2-1 幼馴染平行線
珠ちゃんには一階で待ってもらうことにし、身支度を整える。お母さんにニヤニヤ見られながらだが朝食も終えた。
時計を見ると、まだ時間に余裕がある。ここでお母さんに見られ続けるのもと思い、珠ちゃんに聞いた。
「えっと、まだ早いし部屋に来る?」
「……」
険しい顔のまま珠ちゃんが頷く。
「三十分くらいしかないから気を付けてね!」
「はーい」
お母さんはまた親指を立てていた。だから、そういうんじゃない。
部屋へと入り、椅子に座る。珠ちゃんは扉のほうを向いたまま固まっていた。
「あの、座ったら?」
「……私、なぜか新くんの顔を見ると、顔が強張っちゃうじゃない? 口調が厳しくなってしまうのも、そんな自分が嫌で、見てほしくないからそうなっていたのよ」
「緊張かなにかしていただけで、怒っていたわけではなかったんだね。あぁ、それなら本当に良かった」
ずっと不安に思っていた要因が一つ分かり、胸が軽くなる。恋愛的な好きには困るが、嫌われていなかったことが嬉しい。
そんな僕の気持ちを知らずに、珠ちゃんは躊躇いがちに言う。
「それで、ね。私、考えたのよ」
「なにを?」
「フッフッフッ。ちょっと部屋を出ていてくれる?」
「うん?」
一体何を思いついたのか。不思議に思いながら部屋を出る。
しばらく経つと、珠ちゃんが声を掛けて来た。
『入っていいわよ』
「うん。うん……。うん?」
黒猫だ。どう見ても黒猫だ。そして黒猫は紙袋と鞄を指差している。中身を見る必要は無い。入っているのは服だ。
つまり、そういうことなのだろう。
僕は眉間に皺を寄せながらも、彼女のやりたいようにさせてあげようと、首を傾げながら頷いた。
久々に二人で登校をする。珠ちゃんは浮かれているし、僕だってもちろん嬉しい。
……ただし、珠ちゃんは猫だ。
『久しぶりに一緒の登校ね!』
「うん、そうだね……?」
僕らは家から近い、そこそこの成績で入れる高校へ入学したので、徒歩20分もあれば到着する。自転車を使ってもいいのだが、歩いたほうが気持ちいいくらいの時間だったので、徒歩で登校していた。
歩きながら、
「そういえば、どうして猫になっちゃったの?」
『それが、どうしても分からないのよね。抱っこしてくれない?』
「あぁ、うん、分かった」
黒猫を抱きかかえると、頬をスリスリと擦りつけてくる。
部屋にいるときと同じだ。
「もう慣れたものだね」
『これでも、最初よりは感情を制御できるようになったのよ? 最初のほうなんて、理性がぶっ飛んでいたからね……。甘えること以外なにも考えられなかったわ……。ふふっ、あのころを知られていることを考えれば、今なんて別に大したことじゃない、大したことじゃない、大したことじゃじゃじゃじゃ』
「よし、話を戻そう」
珠ちゃんの様子がおかしくなり、急いで止める。話が黒歴史へ突っ込んだことは分かっていたが、思っていた以上に根は深いようだ。今後、過去の猫の行動については最善の注意を払いたい。
しかし、どうして猫になったのかが分からないということは、元に戻る方法も分からないということになる。
まずはその前後の情報を集めるべきだろう。
「いつから猫に?」
『……中学校三年生のころね』
「突然?」
『突然、だったかな? 朝、目が覚めたら猫だったのよね』
「その日の前に、普段と違ったことは無かった?」
僕の質問に、珠ちゃんはしばし考えた後、首を横に振った。
『ううん、いつも通りだったと思う。私も、なぜこうなったのかを何度か考えたけど、特別なことはなにもしていなかったわ』
「そっか」
朝、いきなり猫になっていれば、そりゃ原因を探ろうとするのは当然のことだ。
当時から理由が思いつかなかったということは、簡単には分からないようなことかもしれない。
どうにか解決してあげたいが、長期戦になりそうだ。
息を吐くと、珠ちゃんが首を傾げた。
『どうしたの?』
「元に戻してあげたいけれど、その方法が分からないから悩んでいた」
『そうね。でも、焦ることはないわよ。別に困っているわけじゃないし、そのうち治るかもしれないわ』
あまり気にしていないような珠ちゃんの言い方で、確かに慌てる必要は無いと気付く。
別に、人に戻れないわけではない。猫に変身できるようになっただけで、そこまでのデメリットは生じていなかった。
『問題が起きてから焦ればいいわよ。ところで、新くんはいつから声が聞こえるようになったの? その前になにかした?』
「声が聞こえるようになったのは、つい先日のことだよ。その前には……僕も、
言い終わった瞬間、妙な違和感を覚える。僕は本当になにもしていなかったか? 普段通りの生活を送っていたか?
しかし、考えてもなにも思いつかない。やはりなにもしていなかったのだろう。
『二人でゆっくり解決しましょう』
「うん、そうだね」
珠ちゃんの提案に、笑顔で頷いた。
学校の近くで別れ、使われていない空き教室へと入る。
昨今は子供が減っているらしく、こういった空き教室が増えているらしい。だが昔は使われていたということのほうが、僕からすれば驚く事実だ。
中には打ち合わせ通りに黒猫がおり、紙袋と鞄を置いてから教室を出る。
五分ほど見張りをしていたら、険しい顔をした珠ちゃんが姿を見せた。
「僕は後から行くよ」
「……ん」
無言のまま珠ちゃんは首を横に振る。どうやら、本気でこの状態をどうにかしたいと思ってくれているらしく、教室にも一緒に行こうと考えているようだ。
しかし、珠ちゃんの手は震えていた。
無理をしていると分かり、僕は優しく言う。
「ゆっくりやっていこう。僕たちは、三年も距離をおいていたんだ。いきなり頑張り過ぎたら疲れちゃうよ」
「……ん」
先にどうぞ、と手で示す。珠ちゃんは少しだけ頭を下げ、先に教室へ向かった。
しかし、これでも十分な進展だ。話すことすらできなかったのに、(猫とはいえ)一緒に登校し、二人で改善していくことも決めた。
ゆっくりでいい。先行きは明るい。
珠ちゃんの姿が見えなくなった後、僕も教室へと向かった。
教室へ入ると、全員が僕へ目を向ける。なにこれこわい。
狼狽えながら自分の席へ着くと、すぐに灰原が背を突いた。
「おはよう。で、昨日は黒川さんとなにがあった?」
「……どうしてそのことを?」
珠ちゃんが黒猫だったことは誰にも話していない。というか、話すつもりもない。珠ちゃんだって、他の誰かに話したりはしないだろう。空き教室だって十分に気を付けたつもりだ。
なのに、灰原は知っていて、クラスメートたちも気付いている?
困惑していると、灰原が嬉しそうに言った。
「そりゃ、見かけたやつが多かったからな。一緒に帰ったんだって? 小学校のとき以来じゃないか?」
「あぁ、そっちか」
「そっち?」
「なんでもない」
どうも話を聞くに、廊下で仁王立ちしていた珠ちゃんに捕まり、二人で下校していたところを見られていたらしい。うちのクラスより早くHRを終えていたクラスだってあるのだから、見られていたとしても不思議では無かった。
しかし、灰原が聞きたいのはその先だ。指先で僕を突きながら聞く。
「もしかして、仲直りできたのか?」
「どちらかといえば、相互理解が深まった感じかな。僕たちは喧嘩したわけでもないからね」
「なるほど。よく分からないが、数年振りに進展があったことは分かった」
概ね間違ってはいないので頷く。
聞き耳を立てていることを隠しもしないクラスメートたちも、同じように頷いている。珠ちゃんを囲っている女子たちも、同じようなことを聞いているのだろう。
灰原は、本当に嬉しそうな顔で、僕の肩へ手を置いた。
「とりあえず、今日は佐藤から一緒に帰ろうと誘ってみたらどうだ? いや、これは余計なお節介だな。一案として頭の隅に残しておいてくれ」
「別にお節介だなんて思わないよ。それに、その案は採用させてもらいたい。早速、約束を取り付けてみるかな」
立ち上がり、珠ちゃんの元へ向かおうとし……灰原に腕を掴んで止められた。
まだ用があったのだろうか?
目を瞬かせると、灰原が首を横に振っていた。
「オレが言うのもなんだが、時と場合を考えたほうがいいぞ? 今、この状態で一緒に帰ろうなんて誘っても、素直になりたくてもなれないんじゃないか?」
なるほどと頷き、自分の席に座り直す。
「確かにその通りだね。ありがとう、灰原」
「気にするな。友人として、できる限り力になりたいだけさ」
直情的に動き過ぎていたことを自覚する。少し進展したことで浮かれていたのかもしれない。気を付けよう。
……それにしても、僕は良い友人を持ったものだ。
灰原へ目を向けると、満面の笑みを浮かべていた。
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