1-2
いつもより早めに家を出て、珠ちゃんのことを待つ。
しかし、時間ギリギリになっても出て来なかった。今日は休むつもりなのかもしれない。
諦めて一人で登校することにした。
教室へ入ると、友人と話している珠ちゃんの姿を見つける。……僕は朝の7時から珠ちゃんのことを待っていた。つまり、彼女が登校したのはそれよりも前になる。
徹底的に避ける心づもりなのだろう。確かに、それも仕方のない状況ではあった。
だが、珠ちゃんが僕を嫌っていなかったと分かった以上、このまま疎遠になるようなことは避けたい。
僕は休み時間の度に近づき……毎回女子トイレへ逃げ込まれた。
ズルい。そこには入れないし、前で待つことも躊躇われる。男子にとっては、どことなく近づきづらい場所の一つだった。
このままでは、家へ赴くしかない。こちとら幼馴染だ。おじさんもおばさんも顔見知りなので、普通に中へ入れてくれるだろう。
HRが終わり、珠ちゃんが逃げるように廊下へと出て行く。できれば家までは行きたくないと思っていたため、最後のチャンスだと後を追いかけようと廊下に出て……止まった。
そこには腕を組み、仁王立ちしている珠ちゃんがいた。
「あの」
「……」
珠ちゃんは無言のまま顎をクイッと動かし、そのまま歩き出す。どうやら、着いて来いと言う意味のようだ。
僕たちは下駄箱へ向かい、靴へ履き替え、無言のまま歩き、家へ到着した。
「いやいやいやいやいやいやいやいや!? 僕が話をしたいと思っていたの分かってるよね!?」
どこか公園とか、喫茶店にでも寄って話をするのかと思っていたが、普通に帰宅してしまった。これでは話ができないではないか。
しかし、珠ちゃんは返事もせずに歩を進めた。
「ちょ」
「お邪魔します、ご無沙汰してます」
「あら、珠ちゃんじゃない! 新ならまだ帰ってないから、部屋で待っていていいわよ? でもパソコンの履歴は見ないであげてね」
「ご安心ください、新くんも一緒です。上がらせてもらいますね」
「はーい、ごゆっくりー」
僕の姿を確認したお母さんが、意味ありげに親指を立てる。なにかを勘違いしているようだが、期待しているようなことは起きない。仲直りすらできていない状態だ。
この先になにがあるか分からず、ブルリと体が震えた。
僕はベッドに腰かけ、珠ちゃんも隣に座る。数年前に戻ったかのようだ。
「「……」」
違うところは、互いに沈黙していることだろう。前ならば、他愛も無い話を延々と繰り返していたものだ。
こちらから切り出すべきだろうか。そもそもどうして僕の部屋に来たのだろうか。
頭を悩ませているうちに、目も合わさずに珠ちゃんが話し始めた。
「そそそそそそそういえば猫を飼い出したみたいねぇ! ニャーニャー聞こえてきたわぁ! この家ってペットオッケーなのぉ!?」
「え、いや、持ち家だから大丈夫じゃないかな? それに、飼っているわけではないよ。遊びに来ているだけかな……?」
「へ、へぇー! 今度、私も会わせてもらおうかしらぁー!」
この普段とは違う語尾の上がった話し方。明らかに猫のことを知らないフリ。
……珠ちゃんは、猫になれることを誤魔化すつもりだ!
誤魔化させてなるものかと思ったのだが……よく考えれば別に良いのではないだろうか。珠ちゃんは猫になれることを知られたくない。
そりゃそうだ。あんなに懐いている姿を見られ、本心までバレてしまったのだ。隠したいに決まっている。
僕は一つ頷き、この嘘へのることにした。彼女の意思を尊重しよう。
「今度会わせるよ。とってもかわいい黒猫でね」
「かわいい!?」
「僕を好いてくれているらしくて、撫でて撫でてと寄ってくるんだ」
「好き!?」
「よく顔とかも舐めてきて――」
「ごめんなさい」
なぜかいきなり珠ちゃんが土下座をした。軽く頭を下げたとかではない。ベッドから降り、額を床に着け、渾身の土下座だ。
こうなってしまうと、今度はこちらが狼狽えてしまう。珠ちゃんの嘘へのるつもりだったのに、予想外の展開になっている。どうすればいいかが分からず困惑してしまった。
「ど、どうしたの?」
「それ以上イジワルをしないで……隠そうとしたことは謝るから……。ちゃんと話すから、少しだけ待って。お願い」
僕が頷くと、珠ちゃんは部屋を出て行く。だが足音は聞こえず、その場に留まっているようだった。
たぶん、心を落ち着かせようとしているのだろう。なら、こちらも同じように時間を有効活用したい。
部屋の中をウロウロし、落ち着きなくどうしようか考える。そもそもイジワルってなんだろう? さっぱり分からない。
まるで時間を有効活用できていない内にカチャリと音が鳴り、ビクリとする。恐る恐る目を向けると、俯いたまま胸元を強く握っている珠ちゃんの姿があった。
妙に緊張してしまい、唾を飲み込む。だが緊張しているのは僕だけじゃないらしく、珠ちゃんは何度も深呼吸をしていた。
短い静寂。逃げ出したい気持ちの中、珠ちゃんが口を開いた。
「私が、黒猫よ」
「……うん、薄々気付いていたよ」
「気持ち、悪かったよね? 普段は避けているくせに、毎日のように部屋へ来て……」
「え? いや、そういうことは全然思っていないよ? むしろ、どうして猫になれたんだろうとか、この機会に仲直りできないかなーって考えていたかな」
「そうよね、ストーカーみたいで……え? そ、そうなの?」
「うん」
どうやら珠ちゃんは、僕に嫌われていないかを気にしていたようだ。
でも、そんな心配はしないで良かったのに。僕たちは幼馴染だ。多少のすれ違いはあったけれど、
これで全て解決した。僕はそう思い笑顔でいたのだが、珠ちゃんはなぜか顔を赤くしながらこちらを見ていた。考えすぎて知恵熱でも出たのかな?
家まで送るよと伝えようとしたのだが、それよりも早く、珠ちゃんが言った。
「――新くんが好きなの」
それに対し、僕は逡巡なく答える。
「うん、僕も好きだよ」
「……えっ!? ほ、本当!?」
「もちろん」
珠ちゃんはあたふたしながら、自分の頬に手を当てたり、抓ったりしている。仲直りできたことが夢じゃないか疑っているらしい。
少し落ち着くのを待っていると、珠ちゃんは満面の笑みで言った。
「じゃ、じゃあ、これからは恋人同士、ってことで。その、末永く――」
「あ、ごめん。そっちの好きじゃなくて、友達としての好きだよ」
「…………………ふぇ?」
笑みは一瞬で崩れ、目と口に黒い球体を押し込まれた埴輪のような顔になる。過去、こんな顔をした珠ちゃんは見た記憶が無い。
戸惑っていると、珠ちゃんが抑揚の無い声で聞く。
「スキナヒトガイルノ?」
「えっと、恋愛的な意味だよね? それならいないよ」
「ジャア、ワタシガ、キライナノ?」
「友達として好きだって言ったじゃないか」
「…………」
ポンッと、珠ちゃんの姿が消えて制服が落ち、その中から黒猫が現れる。
黒猫は器用に窓を開き、そのままベランダから出て行った。
止めることすらできず、追おうにもすでに姿も見えない。
となれば残る問題は、この恐らく下着も残っているであろう服の群れを、僕がどうにかしなければならないということだった。
目隠しをした状態で、どうにか制服などを紙袋へ入れた翌日の早朝。
妙な感じがし、薄っすらと目を開く。……暗闇の中に、少女の怨念が立っていた。
叫び声を上げかけたが、しっかり見れば怨念では無いことに気付く。
立っていたのは珠ちゃんで、すでに制服を着ていることから、紙袋にも気付いてもらえたようだ。
僕はカーテンを開き、恐る恐る話しかける。
「あの、おはよう……?」
「好きな人はいないのよね」
「え? う、うん」
「私のことも嫌いじゃない?」
「うん」
「そう、なら決めたわ」
昨日と同じ問いかけで、一体なにを決めたのだろう。
首を傾げていると、珠ちゃんは僕に指を突きつけ、高らかに宣言した。
「絶対に……、絶対に私を好きにさせてみせるからっ!」
寝起きだったこともあってか。彼女の出した予想外な答えに、僕は目を白黒させる以外なにもできなかった。
――そしてこれは、僕が過去に望んで失ったものを取り戻し、たった一人を選ぶまでの始まりでもあった。
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