その歌は心を壊す

 戦争の中で兵士たちを鼓舞させるために詩人が詩を紡ぐのは珍しいことではない。


 歌を耳にした兵士も最初はそう思っていた。対峙していた敵兵士の顔つきが変わったのも、その程度のことだと思っていた。


 確かに心臓を貫いたはずなのに、胸に刺さった剣をもろともせずに自分に向かって剣を振り下ろしてくるまでは。


 戦況の変化の知らせが来たとき、知らせに来た兵士の顔色から応援の声を上げにいかなきゃいけないのかと、雪那は座っていた簡易イスから腰を上げた。しかし兵士は蒼白の顔色を浮かべながら首を振った。


「バケモノです! バケモノが……進軍してきています!」


すぐにはその報告の意味を理解できなかった。


「報告は正確に言え!」


 簡易テント内にいた他の兵士が叱咤する。それでも、報告に来た兵士は声を震わせながら


「バケモノなんです! あれはどう見ても……バケモノです!」


「バケモノどういうことだ!」


「敵兵がバケモノなんです!

 殺しても死のうとしないバケモノなんです!」


 テント内がざわつき出す。

 ただ単に報告に来た兵士が慌てているだけなのかと思ったが、そうではなかった。


「こちら側が優勢のはずでした。けれども、どこからか歌が聞こえてきたと思ったら敵兵の様子が変わりだして……バケモノに!」


 その光景を思い出してしまって言葉にならない変な声を出した。


「なにが起きているんだ!」


 報告に来た兵士の様子からこれ以上まともな報告を期待できないと悟ると、テント内にいた兵士数人がテントから出て行った。遅れて雪那もテントを出て行く。


 テントのある位置は戦場でも後方の位置。前線からは少し距離がある。遠くから喧騒は聞こえてくるのは変わりはなかった。けれども、ここらへん一体を包み込む雰囲気がガラリと変わっているのは雪那でも肌で感じとることができた。


 なにかがおかしい。後方に控えていた兵士たちも言葉に出来ない不安が顔に出ていた。


「前線が後退している……!」


 兵士の一人が口にする。


「前線の兵士はなにをやっているんだ! 誰が後退の合図を出した!」


 遠くのはずの喧騒がだんだんと近づいてきている。舞い上がる砂煙が大きくなっていく。


「ええい! なにが起きているかわからんが、全軍整列しろ!」


 近づく喧騒に負けじと声を荒げる。体に染み付いているおかげか、控えていた兵士たちがその声に規律を取り戻していく。各々が定められた小隊の立ち位置へと集まりだしていく。隊長クラスの兵の一人が雪那へと目配せをした。そうか、自分の番か。と、前に出る彼女。


 ごほんと咳をして


『皆さん! ここを守らなければ私たちの国の危機です! 私たちが国を守る盾であり、矛です。

 頑張りましょう! 負けないよう、死なないよう、頑張りましょう!』


 言葉は力になる。背中を押す力になる。


『大丈夫です! 私たちならやれます!

 国を守りましょう! そのために勝ちましょう!』


 兵士たちの士気が上がっていく。やれるかもしれない。自分たちなら負けない。勝って帰るんだ。心に雪那の言葉が染み渡っていく。言葉は兵士の背中を押してくれる。


 ――歌は、兵士の心を掴んで離さない。


 言葉を送らないと。兵士を勇気づける言葉を送らないと。心ではわかっているのに雪那は声を失っていた。前線へと送り出された兵士たちが悲鳴を上げて、逃げられたものは逃げ惑い、そうでないものは断末魔を上げて消えていく。目を覆いたくなるような惨劇に、しかし視線を動かすという行動ができなかった。


「なんだこれは……!」


 彼女の代わりに、この前線を任されている将軍の一人が口を開いた。


「なんだと言うんだこれは!」


 彼はまだ若いころにも戦争を経験していた。だから人の死にゆくさまは、見慣れていた。

 だから雪那や他の兵士たちとは違って言葉を発する余裕があった。


「本当に……バケモノだ」


 あの時報告を受けた内容を思い出す。


「なんで奴らは死なないんだ」


 腕を切り落とされても残っている腕で剣を握り、相手を確実に絶命させた後に自分も息絶える。


「なんで向かってこられるんだ」


 二人がかりで斬りかかって、内の一人が首筋を噛まれて大量に出血して動かなくなる。恐れたもう一人が離れようとするものの、己の体に刺さった2本の剣を引き抜いて、その内の1本を離れた兵士に向けて沈ませる。そのままもう1本を持って他の兵士へと斬りかかっていった。


 狂気としか言えないような現状。戦場は両軍の血が交じり合って赤く染まっていく。殺しても死のうとしない兵士の存在に恐怖も広がっていく。迫ってくるバケモノに剣を捨てて逃げ出す兵士も現れた。それを咎める兵士もいたが、視線を外している間にバケモノに接近を許して押し倒されて喰われてしまう。


 戦場はバケモノの声と逃げ惑う兵士の声が響きわたっていた。


「将軍!」


 正気を保っていたはずの将軍が、部下から声をかけられたと気づくのに数秒も要した。


「な、なんだ!」


 自分でも気づかぬうちに声が裏返っていた。


「将軍ご指示を!」


 陣形などあってないようなもの。それでもバケモノを迎え撃つ兵士もいる。逃げようとする兵士もいる。


 あれほどあった士気はかけらもなくなっていた。


「し、指示……あっ、あぁ」


 呆然と立ち尽くす将軍。


「指示……指示……」


 見たこともないバケモノが自軍の兵士たちを殺して回っている。こんな状況でどんな指示を出せばいいのだろうか。


「そ、そうだこんな時にこそアナタの言葉で」


 真横にいた雪那へと向いて、静かに首を振る。


「全軍一時的に退却をする!」


 背中を押す程度の声でこの戦局が覆るとは思えなかった。折れそうな心を支えることはできるだろう。しかし完全に折れてしまった戦意を立ち直させることは出来やしない。なによりも、少女の心が折れてしまっていては元も子もない。


「ケガをしているものを支えつつ後退をする! 急げ!」


 指示を飛ばしてから、近くにいた兵士に


「彼女のことを頼む」と支持して腰の剣を抜いた。


「戦意の残っているものは私に続け!

 殿を務めるぞ!」


 将軍自らの殿の宣言に、後に続く者は少なくはなかった。

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