3-3

 朝、いつものように珠ちゃんの鞄と紙袋を持って家を出る。

 門柱からピョンッと、ちーちゃんがいつもと変わらぬ様子を見せた。


「おおおおおおはようしーくん!」

「……うん、おはよう」


 気のせいだった。完全に動揺している。アニメ的表現で言うならば、目がグルグルしている感じだ。

 そのままちーちゃんは、右手と右足を同時に出して、ロボットのように歩き始める。

 一度、似たような状況を経験している以上、ここは僕から切り出すべきだろうと、口を開いた。


「ちーちゃん」

「うひゃああああああああああい!? な、なぁに?」

「……いい天気だね」

「そうだね! やっぱり朝はお味噌汁だよね!」


 残念ながら会話は難しいようだ。

 落ち着いてからゆっくり話をすればいい。

 僕は何度も転びそうになるちーちゃんを時折支えながら、そう決めた。



 登校し、ちーちゃんは珠ちゃんの元へ行かず、そのまま机に突っ伏してしまう。

 なにかその姿に共感でも覚えたのだろう。珠ちゃんは分かると言わんばかりの顔で頷いていた。

 僕にも、珠ちゃんにも話にくいのは分かる。諦めるように息を吐いたら、背中を突かれた。


「朝から溜息とは、幸せが逃げていくぜ?」

「溜息を吐く人には、むしろ幸せを与えるべきだと思うけどね」

「神様を信じてるのか? もしなにか願ったのなら、撤回しに行ったほうがいいぜ。神様ってやつは、人の気持ちが分からないやつが多いからな」

「まるで神様が友人みたいに言うじゃないか」

「その理論でいくと、オレの友人は佐藤も含めて全員神様になるな」


 いつも通りの他愛もない話に肩を竦めると、灰原が楽しそうに笑う。彼は昔から、神様というやつが嫌いだった。

 灰原は隣を見てなにかを察したのだろう。小声で聞いてきた。


「なにかあったのか?」

「まぁ、あったね。混乱している人を落ち着かせる方法とか知らないかな?」


 灰原は顎に手を当て呻いた後、ポンッと手の平を拳で叩いた。


「人は人の体温を感じると落ち着くらしい。つまり、ハグだな」

「高校生が異性とハグをするのは誤解を招くと思うんだ」

「なら、手を握るとかか?」

「……灰原は頼りになるなぁ」

「任せてくれ」


 嫌味だったのだが、灰原は鼻高々といった様子。

 憎めないやつだし頼りになるが、たまに頼りにならないなぁと、苦笑いを浮かべておいた。



 だが、少しずつちーちゃんも落ち着きを取り戻していったのだろう。

 昼休みには、普通に珠ちゃんと話をしていた。もちろん、表面上は、という感じではあるが。


 しかし、こうなれば珠ちゃんから、私たちも似たような経験をしたし、別に気にしていないということを伝えてくれるかもしれない。

 他人任せな気がしないでもないが、早期解決するならばそれに越したことはないだろう。

 僕は珠ちゃんへ期待を寄せていたのだが、目が合うといつものように表情が強張り、少し遅れてメッセージが届く。


『無理にゃ~』


 どうやら、ただ話せているだけで、核心部分については触れていないようだ。

 やはりここは時間を置くのが一番だな。

 僕は今日の解決については、スッパリと諦めた。


 ……だが放課後。帰ろうとしている僕の目の前に、お目めをグルグルとさせているちーちゃんが立ち塞がった。

 思わず戸惑ってしまう。


「え、っと」

「一緒にきゃえろう!」


 たぶん、クラス中の人間が思っただろう。今、盛大に噛んだな、と。

 ちーちゃんは顔を赤くして「あうあう」言っているので、素直に聞き流すことにした。


「うん、帰ろうか」


 何度も頷くちーちゃんの後に続き、生暖かい視線を受けながら教室を出た。



 一緒に帰ることを望んだ以上、彼女も覚悟を決めたのだろう。なにを言われたとしても、別に大したことではない、気にしていない、と伝えなければならない。ちょっと動物になれたり、その姿で甘えに来たくらいで退いたりはしない。大切な幼馴染なのだから。


 しかし、ちーちゃんとなにか話すことはなく、家の前へと辿り着く。このパターン知っている。珠ちゃんと同じやつだ。

 少し違ったことがあるとすれば、先に家へ入ろうとはせず、その場で留まっていることだろう。

 彼女らしいと思いながら、玄関を開けた。


「ただいまー」

「おっかえりー」


 そのまますぐ後ろで止まっているちーちゃんへ手招きして、近づいたら背を押して玄関の中へ入れる。


「わわっ」

「あら? 智保ちゃんじゃない! おかえりー!」

「あ、はい、あの、ただいま、です」


 お母さんがニヤニヤしているのを無視して、家の中へ上がらせる。


「じゃあ、僕らは部屋に行くから」

「はーい。お母さんは三時間くらい買い物に行ってきまーす」

「……夕飯が遅くなるから、もっと早く帰ってきてね?」


 手をひらひらと振りながら出て行くお母さんを見て、今日の夕飯は大丈夫だろうか? と少し不安に思った。



 飲み物を用意し、小さな机の前に座る。向かいには、当然ちーちゃんがいた。

 どう切り出してくるのか。混乱していたが、色々考えて来たはずなので、彼女の流れに乗ろうと考えている。

 しかし、だ。僕の予想は大きく間違っていた。


「ちちちち違うの! わたし、犬になんてなれないよ!?」


 ちーちゃんはまだ、混乱していた。


「昨日のあれはね……そう! 盗聴器が仕掛けてあったのかも!」

「そっちのほうがマズいと思うよ?」

「じゃ、じゃあ、えっと、カメラ! カメラがあるの!」

「もっとマズいからね?」


 混乱しっぱなしのちーちゃんは、明らかにダメな発言を続けている。

 少し悩んだが、ここは頼りになるはずの友人を信じることにして、ちーちゃんの手に、自分の手を乗せた。


「え」

「大丈夫だよ。そりゃ多少は驚いたけれど、気にしていないからさ。落ち着いて話をしてくれればいいからね?」

「……うん」


 おぉ、効果アリだ。ちーちゃんは手の方を見ながら俯いているが、先ほどのように慌てている様子は無い。ありがとう、灰原。ありがとう、友よ。


 完全に落ち着きを取り戻してくれたようなので、安心して手を放す。だがすぐに、今度はちーちゃんの手が上になり重ねられていた。まだ少し不安なのかもしれない。

 そのまま静かに待っていると、ちーちゃんは誤魔化すことを諦めたらしく、ポツリポツリと話し始めた。


「あの、ね。珠ちゃんと変な感じだったから、その理由を知れないかなと思って、犬の姿で来たの……。犬になら、二人とも話してくれるかな? と思っちゃったから」

「そっか。珠ちゃんのところにも行くつもりだったんだね」


 コクリと、ちーちゃんが頷く。どうやら、僕らのことを気にかけての行動だったらしい。悪いことをしてしまった。

 しかし、珠ちゃんに告白されて断った、と伝えるわけにもいかない。さすがに、珠ちゃんの許可なく教えるのは憚られるものがあった。

 だから、教えられる限りを伝える努力をしてみる。


「中学に入って少ししてからかな。まぁちょっとした事情があって、珠ちゃんと疎遠になったんだよね。どちらが悪いとかじゃなくて、仕方ない感じだったんだ」

「……もしかして、珠ちゃんが険しい顔でしーくんを見ているのも関係してるの?」

「あぁ、うん。どうにも僕を見ると顔が強張ってしまうみたいで、そのことを気にしていたみたいなんだ。でも最近になって、そういった事情を聞くことができてね。猫のお陰だよ」

「わたしが犬で来たみたいに?」

「うん」


 猫の状態で訪れていたことや、なぜか言葉が分かるようになったこと、お互いの誤解が解けたこと、今はより改善しようとしていることを伝える。話さなかったのは、告白されたことと断ったことくらいだ。


 それを聞いて、ちーちゃんも納得したのだろう。小さく頷いた。


「なら、わたしもこれからは二人に協力するねっ」

「ありがとう」


 これからはちーちゃんも、珠ちゃんの顔が強張らないように良いアイディアを色々出してくれるだろう。女性同士でないと分からないことも多々あるはずだし、大助かりだ。

三人集まれば文殊の知恵ってやつだね。


 話は落ち着いたのだが、ちーちゃんはなぜか落ち着かない様子で、僕の指に自分の指を絡ませるような動きをみせるのでくすぐったい。後、頬が若干どころではなく赤い。


「エアコン点けようか? 冷たい飲み物いる?」

「だ、大丈夫。それよりも、伝えたいことがあるの。帰ってきたら、勇気を出そうって決めていたから」


 なんだろう、この妙な空気には覚えがある。いや、気のせいだと思うが、なんとなく似たものを感じていた。

 同じ幼馴染。同じような空気。


 まさかと思っていたら、ちーちゃんが口を開いた。


「し、しーくんのことが好きなの!」


 逡巡せずに答える。


「僕もちーちゃんのことが好きだよ。これからもずっと大切な幼馴染だからね」


 よし、今度は誤解を招かない言い方ができた。ただの勘違いで自意識過剰だとしても構わない。

 僕にとっては、二人と友人でいることは、なによりも優先されることだった。

 ちーちゃんの指が止まり、顔を見る。……目を開き、口を小さく開けたまま固まっていた。


「ち、ちーちゃん?」

「うぅん? ……かえるねぇ?」


 フラフラとした足取りで、ちーちゃんが立ち上がる。ゴンッとドアに額をぶつけて焦ったが、痛がる様子も見せずに出て行く。

 少し心配だったのでメッセージを送ったが既読もつかず、珠ちゃんもこの日は訪れることもなく、その後は普通に終えた。



 ――翌朝。

 ペチペチと黒猫に叩かれて起き上がる。


『今日は学校で用事があるから早く行かないといけないのよ。だから、先に行くね?』


 着替えを持って来ていないところから、人のまま登校するのだろう。

 目を擦りながら言った。


「……LINEで良かったんじゃないかな?」

『少しでも会いたいって思うのは普通でしょ?』

「朝から答えづらいことを言うなぁ」


 猫になって素直になっているからだろう。全力で愛を振りまく珠ちゃんへ、申し訳なさを覚えながら上半身を起こす。欠伸は出るが、起きられないほどではない。


 たぶん、ちーちゃんのことを聞きに来たんだろうなぁ。

 珠ちゃんを撫でながら昨日のことを考えていると、なにかに反応した彼女が、サッと布団の中へ入った。

 同時に、扉がノックされる。


「はーい」


 両親のどちらかだろうと思っていたのだが、中に入って来たのは予想外の人物だった。


「は、早起きだね。おはよう、しーくん」

「……おはよう、ちーちゃん」


 一瞬で目は覚めたが、また似たような状況を想起させられ、目を瞬かせる。

 ゴクリと、唾を飲み込んだ。


「あのね、しーくん」

「うん」

「か、彼女さんがいたり、するのかな? 珠ちゃんとか」

「いや、いないよ」

「じゃあ、恋愛的な意味で好きな人がいるの? 珠ちゃんとか」

「いや、いないね」


 この珠ちゃん推しなところは、僕の近くに居る女性のイメージが珠ちゃんなことと、彼女が珠ちゃんを大好きだからだろう。子供のころからそうなので、想像に容易い。

 僕の答えを聞いたちーちゃんは、とても安心した顔を見せた後に、強く決意した表情に変わった。……あの時の、珠ちゃんと同じように。


「しーくん!」

「な、なに?」


 ちーちゃんは一度言葉を止め、スーッと大きく息を吸い……解き放った。


「――絶対にわたしを好きにしてみせるからっ!」


 言い終わると、彼女は両手で顔を覆って出て行く。

 その背が見えなくなると同時に、僕は後ろに倒れた。

 のそりと、黒猫が布団の中から出て来る。


『……とりあえず、私は先に行くわね。意図せずとは言え聞いてしまった以上、私も告白したことを、智保に隠しておくわけにはいかないでしょ?』


 それが当然だからと言わんばかりの様子で、珠ちゃんは部屋を後にする。

 しかし、僕は起き上がることすらできない。


 ――ずっと友人でいたい大切な幼馴染の両方から告白された。


 解決策など思いつくはずもなく、「ぁぁぁぁぁぁぁぁ」と、一人呻き声を上げるしかなかった。

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