〜第四章〜

風邪が治った日からは、関東大会に向けて練習に取り組んでいる。毎日部活が終わった後も、高村とボールが見えなくなるまで基礎の徹底をしたり、その後は走ったりと体力強化を図る。また休日には、部活後に、近くのコートを借りて夕方まで練習をしたりと、テニス漬けの毎日になった。そして関東大会前日の金曜日、俺たちは放課後すぐに帰り、家から荷物を持ってきてそれから電車で会場近くのホテルに向かう。今回の開催が茨城でかなり遠いので、電車内では爆睡だった。

 そして夜、俺たちは夕飯と風呂などは済ませて完全にオフモードになっていた。

「いよいよ明日だな。」

「そうだな。」

 俺たちは、ベッドの上で寝転がったまま言葉を交わす。

「明日は、あいつが鬼門だな。」

 あいつと言われて俺はすぐに誰のことかはわかる。噂の新星の一年生だ。

「あぁ、間違いないな。」

 個人戦のトーナメントは、去年の結果をもとにシードをもらえる都県が割り振られる。去年は佐藤先輩が優勝したため、俺たちは今回第一シードでのスタートとなる。しかし今回、噂の新星がいる神奈川は、去年四位だったため第四シードになっていて準決勝で当たるようになっている。しかもインターハイに出れるのは上位二ペアのみ、つまり必然的に俺たちがインターハイに出るためには、その新星とやらを倒さなくてはいけない。最後の最後に大きな試練がやってくる。

「なんか、怖いな。」

 笑い交じりに高村が言う。

「おい、やめろよ。」

 あまり不安な気持ちにはなりたくないが故に出てきた言葉だ。

「冗談だよ。今更怖気づいてどうする。俺ら第一シードなんだぜ。」

 その通りだ、せっかくもらった第一シードは無駄にできない。

「だよな、それよりゲームやらね?」

 俺は話題をそらそうと起き上がり、ゲームに誘う。

「おっけ。」

 高村も乗り気だったようだ。

「いいぜ、なら五本先取な。」

「わかった。」

 それから、俺たちはゲームを始めた、思ったよりも白熱した。もはやさっきの話題がなかったかのように。結果的には五対三で俺の勝ちだった。

「くそー、なんでだよ。さっきの通知来なかったら勝ってたぞ。」

 結構マジで悔しがる高村が笑えてくる。

「運も実力の内だ。」

 少し煽るように高村に言う。

「調子乗りやがって。」

 不満そうな顔しながらも楽しそうな顔で言う。

「ていうか、そろそろ寝るか。俺ら結構ゲームしたな。」

 時計を見ると23:43と表示されていた。

「たしかにな。」

「明日、五時に起きるぞ。」

「わかった。」

「寝てたら、たたき起こす。」

 高村は朝が弱い。大体俺が朝、こいつをたたき起こすのがお決まりだ。

「へーい。」

 それから俺たちは部屋の電気を消した。それからはゲームで盛り上がりすぎたせいか、あっという間に意識がなくなっていき、眠りにつけた。

翌朝、俺はアラームの音で目が覚める。予想通り高村は起きていない。俺は、無理やり高村を起こし歯磨き洗顔、着替え、そのあとは朝飯を食べそれからは部屋で荷物をまとめ、部屋の片づけをして部屋から出る。それから、鍵をフロントの人に返し、外で待っていっるタクシーに乗り込む。俺はタクシーの中で携帯を開きメールの確認をする。すると一件のメールが届いていたので開くと、純恋さんからだった。

『おはよう!昨日はよく眠れたかな?私が恋しくてしょうがないのはわかるけど、思いっきり楽しんでくるんだよ!』

 送られた時間を見ると、5:14と表示されていた。大学生にしては恐ろしいほどの早起きだ。何のためにこんなに早く起きたかわからないが。

『はい、わかりました。』

 と返事をして俺は携帯を閉じる。なんだか少し試合への緊張とは別の緊張に近い感覚がした。しかしそれが逆に試合の緊張を軽減させてくれているようにも思えた。

 しばらくして会場に着き、俺たちは開会式までウォーミングアップを済ませる。それから開会式が始まるのだが、開会式は基本言ってることは同じなので、ぼーっと聞き流す。でも開会式が終わったが、試合前には結構な空きがある。なので、俺たちはまず対戦票を見に行った。やはり準決勝でやつとあたるようになっていた。

「やっぱり予想通り。」

 高村がつぶやく。でもこいつの顔から不安は何一つ伺えなかった。むしろ楽しみのほうがある。

「だな。」

 相槌を打つように言う。今頃不安になったってしょうがない。そう勢いをつけて、気を紛らわす。それから俺たちは、各々気になる試合を見ることにする。やはり地区や都大会とはレベルが違う。みんなそれぞれの都県のトップだ。それゆえ応援の声もすごく、そこら中から聞こえる。何試合か見て回っていると。高村が俺のもとへ来る。

「おい何やってんだ、待機入るぞ。」

 もう試合が入るらしい。

「わかった。」

「ラケットとかはもうコートに置いてあるから、そのまま行くぞ。」

「ありがとう。」

 そして俺たちは、走って試合が行われるコートへ行く。コートへ着くともう前の試合が終わっていて、整列していた。俺は急いでラケットを手に取り整列する。初戦なので緊張はほとんどなかった。結果は4対0で圧勝だった。それから、二回戦三回戦と順調に勝ち進む。

 そして迎えた準決勝、俺と高村は指定されたコートに入ると、たくさんの人がコートの周りに集まっていた。そして向かい側にはあの噂の新星二人がすでに入っていた。それから、審判員が入ってきたところで、サーブレシーブを決めて、試合が始まる。最初のゲームは相手の癖を読むためすぐには決めないようにしていたが、それが一気に崩されてしまう。ほとんどの配球が読まれていてことごとく抜かれてしまい、あっという間に3ゲームを落とす。動こうにも動けなくなってしまい、ネット前で立ちすくむだけとなってしまった。すると高村が俺のとこへ駆け寄る。

「お前が動かなきゃ勝てねぇよ。とにかくだめでもいいから動け。」

「わかった。」

 俺はそれから、動い続け何とか2ゲームを返したが、相手がやはり一枚上手だった。結果は2対4で負けてしまった。あっけなく俺の部活人生はおわったのだった。

 それから俺たちは、表彰式のあと荷物をまとめ顧問の話を聞いてその場で解散となる。駅までは遠かったので、タクシーで駅まで行くことにする。タクシーの移動中俺は何をしたか記憶がなかった。俺のせいで、高村をインターハイに連れて行ってやれなかった。そして、もうこいつと部活ができない喪失感に襲われ、生きてる感じすらしなかった。電車の中で、俺は高村の声をかける。

「済まなかった。俺のせいだ。」

 しかし高村の顔には笑顔があった。

「なにいってんだよお前だけのせいじゃねぇよ、ていうかあいつら相手にここまで行ったのは良いほうなんじゃねぇか?」

 俺を気遣って言ってくれてるのかわからなかった。

「そうか。」

「二年間ちょい、ありがとな。俺もここまで行けるとは思ってなかった。」

「ありがとう。」

 俺は必死に言葉を頭から絞り出そうとしても何も出てこなかった。結局、電車を降りて改札口を出るまで、言葉が出なかった。

「じゃあな。」

「おう、元気出せよ!」

「わかった。」

 それから俺は普段なら自転車を取りに行くはずだが、そのことすら頭になく俺は家に歩いて帰った。五感が働いてないようだ。ただ無心で家に向かっていた。家に着くと、俺は何も言わず靴を脱ぎ荷物を部屋に置こうと二階へ上がる。

「あ、おかえり!ってどうしたの?元気ないけど。」

 純恋さんが部屋から出てきた。今は喋る気力はないし何も考えたくもない。俺は純恋さんにかまわず部屋に行き、ドアを閉める。それから荷物を置き、着替えずにベッドに座り、下を向く。何も考えずに。すると部屋の扉が開く。

「ねぇどうしたの?」

 純恋さんが入ってきた。久々に純恋さんを鬱陶しいと思った。俺は顔も上げず何も言わない。

「なんか言ってよ。」

 しつこく言ってくる。俺は顔を上げるつもりは一つもなかった。

「ねぇってば!」

 少し強く言ってきたが、俺の意思は変わらない。

「顔くらい上げてよ!」

 また強くなる。どうせこのまましとけば諦めて、部屋戻るだろうと思っていて、俺は聞き流していた。

「もう!」

 言い方的にはあきらめたと思っていた。そしてそのまま下を向き続けていると、突然純恋さんが、俺に抱き着いてきた。あまりに唐突すぎて戸惑う。そしてそれからすぐに俺の顔が純恋さんの胸にうずまっていることに気付く。でも今俺には力で抵抗するほどの気力は残っていなく、口頭でしか抵抗ができなかった。

「離してください。」

 自分でも無気力さが伝わる。これでも声は出したつもりだった。

「よしよし、どうしたの?言ってごらん。」

 俺の頭をなでながら優しく甘い声で純恋さんは言ってくる。でも俺は喋る気にはなれない。

「言う必要ありません。」

「言うと、意外とすっきりするもんだよ。」

 いっこうに俺を離す気配がない。俺が喋るまでは。

「言う気はないです。」

「だめ、言ったでしょ?私を頼ってよって。」

 すると少し強く俺を抱きしめてきた。なんだか甘いにおいがする。

「……」

 俺は何も言わなかった。

「じゃあ、落ち着いたらでいいから。それまでは私がこうやって癒してあげる。」

「離してください。当たってます。」

 無気力な声で言う。

「わざと当ててるの。」

 こんな時でもこんなことするのかと思ったが、怒りの感情もわかなかった。

「私の心臓の音聞こえる?」

 そういわれ、少し耳に集中すると、僅かだが純恋さんの心臓が脈を打っているのが分かった。なぜこんなこと聞くのかは全くわからなかった。

「心音聞くと落ち着くって言うでしょ?だからこうやって私の心臓の音を聞かせてるの。」

 多分いつもなら恥ずかしくなってるはずなのに、今はなぜかそんな感情が出てこない。

「離してください。」

 俺は力なく抵抗を続ける。

「はなさないよ。涼太くんがこんな風になっててほっとくわけないでしょ。」

 ずっと俺の頭を撫でている。

「ほら。今は何も言わず私に身を任せて。」

 なんだか抵抗する気もなくなり、俺は黙ることにする。純恋さんの甘いにおいと一定周期の鼓動、柔らかな掌が俺の頭を伝ってる感覚だけが俺の中にある。

「よしよし、今はゆっくり休んで。」

 俺はただ何も考えずに、純恋さんの懐にいる。そしてそのまま時間が経っていく。

「まだ言えそうにないかな?」

 何を言ってるのかは伝わっているが、俺は沈黙を貫く。

「どうしようかな。じゃあ背中トントンしてあげる。」

 そう言って、純恋さんはなでるのをやめ、俺の背中を優しくトントンし始めた。

「赤ちゃんが、お母さんに背中トントンされながら寝かしつけられると、よく眠れたりするじゃん?あれって赤ちゃんがお母さんのお腹の中にいたときの心臓の音を思い出すから、自然と安心感に包まれるの。しかも人間はみんなお母さんのおなかの中から生まれるでしょ?だからこの背中トントンは大人にも効果的なの。」

「……」

 俺は相槌も打たずに、ただ黙っていた。

「よしよし、私はいつでも涼太くんの味方だよ。」

 それから純恋さんは俺の背中をトントンしながら俺に声をかけつづけてくれた。

「どうかな?話してくれる?」

「……」

「そっか、ゆっくりでいいからね。」

 話してる最中でも手を止めなかった。それからしばらくこの状態が続く。時間が経つにつれ、何だか心の中で何かがほどけていく感覚がした。

「話せそうかな?」

 今多分無理やり力づくでここから抜け出せるのは間違いない、それ位までには気力は回復していた。でもここまでしてくれたのは純恋さんだった。流石にそんなことはしない。俺は話すことに決めた。

「はい。」

「よかった。どうしたの?」

 純恋さんは手を止める。俺は今日の結果、そして敗因諸々を話した。

「そうだったんだね、つらかったね。でも、涼太くん毎日頑張ってたじゃん。それはいつかどこかで報われるはず。それまでの辛抱だから。」

 そう言って俺を慰めてくれる。ここまで俺の心に寄り添ってくれる人は今までにいなかった。何だか安心感に包まれるような感覚さえあった。

「どう?すっきりしたでしょ?」

「はい。」

「まだ、元気がない感じだな。よし、もう少しこのままでいてあげる!元気が出るまで私の懐で休んでね。」

 そう言うと、純恋さんは再び止まっていた手を動かし始める。すると俺の中に睡魔が入ってきた。だんだん瞼が重くなるが、俺はそれを上げようとする。

「眠いの?」

 どうやら、純恋さんに気付かれてしまったようだ。

「いえ、大丈夫です。」

「眠くなったら、寝ていいよ。」

 純恋さんの甘くて優しい言い方のせいで、さらに眠気が増してくる。俺はまだ風呂にも入ってないし、さすがにここで寝るわけにはいかないと思い、下がってくる瞼を上げ続ける。

「うとうとしてるのバレバレだよ。」

 笑いながら言っている。

「僕、まだ風呂入ってないので寝るのはちょっと。」

「いいの、今は無理しちゃダメ。眠いなら寝る。」

 俺はそれでも寝る気にはなれず、瞼を下げないようにしていた。しかしいつかははっきり覚えてないが、瞼がいつの間にか下がりきっていた。

 目を開けると、俺の目の前に純恋さんの胸があり、慌てて後ろに顔を引く。

「あ、起きた!」

「え、僕あの時…」

 ようやく思い出す、寝る前に何があったか。今になって恥ずかしくなる。

「そうよ、すっかり寝てたよ。」

 実母を連想させるような笑顔で言う。

「あ、ご、ごめんなさい。」

「謝る必要なんてないよ。眠くなるのは仕方ないことだし。」

「あ、はい。」

「それより、元気になったみたいでよかったよ!」

「ありがとうございます。」

 とりあえず、感謝を伝える。

「じゃあ、私レポート書かないといけないから。」

 そう言って、俺の部屋から出る。俺はさっきまで純恋さんがいた空間をしばらく見続けていた。その数秒後、俺の心臓の鼓動が早まっていることが明らかにわかった。


 それから月日は経ち、夏休みに入る。この時期からほとんどの部活は引退試合が終わり、新チームが発足する。俺たち三年生は模試が増えたりと勉強に本格的に追われ始める。と言ってもそうなるのは、最難関大学志望者や、判定が危ない人ぐらいだ。安全にレベルを落とす人もいる、それはそれでいいと思う。俺は、最難関大学を志望しているが、判定はB判定にとどまっている。ちなみに和樹も俺と同じ大学を志望していて、模試の判定も同じ。なので二人でこの夏と秋で、A判定まで行こうと互いに目標を決めている。

 そして夏休みの半ば頃、今日は志望校判定模試の前日。俺は数学の演習をしていた。今日は珍しく早起きしたので、そのままの勢いで勉強している。鳴り渡るセミの鳴き声を無視しながら。俺は一通り演習を終えて、次は古典をしようと教科書を机の本棚から取り出そうとすると、部屋の扉が開く。

「勉強は捗ってるかい?」

 振り向くと純恋さんがいた。何やら教材を片手に持ってる。

「はい。それで、どうしました?」

「一緒に勉強しよ!」

「ここで、ですか?」

「違うよ、リビング!」

 どうしようか迷ったが、純恋さんは俺の今の置かれてる立場をわかってくれてるから、邪魔はしてこないだろう。

「いいですよ。」

「やった!」

 そう言って、嬉しそうに俺の部屋を出る。

「はい。」

 俺は、数学と古典、そして物理の教材と筆記用具をもって下に降りる。リビングに行くと食卓に純恋さんがすでに座っていた。俺はその向かい側に座る。

「一緒にするといっても、結局やることそれぞれ違うけどね。」

 純恋さんは苦笑いしながら言う。

「別にいいですよ。」

「それじゃあ始めよっか!」

「はい。」

 それから俺と純恋さんは各自勉強を始めた。俺はさっきやろうとしていた古典をする。実際の試験での古典の配点はそこまで高くないので、少々やらかしたくらいではそこまで結果に影響は出ない。しかし受験は一点一点が大事な世界だ。細かいとこでも疎かにせずに、問題を解く。大体七題解き終わったあたりで俺は教科を変えようと教材を閉じる。次は物理をしようと教材に手を伸ばすと、視界に純恋さんの書いてるノートと教材のようなものが入り込む。俺は手前に物理の教材を寄せて、そっちに目を向ける。ノートを見ると、色がほとんど使われてなく、赤と黒しか使われてない。そして何より字がすごくきれいだった。女子の字というよりは、習字を習っていた男子の字って感じだった。次に教材に目を向ける。ぱっと見人体について書かれてるようだった。でも文章は難しく、今の俺には到底理解できそうになさそうだった。自分の勉強に戻ろうとすると、自然に視線が純恋さんの方へ向いた。集中してノートにペンを走らせている。普段俺の前では、幼いことばかりしてるから、こういう真面目に何かをしてるとこを見るのはかなり珍しい。見てるうちに、何だか最初のころを思い出してきた。正直最初のころは、毎日毎日だるいと思ってたのに、どうしてここまで心を開いたのか今考えれば不思議でしょうがない。ぼんやりしていると、純恋さんが顔を上げた。俺は急いで下を向いたが、バッチリ目が合ってしまった。

「どうしたの?」

 不思議そうに聞いてくる。ずっと見てたなんて言えない。

「いや、ぼーっとしてただけです。」

「あれあれ?顔が赤くなってるよー。」

 純恋さんがニヤニヤしながら指で俺の頬をつついてきた。

「やめてください。」

 俺は顔を後ろに引く。

「冗談だよ。ていうかほんとに赤くなってる。」

 笑いながら言う。俺は自分の手で自分の頬に触れる。やけに熱く、今すぐ鏡を見たいぐらいだ。

「勉強再開しますよ。」

 俺はごり押しでこの話題を切り抜ける。

「ちょうどお昼ぐらいだから、お昼ごはんにしない?」

 すると、意外にも純恋さんから別のことを持ち出してきた。俺は後ろにある時計を見ると12:25と表示されていた。いつもよりは集中できていないようだ。理由はわかりたくないがわかってしまう。

「そうですね。」

「私何か作るけど、何食べたい?」

「何でもいいです。」

「えー、それが一番困るよ。」

 言ってる割には、楽しそうな笑顔だった。

「ほんとになんでも大丈夫です。」

 考えても思い浮かばなかった。

「んー、じゃあチャーハンとかどう?」

「いいですよ。」

「わかった、じゃあ作ってくるね!」

 そう言って純恋さんは台所へ行き、鼻歌を歌いながらエプロンをつけ始める。俺はできるまで物理の勉強をすることにする。課題があと少しで終わるので、この時間で終わらせようとする。俺は、計算がめんどくさい単元を先にしてたので残りはそこまでめんどくさくないし難しくない。俺はひたすらペンを走らせる。つくづく思うがどうして数学は苦手なのに、物理ではそこそこ点数が取れてるか不思議でしょうがない。残り見開き一ページだけになったあたりで、俺は椅子の背もたれによっかかって天井を向く、すると台所の方からいい匂いがしてきた。

「もうちょっとでできるよ!」

 純恋さんの陽気な声が耳に入ってくる。俺は再び教材と向き合って課題を終わらせる。

 ようやく最後の一問が解き終わて、俺は教材を閉じて、筆記用具を直す。

「お待たせ!できたよ!」

するとちょうど純恋さんがお皿二つを両手に持って来て、そのうちの一つを俺の前に置いて、さっき自分がいたところに置いて再び台所に行く。目の前にあるチャーハンに目を向けると、中華料理店で出てくような見た目だった。湯気が出ていていい匂いがする。純恋さんが再び台所から戻ってくる。れんげを持ってきて俺の目の前に置いて、自分のさっきいたところに座る。

「いただきます!」

「いただきます。」

 俺は、れんげでチャーハンをすくって、それを口に入れる。まるでほんとの中華料理店で出てきてもおかしくないくらい美味い。

「どう?今回割と自信あるんだけど。」

 前のめりになって自信満々に聞いてくる。確かに自信相応の美味しさはある。

「はい、美味しいですよ。」

「やった!」

 子供みたいな笑顔を浮かべながら言う。俺はれんげを動かす手を止めずに食べ続ける。

「そういえば今日、早く起きてたけど何かあるの?」

 俺は手を止める。

「明日、模試があります。」

 とはいっても、正直なところ早起きの理由はこれじゃないしなぜ早く起きれたかもわからない。

「そうなんだ。この時期模試が多くて大変だよね。」

「そうですね。」

 俺は再び手を動かす。ほんとにどうしてこの時期こんなに模試があるのかは不思議でしょうがない。人の成績とか学力は日本史みたいな暗記系はすぐに変わるかもしれないが、国語、数学、英語なんてそう短期間で上がるものでもないのに。

「というか、なんで教師になろうって思ったの?」

 急に話題が変わる。確かに俺が風邪を引いたとき、そんな話をした気がする。

「なんか、これと言ってやりたいことがないですし、研究職についても、自分より上の人なんてたくさんいますし。」

「なるほど、研究職になりたい時期があったの?」

「まぁそんな感じですね。」

「そうなんだね!」

 この話をした俺本人すら覚えてないことを、純恋さんはよく覚えているものだ。確かその時純恋さんは医者になりたいと言っていた。俺は手を止める。

「確か、医者になりたいって言ってましたよね?」

 念のため確認する。

「うん、そうだよ!」

「どうして、医者になろうって思ったんですか?」

「特に厳密な理由はないけど、病気で苦しむ人を救いたいって願望があってね。」

 なんか純恋さんらしくない言葉だった。

「その願望を持つようになったきっかけとかありますか?」

「いや、特にないよ。」

 笑顔で言ってるが、俺は見逃さなかった。確実に一瞬、わずかだが純恋さんの言葉に震えがあった。可笑しさからくる震えではない、どう見ても恐怖からくる震え方だった。俺は問い詰めようと思ったが、何だか聞いてはいけない気がして、聞けなかった。

「そうなんですね。」

 俺は止まってた手を再び動かし始める。それからは二人で話しながら食べ進める。食べ終わって俺は純恋さんっと二人で洗い物をすることにした。そしてそれから勉強を再開する。俺はもう一度持ってきた三教科の苦手なところの復習をすることにした。一通り終えたところで俺は現代文の問題集を取りに行こうと階段を上がる。しかし俺の頭から、あの純恋さんの震えた声が離れずに、俺はその真相になりそうなものがないかと思い、心の中で謝って純恋さんの部屋に入ることにする。

「失礼します。」

 小声で言って入る。部屋の中は柑橘系のいい匂いが漂っていた。俺は純恋さんの机の本棚をあさることにした。ノートや教材、ファイルちゃんと整然と並んでいて綺麗だった。俺は隅から隅まで探すが、何もヒントになりそうなものすら見当たらない。次に俺はクローゼットの中をあさることにする。完全にやばい奴だが、今回だけだと自分に言い聞かせる。服はそんなにめちゃくちゃあるわけではなかった。よく見ると、クリスマスに買った服もかかっていた。やはりここにも手掛かりになりそうなものはない。俺はあきらめて自分の部屋に行こうとすると、純恋さんの布団の枕の横に携帯が置いてあった。俺は恐る恐るそれを手にする。そしてたまたまパスコードを設定してなかったのでロックを解除する。そして俺は携帯の中の、写真を見ることにする。するとそこには、友達との写真やいろいろな写真があったが、その中に俺の写真が紛れていた。しかもその写真はすべて後ろ姿か、寝ている時だけの写真だった。しかし特にあの震えとつながらなかったので俺は携帯を閉じる。すると廊下の方から足音が聞こえてきた。純恋さんだ。どうしよう、今すぐに俺の部屋に行っても確実にばれる。俺はいそいで携帯をもとの位置に戻し、クローゼットの中に隠れた。もう完全にストーカーみたいだ。隠れてからすぐに純恋さんが部屋に入ってきた。どうやら音的に本棚をあさってるようだ。俺は息をひそめ音を立てないようにする。

「はぁ…。」

 すると、純恋さんのため息が聞こえる。いつもポジティブな純恋さんにしては珍しい。

「どうしよう。抑えないと。」

 言葉の意味が分からなかった。何を抑えるのか俺には全くわからない。少し体制がきつかったので、俺はゆっくり体制を変えようとしたその時、何かに引っかかって俺は足を滑らせ反射で壁にドンと手をついてしまう。

「ん?」

完全にやってしまった。足音がクローゼットに近づく。もう逃げ場はない。俺は全身の力が抜けていく。そしてクローゼットが開き目の前にいる純恋さんとバッチリ目が合ってしまった。

「あ、あの、これは。」

「涼太くん。女の人のクローゼットに忍び込むなんていい度胸してるね。」

 いつもの笑顔ではなかった。冗談を一切感じない。怒りと殺意を感じるような引きつった笑顔だった。

「そんなことする悪い子には、お仕置きが必要だね。」

 するとポケットに手を入れる。するとそこから何やら細長いものを取り出す。そして次の瞬間、ガリガリと音立てて鋭いものが顔を出す。間違いない。カッターナイフだ。どうしてこんなことをするのかという疑問の前に俺は死の恐怖が先立ち、冷や汗が出る。

「ご、ごめんなさい、悪気はないんです。」

 必死に弁明をする。

「問答無用だよ。ここで涼太くんは死ぬんだよ。」

 そしてカッターナイフの刃を俺の方へ向けて上に振りかぶる。

「や、やめてください。」

「さよなら、涼太くん。」

 そして、カッターナイフを俺の顔にめがけて振り下ろす。俺はもう無理だと思い目を閉じた。しかしいつまでたっても痛みが来ない。すると何やら柔らかいものが俺の首をつついてきた。俺は恐る恐る目を開ける。

「あはははは、なに本気でビビっちゃってるの。」

 純恋さんが爆笑している。

「え?」

「これ、消しゴムだよ。」

 涙を浮かべ、笑いながら俺にそのカッターナイフのようなものを渡してきた。俺はその刃のようなものを触る。確かに消しゴムだった。それにしてもデザインが本物そっくりすぎた。

「よかった。」

「これ、ずっと前友達にしたら泣き出して大変だったんだ。」

 まだ笑っている。

「そうなんですね。」

 それからしばらく純恋さんはツボにはまったらしく笑い続けた。そしてその後真面目な顔に戻る。

「なんで、こんなとこにいたの?」

「いや、それは。」

「答えないと、ほんとにお仕置きするよ。」

「ごめんなさい。ほんとに悪気はないんです。」

 俺は土下座する。ほんとのことは言えないが決してやましい理由ではない。

「ほんとに?」

「はい。」

「じゃあ、頭上げて。」

 言われるがままに俺は頭を上げる。

「理由は言及しない代わりに私の言うこと一個聞く、でどう?」

 上から誇らしげな顔で俺を見下ろす。一個くらいならお安い御用だ。

「わかりました。」

「よろしい!」

 それから俺は立ち上がってクローゼットから出る。すると突然部屋の扉が開いた。

「純恋、夕飯の…。」

 優子さんだった。俺たちを見たとたんに言葉が止まる。傍から見たら完全に純恋さんが俺をいじめてるように見えてる気がする。

「あ、お母さん。これは、その。」

「あ、実はですね。」

 俺たちは弁明する。

「もう純恋、涼太くんをいじめない。それより夕飯の準備手伝って。」

 そう言って部屋を出る。よかった。俺は特に何とも思われてないようだ。

「違うよ、だって涼太くんが…」

 少し走る感じで優子さんについていく。

「はいはい、言い訳はいいから。」

「お母さん!」

 廊下から二人のやり取りが聞こえる。少し微笑ましかった。俺は純恋さんの部屋を出て扉を閉める。すると胸の奥が締め付けられる感覚に襲われる。最近この感覚に襲われることが多々ある。


 翌日の模試は、以前より調子が出ず割とてこずるところが多かった。暑さのせいにしたいところだが、そんなことは言ってられない。結果は夏休みが終わって少ししてから帰ってきたのだが、B判定は維持したもののC寄りになっていたので少し悔しいところもあった。そして和樹はというと、あと偏差値1あればA判定だったらしい。流石和樹ってかんじだった。

 そして季節は冬に近づく。寒がりな人とそうでない人で夏服冬服がわかれる時期になってきた。うちの高校は衣替えの日はなくいつでも夏服冬服に変えてもいい。そのせいで、一年間学ランチャレンジとか一年間ポロシャツチャレンジとかする人が毎年出る。過去には三年間ずっと学ランっを着てた先輩もいるらしい。何の名誉になるんだって話だが。

「おい涼太、早く行こうぜ。」

 六限まで終わり、ロッカーの荷物をバッグに入れてたら翼が声をかけてきた。隣には和樹もいた。この時期は、受験勉強が忙しい故か、放課後はすぐに人がいなくなる。俺はさっさと荷物を入れて。帰宅準備を済ます。廊下には人はあまりいなかった。残ってるのは教室で自習する人たちだけとなっていた。

「よし、いくか。」

 俺たちは下足で、靴に履き替え駐輪場に向かう。駐輪場までの道には枯葉がたくさん落ちていた。まるで一つの装飾みたいだった。俺はすぐに自転車を取って。すぐ近くの門から学校を出る。

「お前らT大か、いいよなぁ。」

 隣の翼が、急に大きめの声でそう言う。

「なんでだ?」

 俺はとっさに聞く。

「なんかいいじゃん。どこの大学ですかって聞かれたら、どや顔で言えるじゃん。」

 相変わらずしょうもない。もっといいとこある気はするが。

「それだけかよ。」

 和樹が笑いながら言う。

「もう少しまともなこと言えよ。」

 俺も半笑いで言う。

「ていうか、まだ決まったわけじゃないけどな。」

 和樹の言うとおりだ。今のままだと安全とは言い切れないし、落ちる可能性も大いにある。

「お前らが落ちる気しないと思うんだけどな。」

 なんだかほめられてる気がして、少しうれしかった。

「それは、どうも。」

 俺は少し静か目に言う。それからは駅までずっと喋っていた。そして俺は翼たちと別れ自転車に乗る。やはり周りを見ても社会人の人はほとんどおらず、学生がほとんどだ。家に着き俺は自転車を止め、鍵を開け家の中に入る。やはり家には誰もいない。俺は手洗いうがいを済ませ部屋に戻行き、荷物を置く。それから服を着替え、俺は机に向かい、現代文の問題を解くことにする。今はあいつらは電車の中にいる可能性が高いから電話はできない。しばらく解いてれば時間は経つだろうと思い問題集を広げる。最初の一問を解いたところで、俺はいつの間にかベッドに寝転がっていた。誰もいない二階建ての一軒家。聞こえるのは隙間風の音だけ。どうして俺はここに寝転がっているのか、好きな教科をしてるはずなのに、どうしてこんなに集中できない。俺は今何をしたいのか、何を求めているのか、天井を眺めて考える。そして俺は携帯を手に取り、和樹にメールを送ろうとした。

『なんか集中できねぇ』

 完全に独り言みたいなメッセージだ。送ったものの俺の中にあるなにかは満たされなかった。何がしたい、何が欲しい、どうして俺自身がわからないのか。すると、和樹から返事が来る。

『お前らしくねぇな。悩みでもあるのか?』

 俺は返事を打とうとするが、なんて打っていいかわからず画面を眺めていた。

『悩みというか、なんか俺もよくわからないんだ。』

 こんなことを言っても和樹が解決してくれるわけじゃない。それはわかっていた。でもこの感覚の正体を知りたかった。

『話はあとで電話で聞く。少し待ってろ。』

 和樹から返事が来た。俺は何も返事はせずにそのまま携帯にロックをかける。再び俺は集中しようと机に向かう。すると今度はさらに悪化していた。文章すら頭に入ってこない。結局俺はベッドに寝転がり、天井を眺める。しかしこの状態を放置はしたくない、俺は立ち上がり部屋を出て、リビングに向かう。そして冷蔵庫を開けるも特に食べたいものはないし、気持ちは晴れない。次に洗面所へ行き、鏡に映る自分を眺める。写真で自分を見ると思わず拒否反応が起こるが、鏡だとある程度大丈夫だ。

「俺は、なにがしたい、何を求めている。」

 鏡に映るのは自分。つまり意思や気持ちもそのまま映している。もちろん解決するわけがない。そして俺は再び部屋に戻り、ベッドに横になる。どういうことなのか、何が起きているのか、こんな気持ち今まで味わったことがない。別に喧嘩したわけでもないし、和樹たちには隠し事なんてしていない。窓の隙間から冷たい風が吹いてきて俺は一瞬身震いする。俺は起き上がり窓を閉め、部屋の扉も閉める。すると携帯が鳴る。おそらく和樹だ。

「もしもし、すまんな。変なこと言って。」

「いいよ。どうした?お前がこの時期に集中できないなんてな。」

「どうしたって聞かれても、わからないんだ。」

 ほんとに情報が見つからない。只々もどかしいだけだった。

「それも、珍しいな。お前が何一つ根拠が見つけれないとはな。」

「あぁ、分からないんだ。今何がしたいのか、何を求めているのか。」

 確実に同級生に言うような言葉ではないが、和樹はこういうことでもちゃんと聞いてくれる。

「なるほどな。今一人か?」

「あぁ。」

「もしかしたら、人肌が恋しいんじゃねぇのか?」

「そうなのか?すまん、俺は何が正解かわかんねぇ。」

「ははは、お前らしくないな。」

「だよな。そんなことはわかってるんだが、この状態を放置したくなくてさ。」

 このままだと受験勉強に悪影響が出そうだ。何とかしないと。

「なるほどな、しかしお前が何もわからない以上俺も話が進められない。」

 確かにその通りだ。むしろそれをわかっていて電話をすることにした。

「それはわかっている。」

「そっか。とりあえず、何か自分の中で謎に感じたこととかないのか?もしかしたらそういうものとつなげると、解決したりするかもしれないぞ。」

「ありがとう。考えてみるよ。」

 俺はこれ以上話しても和樹の時間を奪うだけだと踏んで電話を終わらせることにする。

「頑張れよ、センターまでもう日付迫ってるからな。」

「そうだな、じゃあな。ありがとな。」

「おう。」

 電話は切れた。俺は再び天井を眺める。何だか考える気もなくなりつつあった。誰の仕業なのか、神様が俺の受験勉強を邪魔しているのか、それとも何かに気付かせようとしているのか。考えても無駄だ。俺は机に座り、和樹にもう一度電話をかけることにした。

「もしもし?」

「どうした?解決したのか?」

「すまんが、それには至ってないよ。」

「そっか。それで何の用だ?」

「集中できないから、電話しながら勉強しようと思ってさ。」

「なるほど、わかった。」

 受験勉強が忙しく、電話しながらしてもらうのはほんとにこっちの勝手だが和樹は受け入れてくれた。

「ありがとう。」

 そしてそれから、問題と向き合うのだが、やはり集中できない。部屋にはわずかに聞こえる和樹が画面の向こうでペンを走らせている音が聞こえるだけだった。

「なんだ、集中できないのか?」

 いきなり和樹に言われ、びっくりする。

「うわっ!?あぁ、あまりな。」

「やっぱりな、そんじゃゲームでもするか。翼も誘って。」

 流石にこいつの勉強時間を奪うわけにはいかない。

「いや、大丈夫だ。」

「いいよ、俺もなんか今日集中できないからさ。」

 確実に嘘だ。俺を気遣って言ってくれていることはすぐにわかった。

「ごめんな、時間奪っちゃって。」

「気にすんな。たった一、二時間くらい休憩すると思えばいい話だ。」

「ありがとう。」

 それから俺は電話を切り、翼も誘ってゲームをすることにした。

『珍しいな、お前らから誘ってくるの』

 普段俺たちからゲームを誘うことなんてない、この時期なんて尚更だ。だから翼は結構驚いているようだ。

『涼太が、悩みがあって集中できないらしいから、気分転換ってとこだ』

『悩みというか、俺もよくわかんないんだ』

『お前にしては珍しいな。それより始めるぞ』

 そして俺たちは、ゲームを始める。形式的には俺と和樹対翼って感じだ、もちろん翼が無双する。でも俺は気分転換というか、ずっと上の空の状態だった。

『おい涼太、何やってんだよ』

 和樹からチャットがくる。

『すまんすまん。油断してた』

『ぼーっとしてんじゃねぇよ笑』

『ごめん』

『ほんとにお前らしくないな笑』

『明日学校で話聞くから、今日は寝ろ』

『わかった』

 そして俺はゲームを閉じ、携帯にロックをかけてとりあえず夕飯までに風呂に入っておこうと、風呂場に行き、風呂を沸かす。それから再び部屋に行き、ベッドに横になる。こんな状態だから眠気も当然来ない。ぼーっと天井を眺めていると。

「たっだいまー!」

 玄関から陽気な声が聞こえてきた。純恋さんだとすぐにわかった。するとその瞬間俺の中に異変が起きる。さっきまでずっと悩まされてきたもどかしい感覚がどんどん晴れていく。すると純恋さんが部屋に入ってきた。

「遅くなちゃってごめんね。今から夕飯作るね!」

 さっきまで俺の中にあったもどかしさは、嘘みたいにどこかに消えていた。何がしたくて、何を求めていたのか、同時に和樹の言葉が頭をよぎる。

『何か自分の中で謎に感じたこととかないのか?もしかしたらそういうものとつなげると、解決するかもしれないぞ。』

 その瞬間俺は、頭の中でバラバラになっていたものがパズルのピースのようにつながっていった。もう俺は認めるしかない、でも叶わぬことなのに。

 俺は、純恋さんが好きだ。


 次の日俺は和樹たちにすべてを話すことにした。学食で少し端っこの誰にも声が聞かれない場所で俺たちは飯を食うことにする。

「それで、昨日どうしたんだ?」

 和樹が席に座るや否や聞いてくる。

「結論から先に言うと、解決はしたんだよ。」

「そっか、それで何が原因だったんだ?」

 俺は、迷った。いくら和樹たちといえど自分の恋心、しかも身内に対してのものなんてことを言うのはやはり言いづらい。

「どうしたんだよ。早く言えよ。」

 翼が笑いながら催促してくる。おそらく俺に少しでも気楽になってもらえるようにしてくれたんだと思う。

「実はな、俺、純恋さんが、好き、なんだ。」

 驚かれるなんて百の承知だし、気持ち悪がられることも覚悟の上だった。しかし二人は驚くどころか、冷静だった。

「やっぱりな。」

 和樹がつぶやくように言う。

「どういうことだよ?」

 俺は誰にもこんなこと話してないし。それを確信したのは昨日のはず。

「お前、ここ最近純恋さんの話する時、やけに楽しそうだし、帰るときもやけに速足になってたし、多分そんなことなんじゃないかなとは思ってたんだ。」

「俺も和樹に同意だ。」

 見透かされていた。というよりとっくの前から俺の中での純恋さんの存在は大きくなっていたのか、急に恥ずかしくなってしまった。

「別に俺は良いと思うぞ、別に義理の関係だから、正式な血縁関係はないんだから付き合うことも、はたまた結婚だってできる。世間一般にはどう思われるかはわからないが。」

「愛に兄弟だからとか、歳離れてるとか関係ないから!好きなら好きで気持ち伝えようぜ!」 

 翼は身を乗り出して言う。普段説得力のかけらもない翼の言葉が妙に心に響く。

「でも、どうすればいい?俺、ずっと純恋さんに素っ気ない対応ばかりしてるし。」

 今になって今までの自分の対応の冷たさを後悔する。

「ある意味、その冷たさがあの人にとって良かったのかもな。」

 言葉の意味が分からない。

「どういうことだ?」

「俺の勝手な予想だが、あの人、多分男に困ったことない気がする。なんせあんな容姿だからな。」

 その通りだ。俺はうなずく。

「逆に言えば、おそらくほとんどの男はあの人の容姿に惚れることがほとんどだ。だからあの人は、自分の内面も含めて好きになってくれる人を求めてるんじゃないかなと思うんだ。」

「でも、俺のその冷たさと何の関係があるんだ?」

「翼がいい例だ、初詣の時、翼が純恋さんと話すとき、ニヤニヤデレデレしながらはなしてただろ?そんな風に、大体可愛い人はちやほやされがちだ。だからお前みたいに素っ気なくされるってことは、ある意味新鮮な感覚だし、顔だけじゃないってことが伝わる。だからお前に好意を寄せてる可能性は割と十分にある。」

 確かに和樹の言う通りだが、いつも通り対応を変えずに過ごせるか不安だ。

「そっか。ありがとう。」

「積極的になれよ!行かなくて後悔するよりは行って後悔するほうがいい。行かないことへの後悔はつらいぞ。」

 こういうことは翼じゃないと説得感が出ないことばだ。翼に助けられたのは久々だ。

「流石、もてる男は違うな。」

 和樹が翼のほうを見て、ニヤニヤする。

「おい!」

 怒ってるようで、笑っている。ほんとにこいつらといると心が落ち着く。それからは飯を済ませて教室に戻る。するともう授業開始五分前だった。五、六限は自習で、和樹たちのおかげである程度集中できた。ただ、今後純恋さんとどう接していけばいいか迷ってしまう。いつも通りにしておけばいいとは思うが、意識してしまったことでそれは難しそうだ。とりあえず冷静を保つことを肝に銘じる。放課後俺たちはいつも通りの通学路を歩いている。

「今日はありがとな。」

 俺は、和樹と翼に感謝を伝える。

「いいよ、とりあえず頑張れよ。翼の言う通り行って損はないと思うからな。」

「そうだぞ、人生一度切り、楽しめよ!」

 俺は二人から激励された。

「あぁ、頑張るよ。」

「ちゃんと結婚式呼べよ?」

 翼がニヤニヤしながら言ってくる。

「俺も忘れんなよ。」

 和樹がそれに乗ってくる。

「まだ、決まったわけじゃねぇよ。」

 普段なら声を大にして言っていたはずだが、今回は小さめの声になってしまった。それから二人とは駅で別れ、俺は自転車を飛ばして家に帰る。自転車に乗ってる間ずっと考えていた。いつ言おうか、はたまた今言うべきなのか。家に着くと、リビングから純恋さんが出てきた。

「おかえり!」

 満面の笑みで言ってきた。

「ただいま。」

 そして俺は部屋に向かう。改めて、異性として意識した状態で見るとなると緊張する。翼はこの感覚慣れきっているのかと疑問に思う。部屋に荷物を置き、服を着替える。よくよく考えると純恋さんとの関係性故実感してなかったが今になって思う。あの人は高嶺の花すぎる。だってあんなに可愛くて、スポーツもできて頭もいい、同級生でこんな人がいたら狙うやつがどんなにいてもおかしくない。しかも五十人以上の告白を断っている。こんな俺が告白したところで成功する確率なんて、天文学的な数字だ。どうしよう、このまま諦めるべきなのか、関係が壊れてしまうよりはこの距離感を保つほうが賢明なのか、いざあの人を目の前にすると、怖くなってしまう。だめだ。考えるのはやめよう。そして俺は机に座り、勉強を始めた。やはり人に話すと変わるものなのか、割と集中できている。いつも通りのペースで勉強できている気がする。このまま俺は勉強モードに入っていく。すると俺の机の上に一つのマグカップが置かれた。振り向くと純恋さんだった。

「はい、ココアだよ。勉強で疲れたときにって思って。」

「あ、ありがとうございます。」

 純恋さんは部屋をようとして、俺に背を向ける。今言うべきかもしれない、そう思い俺は勇気を振り絞り声をかけた。

「あ、あの。」

 思ったより声が大きかった。そして純恋さんはこっちを振り向く。

「なぁに?」

 しかし、いざ純恋さんと目が合うと、緊張のあまり言う勇気が無くなってしまう。俺は臆病者なのか。

「いえ、なんでもないです。」

「なにそれ?涼太くんらしくないな。」

 笑いながら言われてしまった。もし今俺が告白なんてしたら、この笑顔はもう二度と見れないかもしれない。そんな恐怖が俺に襲い掛かる。

「すいません。」

「いいよいいよ、じゃあ頑張ってね!」

 そう言って純恋さんは部屋を出る。俺はそのマグカップを手に取る。中のココアからは湯気が出ていた。部屋の扉を眺めながら俺はマグカップを口元に持ってくる。

「熱っ。」

 反射で顔を後ろに引く、ココアが熱いことを忘れてしまっていた。俺はマグカップを机に置き、再び勉強に取り掛かる。夕飯まではあのことは忘れることにする、そんなに悪影響はなかったものの、やはり頭の中は純恋さんのことでいっぱいだった。

 夕飯と風呂、軽い勉強を済ませ、俺はベッドの上に寝転がり、お休みモードになっていた。おそらくこの時間帯は純恋さんは俺の部屋に入ってきて、一緒に寝ようとか何とか言ってくる。今まで通りの素っ気ない対応するべきなのか、距離を縮めるために、受け入れるのではどっちがいいのだろうか。もし俺が受け入れたとして、実際はからかっていただけで、気持ち悪がられたらどうしよう。純恋さんの気持ちがわからない以上うかつに動くのは危険な気はするが、翼の意見も一理ある。もし本当に純恋さんが俺に好意を持っていたとすると、動かない理由はない。確かに俺は純恋さんと付き合いたいという気持ちはあるし、ほかの男に取られないかという恐れはある。しかしもし俺のことをただの義弟としか思ってなくて、告白することで気まずくって、話したりできなくなるということが何よりも怖い。そんなことを考えていると、突然部屋の扉が開く。俺は同時に体を起こす。

「ねぇねぇ涼太くん。」

 のんきに入ってくる。こっちは大学受験とあなたのことでいっぱいなのに。

「何ですか?」

 気持ちを悟られないように冷静を装って言う。純恋さんは感がかなり鋭い、ぼそっと言ったことが図星であることが結構あるから、油断すると気付かれる。

「一緒に寝ようよ!」

 やはり予想は当たっていたが、ここからが問題だった。純恋さんの本心がわからない以上受け入れるのは少しリスクを伴う。

「無理です。子供じゃないですし。」

 ここはリスクを避け、いつも通り断る路線で行くことにした。

「いいじゃん!お互いの距離も縮まったことだしさ?」

 言葉の意味を理解するのに必死だった。とらえようはいろいろある。姉弟としての距離なのか、二人の男女としての距離のことなのかわからない、かといって聞くことは絶対にできない。

「意味が分かりません。」

 とりあえずこれでしのぐことにする。あまり拒絶しすぎると純恋さんを傷つけるかもしれないから、強い口調やきつい言葉は避けよう。

「ねぇなんで?たかが同じベッドで寝るだけじゃん。別にやらしいことしないからさ。」

「たかがって、そういう問題じゃありません。」

「じゃあ三十分だけ。お願い!」

「んー、わかりました。三十分だけですよ。」

 かなり迷ったが、流石に三十分だけだとそこまで変な影響はないだろうと判断した。

「やった!」

 幸せそうにわらって、自分の部屋に行って枕を取りに行った。

「じゃあ、電気消すね。」

 一瞬で戻ってきた。こういうことになると行動は早い。

「はい。」

 そして部屋の電気が消える。窓からの外の明かりだけがこの部屋を照らしている。

「もっと奥に詰めて。」

「はい。」

 俺は少し横にずれる。そして空いたスペースに純恋さんは枕を置き俺の掛け布団の中に入ってきて俺の方を向く。顔が近すぎる。赤面してないかが不安だ。

「あったかいね。」

「そうですね。というより顔近すぎませんか?」

「いいの、こうやってお互いにぬくもり合うのがいいんじゃん!」

 もう息がかかるくらいの距離だ。なにされるかわからないし、絶対逃げれない。

「そうなんですね。」

「初めてでしょ?親以外の人と寝るの。」

 やけに嬉しそうな笑みを浮かべていた。

「はい。」

「私もだよ!しかも男の人となんて生まれて一回もない。」

「お父さん、どうしたんですか?」

「私が生まれる前に離婚して、お父さんにはあったことないの。だからお母さんが女手一つで私を育ててくれたの。お母さんああ見えて実はすごくしっかりしてるんだよ。私が何不自由なく暮らせてたのはお母さんのおかげ。だから私お母さんには感謝してもしきれないんだ。」

 大人の微笑を浮かべる。その中に悲しみがわずかにうかがえたので、少し罪悪感にかられる。

「ごめんなさい。なんか変なこと聞いちゃって。」

「大丈夫だよ!気にしない!」

「はい。」

「ちょっと話変わるけどさ。」

 純恋さんの顔が少し照れくさそうになる。

「はい?」

「もう少しくっついていい?」

 断ろうと思ったが、それより純恋さんが可愛すぎる。多分今俺が断ると、純恋さんが傷ついてしまうのは間違いない。流石にそれは嫌だったので、俺は了承する。

「いい、ですよ。」

「やった!」

 幸せそうに微笑んで、俺に近づいてくる。完全に密着状態だ。心臓の鼓動が早まっている、これを聞かれるとばれるかもしれない。

「涼太くんの体温、あったまるなぁ。」

「は、はい。」

「もしかして、緊張してる?」

 笑いながら聞いてくる。否定すべきなのか自白すべきなのかわからない。

「いや、よくわかりません。」

 どっちにも取れないように濁す。すると純恋さんは俺の心臓に手を当ててきた。

「緊張してるじゃん。」

 ばれたものの、その奥は気付かれていないようで一安心する。

「は、はい。」

「可愛いね!」

 可愛いのはそっちの方だ。なんだかいつもなら少しむっとなるが、今の俺にはそんな感情はなかった。

「やめましょう。」

「えへへ、私も緊張してるんだよ。」

 意外な発言に、俺は若干耳を疑う。なんだかいろんな意味で嬉しかった。

「そうなんですね。」

「ほら触ってみて。私の心臓の鼓動が早まってるのがわかるよ。」

「何言ってるんですか?」

 流石に俺は自分の意志で女の人の胸に手を触れられるほどの肉食男子ではない。

「遠慮しないで、別にセクハラとかじゃないし。」

「いやそういう問題じゃ…」

 俺の言葉を遮るように、純恋さんは俺の手首をつかみ自分の胸に当ててきた。もう心臓が口から飛び出てきそうだ。

「どう?すごく早いでしょ?私だって緊張してるんだよ。」

 確かにかなり鼓動が早いことは伝わるが、それよりこの手に伝わる柔らかい感触が気になって仕方がない。

「はい。そうですね。わかったので放してもらえませんか?」

「どうしよっかなぁ?」

 ニヤニヤしながら言ってきた。このままだと俺の気が持たない。

「お願いですから放してください。」

「冗談だよ。放してあげる。」

 そして、俺の純恋さんからつかまれていた手首は解放された。純恋さんは少しもの惜しそうにこっちを見ている。

「なんですか?」

「なんかさ、神様ってひどいなって。」

「どういう意味ですか?」

 言葉の意味が分からないし、これを言う意図すらつかめない。

「なんでもない!」

「なんなんですか。」

 よくよく見ると、純恋さんの大きな瞳に涙が浮かんでるように見えた。部屋が暗いため確信が持てないので言わないことにした。

「涼太くんって、まだ私のこと受け入れてない?」

「急すぎますね。」

 正直俺はこうなってしまった以上、純恋さんを姉として受け入れることはできない。

「はい。」

「そっか。」

 純恋さんは笑っていた。なぜかそこから悲しさはほとんど伺えなかったし、むしろ喜びがうかがえたような気がする。

「あのさ、一応聞くけど。」

 急に純恋さんが真面目な顔になる。

「なんでしょう?」

「私のこと、嫌いじゃない?」

 こんな質問してくるってことは、もしかしたらばれてるかもしれない。そんな不安が俺の頭をよぎる。

「どうしてですか?」

「だって、こんなこと嫌いな人にされたら嫌でしょ。」

 純恋さんにも嫌われてるかもしれないという恐怖心は少なからずあったようだ。でも今の俺は嫌いなんて一ミリも思ってない。

「大丈夫です。そんなことはないですよ。」

 安心してもらうように言う。

「よかった!」

 幸せそうに笑う。なんだか純恋さんの笑顔を見ると、安心する。

「ねぇ。」

「はい?」

「今日、このまま寝てもいい?」

 またさっきのように照れくさそうな顔で言ってくる。ほんとにこの時の可愛さは反則レベルだ。かなり迷うが、自分から言ったわけではないし、ばれる可能性はそんなにないだろう。なによりそんな顔でおねだりされたら断れない。

「今日だけですよ。」

「ありがとう!」

 すると急に純恋さんが俺に抱き着いてきた。恥ずかしさを通り越して感情が無くなりそうだ。

「いきなりなにするんですか?」

「だって、今日だけだからいいじゃん!」

 そう言ってさらに俺を強く抱きしめてきた。やばい、心臓が止まりそうになる。

「そういう問題じゃないですよ。」

「もう、恥ずかしがらないの。」

 ほっぺを膨らませる。親以外の女の人と寝るなんて恥ずかしいに決まってるし、しかも純恋さんとは正式な血縁関係はない。実質俺からすれば普通の女性、ではなく、思いを寄せてるひと。恥ずかしがるなんて当たり前だ。

「だって、こんなこと僕初めてで……。」

「私もだよ、だから気にしない。」

「はい。」

「気を紛らわすためになんかお話ししようよ。」

 なぜだろう、気のせいかもしれないが、今の喋り方に若干の焦りが伺えた。もしそうだとしてどこに焦る要素があったのだろう。

「そう、ですね。」

「あ、そういえば涼太くんに言わなきゃいけないことあった。」

 すると急に真面目な顔になった。

「なんですか?」

「私、彼氏ができました。」

「え?・・・」

 俺の頭の中で、その言葉が何度もリピートされる。どうして、今までそんな感じ全くなかったのに。じゃあ今までのスキンシップは全部姉弟としてのものだった。俺はそれにまんまと騙され、純恋さんを意識していたというのか。

「まぁ涼太くんには関係ないと思うけど。」 

 笑いながら言う。こっちは笑いごとどころではない。約十八年間、女をだれ一人意識すらしたことない俺の初めての恋はこんな感じで終わってしまった。でも確かに純恋さんは俺からすれば高嶺の花だ。四六時中男から狙われているだろうから仕方ないのかもしれない。俺は悲しみを表に出さないように必死だった。

「いつから、ですか?」

 震えそうな声を抑えながら聞く。

「んー、大体二か月くらい前かな。」

 二か月前はまだ俺が純恋さんを意識するかなり前だ。もうその時から俺の片思いは確定だったらしい。

「そうなんですね。」

「しかももう婚約までしてるから、卒業後は結婚するよ。」

 さらに俺に追い打ちをかけてくる。もうメンタルはズタボロだ。初めてだった、ここまで人に苦しめられたのは。なんだか呼吸すらまともにできない気がする。

「それは良かったですね。」

「えへへ、ありがと!」

 幸せそうに笑う。だめだ、純恋さんの顔見てると俺の気が持たない、意識が飛びそうだった。言葉も何も出てこない。

「僕、眠くなったので寝ます。」

 そう言って俺は純恋さんに背を向けたかったが、抱きしめられてたため動けない。

「あの、手を放してください。」

「いやだ、放さない。」

 もうこれが姉弟としてのものだとわかっているという状況が一番つらい。

「いいから放してください!」

 強く言って俺は少し強引に、純恋さんの手をすり抜け、背中を向ける形で寝る。と言ってもこんな心境で寝れるはずもなく、ただ目をつむって寝たふりしてるだけだ。

「あ、涼太くん。」

 純恋さんの悲しそうな声が聞こえる。だが俺には関係ない。

「こんなこと、彼氏がいるのにするべきじゃありませんよ。」

 俺は、純恋さんにそう告げる。もう叶わないってわかってるから、ぐいぐい来ないでほしかった。

「くふふふ。」

 すると突然純恋さんは笑い出した。

「何がおかしいんですか?」

 少し怒り気味に言う。

「涼太くんってば純粋すぎ!ほんとに信じるって可愛い!」

「もう、やめてください。心臓に悪いです。」

 でも俺は肩の荷がおりたようで、体がかるくなる感覚がすると同時に、安心感からか眠気に襲われる。

「ごめんごめん。ほら、こっち向いて。」

 言われるがままに俺は腹を純恋さんに向ける。ほんとによかった、まだ可能性はゼロじゃない。

「ふふ、涼太くんやっぱ面白い!」

 まだ可笑しそうに笑っている。

「はぁ。」

 俺は、一割の呆れと九割の安心のため息をつく。

「ごめんごめん、ついからかいたくなっちゃって。」

 俺を慰めるような口調で言ってきた。

「いいですよ。それより僕もう寝ます。」

「そっか。じゃあ私も寝よっかな。」

 純恋さんがあくびをしながら言う。俺は目を閉じて眠りにつこうとするとまた純恋さんが抱きしめてきた。

「なんですか?寝にくいです。」

「細かいことは気にしない!早く寝よ!」

「はい。」

 少し気になって寝にくいのはあったが、それよりも安心感のほうが大きかった。とりあえず嘘でよかった。しかしこれが本当になる可能性はないとは言い切れない。そのためにも早く伝えるほうが身のためなのかなと思う。明日、伝えよう。そう意気込んで俺は眠りにつく。


 朝、俺は自然に目が覚めた。視界の先では純恋さんが気持ちよさそうに寝ていた。俺は純恋さんの細い手をそっとどかせてベッドからゆっくり出る。携帯を手に取ると、時刻は5:14と表示されていた。俺は先に準備等を済ませてから、純恋さんを部屋に運ぶことにする。一回に降りて朝飯を作る。と言ってもただ米をチンするだけだから作るの一環に入るかは怪しい。電子レンジを作動させて俺は制服に着替えようと部屋に戻る。純恋さんは相変わらず寝ていて起きる気配がない。着替え終わったら再び下へ行き、朝めしを食べる。最近は優子さんだったり、長期休暇中は純恋さんが飯を作ってくれていたので、何だか普段自分がいかに手抜き飯を食ってるかわかる。その後は洗面所へ行き、歯磨き洗顔をすませて部屋に戻る。俺は純恋さんを部屋に戻そうとして、気持ちよさそうに寝ている純恋さんを抱き上げる。正直結構緊張する。起きられたりしたらやばい。抱き上げて改めて気付いたが、純恋さんはかなり軽かった。そして腰がめちゃくちゃ細く、少し曲げただけで折れそうだった。足音をできるだけ立てないように純恋さんを布団まで運ぶ。そして布団に着いたので、ゆっくり起こさないように布団に降ろす。そして掛け布団をかけた。

「行ってきます。」

 小声でそう言って俺は純恋さんの部屋を出る。それから学校へ行くと、どうやら今日は和樹が体調不良で休みのようだ。だから今日の学食は必然的に翼と二人になってしまう。一、二、三、四限と授業が終わり、俺と翼は一足早く学食へ行く。

「どうだったか?ちゃんと伝えたか?」

 席に着くや否や翼が尋ねてきた。

「すまん、伝えれなかった。」

「なんだよ。ていうか謝るなよ、俺に何かあったわけでもないのによ。」

 笑いながら翼は言う。ここんとこの翼はずいぶんまともだ。

「そうだよな。それで昨日なんだけどさ。」

 俺は昨日どんなことがあったかを翼に教える。

「まじかよ、もうそれいっていいだろ。ほぼ勝ち確ルートな気がするぞ。」

 いつものような馬鹿にするような笑いではなく、真剣さがうかがえるような笑い方だった。

「俺も行きたいけどよ、なんかいざ言おうとすると怖くてさ。」

「気持ちはわかる。俺だって告るって決めたら大体三週間くらい伸びるからな。」

「お前、何回告って何回成功した?」

 これでゼロとか言われたら、相談するのはやめよう。そう思っていた。

「中学からだったら、六回中三回成功してるぞ。」

 どや顔で言うが、そんなに告白する人いるのか。というよりこいつのハードルが低すぎるというのはある。

「お前やりすぎだろ。でも成功率は思ってたより高いな。」

「おい!俺を誰だと思っている?」

「天下の振られ王、井上翼。」

 冗談を交えて、話の雰囲気を軽くする。

「恋愛マスターと呼び給え。」

「恋愛マスターだったら百パーセント成功する気がするけどな。」

「うるせぇ、よけいなおせわじゃ!」

 正直俺の置かれてる立場からしてこの話は暗い話だが、そういうのはこいつのおかげで軽減される。ほんとにこいつや和樹には感謝だ。

「すまんすまん。」

「ていうか、どうするんだ?今日伝えるって言っても何も対策とかしないと昨日みたいになるぞ。」

 まさにその通りだ、昨日できなかったことが今日急にできるわけがない。かといってこれといった具体策はない。

「確かにな、でも思い浮かばねぇんだよ。」

「浮かばないのはすげぇ分かる。でもほかの男に取られるのは時間の問題だからな。」

 翼、やはりいつもと違うな。いつもは和樹がまともなこと言って、翼が変なこと言うのに。

「だよな。五、六限の間に考えるとするか。」

「お前にしては珍しいな。勉強そっちのけって、そんなに夢中なのか?」

 ニヤニヤしながら言ってくる。めっちゃとは言わないがもう今の俺は夢中になってる気がするから、否定することはできない。

「まぁな。」

「お前は、振られたとして関係が壊れることが一番怖いんだろ?」

「そうだ。」

「これだけは言っておく。たかが一回振られたくらいで関係が壊れるとか、避けられるんだったら、その程度の女だってことだ。」

 この言葉、おそらく和樹が言っても実体験が伴ってない以上少し説得感に欠けるが、翼だからか、かなり心に響いた。こいつなかなかやるな。

「ありがとな。」

「さっさと食っていくぞ!」

「だな。」

 そして俺たちは飯を済ませ、教室に戻る。五、六限は自習だったので俺は、現代文と数学の教材を机に置く。五限は特に何もなく集中できたが、六限の間、なぜかポケットにしまっている携帯が何度か震えた。この時間帯に何か連絡が来たことは全くと言っていいほどない。放課後、俺は荷物の整理を済ませてから携帯を確認する。どうやら純恋さんが電話をかけてきたようだ。俺は後でかけなおそうとして翼と一緒に帰る。

「今日の自習捗ったな。」

 翼が空を見上げながら言う。

「お前今日も爆睡だったろ。」

「睡眠学習というやつだな。」

 どや顔で俺に言ってきた。面白いがほんとにこの先心配だ。

「お前ほんとに大丈夫か?進学はおろか、卒業すらできんかもしれんぞ。」

「大丈夫だ!俺はいざという時はやる男だから。」

 今までの翼だったら信用できない言葉だが、今は少しだけ信用ができる言葉だ。

「そっか。それより和樹が休みとは珍しいな。」

「たしかにな、あいつまだ二回しか学校休んでないよな。」

「あいつ、体調崩しても勉強してそうだから心配だな。」

 和樹は俺らとはかけ離れたような努力家だ。目標があればそれに向かってしっかり自制できる。俺は、和樹のそういうとこに対して尊敬してる。

「だよな、あいつもうちょっと遊んでもいいと思うんだけどな。」

「お前は遊びすぎなんだよ。」

「人生楽しめば勝ちだ。」

 受験生の口から発せられる言葉とは到底思えない。でもよくよく思えば、中学の時も翼は受験前でもこうやってのほほんとしていた。こいつもしかすると陰で努力してるのかもしれない。

「楽しむばかりだと飽きるだろ。」

「いや、それは違う。飽きたところでそれは楽しいとは言えないからな。」

「そうなのか?これに関しては俺はわからん。」

「そうだ!」

「そっか。」

 それから駅について翼とは別れ、俺は自転車を歩行者の邪魔にならないとこに止め携帯を取り出す。そして俺は純恋さんに電話をかける。確か純恋さんは大学があるはず、どうして電話なんかかけてきたのか。電話はすぐにつながった。

「もしもし?」

「辻元涼太さんですか?」

 聞いたことのない声が聞こえた。俺は驚きを隠せない。

「はい、そうですけど、どちら様ですか?」

「私は純恋の友人です。」

「そうなんですね。それで何の御用でしょうか?」

 そして俺は衝撃の一言を聞くことになる。


「純恋が倒れて救急車で運ばれました。」


 俺は一瞬何を言われたのかわからなかった。唖然としていると電話の相手は続けて俺に言う。

「突然かもしれませんが、詳しいことは後で説明します。とりあえず家の近くの大学病院に来てくれませんか?」

「わ、分かりました。」

 そして俺はすぐに電話を切り、携帯をポケットにしまって自転車をこぎ始める。俺の頭の中に「死」

の一文字がよぎる。

「頼む、生きててください。」

 俺は全力で自転車をこぐ、歩行者優先なんてどうでもいい。俺はわずかな隙間も気にせず全速力で通り抜ける。通り抜ける瞬間びっくりされ、その後うしろからごちゃごちゃ言われても俺は無視して俺は病院へ向かう。

「どうして昨日伝えなかったんだ。」

 俺はその後悔で頭がいっぱいだった。病院について、俺は近くに自転車を止めて中に入る。中には患者と思われる人や、老人や看護師の人がたくさんいた。そしてこの病院特有の匂いが俺はあまり好きではない。俺はさっきの電話の相手を探す。と言ってもさっきの電話の相手がどんな顔かわからないので声をかけられないし、純恋さんがどこにいるかもわからない。ロビーをうろうろしていると突然後ろから声をかけられる。

「あの、辻元涼太さん?」

 俺は後ろを向くと、何やらロングヘアの大学生っぽい人がいた。見た目からして頭脳明晰な感じだった。おそらく電話の相手はこの人で間違いないだろう。

「はい。」

「よかったです。とりあえず事情を話す前に、純恋の所へ案内します。」

「わかりました。」

 俺はその人についていく。どうやらこの棟の五階らしく、エレベーターに乗る。その時のエレベーター内はエレベーターの動く音のみが響いてるだけだった。エレベーターから出て俺はただその人についていく。すると扉の横のネームプレートに『辻元純恋』と書かれた扉を見つけた。

「ここです。」

 その人はその扉を指さす。

「ありがとうございます。それで、何があったんですか?」

 俺は、入るのが少し怖かった。なので予め聞くほうがショックを抑えれる気がした。

「実はですね、純恋が大学の一限のときに倒れたんです。」

「容態は大丈夫なんですか?」

「一応意識はあるみたいなので今のところは問題ないかとは思います。」

 よかった、俺の中に安心感が訪れる。

「なんの病気なんですか?」

「簡単に言うと、心臓の病気です。」

 慌てる様子もなく、冷静に説明してくれた。

「わかりました。ありがとうございます。」

「私はこれから用事があるので、失礼します。」

 するとその人は礼儀正しく俺に頭を下げ、この場を後にした。俺は軽く扉をノックする。

「はーい!」

 陽気な返事が返ってきた。俺はゆっくり扉を開ける。

「あ、涼太くん!」

「よかったです。生きてて。」

 自然と俺の口から出た言葉だった。とにかく安心だった。

「えへへ、心配させてごめんね。」

「そういえば、ここ優子さんの職場ですよね?」

 そう言いながら俺は壁にかかっていたパイプ椅子を開いて座り、隣に荷物を置く。

「そうだよ。でもお母さんは病棟が違うから、来れるとしても仕事ではここに来ることはないの。」

 少し寂しそうな顔をしていた。純恋さんはきっと母親思いなんだろう。

「そうなんですね。ていうか、心臓に持病があったんですね。」

「かくしててごめんね。実は私、生まれたときから心臓が弱くて、高校生の頃もこうやって入院してたこともあったの。」

 うつむいて俺と目を合わせようとしなかった。正直隠されたことに関して俺は何とも思ってない。

「重症じゃないですよね?」

「今のところはね。」

 純恋さんの唇は震えていた、前に家で一緒に勉強してた時とおなじだ。しかも言葉自体も今後の保証がないような言い方だった。

「今後死ぬかもしれないみたいな言い方やめてくださいよ。」

「大丈夫!私は強いから!」

 子供みたいに笑う。確かにまだ余裕は感じられるし、収まる見込みは有りそうだった。

「いつ退院できますか?」

「まだわからないんだけど、高校生の時は大体二か月ちょいだから、センター試験までには退院できるかな。」

「そうなんですね。」

 どうしよう。来るまでは今日伝えようとしていたが、やはり怖くなって伝える勇気が無くなった。このままだとほんとに彼氏を作られてしまう。いつかは伝えないといけない、いつ伝えよう。そんなことを考えていると、

「どうしたの?そんな険しい顔して。」

 純恋さんが不思議そうな顔をしていた。俺は慌てる。

「い、いやなんでもないです。」

「へんなの。」

 面白そうに笑っている。

「僕、今から少し勉強します。」

 俺はバッグから、世界史の教材を取り出す。ここじゃ書いたりはできないので暗記物をすることにした。すると急に純恋さんが俺の手から教材を取る。

「ねぇ、私が問題出すから答えてよ。」

「わかりました。」

 それから俺は、純恋さんと一緒に勉強をした。暗記物は一人で黙々覚えるよりも友達と一緒にしたほうが覚えやすいと聞いたことがある。確かにそれは間違ってはないと思うが、今の俺は少し例外的だ。片思い中の人とすると、緊張というか変にいろいろ気にして暗記効率は下がってる気がする。でも俺は純恋さんにそんなことは言えないのでこのまま続けることにする。そしてそのあとは、英単語、日本史と持ってた暗記系のものは大体一通りした。やってみると意外に頭に入るし楽しかった。

「すごい!結構覚えてるじゃん!」

「流石にこれくらい覚えとかないと受からないんで。」

 少しはにかみながら言う。

「相変わらず真面目だね!」

「どうも。」

 俺は軽く頭を下げる。

「じゃあ、僕帰ります。ほかの勉強もしないといけないんで。」

「わかった。頑張ってね!」

「はい。」

 そして俺はバッグに教材を直して、立ち上がって椅子をたたむ。すると純恋さんが俺の腕をつかんできた。いきなりすぎて俺は一瞬ドキっとなった。

「なん、ですか?」

「一つ、私と約束して。」

 真面目な顔で言ってくる。重い話じゃないことを祈る。

「はい?」

「これからは毎日来てね!」

 満面の笑みで俺に言う。もちろん言われなくても俺はそのつもりだった。

「わかりました。」

「約束だよ!破ったらお仕置きだからね!」

「はい。」

 そして俺は椅子をもとの場所に戻して、バッグを持つ。

「じゃあ、失礼します。」

「ばいばい!また明日!」

 純恋さんは笑顔で俺に手を振っている。俺は軽く会釈をして病室を出る。病院を出て俺は自転車を取って、家に帰る。結局今日も言えなかった。やっぱり難しい。俺がお豆腐メンタルというのはあるかもしれないが。流石に退院するまでには伝えないとやばい。何とか策を考えないとな。

 家ではやはり純恋さんはいないので、静まり返っていた。優子さんや親父もまだ帰ってきてない。俺は部屋に行き、勉強することにする。なんだか部屋が今までとは全く違う部屋に感じた。まるで引っ越したばかりのようだ。毎日純恋さんのとこへ行くと決めたからには家での勉強は演習が大事となる数学などをすることにして、病院では暗記物系を純恋さんと一緒にすることにする。こうすれば偏りも出らずにバランスの取れた勉強ができる。しかし純恋さんと出会って約一年、もうあの人がいる生活が当たり前になってるから家に純恋さんがいないほうが不自然な感じだ。どうしてだろうな、あの人を好きになったのは、多分こんなことであったばかりの俺に言ったら怒られそうだな。当初はあんなに避けてたしほんとにかかわりたくもなかった。好きになるなんてどう考えてもありえなかった。それが今じゃこんな有様だ。女子をまともに好きになったことない俺の心が純恋さんで染まっている。ほんとに世の中何があるかわからない。

 勉強をある程度進めると、そういえば和樹に何も連絡してなかったことに気付く。俺は携帯を取り出し、和樹に電話をかけた。すると以外にも電話に出るまでのスピードは速かった。

「もしもし。」

「どうした?体調なら治ったぞ。」

 体調の心配してかけたからもう実質用済みになってしまった。

「ならよかった。」

「お前、ちゃんと伝えたのか?」

「いや、まだなんだ。」

 俺は申し訳なさそうに言う。

「まじかよ。」

「それなんだけどさ、実は純恋さん入院することになってさ。」

「なるほどな。持病持ちだったのか?」

「心臓が生まれつき弱かったらしい。」

「そっか。それと、一つ俺から言っておく。」

 少し和樹の声が低くなる。

「なんだ?」

「わかってるかもしれないがもし年を越しても伝えてなかったら、伝えるのは受験終わりにしろよ。」

「どうしてだ?」

 俺は純粋に疑問だった。

「お前分からねぇのか?人って恋愛すると頭悪くなるってのはほんとのようだな。」

 携帯越しに和樹の呆れ声が聞こえる。

「なんか、ごめん。」

「もし仮にセンター前日に告ったりしてよ、振られたら次の日のセンター間違いなくやばいだろ。」

「あ、確かにな。気付かなかった。」

 どうやら俺は馬鹿になったようだ。

「はぁ、言っといてよかったよ。気をつけろよ、タイミングってのは重要だからな。」

「わかった。ありがとう。」

「頑張れよ、じゃあな。」

 電話は切れた。俺は携帯を直して再び勉強に取り掛かる。さっきの電話のせいか少し危機感が俺の中に現れ始めた。確かにあんなこと普通に考えれば誰でもわかることだ。それにすら気付けないとはかなりやばい。勉強には関係ないかもしれないが、こういう見落としはほんとに命取りになる。

「恋愛って、難しいな。」

 俺の口からぽろっと言葉が漏れてしまった。 

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