1-1 黒い猫と幼馴染

 さて、これは困った。

 僕は猫の言葉が分かるようになり、しかもその黒猫が珠ちゃんだったという、荒唐無稽な妄想に取りつかれている。

 解決する方法は一つ。これが真実かを確かめることだ。


 放課後、僕は気合を入れて立ち上がった。灰原が、「トイレか?」と言っていたが、そんなことを気にしている余裕は無い。

 今の勢いを失わぬうちにと、珠ちゃんの前に立つ。珠ちゃんはキッと僕を睨み、他の女生徒はオロオロしていた。


「た……黒川さん! 話があるんだけど!」

「私には無いから」


 ベキッと心の折れる音がした。レフリーストップだ。

 ……しかし、こんなことで負けるわけにはいかない。

 もう一度だ! と顔を上げたのだが、すでに珠ちゃんの姿は無かった。

 ポンッ、とクラスメートたちが僕の肩や背を叩く。


「あの、頑張ってね」

「仲直りできるといいな」

「……ありがとう」


 クラスメートたちも応援してくれていることが分かったのは、幸いなことだった。



 隣の家にいるのに、話すらすることができない。

 いや、そもそもアプローチが間違っていたんじゃないか? 昨日の黒猫と話したことが妄想じゃないと仮定したら、珠ちゃんは恥ずかしがっているだけになる。

 つまり、まずは猫の言葉が分かることと、あの黒猫が珠ちゃんかもしれないという妄想について確かめなければならない。


 こうしてはいられないと、早めに窓を開く。

 すでに待機していたのだろう。黒猫がビクリとする。僕もビクリとした。


「っと、驚かせたかな? ごめんね」

『だ、大丈夫。ちょっとビックリしただけだから』


 うん、絶好調に声は聞こえている。間違いなく珠ちゃんの声だ。……僕が病気じゃ無ければ、の話だが。

 しかし、小テストを言い当てたという根拠もある。これを信じ、慎重に話を進めていくべきだろう。


 特に疑った様子も見せず、黒猫はいつものように膝へ乗る。撫でてくれと体を擦りつけてきたのだが……ピタリと手が止まった。

 一体、どこまで撫でるのはセーフなのだろうか?


 猫とはいえ、相手は珠ちゃんの可能性がある。同い年の女子の体を撫でまわすのは、かなりヤバい行為だ。

 ……悩んだ結果、恐る恐る背を撫でる。髪を触られると怒る女子もいるらしい。胸やお腹、お尻を撫でるなんてもっての他だろう。

 どこからがお尻なのか。そんなことを頭の中でグルグル考えながら撫でていると、黒猫が言った。


『今日はなんか触り方が優しいわね。もっといつもみたいに撫でても大丈夫よ?』


 確かに、彼女からしたら大丈夫だろう。だが僕は大丈夫じゃない。珠ちゃんかもしれないという疑念がある以上、気安く撫でられるはずが無かった。

 手や足、背中。ギリギリ許されるかもしれないと思った範囲を撫でる。黒猫は、少し不満そうにしていた。


 しかし、そんなことをしている間に時間が訪れる。正直、何かを聞き出す余裕は無かった。

 窓を開き、黒猫がスルリと出て行く。


『今日は調子が悪かったのかしら? 無理せず早く寝てね?』

「うん、ありがとう。またね、珠ちゃん・・・・

『うん、またね。……ん?』


 首を傾げながら立ち去る黒猫を見送り、窓を閉めて一息吐く。

 なにを聞くかをよく考え、整理しておいたほうがいいかもしれない。新品のノートを取り出し、色々と書き記していく。

……撫でても大丈夫な場所を考えるため、猫についてのサイトを見ながらだった。



 ――翌日。

 若干の疲れを感じながら家を出る。

タイミングが悪かったのだろう。丁度、珠ちゃんも家から出たところだった。


「あ、おはよう」

「……ょ」


 すごい目で見られたが、睨まれていたわけではない。眉根を寄せており、なにかを探っているような感じにも思えた。

 彼女はそのまま僕を置いて学校へ向かってしまう。どうせ同じ場所へ向かうのだが、姿が見えなくなるのを待ってから歩き始める。……今日も挨拶を返してもらえなかったなぁと、少しだけへこんだ。


 教室へ入り、席へ着く。チラリと珠ちゃんを見たが、もちろん目が合ったりはしない。楽しそうに友人たちと話していた。


「ふわぁ。おいーっす」

「おはよう」


 眠そうに、欠伸をしながら灰原が声を掛けてくる。

 後ろの席へ座った彼は、机に顎を乗せたまま話しかけてきた。

「オレが思うにだ」

「うん?」

「お互いのなにかが食い違っているんだろう。もしくは、やっぱり忘れてることがあるんじゃないか?」


 どうやら彼なりに、僕のことを案じてくれているらしい。友情で胸が温かくなるのを感じながら、首を横に振った。そんな記憶は全くない。

 灰原はそれからも、色々とされて嫌なことを口にしてくれたが、やはり思い当たることはなく首を横に振る。

 呻きながら首を捻る彼を見て、ポツリと言ってみた。


「実は照れているだけ、とか」

「アハハハハハハハハハハッ」

「すごい笑うじゃないか」

「アッハッハッハッハッハッハッハッハッ」

「いや、笑い方を変えろってことじゃないからね? 全く……」


 灰原は否定的なようだが、残念なことに僕も同じ考えだ。

 だからこそ、黒猫=珠ちゃんの図式を信じ切れないというか……困った。

 なにか良い案は無いかと、灰原へ聞いてみることにした。


「例えばだけど、女の子ってどんなことをされたら恥ずかしがるのかな?」

「そりゃ、目と目が合えばだろ。ネットで見たけれど、ジッと目を見て、逸らされたら気があるらしい。ちなみにオレがやると手を振られるか、首を傾げられる。とてもつらい」

「そ、そうなんだ」


 しかし、目を合わせてみればいいのか。……いつも目が合った瞬間、睨まれて逸らされているよな? あれ? この場合はどっちなんだ?

 よく分からず、首を傾げる。まぁ、たぶん中間ということで、好きでも嫌いでもないのかな。


 しかし、幼馴染に嫌われているかもしれないというのはとても辛い。考えるだけで気が滅入る。昔と同じように仲良くしたい。

 今日こそ、黒猫からうまく話を聞き出そう。僕は授業も聞かず、ノートへ話す内容について余念なく書き記すのだった。



 そして夜になる。だが、いつもの時間になっても黒猫は姿を見せなかった。


「まぁこういう日もあるよね」


 机にノートを立ててからベッドへ横になり、夕食で呼ばれるのを待つ。

 だが昨日遅くまで考えていたせいか、欠伸が止まらなかった。

 少しだけならいいかと、静かに目を閉じる。簡単に意識は微睡に落ちていった。


「……ご飯よー」


 ガバッと起き上がる。危うく仮眠で済まなくなるところだった。

 うーんと伸びをしていると……机の上に黒猫がいた。なぜか、こちらを見て固まっている。

 いつもなら、寝ている僕の上に乗っていたり、隣に転がっていることが多い。机の上に留まっているのは珍しかった。


 なぜ? と立ち上がる。……その理由が目に入った。

 黒猫は、並べられていたノートの一冊を取り出し、その中身を読んでいたのだ。

 あれには、黒猫が珠ちゃんかもしれないことも、どうやってそのことを追求するかなど、思いついたことを全て書き記してある。過去に、ノートを取り出し読んでいたことなどは無かったため、完全に油断していた。


「あ、の」


 いや、でもただの猫かもしれない。そうだ、勝手な思い込みだ。考えすぎている。

 そう思えば心は落ち着きを取り戻していったのだが……黒猫は叫んだ。


『イヤアアアアアアアアアアアアアア! こっちを見ないでええええええええええええええええ!』


 黒猫は逃げ出して行き、そのまま姿を晦ませる。

 これでハッキリと一つのことが分かった。


「……珠ちゃんじゃん」


 いまだどこか信じられず、茫然とするしか無かった。

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