ある日、推しが転がっていた
霜月 せつ
本編
第1話
私は、ティアナ・ルア・ヘーメル。
この世界を知る、前世持ちのごくごく普通の令嬢である。
令嬢、という言葉で皆様が考えるのは悪役令嬢とか、ヒロインとかだろう。
しかし、私は違う。
非常に残念ながら違うのだ。
この世界が"愛の魔法を君に"という乙女ゲームの世界であると気付いた瞬間、私はとても期待した。それはもう、期待した。
悪役令嬢でも、ヒロインでも、この際悪役令嬢の取り巻きとかでもよかった。取り敢えずゲームに参加したい。そしてイケメン達を拝みたい。
しかし、神様は残酷だった。この世界に私を転生させたくせに、私はモブだった。いや、画面の背景になれるならモブでも大歓迎なのだが、私はモブの中のモブ。キングオブモブだったのだ。
私の住む国はそもそもゲームの舞台になる国ではない。舞台となる国は大国、アルメリア王国だが、私の住む国は田舎の自然に囲まれたマリーン国。すでにそこからつんでいる。
更に言えば、うちは貧乏貴族だ。そこら辺の農民よりかは金持ちかもしれないが、商人には負けるレベル。パーティーとかにも呼ばれないくらい貧乏。正直令嬢とか名乗れない。
村の子供達にもちゃん付けで呼ばれる。様付けではない。
学園ははるか遠くにあり、勿論通う予定なんかない。なぜだ。なぜ生でイケメンが拝めない? なぜ私はこの世界にいるのだ? なんのために生きているの? イケメンを見るために決まっているだろう!!
私は決意した。
大きくなったら絶対にイケメンを拝む。絶対に攻略キャラに会いに行く。そして握手する。その手は決して洗わない。私の決意は固かった。
愛の魔法を君に__前世、日本で大ヒットした乙女ゲームである。
剣と魔法のファンタジー要素のある、素晴らしい、それはもう素晴らしいゲームであった。恋に飢えた私はそのゲームに私の全てを注ぎ込んだ。だって、貢ぐ男がいないんだもの。
本当に好きだった。
美しいスチルも、豪華な声優陣も、夢の詰まったストーリーも心の枯れた女達のオアシスになるには十分すぎた。漫画や小説が好きで、あまりゲームに頓着の無かった私が乙ゲーに目覚めてしまったのもコイツのせいだ。
なんて罪深いゲーム……!
いや、なんて罪深い
ゲームのキャラは全部で6人。多い? いやいや、イケメンは多いに越したことはない。そうだろう?
優しくてフレンドリーだけど実は腹黒な王子様とか、クールでツンデレな大臣の息子とか、俺様で情熱的な騎士団長の息子とか……。
皆好き。私は全ルートクリアし、全てのスチルを手に入れた。あのときの達成感は今でも忘れない。忘れられない。
沢山いるキャラクターの中でも勿論、推しがいた。アイ
アシェル・レイ・ヴァイス。
美しい黒髪に、深い金色の瞳。病的に白い肌に形のいい唇。背が高くて基本無口無表情な美少年。
彼には悲しい過去がある。
アシェルはもともと上流貴族で、姓はヴァイスではなくディーベルだった。彼は家族と幸せに暮らしていた。しかし、ある日父親の不正がバレて、ディーベル一族の名は地に落ちる。他国へ身を隠そうとした一家は、移動途中で山賊に襲われる。その山賊を用意したのが実は共犯で不正を行っていたアルベル家だとか。ディーベル家を売ったのもこの一族である。
要はクソなのだが、彼らは口止めとしてディーベル家を抹消しようとした。
父と母は殺され、アシェルだけは身売りに出された。アシェルは逃亡を図るが、失敗。
逆に殺されそうになったところを必死で逃げて、母方の貴族であるヴァイス家に助けられるのだ。
そんな暗い過去を持つ彼はとても魅力的だった。彼に魅了された女は数知れず。言わずもがな、私もその一人である。ハイライトの無い瞳は彼の心の闇を覗かせている。
そう、ゲームに必要なのはただ二つ。現実にはない
私はただ見たいのだ。話すことができるのも、愛されるのも、モブではなくヒロインの役目だ。
画面越しではなく、生で私の推しを見たい。切実にただ見たい。これはファンならば誰でも願うことだと思う。
この私をこんなに夢中にさせる物が今まであっただろうか、いや、ない。
尊い。もはや、ゲームを作った会社が尊い。ファンレター書きました。素敵なゲームを作ってくれてありがとうって手紙送りました。愛が溢れて堪らなかったんです。
私の人生に潤いをありがとう。
そう言って泣いた私に友人は芋虫を見るような蔑んだ視線を向けた。
一応言っておこう。勘違いされそうだから全力で弁解しておく。
私は、攻略キャラたちに本気で恋をしたわけではない。愛している。俺の嫁だとは思っているが、一応現実と二次元の分別くらいはついている。ぶっちゃけ、あと5年早かったらどうなってたか分からないが。
そんだけ枯れていたんだ。察してくれ。
享年何歳だったなんか言わないぞ。おばさんなんて言わせないからな。
ついでに言えば、私は歩きスマホで死んだ。勿論イベントに参加してたからだ。本当に情けない。良い歳して情けない。
イベの推しのSSRが手に入らなかったことだけが未練なのもマジで無い。まぁ、あの歳で彼氏もいない娘を両親も邪険してたから結果オーライだと思う。
そんなこんなで人生を虚しく終了した私は気が付いたら……赤ん坊になってしまっていた。
始めこそ驚いたが、以外と受け入れられる。人間、諦めが大切だ。赤ちゃんとして普通にバブバブ言ってたし、恥なんてこれっぽっちもなかった。ゲーム機の画面を見ながらハスハス言ってた私にしてみれば可愛いもんだ。
貧乏ながらも父と母は優しかった。
質素倹約が家訓になりそうなほど二人は節約に厳しかったが、またそれも私にとってはいい教育だったかもしれない。現代日本に住んでいた私はこの世界の人たちにしてみれば相当お嬢様だったと今なら思う。
畑仕事をし、ドレスではなく質素なワンピースを着て、領地の子供達と走り回って遊ぶ。
推しには会いたいけどこの生活も嫌いじゃなかった。私の作ったピーマンもどきを父は美味しそうに食べてくれるし、母も私に服の繕い方を教えてくれる。
それは私がいつでも一人で生きられるようにしてくれているように感じて、時々切なくなるが私にやらないという選択肢は無い。
今日も日差しが強い。最近は日照りが続いていて田んぼは大丈夫かと心配になる。
自分専用の帽子を深く被って、畑に出た。
「ティナ」
私を呼んだのは父だった。
父も私と色違いの帽子を被っていて、手には鍬を持っている。
「ティナ、お茶を持ってきてくれないか。暑くて暑くて死にそうだ」
黒く焼けた肌から、にかっと白い歯が覗いた。もともと父はこういう農作業が得意ではない。体は弱い方だと思う。
「分かった。父さん、休んでていいのよ。私、少しは畑仕事できるよ」
私がそう言えば、父は豪快に笑う。
ひょろっとした外見とその笑いかたは似合わない。
「いいんだよ、ティナ。こういうのは男の仕事なんだ。母さんだって今、ご飯を作ってくれてるだろう?」
「うん! 父さんのためにおにぎり作るって!」
「よし、じゃあティナも母さんを手伝ってくれ」
「おにぎりの中身は何がいい?」
「そうだなぁ……ティナの愛情が、いいかなぁ」
また白い歯をキラリと光らせて父さんはウィンクをした。
「分かった! 母さんの愛と私の愛をたっくさん詰めるからね!」
「おうおう! 父さん元気いっぱいになっちゃうなあ!」
嬉しそうに笑った父さんはまた、鍬を振りだした。
私は急いで母の元へと向かう。
「あら、ティナ。父さんのお手伝いは?」
ちょっとふっくらした母さんが赤毛を揺らした。手には大きなおにぎりがあって、恐らく具はない。
「母さんのお手伝いしろって。愛情たっぷりのおにぎりがいいって!」
「あらあら、あの人ったら」
クスクスと笑っておにぎりを握る母さんは綺麗だ。若い頃はモテモテだったに違いない。
「いいのよ、ティナ。お友だちと遊んでいらっしゃい。今日はネージュと遊ぶ約束をしているのでしょう?」
「えぇ……でも……私の愛が」
「大丈夫よ。じゃあ、ここぎゅって握ってごらん? 愛を込めるのよ?」
形のいいおにぎりを母さんが私に手渡す。水で濡らしてから、力一杯握れば、少し手形がついてしまった。
「あぁ……手形がついちゃった」
「ふふふ、ティナには大きかったかしら?」
手についた米粒を食べれば、少ししょっぱい味がする。塩だ。
「ティナー!! 遊ぼー!」
「あ! ネージュだ!」
聞きなれた声がすれば、私は台を飛び降りて外に駆け出した。母さんの声が遠くで聞こえる。多分、気を付けるのよー、とか日が沈む前には帰ってきなさいよーとか言ってるんだと思う。
あんなに父さんと母さんを手伝う気満々だったのに、ネージュの声を聞けば体がウズウズした。やっぱり子供だ。前世は引きこもり予備軍だったのに。
「あ、ティナ! どう? 遊べる?」
「うん! 母さんも父さんも遊んでいいって!」
真っ白な髪と蒼い瞳が印象的な可愛らしい少女が私に駆け寄った。
日本で言う、二階建ての一軒家くらいの大きさしかない我が家をネージュは眩しそうに眺める。
「やっぱりティナの家は大きいね!」
「そうかな?」
「でも、ティナ達のお陰で俺たちの暮らしも他の領地に比べて楽なんだって父さんが言ってた! なんか、ぜいきんをあんまり取らないって!」
「ふーん」
税金を取らないからうちの家は貧乏なのか?
そうならば父さんと母さんは優しすぎる。この土地を治める貴族ならばちゃんとそこら辺は上手く回さないと。
少しむむ、と眉を寄せるがネージュの誇らしそうな顔や、住民の仕事に励む様子を見てこれでもいいか、と思った。
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