幕間 ちーちゃんも誤魔化したい

 ――わたしは一人で遊ぶことが多かった。

 一人が好きだったわけではない。他の子に、一緒に遊ぼう、と言い出すことができなかっただけだ。


 そんなわたしとは違い、すぐ近くに住んでいる男の子と女の子は、いつも手を繋いで公園へ向かう。その後ろ姿を羨ましく思っていた。

 うちの両親は忙しく、近所の人と交流する時間も少なかったのだろう。すぐ裏に住んでいるのに、わたしは誘ってもらえることもなく、窓から二人を見送る日々を送っていた。


 しかし、ある日のことだ。うちのチャイムが押された。

 下から声が聞こえ、お客さんが来ているのだと分かった。


「智保―?」


 お母さんに呼ばれ、階段から顔を出す。……そこには、あの二人の姿があった。

 わたしが茫然としていると、お母さんが言う。


「これから公園に行くらしくて、一緒に遊ぼうって誘いに来てくれたんだって」


 とても嬉しかった。飛び上がりたいほどに嬉しかった。

 なのにわたしは恥ずかしくて、お母さんの後ろに隠れる。そこから少しだけ顔を出すので精一杯だった。

 でもそんなわたしに、男の子が笑顔で言う。


「いつも窓のところにいたよね? 一緒に遊ぼう!」


 男の子の手を握るか悩み、手を伸ばしたり引っ込めたりしていると、先にもう一人の女の子がわたしの手を握った。


「行こう!」


 両手が優しく引っ張られる。空いた手は、すぐに男の子が握っていた。

 後ろでお母さんが頭を下げ、お礼を言っている。


 だが、そんな声はほとんど耳に入っていない。手を握る温かさで胸がいっぱいだ。

 わたしには、お日様も、二人も眩しくて、目がチカチカとしていた。

 ……この日から、わたしたちは幼馴染となった。



 九歳になったころだ。

 わたしたちがいつものように公園へ向かうと、他の子たちが先に遊んでいた。

 こちらの姿に気付いたのだろう。手招きして来たので近寄ると、サッカーをしていると教えてくれた。


「新と黒川も一緒に遊ぼうぜ!」


 名前が呼ばれなかったことで、その意図を理解する。

 子供とは正直で残酷だ。外の遊びとなれば、運動能力が劣る相手はあまり誘いたがらない。

 わたしはその典型例で、運動はあまり得意じゃなかった。


 初めての経験だったが、泣きそうなのを我慢して、わたしは言った。


「あ、あの、わたしは先に帰ってるね」

「じゃあ、僕も帰るよ」

「私も帰るわ!」

「……えっ」


 わたしが躊躇っている間に、二人が手を握る。


「珠ちゃんの家で、あのパズル完成させようよ」

「もう少しなのよねー」


 なんの逡巡もなく、二人はわたしと一緒にいることを選んでくれた。

 とても嬉しかったが、残念なことに、それを気に入らないと思う相手もいる。


「……新は女と遊ぶほうがいいんだな。まぁいいや、そんなグズと遊びたいなら好きにしろよ」


 瞬間、二人が手を放して飛び出す。

 先に相手を殴り飛ばしたのは珠ちゃんだった。


「私の幼馴染をバカにしたわねええええええええ!」

「落ち着いて! 珠ちゃん落ち着いて!」


 しーくんは珠ちゃんを止めようと飛び出したらしい。

 でも、彼は力が強くない。珠ちゃんは、しーくんを引きずりながら男子相手に暴れていた。

 だが明らかに相手の方が数は多く、しーくんがやる気になったとしても二人対多数。言うまでもなくわたしは戦力外で、勝てるはずがない喧嘩だ。


 しかし、途中でとある乱入者が現れ、しーくんはボロボロの姿で戻って来る。


「うーん、もうこれは無理だね。後は珠ちゃんたちに任せようか」


 運動神経の高い珠ちゃんと、しーくんと仲の良い少年は、見ているだけで分かるほどに喧嘩が強い。二人でも勝ってしまいそうだ。

 だから、しーくんは戻って来たのかと思えば、それは違った。足手まといなわたしを狙うやつがおり、その対処がしーくんの仕事だった。

 ほんの少し、しーくんが時間を稼げば、珠ちゃんかもう一人が駆け付ける。わたしを倒すことなんてできるはずもなかった。


 まぁ喧嘩はガキ大将だった少年が泣いたことで終わったが、わたしは勝ったことよりも嬉しかったことがある。

 ――それは、わたしが二人の幼馴染なことだ。


「智保をバカにするから悪いのよ!」

「そうだね、人をバカにするのは良くないよね」

「おっと、オレはお使いの途中だった。また明日な、三人とも」


 颯爽と現れ、颯爽と立ち去ろうとしている彼にお礼を告げると、片手を上げて去って行った。少しカッコいい。


 でも、わたしにはもっとカッコいいと思う相手が二人いる。

 その二人と手を繋ぎ、わたしたちは帰った。

 ……この喧嘩については、その後に仲直りをし、わたしは少しだけサッカーがうまくなった。子供の喧嘩なんて、そんなものかもしれない。



 小学校を卒業する数ヶ月前。両親に、卒業したら引っ越すことを告げられた。

 嫌だった。泣き続けた。絶対に引っ越さないと言い続けた。

 でも、そんなことは叶わない。子供が駄々を捏ねても、一人で生きていくことはできないと分かっていた。


 部屋の中で膝を抱えて涙を流す。

 なぜこんなに悲しいのか。その理由が引っ越しだけでは無いことに、本当は気付いていた。

 わたしは、もう会えないかもしれないという状況でも、好きな人に告白できないほどに臆病な自分が嫌で、涙を止められずにいた。


 こんな自分を変えたい。数ヶ月では無理だけれど、もし次にまた会えたら、そのときは積極的に彼へ近づきたい。

 だからわたしは、こうなれば神頼みしかないと、よく三人で遊びに行っていた神社へ向かった。

 手を合わせ、精一杯の想いを籠めて願う。


「……勇気が持てますように」


 これは願掛けというより、自分を変えるための切っ掛けにしたい、という気持ちが強かったと思う。

 しかし、妙な声が聞こえた。


『オッケーでござるよ~』


 今日は気分がいいから食器を洗っちゃおうかな~、と言うお父さんくらいに軽いノリの返事だった。

 まぁもちろん幻聴なのだが、本当にこの神社大丈夫かなぁと思いつつ、わたしはその場を後にした。



 ――翌朝、わたしは犬になっていた。

 しかも、好きに変身ができる。とても便利な気がしたけれど、犬になれる利点は特に感じなかった。

 実は家系的に犬へ変身できたのかと調べたりもしたが、そんな事実は見つからない。結局、よく分からない変身能力を手に入れて引っ越しをした。


 それからの三年間、わたしは自分を変えようと努力をした。

 当初はうまくいくわけがない、嫌がられるかもしれない。そんな風に思っていたが、わたしが思っていたよりも、世界には優しい人が多かった。


 少しだけ前向きになれ、変われた自信も持てた三年間が過ぎる。

 また両親から突然、引っ越しの話をされた。

 だが、わたしは高校へ通い始めたばかりだし、新しい友達だってできている。寮へ入る選択肢も考えていたけれど、引っ越し先を聞いた瞬間、わたしは躊躇わずどうするかを決めた。


 わたしは、あの二人に会いたかった。ずっと守ってくれていた二人に変わった自分を見せたい。そしてなによりも、今度こそ彼に伝えたい。

 ……そう思っていたはずなのに、わたしはもうすぐ帰ることを、二人に連絡することができなかった。毎日のように連絡を取り合っているのに、どうしても言えなかった。


 正直なところ、わたしは怖かったのだ。

 この三年間で、二人も変わってしまっているかもしれない。もしかしたら、わたしが居た場所に他の人がいるかもしれない。考えるだけで震えが止まらなかった。



 引っ越したことも伝えられないまま数日が過ぎ、登校日になってしまう。

 怯えながら、彼の家の前で待つ。玄関の開く音が聞こえ、心臓はバクバクと音を立てた。

 キュッと唇を結び、勢いをつけて前に出る。そうしなければ、逃げ出してしまいそうだった。


 自分がどんな顔をしていたのかは分からない。うまく笑えていた自信も無い。

 でも、しーくんの顔は、わたしの想像の百倍くらい上の笑顔だった。

 珠ちゃんがいないことを寂しく思いながらも、二人で登校できることを喜んでしまう。半々くらいな気持ちに、自分が嫌なやつに思えて少し胸が痛んだ。


 登校すれば、空き教室で珠ちゃんと待ち合わせをしていたようで、なにか不思議な感じを覚える。嫌なわけではなく、よく分からないというのが本心だった。


 二人と同じクラスへ入ることができ、精一杯の自己紹介を行う。引っ越し先ではもっと口が回ったはずなのに、緊張でほとんど話せなかった。

 もっと良いところを見せたかったのに、と心は沈んでいたが、二人はとても嬉しそうにしている。……わたしは、勝手にハードルを上げてしまっていたようだ。


 その後、珠ちゃんのところへ行こうと思っていたのだが、先に珠ちゃんがすごい速さで抱き着いて来た。本当になにも変わっていない。珠ちゃんは、やっぱり憧れている珠ちゃんのままだった。



 わたしが異変に気付いたのは、三人で帰ろうと思ったときのことだ。

 珠ちゃんは当然一緒に帰ってくれると思っていたので、幼馴染とはいえ教室で男子へ話しかけることを少し恥ずかしく思いながら、しーくんへ話しかける。

 彼は了承してくれた後、なぜか珠ちゃんへ声を掛けに行き、「嫌よ」と断られていた。


 ……なるほど、どうやら本当に複雑な関係になってしまっているらしい。

 二人の間になにかあったようだけれど、そう簡単に話してくれるとも思えない。

 早く元の三人に戻りたい。そのためにできることならなんでもしたい。……だからわたしは、たまにしか使っていなかったあの能力を、また使ってみることにした。



 コッソリと壁を越え、しーくんの家の倉庫から脚立を取り出し、静かに二階のベランダへ掛ける。

 それから自宅に戻って変身をし、犬となって壁を越え、脚立を登った。ガタガタと音が鳴って焦ったけど、たぶん大丈夫。

 ……などと都合の良いことはなく、しーくんは木刀を握りしめながらベランダへ出て来た。


 ――瞬間、理性が飛んだ。


 彼へ飛びつき、体を擦り寄せる。自分でもなにかおかしいとは思っているのだが、まるで我慢ができない。

 しかし、しーくんは慣れた様子でわたしを抱き上げ、平然とネットで犬種を調べ始める。わたしはまだ落ち着きを取り戻せていないが、彼の側に居られるので、それだけで良いと思えていた。


 だがなぜだろう。あの黒猫の声が、珠ちゃんと同じように思える。たぶん、わたしがおかしくなっているのかなぁ……。

 しーくんはわたしを玄関から出してくれたので、また脚立を登って部屋へ入る。彼が驚いた顔を見て、なぜかとても嬉しくなった。


 だが、この後に問題が発生する。

 ……正体が看過されたのだ。

 やはりこの黒猫は珠ちゃんだったという確信は持てたが、今はそれどころではない。犬になり部屋を訪れたなんて、その理由を問われても答えられる自信が無かった。


 だから、まだ信じ切れていない、しーくんの言葉へ同意をしていたのだが……それが良くなかった。

 言葉が通じていることもバレてしまったのだ。

 結果として、わたしは『ち、違うのおおおおおおおおおおおおおお! 見ないでえええええええええええええ!』と錯乱しながら逃げ出すことになった。



 自宅へ帰ったわたしは、リビングでクッションに顔を埋める。こういうとき、両親が共働きで帰りが遅いことに感謝してしまう。一人で考える時間は十分にあった。


 偶然、珠ちゃんは猫になれた。

 偶然、しーくんは言葉を理解できた。


 そんな偶然があるとは思えないが、事実は受け入れなければならない。どう考えても誤魔化すことなんてできないのだ。

 少し冷静になればそれが分かるはずなのに……わたしは、必死に言い訳を考え、誤魔化せないかと考えていた。


 理屈はどうでもいい。無理があるとか、そういうことも気にしない。

 自分が、告白をしようと思っていた人の家に不法侵入者紛いのことをしたという事実を、どうしても誤魔化したかった。

 だからわたしは、なんとしても誤魔化してみせる。誤魔化さないという選択肢が受け入れられないくらいに、この日のわたしは混乱していた。

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