3-2

 ちーちゃんを職員室へ送り届け、教室で一息吐く。

 すぐに、灰原へ背を突かれた。


「妙にお疲れじゃないか」

「そんなことはないよ。幼馴染が帰って来るという、嬉しいことならあったけど」

「白山さんが? へぇ、それなら同じクラスになったりするかもな」

「そうなったらいいね」


 ちーちゃんのことを話しつつ、珠ちゃんから届いているLINEに目を通す。

 彼女からのメッセージは、『行って』の後は、『ごめんにゃ~』のスタンプで終わっている。僕も『OKにゃ~』というスタンプを押して終わりにした。

 夜になれば、猫の姿で部屋を訪れるだろう。話はそのときにすればいい。


「全員席に着けー」


 HRが始まるなと、横向きだった体を前に戻す。

 だがいつもと違い、先生は一人ではなく、すぐ後ろに生徒を連れていた。

 固い面持ちをしているのは、紛うことなくちーちゃんである。元々、人付き合いが得意な方では無い。緊張してしまうのは彼女らしいだろう。


「転校生だ。小学校まではここら辺に住んでいたらしいから、知ってるやつもいるんじゃないか? じゃあ、簡単に自己紹介をしてくれるかな?」


 先生は黒板にデカデカと、『白山 智保』と描く。

 ちーちゃんは一歩前に出て、口を開いた。


「白山 智保です。好きなものは散歩で、苦手なものは梅干しです。その、緊張してあまり話せていませんが、みんなと仲良くしたいな。今日からよろしくお願いします」


 端的ではあったが、ハキハキとした話し方に驚く。昔ならば、顔を真っ赤にして半泣きになっていただろう。僕たちの後ろに隠れていたころの面影は無く、この三年で成長したように見えた。

 思わず拍手を送り、他のクラスメートたちも同じように拍手を始める。

 ちーちゃんは、照れた様子で笑っていた。



 僕の席は中央列の後ろから2番目。珠ちゃんの席は廊下側の前から2番目。

 ちーちゃんは転入生のため、必然的に空いているところへ机が置かれる。具体的に言うと、僕のすぐ後ろである灰原の隣へ置かれた。僕の斜め後ろである。


 HRが終わり、同じクラスであることを喜ぼうかと思っていたのだが、僕より喜んでいる人が飛ぶような勢いでちーちゃんの元を訪れた。


「智保!」

「珠ちゃん!」


 二人は抱き合い、嬉しそうに話をし、さらに珠ちゃんの友人たちへ紹介される。これで、学校での交友関係は問題無さそうだ。

 なんだかんだで、学校ではグループというものができる。クラス30名のうち、女子は約半数の16名。グループは五つほどあった。


 とはいえ、グループ同士で仲が悪いわけではない。仲の良い人たちで集まっているだけだ。

 ちーちゃんはそのまま、珠ちゃんのグループへ混ざることになるだろう。一人が好きな人もいるけれど、彼女はそうではない。僕としては少し安心してしまった。


 そんな気持ちを見透かしたのか。

 騒々しい後方から避難し、僕の席の隣に立っていた灰原が言う。


「安心するのはいいが、いつも二人でいるオレたちは、彼女の心配をできる立場か?」

「別に、他に話せる人がいないわけじゃないよ? ただ、灰原といるのが楽なんだ。これからも、僕が休んでいるとき以外は学校を休まないでくれると助かるかな」

「無茶苦茶なことを言っているが、友人としては嬉しかったから許してやるよ」

「ありがとう」


 こんな感じで、取り立ててなにかしらの問題が起きることもなく、休み時間になれば珠ちゃんの席近くにいる形で、ちーちゃんの学校生活は始まりを迎えた。



 ――放課後。珠ちゃんとちーちゃんが一緒に帰るであろうことは、簡単に推測ができる。

 よって、たまには灰原と遊ぼうかな? などと考えていたが、あっさりとフラれてしまい、一人で帰路へつくことにした。……のだが、立ち上がった僕の隣には、ちーちゃんの姿があった。

 なにか話があるのだろうと、彼女に聞く。


「どうしたの?」

「い、一緒に帰りたいな、って」


 途端、クラス中の耳がこちらへ傾けられるのを感じた。

 皆、色恋沙汰には敏感な年頃である。この反応は不思議なことじゃなかった。


 しかし、僕たちはそういう関係では無いため、余計な関心を持たれても困る。

 少しだけ大きな声で、クラスの聞き耳を立てている衆へ聞こえるように言った。


「もしかして、前と同じでうちの裏に戻って来たのかな?」

「うん、そうだよ。だから、帰り道は同じでしょ? 幼馴染だし、一緒に帰りたいなと思ったの」

「その気持ち、よく分かるよ。幼馴染として積もる話もあるし一緒に帰ろう」


 完璧な説明に、クラスメートたちが興味を無くしていくのが分かる。

 だが伝えたのは全て事実であり、僕たちはクラスメートの欲求を満たせるような存在では無い。今後、誤解を招かないためにも必要なことだった。


 しかし、こうなれば話が変わってしまうこともある。

 僕は少しだけ悩んだが、LINEに連絡も来ていないため、彼女の元へ向かうことにした。


「珠ちゃんも一緒に帰らない?」

「嫌よ」


 ……この流れならばいけるかと思ったのだが、そう簡単にはいかないようだ。

 今日のところは二人で帰り、いずれ三人で帰れる日を目指そう。

 ちーちゃんもどことなく事情を察しているのだろう。少し悲しそうにしながら、珠ちゃんへ言った。


「じゃあ、しーくんと二人で・・帰るね。珠ちゃん、また明日」

「う、うん。また明日」

「またあし……言い終わる前に行ってしまった」


 逃げるように珠ちゃんが教室を出て行き、僕たちも家へ帰ることにした。



 他愛も無い話を楽しんでいるうちに、ちーちゃんの家の前へ辿り着く。


「じゃあ、また明日」

「また明日ね、しーくん」


 すぐ裏ではあるが、ちーちゃんを送り届けてから自宅へ帰る。

 部屋へ入り、そろそろ衣替えも近いなと考えつつ上着を脱ぎ、ネクタイを外してシャツのボタンを……黒猫と目が合った。

 両目を大きく開き、鼻息を荒くしている。


「珠ちゃん!?」

『待って、誤解しないでほしいの。私は新くんの着替えを見ようとしていたわけじゃないわ。自分から着替えだしたのは新くんのほうで、私に落ち度は無いはずよ』

「なるほど、確かにそうだね。僕が自分から――」

『ごめんなさい。全部詭弁よ。勝手に部屋へ入り込んだ私が悪いわ。お願いだから、普通に怒ってよ!』

「……え、うん。でもまぁ別に裸を見られたわけじゃないからね。これくらい、大したことじゃないよ。珠ちゃんも気にしないで」


 珠ちゃんは、勝手に言い訳をし、勝手に謝罪し、勝手に反省した。

 不思議な行動に思えるが、猫になると素直になってしまう、というのはこういうことなのだろう。そう思えば、納得できるものもあった。


 とりあえず一度部屋から出てもらって着替え、ベッドへ腰かける。

 すぐに珠ちゃんは膝の上に乗った。


「それで、今日は早いね。どうしたの?」

『とりあえず撫でてくれると嬉しいわ』


 撫でられることの優先順位は高いんだなぁと、少しだけ面白く思いながら背を撫でる。

 嬉しそうに鳴き声上げながら、珠ちゃんが話し始めた。


『ほら、今日の帰りに断っちゃったでしょ? まずはそのことを謝りたくて。ごめんね』

「大丈夫だよ」

『ありがとう。……それと、智保のことよ。あの子が帰ってくるなんて知らなかったから、嬉しくて嬉しくて』

「朝、会ったときに言っていたけれど、驚かせようと考えていたみたいだね。実際、僕たちは驚いたわけだから、ちーちゃんの目論見は大成功だったわけになるかな」

『んふふ~そうね~、うまくやられたわ。でもこれからは、また三人一緒に……ん? 今、なにか音がしなかった?』


 珠ちゃんは会話を止め、窓の方を見ている。僕には聞こえなかったので首を傾げた。

 しかし、まぁこんなご時世だ。用心するに越したことは無いと、手近なところに置いてあった木刀を握る。


『どうして男子は修学旅行で木刀を買うのかしら……? 後、竜のキーホルダーとか』


 カッコいいから、としか言いようが無い。木刀を買わないようにと言われている学校の男子は、泣く泣く諦めるという話だ。

 ちなみにこの木刀は、僕が買ったものでは無い。灰原が修学旅行で買ったがいらなくなり、僕の部屋へ置いて行ったものだった。


 木刀を握りしめ、カーテンを勢いよく開く。……誰もいない。外が少し茜色になり始めていた。

 恐る恐る窓を開き、ベランダへ……出ようとしたところで、ピョンッとなにかに飛びつかれた。


『イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアア! 新くううううううううううん!』

「……犬だ」

『す、すぐ警察を……犬?』


 僕へ飛びついて来たのは白い犬・・・だった。フワフワな毛並みをしている。

 とりあえず、抱き抱えたまま部屋に戻り、撫でまわしながらネットで検索をした。


「マルチーズ、っていう種類みたいだね。ふわもこで可愛いなぁ」

『落ち着いて調べている場合なの? 後、私のほうが可愛いわよね?』

「犬も猫も、どっちも可愛い」

『くぅっ!』


 人が犬と競ってどうするのか。とは思うが、珠ちゃんも今は猫なので、競うべき対象なのかもしれない。

 犬種を調べて満足した僕は、名残惜しさはあったが、犬を抱えて玄関に向かう。もちろん、家へ連れ帰ってやるためだ。

 首輪はついていないが、汚れてなどはいない。近くの家の犬だろう。


「どうやって来たのか分からないけれど、家に帰ろうね」

 もう一度撫で、歩き出そうとしたのだが、白い犬は手から抜け出した。

 不思議に思っていたが、そのまま走り去ってしまう。どうやら自分の家は覚えており、一人で帰れるようだ。


 背に手を振って別れを済ませ、玄関を閉じる。

 そして部屋に戻った僕は……白い犬を見て困惑していた。


「え? どういうこと?」

『新くん。この犬、またベランダから入って来たわよ』

「そんな、まさか……」


 確かに、そもそも原因については調べていなかった。

 再度ベランダへ出て確認すると、庭の倉庫にしまわれているはずの脚立を発見する。どうやら、これを登って侵入していたようだ。


「えぇ? いや、脚立? 犬が脚立を登るのはいいけれど、脚立を掛けることはできないよね……?」


 まるで、誰かが犬の侵入を手伝っていたとしか思えない。

 警察へ連絡すべきか? とりあえず脚立を外す? 家族の誰かがかけたのかも? なんのために?

 混乱し続けていると、珠ちゃんが言った。


『……まさかと思うけど、智保?』


 僕は目を瞬かせていたが、白い犬がビクリと体を跳ねさせる。明らかに動揺していた。

 いや、だがそんなことはあり得ない。一度あったことは二度あると言うが、二人の幼馴染が両方とも動物に変身するだなんて、天文学的数字にもほどがあるだろう。


「珠ちゃん。さすがにそれは考えすぎだよ」


 僕の言葉を受け、白い犬が何度も頷く。


「ほら、彼? 彼女? も頷いて、いる、し?」


 致命的な矛盾だ。頷いたということは、僕の言葉を、僕たちの会話を、人と猫の話を理解しているということになる。

 しかし、まだそのミスに気付いていないのだろう。白い犬は誤魔化すように、僕の足へ擦り寄ってきた。とても可愛い。


 だが、ここで気付かないフリをしても意味は無いだろう。いずれ分かってしまうだけの話だ。

 僕は膝を着き、白い犬に言った。


「……ちーちゃんだよね? いや、首を横に振っているけれど分かってるよ。少し冷静になって思い出したけれど、うちの倉庫にはナンバー式の鍵がかかっている。家族以外で番号を知っているのは、珠ちゃんとちーちゃんだけじゃないか」


 白い犬が目を泳がせ始める。珠ちゃんもそうだったけれど、誤魔化すのが下手過ぎないだろうか? ……いや、一年間気付かなかった僕が言うのもあれなんだけどさ。

 ジッと見ていたら、白い犬がポツリと言った。


『……ち、違うの』

「なにが?」

『た、ただ少し様子を……えっ!? どうして、しーくんが犬の言葉を……あっ』


 完全にやらかしたことへ気付いた犬は、口元を手で押さえた。

 珠ちゃんがベランダの前に立ち、僕は少しずつ距離を詰める。

 逃げ場を失った白い犬は、狼狽しながら叫んだ。


『ち、違うのおおおおおおおおおおおおおお! 見ないでえええええええええええええ!』


 その後、白い犬は僕の手を躱し、ジャンプしてドアノブを開き、少しだけ空いた扉を抜け、逃げ出して行った。

 話を聞こうと思っていただけだったのだが、どうやら追い詰めてしまったようだ。


 珠ちゃんが、神妙な顔で言う。


『なぜか分からないけれど、すごく胸が苦しいわ』


 間髪入れずに答える。


「それはたぶん、親近感を覚えているんだよ。数日前の珠ちゃんがほぼ同じことをしたからね」

『……イヤアアアアアアアアアアアアアアアアア!』


 思い出したのだろう、黒猫がベランダから逃げ出して行く。

 一人残された僕は、前回を繰り返すように言った。


「……ちーちゃんじゃん」


 一体どうして彼女まで変身できるようになったのか。

 考えても理由が分かるはずもなく、一人頭を悩ませていた。

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