2-3

 朝だ。目は覚めているが起きない。敢えて、目覚ましも鳴らないように切ってある。

 そろそろかと思っていたら、僅かに窓の開く音が聞こえ、来たな、と心の中で思った。


「お邪魔しまーす……!?」


 小声で挨拶をしながら入って来たのは、見るまでも無く珠ちゃんだ。顔は見れないが、恐らく驚いているだろう。

 なんせ、僕の部屋には服やらペットボトルやら、色んなものが散乱しているのだから。



 前日の夜。

 寝る前に僕は、服を床に広げ、洗い終わったペットボトルを投げ散らかし、本なども意味も無く床に積んでから崩した。

 女性は、だらしない男性を嫌う。これだけ部屋が汚いとなれば、それはもう千年の恋も冷めるというやつだ。

 計画はシンプルで、友達ならいいけれど、彼氏にはちょっと……。そんな風に思われることが目的だった。


 その一、だらしない男は嫌われる。


 僕は完璧にやり遂げている自信で満ち溢れていた。

 これはもう、一つ目の案で目的を達成してしまったかもしれない。ニヤニヤしながら寝たフリをしていると、なにかガサゴソと音がしだす。寝ている間に、黒猫に変身しているのかな?

 どれだけの時間が経ったのかは分からないが、ポンポンと顔を叩かれる。恐る恐る目を開けると、目の前に黒猫がいた。


『おはよう、新くん。そろそろ起きないとダメよ?』

「……」


 おかしい。落胆したような素振りは見えない。いつもと同じように、尻尾を大きくゆっくりと振っていた。猫の感情表現的に言うと、機嫌の良い状態だ。


 チラリと、横目で部屋を見る。……広がる光景を見て、目を見開いた。

 そこには、ほぼいつも通りの僕の部屋があったからだ。

 乱雑に放られていた服は綺麗に折り畳まれ、そこらにあったペットボトルは机の上に纏められ、崩れた状態だった本は全て棚に収められていた。


 固まっている僕に気付いたのだろう。

 珠ちゃんが、取り立てて大したことじゃなさそうに言う。


『あぁ、部屋なら片付けておいたわ。新君にしては珍しいわね。最初、泥棒でも入ったのかと思っちゃった』


 僕が唖然としている間に、珠ちゃんは説明を始める。


『服は畳んだけれど、勝手にしまうのはちょっとな、と思ったから置いてあるわ。ペットボトルは……こんなにたくさんの空きペットボトルをなにに使っていたの? 工作かしら? とりあえず、まとめて机に置いておいたわ。本は位置を覚えていたから、本棚にそのまま戻しておいたけど……。もしかして、配置を変えようと思って出したのかしら? それなら、もう一度出すから言ってね?』

「……いや、うん、大丈夫。ありがとう」


 これではただ散らかして、それを片付けてもらっただけだ。好感度が少しも落ちた感じがしない。

 一つ目の案は完全に失敗だ。素直に認めるしかない。


『ふふふっ』

「どうしたの?」


 なぜか笑っている珠ちゃんを不思議に思っていると、彼女は嬉しそうに言った。


『新くんの部屋を片付けるのなんて初めてだったから、とても楽しくなっちゃった。でもたまにはこういうのもいいかな……なんてね』


 おかしい。好感度を下げるつもりだったのに、だらしなさをアピールしたはずなのに、逆に好感度が上がっている。

 理由が分からない。一体どういうことなんだ?


 しかし、ここで諦めるわけにはいかない。

 僕は理由を考えながらも、その場で上を脱いだ。


『し、新くん!?』


 無視してそのまま下へ手を掛けたところで、珠ちゃんが部屋を飛び出して行く。

 ……よし、今度は成功した。


 その二、なんとも思っていない相手の前では、服を着替えることすら気にせず行える。


 友達だから全然平気だ、というところを見せたのだが……僕はとても恥ずかしく思っていた。

 そもそも、同年代の異性の前で着替えるとか、意識していなくても恥ずかしいんじゃないだろうか?

 今さら気付いた事実に、その二は封印することを決めた。



 髪の寝癖は直さない。

 シャツははみ出している。

 ネクタイは結べていない。

 ズボンが少し下がっている。


 その一を継続し、だらしない男を見せていく。

 しかし、珠ちゃんは猫のまま、髪を直し、シャツを押し込み、ネクタイを結んでくれた。ズボンに関してなんて……。


『腰履き? 少しだけ下げてイメチェン? たまにはそういうのもいいわよね』


 などと言われれば、逆に恥ずかしくなって元に戻すしかなかった。


 ここまでで一つ分かったことがある。

 珠ちゃんは、だらしない男に寛容だ。将来、悪い男に引っかかるかもしれない。その時は全力で止めよう。


 ……こうなれば、次に移行するしかない。

 登校中、僕はその三を実行し始めた。


『そういえば、新くん』

「おう、なんだよ」

『昨日、バラエティ番組で……え?』


 ピタリと、黒猫が動きを止める。


 その三、言葉遣いが荒い。


 これは中々に効果的なようで、珠ちゃんが目を白黒させていることが分かった。

 普段の僕は、こういった話し方をしない。きっと彼女も、そういう口調を好まないだろう。

 珠ちゃんが困惑しているようなので、こちらから話しかける。


「で、テレビがどうした」

『え? うん、えっと……』

「おい、どうしたんだよ。自分から話を振ったんだろうが。続きを言えよ、珠季・・


 その三を実行するときから、ダメ押しに名前を言おうと決めていた。

 急に口調の悪くなった幼馴染が、気安く自分の名前を呼ぶ。これはかなり印象が悪いだろう。え、なにこいつ、きもっ、となる可能性が大だ! ……きもっ、は嫌かもしれない。


 自分でやっておきながら少しへこむも、珠ちゃんが静かなことに気付く。

 もしかして、言葉を失うほどの衝撃を与えられたのだろうか? そうだとすれば、その三は大成功だ。


 効果のほどを確かめようと、珠ちゃんへ目を向ける。

 ……そこには、口元を押さえてあわあわしている珠ちゃんの姿があった。どうやら、かなり狼狽えているようだ。

 もう一つくらいダメ押しができないか考えていると、珠ちゃんが声を上げた。


『ダ、ダメダメダメよー! どうしたの!? 急にワイルド系になったの!? それとも不良に憧れてた!? 普段と違う新くんに、名前を呼ばれるのなんて無理いいいいいいいいい! ギャップが大きすぎて耐えられないいいいいいいいい!』


 そのまま珠ちゃんは、僕を置き去りにして一人で先に行ってしまった。

 どうやら、その三も失敗らしい。むしろ、少し喜んでいるように思えた。

 深く、深く溜息を吐く。そして一人、トボトボと反省をしながら登校した。



 空き教室で着替えを渡す。

 着替え終わった珠ちゃんは、チラチラと僕のことを見ていたが、なにも言わずに教室へ向かった。恐らく、朝からのことがなんなのか聞きたかったのだろう。

 しかし、僕も学校でなにかする気は無い。ヤバいやつだと思われれば、今後の生活に支障がありすぎるからだ。

 珠ちゃんはその後も時折こちらを見ていたが、普段と変わらないのに気付いたらしく、首を傾げているのが見えた。


 ――放課後。

 昨日と同じように猫と下校をする中で、僕は再度計画を開始した。

 まず自動販売機でジュースを買う。


『喉が渇いたの?』

「……」


 何も答えずに飲み始める。……ちょっと大変だったが、どうにか飲み干せた。

 準備が整ったので、空き缶を地面に置く。


『……?』


 その四、ポイ捨て、だ!


 ポイ捨てをするようなやつは最低だろう。それを拾って捨ててくれる人のことを考えていない。つまり、彼氏どころか人の風上にも置けないやつだ。

 少し胸を痛めながら空き缶を見ていると、珠ちゃんが困惑気味に言った。


『新くんはなにをしてるの?』


 なんということだ。そもそも意図が伝わっていなかった!

 ……だが、冷静になって考えれば当たり前かもしれない。

 珠ちゃんが「ポイ捨てとか最低ね、新くん」と言って立ち去り、僕は少し悲しくなりながら缶を捨てるつもりだったが、これでは缶を置いて立っているだけだった。


「……いや、別に」


 僕は空き缶を拾い、自販機の横にあるゴミ箱へ入れる。

 ポイ捨てだと思わせられる演技力も無く、ポイ捨てをする勇気も無かった僕の、完全なる敗北だった。


 その後はなにごともなく家へと帰ったのだが、珠ちゃんは終始不思議そうにしていた。

 今日一日のことが理解できなかったのだろう。僕にも自分で理解できないことが多かった。


 しかし、これでは終われない。

 珠ちゃんは夕食の前に、猫としてまた訪れるだろう。その一時間ほどの時間で、最後に残ったその五を実行すると決めていた。


 予定通り、珠ちゃんは黒猫姿で部屋を訪れ、僕の膝へ乗る。撫でてくれ、話をしてくれ、と全力で訴えかけていた。


 では、始めるとしよう。


 その五、自慢が多い男は嫌われる、だ!


「……実は僕、部屋が綺麗なんだ」

『え? うん、そうね。今日の朝は珍しく汚かったけれど……』

「寝癖とかも気を付けているし、ネクタイの結び方も完璧。練習したからね」

『新くん……?』

「口調は、えっと、普通ですごいでしょ? ポイ捨てをしたこともないし、むしろゴミを拾って捨てたこともある。中々できることじゃないよね」


 段々と自分でもなにを言っているのかが分からなくなってきた。これは自慢なのだろうか? 普通のことを自慢のように言っているだけな気がする。

 話せば話すほど、どうしたらいいかが分からない。自慢ってなんだ? 僕のすごいところってどこ? 自分のアイデンティティを失いかけていたとき、黒猫が頬へ擦り寄って来た。


『よく分からないけれど、なにかあったのよね? 今日は一日変だったから、薄々気付いていたわ。でも、そんなに自信無さげに自分のことを話さないで。私は、新くんの良いところをたくさん知っているわ』


 幼馴染珠ちゃんの言葉に胸を熱くしていたのだが、ふと気付く。

 嫌われる男を演じていたはずなのに、なぜ僕は慰められているのだろう……?

 こうなれば正直に聞いてみようと、今日一日のことを改めて聞いてみることにした。


「その、聞いてもいいかな?」

『なぁに?』


 僕が落ち込んでいるとでも思っているのだろう。それはまぁ多少間違っていないが、珠ちゃんは頭を撫でながら優しく答えてくれた。

 猫に撫でられているという絵面を思い浮かべ、複雑な気持ちを持ちながら、僕は聞く。


「部屋が汚かったでしょ? あぁいう男ってどう思う?」

『たまにはそういうこともあるんじゃない? 普段は綺麗にしているでしょ?』

「……寝癖も直さず、身嗜みも整えないで登校しようとしていたよね? だらしない男ってどうなのかな?」

『寝ぼけていたんじゃないの? でも、いつもとは違う新くんを見られて良かったわ。たまにはお節介したいのかも』

「こ、言葉遣いの荒い男は?」

『……』


 おや、珠ちゃんが黙った。もしかして言葉遣いの荒い男は苦手だったのか!?

 ならその線でいくべきかもしれない。……そう思っていたのだが、珠ちゃんはジトッとした目で言った。


『ようやく分かったわ。私の気を変えようとしていたのね』

「そ、そそそそそそんなことあるわけないじゃないか!」

『動揺しすぎじゃない? はぁ……。私は別に、新くんのことを、見た目や口調で好きになったわけじゃないわよ? だから、そんなことで嫌いになることは絶対にないわ』


 断言されてしまい、言葉を失う。僕の計画は、そもそも成功しないものだったらしい。

 しかし、なぜ? 呆れて、そんなことをする男なんて、となってもいいと思うのに……。

 珠ちゃんの想いに驚いていると、彼女はクスリと笑った。


『三年間、あんな態度をとっていた私を見捨てなかったじゃない。新くんが少し変わっても、私ほどひどくはならないわ』

「……いや、へこんだりはしたけど、別にひどいとは思っていなかったよ?」

『今、また好感度が上がったわ』

「なぜ!?」


 クスクスと笑いながら、珠ちゃんが部屋を後にする。

 まるで理解できないが、今日は一日好感度を上げ続けていたようだ。

 どうすれば友達と思ってもらえるのか。それが分からず、また頭を抱えるのだった。

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