2-2

 放課後ならば大丈夫かなと灰原にも確認を取り、オッケーが出たので珠ちゃんへ近づく。

 キッと睨まれたが、事情を知っているので大丈夫だ。嘘だ。分かっていても少し辛いが、彼女の方が辛いと知っているから頑張れる。


 僕はぎこちなくならないように気を付け、珠ちゃんへ言った。


「今日、一緒に帰らない?」

「嫌よ」


 即答である。ダメージが大きく、ローキックを受けたキックボクサーのように、僅かによろめく。

 だが、これも本心ではない。

 そうだよね? と顔を向けたのだが、珠ちゃんはそっと僕の胸ポケットへなにかを突っ込み、そのまま教室を出て行った。


 後を追うように教室を出たが姿は見えない。走って逃げたのだろう。先生に怒られていないといいけれど。

 そうだ、と思い出したように胸ポケットへ手を入れる。……なにか、レシートのような小さな紙片が指先に当たった。


 指で摘み出すと、折りたたまれた切れ端のようなものが現れる。

 周囲の人へ見られないよう、気を付けながら開く。


(やっぱり嫌い、とかじゃありませんように……)


 薄目で開いた紙を見ると、予想とは全然違うことが書かれていた。

 それはLINEのIDだ。他の人のIDを教えるとも思えないので、珠ちゃんのだろう。


 ……なるほど、これで連絡をとろうということか。素直になれない珠ちゃんにはピッタリだ。

 急ぎ登録をして、スタンプを送信した。


『こんにゃー』

『朝と同じ空き教室で待ってるわ』

『分かったにゃー』


 スタンプとはなんと便利なものなのか。珠ちゃんの考えも大体分かり、早歩きで空き教室に向かった。

 空き教室の前には、予想通りに珠ちゃんの姿があった。険しい顔で見た後、彼女は空き教室の中へと入って行く。僕は見張りだ。


『もういいわ』


 声が聞こえ、中へ入る。黒猫がおり、鞄と紙袋があった。

 まずは窓を開いて黒猫を脱出させ、それから鞄と紙袋を持ってその場を後にした。


 学校から少し離れると、壁の上にいる黒猫を発見する。そのまま歩く僕に続き、黒猫も隣を歩き始めた。

 初日から登下校が一緒とは、中々に悪くない。

 僕は前向きに考えていたが、珠ちゃんは背中に飛びつき、全力で謝罪を始めた。


『……新くんごめんねええええええええええええええ! あの、嫌じゃないのよ? ただ恥ずかしかったりで、素直になれないだけなの! 本当だから! ごめんなさいいいいいいいいいいいい!』

「わ、分かってるよ。うん、大丈夫」

『ありがとおおおおおおおおお! 大好きいいいいいいいいいい!』


 数分の間、珠ちゃんはハイテンションだった。猫になると感情の制御が難しいというのは嘘じゃないらしい。

 だが、ようやく少しは落ち着いたのだろう。一つ咳払いをし、今度は普通に話して来た。


『二人で下校できるなんて、進展したと思わない?』

「いや、昨日も一緒に帰ったよ?」

『た、確かにそうね……』

「でも、昨日は会話が無かったから、今日のほうがずっと進歩してるよ」

『そうでしょ!? 私もそう言いたかったの! 進展していくのが分かるわね!』


 この言葉に、僕はなんともいえない感情を抱く。

 僕の言っている進歩とは、昔のような幼馴染に戻るための進歩だ。

 だが珠ちゃんの言っている進展とは、恐らく恋人としての進展だろう。


 このままでは、彼女を傷つけるだけになる。そのことには気付いており、言わなければならないと思っていた。

 一度、息を整える。

 隠していたことを伝えようと、本題を切り出すことにする。その気持ちに応えられずとも、告白されたことへは誠実に応えたいと思っていた。


「ねぇ、珠ちゃん」

『なぁに?』

「その、正直に言うよ。僕は恋をしたことが無いどころか、誰かにドキドキしたことすらないんだ」

『……なら、私にドキドキさせてみせるわ』


 まるで諦める気は無いらしく、珠ちゃんは強気に言う。だが僅かな躊躇いがあったところから、幾分かの強がりも混じっているだろう。幼馴染だからこそ、猫でも分かってしまうことがあった。


 しかし、この恋には未来が無い。僕にその気が無い以上、珠ちゃんを不幸にしてしまう。

 だから悩みながらも、彼女へ正直に言った。


「僕は、珠ちゃんとずっと友達でいたいんだ。恋人には別れがあるけれど、友達ならずっと一緒にいられる。僕は、そういう関係でいたいんだ」

『恋人だって、ずっと一緒にいられるわ』

「……まぁ、そうかもしれないけれど、友達のほうが――」

『私は、友達じゃなくて恋人になりたい』


 ハッキリ言われてしまい、僕は言葉に詰まってしまう。

 確かに結婚とかまで至ればそういうこともあるだろう。


 だが、僕にはまるでピンと来ない。

 まだ高校一年生だ。好きになれる人と出会えていないだけかもしれないが、なぜかそうじゃないという確信がある。

 誠実に応じようと決めたのだからと、とても弱弱しく、その事実を珠ちゃんへ告げた。


「僕にはたぶん、恋愛感情が無い・・・・・・・。なぜか、それがハッキリ分かるんだ」

「……はい?」


 困惑した声を出されたが、そうとしか言えない。

 僕には恋人よりも友人のほうが数億倍大切に思える。友人でいたいと言うのは、僕にとっては最高の関係性を求めていることだった


 しかし、珠ちゃんは首を小さく横に振る。


『私は、新くんの特別になりたいの』

「幼馴染で友達は特別だよ?」

『そうじゃなくて……』

「まぁ、うん。言いたいことは分かるよ」


 納得してもらえるとは考えていなかったため、困ったなぁとしか思えない。

 頭を悩ませていると、珠ちゃんが言った。


『私、諦めないわ。新くんに好きな人ができて、彼女ができでもしない限り、絶対に諦められないから』


 それはとても難しい条件だ。僕に恋愛的な意味で好きな人ができるとも思えないので、彼女ができることもない。つまり、このままでは珠ちゃんは一生諦められないのだ。


 僕は幼馴染であり友人を。

 珠ちゃんは幼馴染であり恋人を。


 望むものが違いすぎるため、僕らの意見は平行線だ。どこまでいっても交わることは無い。

 それが、とても申し訳ない。


『で、でもね、困らせたりはしたくないの。だから、私が邪魔だと思ったら言って? その時は、離れて新くんの幸せを祈るわ。……でも、好きでいるのだけは、許してね』


 最後は小さく、ギリギリ聞き取れるほどの声量だった。珠ちゃんも聞かせるべきか、迷いながら言ったのだろう。

 しかし、なんて健気なんだ。この想いに応えられない自分のことが嫌いになりそうだった。



 家へと帰り、僕の部屋で珠ちゃんは変身を解き、ベランダから自室へ戻って行く。それで疑われないのかな? と心配になるが、きっとうまくやるのだろう。

 着替えを済ませ、今後どうするかを考える。もちろん、答えなどは出ない。


 ポンッと音が鳴り、スマホへ目を向ける。相手は珠ちゃんだった。


『今日も、部屋に行ってもいい……? 話がしたいな、って』

『OKにゃー』


 お気に入りの動物スタンプで返事をしてから窓を開く。

 だが珠ちゃんは現れず不思議に思っていると、またスマホが鳴った。


『もしかして、私が猫だから”にゃー”ってついてるスタンプで返事をしてるの?』


 正直に言うと、そんな意図はこれっぽっちも無い。だが無意識化でそんなことを考えていなかったか、と言われたら分からない。

 少し悩みながら、正直に伝える。


『そういうつもりは無いよ。お気に入りのスタンプを使っていただけ。……もしかして嫌だったかな?』


 嫌われるようなことをしていたかもしれない。そんなことを考えると落ち着かず、ソワソワとしながら返事を待つ。

 一分や二分だと思うが、それ以上の時間が経ったように感じる。落ち着きを失っていた僕は、スマホの画面を見続けていたが、ようやくそこへ返事が映し出された。


『大丈夫にゃー』


 僕が使っているのと同じ動物スタンプだ。わざわざ買ってくれたのか。

 同じということを嬉しく思っていると、声が掛けられた。どうやら直接部屋に来たようだ。


『その、同じスタンプって嬉しいけどちょっと恥ずかしいわ』

「うん、分かるよ。僕も似た気持ちだ」


 黒猫は、恥ずかしそうに顔を手でうにゃうにゃしている。可愛らしい。

 だが、僕はどこか罪悪感のようなものを感じていた。口に出さなかったが、僕は恥ずかしく思っていない。友人とお揃いのキーホルダーを買った。そんな喜びを感じている。


 ――やはり、この状態は良くない。


 珠ちゃんが帰った後、僕はネットで検索を始める。

 調べる内容は……「女性に嫌われる男」だった。

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