第2話

「ネージュ、今日はなにする?」


 私がそう尋ねれば、ネージュはご機嫌そうにスキップしながら森を指差した。


「ねぇ、タヤの果実を取りに行こ? んで、ケーキを作ろ!」

「ケーキ!? 作る!」

「ティナも領主様にあげれば? きっと喜んでくれるよ」


 この領地の住民は皆父さんのことを領主様と呼ぶ。こういう時、うちは腐っても貴族なんだなと思う。


 うちの領地はとても自然に溢れていて、風景がとても綺麗だ。その中でも一際存在感を放つこの森は、ヘーメルの森と呼ばれていた。この土地を守り続けるヘーメル一族に敬愛を示した呼び方である。


「ヘーメル一族はこの土地を守り続けていて、この森は結界の働きをしているらしいよ」

「すごい。ティナってばよく知ってるねぇ。領主様の魔法のお陰でこんなに作物が育つのかなぁ」


 うちは貧乏だが、食べ物には困っていない。

 最近日照りが続いたので、父さんが、そろそろ聖霊にお願いをしなくちゃなあと呟いていた。


 やはり魔法のファンタジー。さすが異世界転生である。


「ティナも魔法使えるの?」


 ネージュがキラキラした瞳で私を覗き込んできた。私は緩く首を振る。


「分かんない。私は聖霊とか見たことないし。時々植物の声が聞こえたり、風の歌が聞こえるだけ」

「それ、聖霊の声だよ! 多分! 知らないけど!」


 フォローにも何にもなっていないネージュを呆れて見る。そういう彼女だって立派な魔法を使うことができるのに。


「ネージュだって魔法を使えるでしょ」

「えぇー! あんなのショボい! かっこよくない!」


 ネージュが手を翳せば、ヒラヒラと雪の粉が舞う。スノードームのように落ちては消えていく。


「綺麗じゃない」

「綺麗って……。私はティナの魔法の方が好きよ」


 ネージュは爽やかに笑って森の中に入っていった。可愛いなぁ……。この子がヒロインでいいと思う。マジ可愛い。


 森の中を歩けば森の木々がさわさわと揺れ出す。まるで私たちを歓迎するようなその様子に私は心が和んだ。


「あ、ティナ見て! こんな低い位置にタヤの果実がある! やっぱりティナを連れてきて良かったあ!」


 嬉しそうにネージュがぴょんぴょん跳ねる度に、薄汚れたワンピースが揺れた。

 ネージュはタヤの果実をちぎって口に運ぼうとする。


「あ、ネージュ、駄目よ。そのまま食べたら苦いし、皮が固すぎる」

「え、そうなの? 知らなかった」


 口元から果実を離して名残惜しそうに籠に入れた。

 側にある白い実のついた木に近寄ると、果樹はさわさわ揺れて、その枝を垂れた。


「わ、すごい! ティナのために果実をくれるのね!」

「ネージュのことも歓迎してるよ。ほら、これなら大丈夫。食べていいよ」


 白い桃のような果実をネージュに渡せば、ネージュは嬉しそうにそれを食べ始めた。私も一噛りすると、ふわっと甘い香りと甘酸っぱい酸味が広がる。


「美味しい~!」

「よし、腹ごしらえもしたし、はやくタヤの果実を取らなきゃ! ケーキ作る時間も無くなっちゃう!」


 私が勢いよく立ち上がれば、ネージュも頷いて籠を抱え直す。

 静かに耳を澄ませば、木々の擦れ合う音がだんだんと囁きや笑い声に聞こえてくる。


 最初こそ私の妄想癖が、転生したことでグレードアップしたのかと思ったが、そうでは無かった。父さん曰く、ヘーメル家の力らしい。

 私にも魔法が使えたのだ。感動である。


 父さんほどの強い力はないが、そこそこ力はあると思う。父さんは聖霊が見えるけど、私は風の歌が聞こえる。これが前世でも使えたのなら私は天気予報士だったに違いない。


 厨二を拗らせた絶対に採用されない天気予報士だろうが。


「あっちに沢山タヤの果実があるって」

「よし、取り行こ!」


 元気よく駆け出したネージュを追う。


「あった! でも高い!」

「あらら……。あれは取れないね。別の所にしよっか」


 私が近付けば、少しは垂れてくれるけど、それでも私達の身長じゃ到底届かない。


「えぇ、でもスッゴク赤いよ。絶対美味しいのに」

「でも私たちじゃ取れないわ」


 物欲しそうにタヤの果実を眺めるネージュに私はため息を吐いた。

 そして、長めのワンピースを膝上で括って、袖を捲る。


「よし、じゃあ私がとってきてあげる」

「えぇ!? 危ないよ!」


 ネージュは瞠目して私のワンピースを掴んだ。


「どうせなら美味しい実を使った方がケーキも美味しくなるでしょ?」

「た、確かにそうかもしれないけど……」


 これでも、小学生の頃のあだ名はゴリラかチンパンジーか山猿だった。運動神経は良かった方だ。

 昔は。

 頭のなかで木に登るルートをじっくり考える。木もここがいいよ、ここが登りやすいよ、と教えてくれるように枝を揺らす。


「大丈夫……?」


 不安そうに私を見たネージュを安心させるように笑う。


「父さんにも喜んで欲しいしね!」


 低い位置にある窪みに足を掛け、近くにあった枝を掴む。幹にしがみつきながら窪みに足を乗っけていく。よしよし。順調だ。


 木の実がある枝に付いてふんっともいだ。


「落とすよー!」

「え、わわっ! 取ったぁ!!」


 嬉しそうにきゃっきゃっはしゃぐネージュの声が下から聞こえてほっとした。これで果実が割れちゃったら涙も出ない。


「……ん?」


 高い位置にいると風がよく通る。

 風がビュービューと私の耳を刺激した。今まで聞いたことない風の声だ。


 可笑しい。なにか、ある。


 目を細めて遠くを見る。何があるかは分からないけれど、強い風は確かにそこから来ていた。


「もっと詳しい情報はないの?」


 風が更に強くなり、私のいる枝が大きく揺れた。つるっと足が滑り、体が傾く。


「え、うわぁぁぁ!?」

「え!? ティナ!?」


 ネージュの焦ったような声が聞こえて、咄嗟に頭を庇った。

 さっきよりも激しく、冷たいが下から吹き上げてきた。風の抵抗で落下速度が遅くなり、ふわっと地面に着地する。


 ポカンとしていると、息を切らしたネージュが私の方に手を翳していた。


「は……っ、だ、大丈夫!?」

「え、うん……。なんか風が急に……」


 ふと見てみると自分の周囲に雪が積もっていた。


「これ、ネージュがやったの?」

「わ、分かんない……。取り敢えず必死で……。風は私じゃないと思う。雪でクッションを作ろうとしたから」


 二人して顔を合わせて首を傾げた。

 よく分からないが、助かったからよしとしよう。木登りは当分止めておく。


 ドキドキと早鐘を打つ心臓が落ち着いてきたら、あの変な風を思い出した。訴えるようなあの風。


「ネージュ。さっき、変な風があったの。強くて、今まで感じたことのない風だった。嵐の前とも違う……なにか必死なの」

「私にはよく分からないけど……。ティナが気になるなら行ってみる?」


 私は静かに頷いた。




 ◆




 森の奥に行けば行くほど辺りは暗くなっていく。風の声を頼りに私はズンズン進んでいくけど、ネージュは半ベソだった。


「ね、ティナ、もう帰ろう? なんだか怖いよ」

「じゃあネージュだけでも帰る?」

「一人じゃ怖くて帰れない!」


 泣きながらも私に引っ付いて着いてくる。よしよしと白い髪を撫でながらも足は進める。


「……近い。そろそろよ」


 風がびゅうと吹いて森の奥へ案内する。木々もざわざわと揺れ、道を開けた。

 何かあるのだろうか。


 少々不安になりながら、風の声に耳を澄ませば、今までにないくらいはっきりと風の歌が聞こえた。


 "独り、独り。独りぽっちの男の子"


 独りぽっちの男の子……?

 人がいるのか!


 私が走り出すと、ネージュが泣きながら追いかけてくる。もしかしたら、なにか怪我をしているのかもしれない。風や森は人間の子供が大好きだ。だから助けて欲しいのかもしれない。


 走って一本の木にたどり着いた。


「わぷ!」


 勢い余って私の背中にぶつかったネージュも、その光景を見て息を止めた。


 大きな木の幹には、ぐったりと力無く横たわった子供がいた。頬は薄汚れて、足枷が痛々しい。ボロボロの衣服には所々血痕があり、ひどく痩せ細っていた。


 風曰く、男の子だろう。


 後ろで震えているネージュを落ち着かせて、その少年に近付いた。怪我がひどい。

 肩が揺れている所を見ると、恐らく生きている。汚れた髪を掻き上げて顔の傷を見ようとして、はっと息を飲んだ。




 そこにいたのは見間違うハズもない、私の大好きな推し。アシェル・レイ・ヴァイスだった。


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