停滞
後ずさりをする。その過程でソファとぶつかって勢いそのままに座り込んだ。ソファ独特の体を包み込むような柔らかさを堪能する余裕は彼女にはない。
このソファが無ければ部屋の端まで逃げていたのに。
「ちょ、ちょっと待ってください」
裏返りそうな声を必死に抑える。口内が異様に湿って何度もツバを飲み込む。
「な、生配信って……もしかして私の生配信をってことですか?」
懐く王様。
「だってここって……やっぱりどこかの撮影場所なんですか?」
やっぱり自分の考えは正しかった。少しだけ晴れそうな表情が
「いいえ、違いますよ。ここはアナタから見れば異世界ですね」
凍りついた。
「アタナをこうして見つけられたのは幸運としか言えない。ぜひともこの国のために、力を貸していただきたい。
そのために私はアナタを望んだ。この世界へ来ていただくことを、望んだのですよ」
目の前の男性がなにかをしゃべっている。けれどなにをしゃべっているのか、当の雪那は理解できなかった。
虚ろな視線で、ソファに体を預けていた。
このまま、理解することを諦めればどれだけ楽になることか。
いや、ダメよ!
遠のく意識を復活させる。ソファから立ち上がって
「な、なんで私なんですか!」
声を上げた。ドアの向こう側が騒がしくなったが
「大丈夫だ」
王の言葉で収まる。
「ち、力を貸して欲しいって私のことなんだと思っているんですか。私はただの高校生……って言ってわかるかどうかは知りませんけど、子供ですよ子供!
その子供に王様が助けを求めちゃいけませんよ」
「子供だからじゃあないんだ。雪那さんだからこそ、助けを求めているんだよ」
王様の言っていることの意味がわからない。
その言葉を口にすると王様は彼女に背中を向けた。
「今日は休むといい。別の部屋を用意している。
後ほど案内させるので、少し待っていてくれ」
部屋から出て行ってまたひとりきり。なにもわからないまま、ひとりきり。
案内された部屋の大きさと豪華さに、ふかふかのベッドに慣れずに雪那は本日何度目かのあくびを漏らした。もしかしたら目が覚めたら元の世界に、なんて希望はとっくに打ち砕かれている。
「それにしても、広いなぁ」
何度思ったかわからない。起きてみたらベッド横のテーブルに衣服が置かれていて、この世界にあった服装のためか昨日のように変な視線で見られることもない。
城内は鎧を着込んだ兵士がせわしなく動き回っていて、そうかと思ったらきれいなドレスを着込んだ女性が優雅に会話をしながら歩いていたりもする。まるで田舎者が都会へ来たかのように物珍しそうに色々と見て回る雪那。はたから見れば怪しさが服を着ているようなものだが、首元に来賓の証になる首飾りをつけているので、不審に見られることはあっても声をかけられることはない。もっとも、進んではいけない場所に行こうとして止められることは何度かあったが。
「ここにみんな、住んでいるんだよね」
どこをどう進んだか覚えていない。進んだ先が開けていてそこは、城下町が広がっていた。街を囲むように塀が備え付けられていて、その先は平原だったり森だったりが広がっている。
「この街を気に入ってくれたかな?」
突然背後から声をかけられて背筋を冷やす。振り返るとそこには昨日の男性、この城の王様が立っていた。
「ゆっくり休んでくれた……わけではないようだね」
雪那の目元を見て言葉を変える。
「しかし慣れてもらわないとね。雪那さんにはこれからこの国を変えるために頑張ってもらうのだから」
「それなんですけど」
ぐいっと、王に近づく。
「なんで私なんですか。だいたいこの国を変えるって」
振り返って眼前の城下町を見回す。
「変えるとおっしゃっていましたけど、そんな街には見えないんですよ。昨日ここに来たばかりに私が言うのもなんですけど」
「そう見える、か?」
ナイスミドルな国王、まとっている雰囲気はどこか優しいソレだったのに、たった一言で雰囲気を変える。
「表面的なものを見ればなるほど。今のところは悪くない国なのかもしれないね」
雪那の横を通って、腰ほどまでの塀まで移動する。
「だけどね雪那さん。この国はいや、この世界は停滞してしまっているんだよ。
この規模の国は幾つもあるのだが、もう何十年も国家間同士の戦争を行っていないんだ」
「それっていいことじゃないの? 戦争なんて誰も望んでいないでしょ」
「確かに」
空を見上げる。
「戦争を続けていても疲労するばかりだ。いいことなんてない。けどね。戦争ひとつ起こらない平和な世界というのは、ただ平和だけが続いている世界というのは言い換えてしまえばなにもおこらない世界、ということなんだよ。
たとえばだ。雪那さんが学校に行かずに一日中家にいたとしよう。それが何週間も続いたらどうなる?」
「多分……ダメダメな生活をおくると思う」
「そうだ。それがこの世界だ。
何事も無く過ごしてきた結果、この世界は停滞してゆるやかに廃退の道をたどっているんだ。かと言って今さら戦争するには、退廃が進みすぎている。だから雪那さん、あなたの力が必要なんだ」
心に直接語りかけるような王様の言葉。このままではすんなりと頷いてしまいそう。
なにか言わなきゃいけない。
「やっぱりわかりません。どうしてそこで私が必要なんですか」
なんとか言葉を口にする。目の前の王様の威圧感に押されつつ、なんとか言葉を口にする。遠くから誰かが誰かを探す声がする。耳に入ってきた単語から、探している人物は目の前にいる王様だということがわかる。誰にも内緒でいまここに来ているんだと、理解する。
「私、普通の女の子ですよ。いきなりそんなこと言われて、なにができるっていうんですか? そもそも、どうしてアナタは私のことを知っているんですか」
「前にも言っただろう?
アナタの配信を楽しみにしてみていると」
「だってここは……!」
両手を広げる。今の叫び声で兵士の一人が2人の存在に気がつく。
「ここは私のいる世界じゃなくて、ここで私の配信が見られるわけがないじゃないですか」
「見せてくれる人がいる、と言ったらどうかな?」
「え……?」
広げていた両手が垂れ下がっていく。
「見せてくれる人って……誰が? どうやって?」
兵士が数人接近してくる。足音が聞こえてきて王様は雪那に背中を向けた。
「ウンエイと、アレは名乗っていたな」
兵士とは違う格好の青年が、決して穏やかではない表情で王様へと近づいてくる。
「すぐに結論を聞かせてほしいわけではない。この国はアナタを歓迎している。
ぜひとも、ゆっくりと滞在してくれ」
背中を向けたまま王様は兵士に囲まれて、小言をぶつけてくる青年をなだめつつ歩き出した。
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