私…」

「何ですか?」

 すこし照れくさそうな顔を浮かべていた。

「ずっと思ってたんだけどさ。」

「はい。」

「私たちが、姉弟じゃなくて、二人の男女として出会ってたら、どうなってただろうね。」

「わかりません。」

「きっと、もっといろんなことできてたのかもね。」

「どういうことですか?」

「だって、姉弟、私たちの場合は血縁関係は形だけ。だけど、形だけでも私たちの間には、姉弟としての障壁があると思うの。」

「それが、なに、か?」

「でもさ、仮にだけど、一方でもその障壁を破りたいって、関係を変えたいって思った時、それは、許されることなのかな。」

「てことは、それって…うわっ!?」

 すると純恋さんはベッドから立ち上がり俺を壁に押し付けてきた。そしてしばらくの沈黙の後、純恋さんは顔を上げた。

「ねぇ、もし私が涼太くんとの間にある、姉弟としての障壁を破りたいって言ったら、どうする?」

 そして純恋さんは顔を真っ赤に染めて目を閉じて、俺に唇を近づけてくる。鈍感な俺でもこれには確信が持てた。俺たちは両想いだった、そう確信できた。

「それは。」

 俺は、ゆっくり純恋さんの唇に自分の唇を近づける。俺の初恋は白だった。そう思っていた。しかし、次の瞬間。純恋さんの表情は急変。さっきまでの赤さは消え、いつものからかう時の顔になる。

「あはははは、もう!冗談だよ!涼太くんはやっぱり面白いね!」

「え?」

 さっきまでが嘘、ていうことは、俺は純恋さんに只の弟としてしか見られてない。俺は目の前が真っ暗になると同時に、偽りで俺の気持ちをもてあそばれた怒りがこみ上げる。

「ふざけるな…」

「え?どうしたの?」

 のんきに笑ってる純恋さん。もう我慢の限界だった。もうどうなってもいい、この怒りはぶつけないと気が済まない。

「ふざけんじゃねぇよ!」

 俺は思いっきり純恋さんをベッドに押し倒し。俺はそこに馬乗りになり、右手で両頬をつかみ、押さえつけ、左手で、両手の手首をもって、押さえつける。すると外で雷が光ると同時に、爆音が響き渡る。

「ちょっと、なに?」

「ひとの気持ちで遊ぶのもいい加減にしろ!」

「ちょっ、離して。」

 抵抗するが、俺の力に純恋さんが及ぶはずもない。

「はぁ…はぁ…」

 俺は怒鳴りすぎと力の入れすぎで息が切れるが、そんなことはどうでもいい。

「なんでそんなに怒ってるの?」

 人の気持ちもわからないこの能天気な発言。俺は思いっきり手首を握る。

「いたいよ!はなして!お願い!」

 無言で俺は純恋さんを抑える。

「ねぇ、ほんとにやめて!いたい!ねぇってば!」

「はぁ…はぁ…」

「いい加減にしてよ!ねぇ!」

「はぁ…はぁ…」

「・・・・・もう、やめてよ…」

 純恋さんの大きな瞳からは、涙がとめどなく流れていた。流石の俺も少しは冷静になり、手を離し、起き上がる。純恋さんは泣いていた。俺は荷物をもって病室の扉の前に立つ。

「もう、ここには来ません。さようなら。」

 そう言い残し、俺は病室を後にする。そしてナースステーションを通らないように俺は階段を使った。そしてロビーを速足で出た俺は、雨が降ってる中自転車を取って、家に帰った。

 家に着くころには俺はびしょ濡れになっていた。しかし俺はそんなことどうでもよかった。誰もいない真っ暗な家のあかりをつけ、俺は部屋に行った。そして俺は荷物を置くや否や机に座る。

「くそぉ、なんでだよ。期待させやがって。」

 初めて抱いた恋心、そしてそれを踏みにじられてしまった。俺はショックと怒りでいっぱいだった。

 この先のことは記憶にない。ただ予想としてはこの後寝てしまった気がする。

 純恋さんの所へ行かなくなって二日がたった、今日はクリスマス、と言っても受験生がそんなこと言ってる場合ではない。しかも俺は純恋さんとはもう会わないと決めた。ある程度の常識はわかる人だと思ってた。でもそれがあんな人だとは思わなかった。あの日以来純恋さんは俺にメールをしてきた。でも俺は見る気は全くない、だから昨日の夜、純恋さんをブロックした。そして俺は家から一歩も出てない。つまり実質的に俺は純恋さんとの直接的なコンタクトは取れなくなっている。完全に恋心は失せたのかと聞かれるとそれは違う。もし、今完全に純恋さんへの恋心が無かったら、俺は純恋さんをブロックしてないはず。かといって全く冷めてないわけではない。

 俺は、いつも通り机に座って勉強していた。すると俺の携帯が鳴りだす。ここ最近誰とも電話をしていない、携帯を手に取ると、優子さんからの着信だった。俺は、おそらく純恋さん関係のことなんだと思った。しかしさすがに優子さんにまでそうい対応をするわけにはいかなかった。俺は渋々電話に出る。

「もしもし。」

「涼太くん?あのね、実は純恋がね、あなたに会いたいって言ってるの。」

 やはり予想は的中だった。

「それがどうしたんですか?」

「少しだけでいいから、顔みせてくれないかな?あの子も、謝りたいって言ってるし、何か伝えたいことがあるらしいから。」

「僕は、もう会わないと決めてます。」

「そこをなんとか、あの子ずっと泣いてるの、ほら純恋、自分で言ってごらん。」

 どうやら、優子さんは純恋さんのお見舞いに来ているようだ。しかし俺は純恋さんと話す気はない。

「代わり次第切ります。話す気はありません。」

 俺は、はっきりとそう告げる。

「お願い、少しだけ、反応しなくてもいいから。」

「あまり怒りたくはないのですが、もう言います。あなたは、彼女が僕に何をしたかわかってるんですか?」

 とはいったものの、俺は優子さんには純恋さんへの恋心は明かしてない。

「じゃあ、せめてメールだけでも…」

「もうブロックしてます。」

 優子さんの言葉を遮断する。もう俺は、あの人とは関わらない。というより関わると恋心がまたもとに戻るそのことへの恐れもあった。そして優子さんからそれからしばらく反応がない。黙って待ってると、

「ねぇ涼太くん!ごめんなさい!私あのと…」

 純恋さんの声が聞こえたので俺は言った通り電話を切る。しかしこれは予想外すぎた、俺は何だか腹が立ち、携帯をベッドに投げつけた。もう叶わない。それなら忘れればいい。そう思って俺はこの方法をとった、しかし、

「なんで、今更おせぇよ。」

 もうすべてを知った今、謝られても許される世界ではなくなっている。俺は再び勉強を始める。怒りからか知らないが、やけに集中できていたようで、気付けば夕方になっていた。俺は少し休憩しようと、下へ降りた、親父や優子さんがいない間に、飯を済ませようとして俺は冷蔵庫から適当に余りものをレンジでチンする。幸い米は炊いてあったので、適当に茶碗に移す。そして俺は普段一人で飯を食べる時にはつけるはずのテレビもつけず、ただひたすら黙って食べる。すると、急に寒気がして、俺は前を向くと、そこには、俺をずっと見つめている純恋さんの残像が、見えた気がした。

「なんでだよ。忘れれねぇじゃねぇか。」

 俺は慌てるように下を向き、黙って食事を終える。それから食器を洗おうと流し台の前に立つ。その数秒後、玄関の扉が開く。

「ただいまー、あれ?だれもいねぇのか?」

 親父の声だった。珍しく定時退社できたようだ。しかし今更気付いたのだが、俺は台所の電気以外を付けていなかった。

「あれ?涼太、帰ってたのか。」

「あぁ。」

 俺は同時に、皿を洗い始める。

「純恋ちゃんが、お前が会いに来てくれなくて泣いてたぞ。」

 どいつもこいつも、俺があの人に何されたかも知らないくせによくそんなことが言えたもんだ。

「へー。」

 俺は反抗期の時のような返事をする。

「行かなくていいのか?」

「受験で忙しい。」

「そうか。でも少しだけでも顔見せてやってもいいと思うぞ。」

「移動時間の無駄。」

「お前、純恋ちゃんといる時嬉しそうだったじゃないか。」

 俺は、持っていた皿を落とす。そして無性に手に力が入る。

「うるせぇよ。」

「お前、最近おかしいぞ!」

 親父が声を荒げたのは久々だったので、わずかにびっくりしてしまった。

「・・・いつも通りだよ。」

 そう言って俺は、最後の食器を洗い始める。

「いつも通りじゃないから言ってるんだ!」

 俺はただでさえ離婚で、大事な母親を失っている。それなのにこんな偉そうにされて怒らないわけがない。俺は水道の水を止める。

「あんたに恋愛ごと語る資格とかないだろ!勝手に離婚しやがって!俺の気持ちなんて何にも聞いてくれなかったじゃないか!」

「そ、それは…」

「親父にしても、優子さんにしても、二人ともあの人にばかり同情して、俺の気持ちなんか、分かんないくせに!」

「それは、ちが…」

 親父は動揺していた、俺はさらに追い打ちをかける。

「言い訳なんか聞きたくない!この際はっきり言わせてもらおう!俺はほんとは母さんの所へ行きたかったんだ!」

「・・・」

「なんか言ってみろよ!」

「・・・すまん。」

 俺は、まだ片付いてない流し台を後にして、部屋に戻った。部屋に戻り俺はベッドに仰向けに寝転がる。俺だって、できることなら純恋さんといたい。でもあんなことがあった以上、俺はもうあの人とは関われない。もう、好きになってしまった時点で姉弟には戻れない。俺は、ベッドの布団を思いっきり握りしめる。

「俺の気持ち、どうしてくれんだよ。俺はあんたに好きにさせられた、それなのに無責任に踏みにじりやがって。」

 涙は出てこなかった。ただ怒りや悔しさ、その他諸々のマイナス感情が降り積もるだけだった。このままだとほんとに受験だけじゃない、私生活にも悪影響が出る。どうにかしようにも、俺には何もできない。嘘を貫き通した人間が、周りには何とも思われてなくても、自分の中では嘘をついたという真実が残り続けるように。

 俺は勉強を再開した。というより、気を紛らわすというほうが正確かもしれない。

「俺は受験生、恋愛なんてしてる暇じゃない。」

 そう自分に言い聞かせ続けた。でも心は晴れない。わかりきってることかもしれないが。でも、こうするしか方法がなかっただけだ。

 それから、夜に優子さんが帰ってきて俺は優子さんに呼び出された。要件はもちろん純恋さんのことだった。

「あのね、しつこいかもしれないけど、もう一回だけ純恋に会ってくれないかな?」

「無理です、何度言わせるんですか?」

「考え直してほしいの、話し合えばわかるはずだと思うから。」

「話し合う以前に、僕はもうあの人と会ってはいけないんです。」

「どうして?」

 俺は純恋さんの恋心は、和樹と翼以外には言わないつもりだったし、改めて自分の口に出すのは嫌だった。

「言う必要はありません。僕はあの人に遊ばれてたんです。そしてその末、僕の心を壊した。」

「涼太くんの気持ちはわかるけど、純恋は実は…」

「言い訳なんて聞きたくないです。とにかく僕は会う気はないです。」

「じゃあ、これ、純恋が渡してほしいって。」

 すると優子さんは、小さなボイスレコーダーを渡してきた。俺はそれを仕方なく開く。

「これは?」

「純恋が昨日、涼太くんにって、ボイスメッセージを残してたの。」

 俺は、画面に視線をやる。再生ボタンを押そうか一瞬躊躇したが、押す気にはなれなかった。

「聞きません。」

「お願い。これ、何十回も撮りなおしたの。」

「いやです。わかってないじゃないですか、僕がどうしてここまで怒ってるか。なので聞く気はありません。」

「じゃあ、これ、持ってて。気が向いたらでいいから。」

「はい。」

 そして俺は、ポケットに聞くつもりのないボイスレコーダーをしまう。一生聞かない、そのはずだった。

「それと、純恋の容態なんだけど。」

「はい。」

「実は、涼太くんが来なくなってから悪化してるの。」

 いつもなら俺は食いつくように質問していたが、今の俺にはどうでもよかった。

「そうですか。」

「いつ死ぬかわからない感じで。」

「それで僕に会いに来いと?」

「違うの、これは純恋には何も言われてないの、私が言ってる。」

「じゃあ、それ以外はあの人が言わせてたってことですね?」

「それは…」

「というか、無責任すぎますよ。さっきも言いましたが、僕はあの人に遊ばれ、その末あの人自身が壊したんです。」

「だから、それを純恋が…」

「いい加減にしてください。どうして自分の心を壊したような人に会わなきゃいけないんですか?自分の身内が殺されたとして、その殺人犯の心配なんかしますか?」

「それは違うけど。」

「それと同じです。では、僕は失礼します。」

 そして俺は再び部屋に戻る。ボイスレコーダーをポケットから取り出し、それを机の上に投げた、するとコントロールが悪く、バッグに入ってしまう。取り出すのがめんどくさく、俺はそのまま放置した。結局駄目なことに変わりはない。だから聞いたところで俺にはマイナスなだけだと思っていた。

 そして純恋さんと疎遠になって五日が経つ。毎日優子さんから純恋さんの容態の話をしてくるのが鬱陶しく感じる。俺は今日、和樹と勉強しに近くの図書館に来ている。翼は、どうやら成績の悪さを見かねた親が、監視してて外に出れないらしい。さすがにこんな時期に遊んでたらやばいどころでは済まない気がするからな。

「なぁ、お前なんで急に誘ってきたんだよ?」

 休憩室で昼飯を食べている途中、和樹が聞いてきた。

「特に理由はない。」

「お前、毎日純恋さんの所に行くって言ってただろ?」

「あぁそれなんだけど。」

 やはりいくら和樹であっても言いづらい。

「言ってみろよ。」

「簡単に言えば、もう、あの人とは会わないことにした。」

 この瞬間、空気が重くなるのを感じた。

「どうしてだよ?お前まだ何も言ってないだろ?」

 和樹の表情が少し険しくなる。どこか怒りを覚えてるようにも見えた。

「結局、俺とあの人はただの姉弟だったんだよ。でも、俺がこうなってる以上、もう戻れない。だから、関わることをやめたんだ。」

「お前、それは…」

「無理なんだ、あの人に彼氏ができたらとか、旦那さんができたらって、想像もしたくない。」

「だからって、おま…」

「勉強に戻るぞ、ここに来た目的が違う。」

 俺は会話を強制的に終わらせる。

「くっ、後でちゃんと話してもらうからな。」

 俺たちは再び勉強を再開する。しかし妙に気がかりだ、さっきの和樹の表情。なんだか、優子さんよりも熱意を感じた。好き嫌いだからではない。ほんとに中立的に考えてもそうだった。あいつは恋愛経験は俺の知る限りでは皆無だ。なのに、どうしてあんなに熱くなれるのか意味が分からない。何だかそう考えると、腹が立ってきた、何も知らない癖に。

 そして俺はそれから一度も休まずに勉強をつづけた。すると、和樹からメールが届く。

『もう帰ろうぜ』

 和樹が本当に送ったのかと疑ったが、俺は一応返事をする。

『分かった』

 そして俺は荷物をまとめて、図書館の外に出る。外は真っ暗なうえに雲がかかっていた、そして先に和樹は出ていたようだ。とりあえず俺は自転車を取って和樹のもとへ行く。

「まだ七時だぞ?いいのか?」

「あぁ、とりあえず行くぞ。」

 そして俺たちはいつも通り、駅に向かっていると、

「それで、昼のこと話してもらおうか。」

 人通りがほとんどないような狭い路地で和樹が口を開く。いったいどうしてここまで聞きたがるのか不思議だった。

「話すことはないよ、昼に言ったことが全部だ。」

「嘘つくな、何があった?」

やけに感情的だった。俺はなんだか無性に腹が立つ。

「どうして言わないといけないんだ?」 

「もしかしたら、まだ可能性あるかもしれないからだ。」

 優子さんにも同じようなことを言われた。もうさんざんだ。

「俺はもう無理なんだよ。確信してるからあってないだけだ。」

「いいから話せよ!」

 和樹は急に俺の肩をつかむ。和樹がここまで感情的になったことはない。俺は動揺してしまった。

「なんでだよ。お前に言ったところで未来は変わらない。」

「お前、自分が何したかわかってるのか?」

俺があの人に何をされたのか、こいつはわかってないそれなのに、分かったふりをされたことに本気で腹が立った。

「わかってないのはお前の方だ!俺の気持ちなんか知らねぇくせに偉そうに言うんじゃねぇよ!」

「じゃあ、それを話せよ!」

「言う必要がない。」

「いいから言えよ!」

 そして和樹は俺の胸ぐらをつかむ。

「お前、なんでここまで…」

「早くしろ!」

 こんなに怒鳴る和樹を見たことがなかった。

「くそ、実はな…」

 俺は、あの時のことをすべて白状した。しかし和樹は胸ぐらをつかんだままだ。

「どうだ?これが俺が受けたすべてだ。」

 さすがに観念するかと思った。しかし予想は大きく裏切られる。

「なにが終わっただよ…」

「は?」

「終わってねぇじゃねぇか!お前まずなにも伝えてねぇだろ!」

 確かに冷静さを失いかけてる今でもわかる、和樹の言う通りだった。

「くっ…」

「そのくせして、何がダメなんだよ!」

「・・・」

「答えろよ!」

 俺たちの間に沈黙が訪れる。しかしその静寂は破られた。一本の電話によって。俺はポケットから携帯を取り出す。

「放せ。」

 俺は和樹にそう告げ、画面を見ると、着信は優子さんからだった。

「もしもし?」

「涼太くん!今すぐ来て!純恋が!」

 優子さんの泣きそうな叫び声。しかし今の俺には響かない。

「そうですか。」

「お願い来て!」

「気が向いたら行きます。失礼します。」

「ちょ…」

 電話を切る。そして俺は携帯をポケットにしまう。

「聞こえてたぞ、俺は聞き逃さなかったぞ。」

 和樹がおれにすかさずいう。しかしこいつには関係ない。

「それが?」

「行けよ!」

「なんでだよ、俺の自由だろ。お前には関係ないだろ。」

 そういって俺は自転車を押し始めた。

「・・・てめぇ!」

 すると和樹は、俺の肩をつかんで、俺の顔を思いっきり殴ってきた。

「うっ!?」

 俺は、殴られた衝撃と痛みで、尻餅をつき、自転車は倒れてしまった。そして和樹はさらに追い打ちをかけるように俺の胸ぐらをつかんできた。

「お前何すんだよ。」

「いいか?聞いてくれ。」

 俺は和樹の方を見ると、

「え!?お前、なんで…」

 和樹の目から涙が流れていた。そして和樹は涙ながら俺に語り掛ける。

「俺は無意味にこんなことはしない。ちゃんと理由があるんだ。」

「なんだよ。」

「今まで行ってきてなかったが、俺にも恋愛経験があるんだ。」

「うそだろ!?」

「今から話すことは、全部俺の実体験だ。」

「・・・」

 俺は殴られた怒りはもうどこかへ消えて和樹の話に耳を傾けていた。そして和樹は涙が止まることなく話し続ける。

「俺は、中学の時、ある人を好きになった、そいつは俺の幼馴染だった。最初は俺もそいつもお互いを異性として意識はしてなかった。でもな俺は日が経つにつれ、俺はそいつを異性として意識し始めていた。しかし、そいつは俺からすればもう高嶺の花にまで可愛くなっていて、俺が関われるような奴じゃなくなってた。でも俺は諦めたくなくて、メールや、家族ぐるみで会う時、必死にアピールをつづけた。でも告白ができなかった、関係が変わるのが怖くて、何もできなかった。そうこうしてたら俺は、そいつの口から、信じられない言葉を聞いた。

『好きな人がいる』って。

 俺はそれからしばらく病んでいた。無理だって決まっても冷めない恋心、俺は苦しめられ続けた。でも、ある日そいつが海外に引っ越すことになったとき、この恋に終止符を打つべく、俺はそいつに告白したんだ。本人から振られることであきらめがつく、そう思っていた。すると、俺はそいつになんて言われたかわかるか?」

「わからねぇよ。」

「遅いよ、なんでもっと早く言わなかったの?って」

「え!?」

 固まる俺をよそに和樹が続ける。

「俺は、意味が分からなかった。でも、冷静に考えると、好きな人が俺ではないとはあいつは、一言も言ってなかった。つまり俺は一つの思い込みで、初恋を棒に振った。結局そいつとは疎遠になり、今じゃほとんど連絡が取れてない。」

「お前…」

「どうだ?これが俺の実体験だ。親にも誰にも教えてない、俺の最初で最後の初恋だ。だから、お前の話を聞いて、もしかしてお前の思い込みや勘違いかもしれないって思ったんだ。もう二度と俺と同じ後悔をする奴は出てほしくない。もちろんお前にも、こんな後悔してほしくないんだ、何があっても。これほどつらいことなんてない。」

 涙を流しながら、すべてを話した和樹。もう俺の考えはただ一つしかない。

「病院に行ってくれ。こんど俺を殴り返させてやる。」

「もちろんだ。」

 俺は自転車をこぎ、病院へ一直線に駆け込む。さっきの優子さんの声が俺の不安を増大させている。狭い路地であろうと、人がいようと関係ない。俺は全力で自転車をこぐ。

「純恋さん、お願いします、生きててください。」

 今の俺に、安全とか法令遵守などどうでもいい、俺は赤信号を無視し、車のクラクションも無視して進む。後ろから罵詈雑言のような言葉が飛んできているが、そんなのも気にしない。俺は、一秒でも早く病院に着く、そして純恋さんに会う。それしか俺の頭にない。

 病院に着き俺はダッシュでエレベーターに駆け込む。エレベーターが上がってるときにようやく自分が疲れてることを体感する。それからエレベーターから降りた俺は、走って純恋さんの病室へ行く、扉の向こうではざわついていることが分かった、そしてその中に、純恋さんの泣き声が聞こえる。まだ生きていた。俺はゆっくり、病室の扉を開ける。するとそこには、親父と優子さん、そして担当の看護師さんが、泣いている純恋さんを慰めていた。すると、すぐに担当看護師さんが俺に気付いた。そしてそれから優子さんと親父がこちらに気付く。

「涼太くん、来てくれた!」

 優子さんが、目に涙を浮かべていた。

「はい。」

「純恋、涼太くんが来たよ。」

 俺はゆっくりと、純恋さんのベッドに近づく。純恋さんは泣きすぎたのか、大きな瞳は赤くなっていて、涙がにじんでいた。俺は純恋さんと目が合ったと同時に口を開く。

「あの時のことでお話があ…」

 俺の言葉を遮断するように純恋さんは、俺に抱き着いてきた、そして次の瞬間、

「涼太くんだ、涼太くんがいる…」

 純恋さんは、俺の肩の上で泣き出した。

「涼太くん、会いたかった、会いたかったよ。」

 必死にしゃべろうとしていることが伝わっていた。

「あの時、僕は…」

「ごめんね、あの時、あんなことして、私最低だった。」

「僕の方こそやりすぎました。ごめんなさい。」

「ううん、いいの。もう今こうやって、くっつけてるから。」

「あの、僕、もう一つお話があります。」

 俺が前から隠してきた思い、ここで伝えるしかない。俺はそう確信する。だめでもいい、まだ終わってない。

「なに?」



「僕は、純恋さんのことが、好きです。」



 これでいいんだ、何と言われようが、やることはやった、後は、返事を聞くだけだった。

「涼太くん・・・」 

 すると純恋さんは、さらに強く俺を抱きしめる。



「私も、涼太くんのこと、大好き。姉弟なんかじゃなく、異性として。」



「え!?」

 正直駄目だと思っていた告白は、予想を大きく外した。

「私、ずっと前から涼太くんのことが、大好きだった。好きで好きでたまらなかった。涼太くんと目が合うたび、胸が苦しくなっちゃうし、スキンシップを取るときも、姉弟の範囲内で収めようと思っても、私の涼太くんへの愛が止まらなくなって、いっつもそれを超えてしまう。涼太くんが外出してるとき、私はずっと不安だった。女の子と遊んでないかとか、誰かに接近されてないかとか考えちゃうし。大学にいる時も、今日はどんなこと話そうかなとか、どうすれば涼太くんが喜んでくれるかなとか、授業そっちのけでずっと考えてた。もう私は、涼太くんに夢中だった。」

 いままで知らなかった純恋さんの思い、俺は胸が締め付けられるような感覚にかられる。

「じゃあ、あの時のあれって!?」

「そう、ほんとに告白しようと思ってたの。でも、無理だった。振られたらどうしようとか、関係が壊れたらどうしようとか、もう一生話せなくなるかもしれないとか、もう遊べなくなるかもしれないとか、そんな恐怖が私の告白を止めたの。」

 和樹の言う通り、俺は勘違いだった。俺は自分の思い込みを過信した結果、純恋さんをここまで傷つけた。そう考えると、俺は申し訳なさでいっぱいだった。俺は純恋さんを抱きしめ返す。

「ごめんなさい。僕、あんなひどいことして…」

「いいのいいの、ほら、泣いちゃダメ。」

 そう言って純恋さんは俺の背中をトントンしてくれた。

「泣いてませんよ。というか純恋さんが泣いてるじゃないですか。」

「私はいいの、涼太くんには未来があるんだから。」

「悲しいこと言わないでくださいよ。」

「えへへ、ごめんごめん。あっ!そう言えば。」

 純恋さんは、俺を放し、ベッドの横にある引き出しから封筒のようなものを取り出す。

「これ、私が涼太くんに会えずに死ぬかもしれないって思って、書いたの。せっかくだから私が読むね。」 

 純恋さんは涙が止まってなかった。でも、そんなことは気にせず、笑っていた。そして純恋さんは封筒の中から手紙を取り出し、それを読み始める。

「『涼太くんへ、他人行儀で書こうか迷ったんだけど、涼太くんが見慣れてるのは真面目な私ではなく、騒がしい私だと思うから、いつもの調子で書きます。

 これを読んでるってことは、もう私はこの世にはいないと思うけど、元気かな?センター試験まで日にちはあまりないけど、頑張るんだよ!

 私たちの出会いは一年前、あのカフェだったよね、

 初対面の時、涼太くんは怖かった。

 私を避けてるようだった。

 そもそもあの場所に来るのを嫌がってるようだった。

 でも、話してみると、意外に優しくて、素直な子だった。

 そして、なんだかもっと話したい

 もっと関わりたいっておもってしまった。

 それからというもの、私、毎日のように涼太くんにべったりだった。

 勝手に部屋に入ったり

 ベッドにもぐりこんだり

 耳かきしたり

 いろんなとこ連れまわしたり

 いっぱい体に触れたり

 触れさせたり

 そして、受験勉強をそっちのけで会わせたり

 でも涼太くんはそれに乗ってくれるはずもなく、いつも冷たくあしらってたよね!普通はさ、あそこまで冷たくされ続けたら、たいていの子は諦めると思うの、でも私は違う、

 むしろもっと喜ばせたい

 もっといろんなこと知りたい

 そう思ってしまったの。 あ、今私のこと馬鹿な女だと思ったでしょ?確かに私は馬鹿なのかもしれない、でもこんな気持ちになるのは、他の誰でもない。涼太くんだからなんだよ!

 なぜかって、そんなの決まってるよ。

 私、涼太くんのこと好きだった。

 好きで好きでたまらなかった

 いつの間にか、私は涼太くんの虜になってた。

 もうずっと目で追いかけてた、

 私の心を侵食してきた。

 もう私には止められなかった。

 目を見るだけで胸が苦しくなる

 話してくれるだけで幸せになる

 すこし会えないだけで不安になる

 帰ってきただけで安心する

 もう私の中では、涼太くんなしの人生は考えられなかった。でも、前に言ったけど私はこう見えて恋愛経験なんてないから、私はわからなかったんだ。

 どうすれば涼太くんは私に振り向いてくれるかなとか、

 どうしたら付き合えるかなとか。

 後、変な話、私と涼太くんがもし結婚したらなんて妄想もしてた。

 涼太くんにとって私との日常なんて、ただの人生の内の一つにすぎないと思うけど、私にとっては、一日一日がかけがえのない宝物だったんだよ!涼太くんが話しかけてくれた日とか、私のスキンシップにまんざらでもない反応してくれた日、私布団の中でいっつも思い出して一人でずっとニヤニヤしてた。逆にうまくいかなかった日は泣くこともあった。どう?初耳でしょ?

 そして、私は一つあることをずっと思ってた。それは、

 涼太くんと、二人の男女として出会いたかった。

 私が涼太くんを好きになった時からずっと思ってた。

 だって、私がもし涼太くんと姉弟として出会ってなかったら、多分私、

 付き合うっていうまで告白し続けてたと思う!

 家まで付きまとってたと思う

 今までよりもっと連れまわしてたと思う

 もしかしたら、無理やり婚約させてたかも。

 でも、それが姉弟っていう前提があるせいで、それができなかった。血縁関係、私たちの場合は正式なものではないけど、姉弟では結婚できないとか、付き合うのはやばいっていう世間のレッテルがあるせいで、というのは嘘で私は世間体なんか気にしない人だから。本当の理由は、涼太くんにあるの。あ、勘違いしないでね、別に涼太くんを悪く言うつもりはないからね。涼太くんは、私のことをよく思ってなかった。というより、姉として受け入れたくなかったんだよね?だから怖かったの。ただでさえ姉として受け入れられてないのに、異性として好きだなんて言ったら、もう滅多打ちにされるんじゃないかって思って言えなかったんだ。でも、私は簡単には諦めたくはなかったんだ、せっかくの初恋だったから、絶対涼太くんに振り向いてもらうって思ってたの。

 でもよくよく考えたら、涼太くんってすごいなって思うの。

 只々素っ気なく返事してるだけで、私をこんなに好きにさせてくれる

 幸せな気持ちにさせてくれる。

 なんにもないことでも、話してくれるだけでもこんなにうれしくなる。

 こんなことなんてなかった。二十年間生きてきた人生のなかで

 こんなにかっこよくて

 素敵で

 優しくて

 知的で

 こんな完璧な人出会ったことないよ。多分私が元気になって、未来があったとしても、これは変わらない気がする。見た目だけの私とは大違い。だから、

 もっと自信をもって生きてね!

 涼太くんは自分が思ってるよりもいろんな才能にあふれてるし、たくさんの人から好かれてる。私が保証してあげる。といってもどうせ涼太くんのことだから、あんまり信じてくれない気がする。でも、頭の片隅には置いといてね!

 それじゃあ、私から涼太くんに最後のお願いがあります。と言ってもそんなに難しいことじゃないし、すぐできることじゃないから。それは、

 幸せになって!

 涼太くんと過ごしてて思ったのは、何だか涼太くんは自分の人生に幸福を感じれてない気がするんだよね。だから、

 いっぱい人と話して

 いっぱい笑って

 いっぱい恋愛して

 いっぱい遊んで

 狭く生きずに、一度きりの人生を謳歌しなきゃ!でも、涼太くんの生き方を否定してるわけではない、人それぞれ生きるっていう中での幸せの感じ方は違う、だからさっきのはほんの一例だよ!

 もしかしたらほんとにつらくなる日が来るかもしれない、でも考えて、世の中には生きたくても生きれない人はたくさんいる。私も含めて、涼太くんのように生きてる人にはそういう人たちの分まで生きる義務があるの。きれいごとかもしれない、でも私は少なくとも生きたいって気持ちは、そんじょそこらの人よりははるかにあった。

 涼太くんのせいで!

 話は変わるけどあの時はほんとにごめんね、私はあの時涼太くんに告白しようと思ってたの、でも涼太くんと間近で目を合わせたとき私は怖くなった。

 振られたらどうしよう

 関係が壊れたらどうしよう

 もう遊べなくなったらどうしよう

 もうくっつけなくなったらどうしよう

 そんな恐怖が私を引き留めた。でも結果的に涼太くんを怒らせてしまった。本当にごめんね、もしかしたらこの私の死は、このことへの天罰なのかもしれない。

 最後に、ほんとに一年ちょっとだったけど、ありがとう、そしてごめんね

 この一年間、私の人生は最高だった

 今までで一番輝いていた

 今までで一番楽しかった

 今までで一番泣いた

 今までで一番幸せだった

 今までで一番喜んだ

 今までで一番笑った

 今までで一番いい出会いをした

 今までで一番わがまま言った

 今までで一番かまってちゃんした

 こんな頼りない、ただのうるさくて、わがままばっかの私だったけど、いっつも嫌がりながらも相手してくれてありがとう。大好きだよ、天国で待ってる。慌てなくていい、ゆっくりでいい、ちゃんと天寿を全して、こっちに来るんだよ。その時に私に告白の返事、伝えてよね!涼太くんの幸せを心から願ってます。』」

 手紙を読み終わった後でも、なぜか俺は泣かなかった。というよりは泣いてはいけない気がした。

「あの、純恋さ…」

「まだ、続きはあるよ。」

 そして、再び純恋さんは手紙をよみはじめる。

「『P,S

 ここまで読んでくれた涼太くん、封筒の中をよく見て。」

 すると純恋さんは、封筒の口を下にしてその下に掌を広げる。すると中から、二つの指輪が出てきた。

「これ、五十万円したんだよ。これの一つを、私の墓前に置いといて、そしてもう一つを付けろとは言わないけど、部屋に飾ってほしいな!そしたら、私たちの愛の印になるでしょ?無理ならいいけど、ここまでちゃんと読んでくれた涼太くんならしてくれる。私は信じてるよ!』」

 そして純恋さんは手紙をテーブルに置き、指輪を左手の薬指にはめる。

「ねぇ、これ、つけて?」

 純恋さんは、俺に指輪を渡す。俺はいうまでもなく、それを左手の薬指にはめる。

「こうですか?」

 すると純恋さんは、涙を流しながら

「うん!似合ってるよ!私の彼氏さん!」

 と言い、俺の左手を握る。

「ありがとうございます。」

「こういう時ぐらい、純恋って呼んでほしい。」

「純恋、大好き。」

 俺には、抵抗も恥ずかしさもなかった、大好きな人に愛を伝える。それがどれだけ幸せなことか、俺は知った。

「私も!ねぇお母さん、写真撮ってよ!」

「いいよ。」

 優子さんも涙を流していた。もしかしたら、純恋さんの恋心を最初から知っていたのかもしれない。そして優子さんは携帯をこちらに向ける。

「撮るよ!」

「ねぇ!ほっぺくっつけて、指輪も見せて!」

 俺は、言われるがままに純恋さんの頬に自分の頬を当て、指輪をカメラに向ける。

「はい!チーズ!」

 パシャッ

 小さなカメラのシャッター音が病室に響く。その直後純恋さんは両手で俺の顔を純恋さんに向かせてきた。

「あの時の続き、しよ?」

「はい。」

 純恋さんはそのまま、自分の唇を俺の唇にあわせた。どこか、しょっぱくて少し甘いキスだった。しかし俺は途中で息苦しくなり、顔を引いてしまった。すると、

「だめ、もう少しだけ。」

 そう言って、再び俺にキスをする。

「大好き。」

「もう放さない。」

「私のダーリン。」

 途中途中で純恋さんは、微妙に唇を離し、俺に愛を伝えてくる。もう俺は何もいらない、この人さえいてくれればそれでいい、こんな時間が一生続けばいい。

 俺たちはそれから、遠慮なくイチャイチャしていた。今まですれ違い続けていた思い、それがとうとうつながった。それは奇跡でもない、偶然でもない。

 必然だった。

 そして、三十分後、純恋さんは俺の胸の中で息を引き取った。

 俺は、一気に現実に引き戻される。もうどれだけ願おうと戻ってくることはない。俺はしばらくその場で呆然としていた。そして、純恋さんが眠っているベッドのテーブルにある手紙を手に取る。

「・・・っ!?」

 そこにあるのは、ただの手紙ではない、読んでもらうだけでは伝わることのなかったものが俺の視界には映っていた。手紙のありとあらゆる部分の文字がにじんでいた、そしてそれは進めば進むにつれ多くなっていることがはっきりと分かった。

これが俺の犯した過ちがどれだけ純恋さんを傷つけたか、痛いほど俺に突き付けられる。俺は、膝から崩れ落ちた。

「う、う、うわぁぁぁ」

 俺は、その場で泣き叫んだ、泣いていい立場ではないとはわかっていた。でも、俺には我慢ができなかった。

「ごめんなさい、ごめんなさい、僕の勘違いで、あなたをこんなに傷つけてしまった。」

 冷静さを完全に失い、狂いそうになっていた。俺は今後この人なしに生きていかないといけない。そんな人生の中で、俺は笑えるのだろうか。

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