聖夜にいまを希う(2)




 睦月にやや遅れて到着した居間には、洋海の身長より少し低いくらいのクリスマスツリーが飾られていた。


「よく来たね」


「こ……こんばんはっ。突然すみません」

「お邪魔します!」


 着流し姿で窓辺に佇んだままいつもどおり穏やかな笑みで迎えてくれた柾貴に挨拶し、近くのツリーへと歩み寄る。


 ポインセチアと違ってこちらはプラスチックだが、それでも高さもそこそこ、枝の張り具合やシルエットなど総合的に見ても見事なツリーだ。

 天辺には金色の大星。たっぷり長さのありそうなキラキラのモールは、何周させたのだろうと思うくらいツリーの上から下までぐるりと巻き付けられ、忙しなく点滅する数十個のLEDライトとともに光を放っている。

 力強く伸びた枝の先には一つ一つ艶のあるベルやボール型のオーナメントが吊り下げられ、美しく室内の照明を反射させていた。



「よし。そっち運ぶぞー」


 テーブル片してくれー、と言いながら、両手に大鍋を抱えて睦月が台所から出てきた。


 鍋? ああ、一部で流行っているクリスマス鍋とかいうのだろうか、などと考えながら片付けやカセットコンロのセッティングを手伝う。

 サンタやトナカイ型のウィンナーやらフライドチキンなどが飛び出してくるのかと思いきや。

 ほっこり白い湯気とともに蓋の下から現れたのは、出来上がり寸前の湯豆腐だった。


 洋海とともに目が点になっているのに気づいて、睦月が「そんなバカな」という顔をする。


「親父が好きだし、ウチ毎年これなんだけど。……え、もしかして……変? 嫌い、とか?」


「い……いやいや大丈夫。何食ったっていい。合う合う!」

「へ、変じゃない! 変じゃないですよ! あたしも大っ好きです、湯豆腐!」


 あわてて両手を前に突き出して振るという、まったく同じポーズでフォローし始める二人に、睦月の表情が目に見えてホッとした。


「よかった、あっぶねえ……。そうじゃないと困る」


 困る?

 豆腐嫌いとは付き合えないから今すぐ出てけ、とかそういうことだろうか。今後は出禁とか……。


 きょとんと首を傾げていると、睦月が珍しくやや困ったような複雑そうな下がり眉でこめかみを掻いた。


「いや、実はまだあと十丁残ってて……豆腐」


「な、なんでそんなに」

「豆腐ばっかり……?」


「おまえらが来るかも、って……知らんうちに親父が別で買って来てたみたいで」


「――――」


 どーすんだよ?と言わんばかりに隣に立つ父親を睨みあげ、柾貴は柾貴で「いやはや、面目ない」とそれほど悪びれもせず常と変わらない微笑みをたたえている。


 なんだろう、これは……。

 腹の底からじんわりとあたたかいものが湧き起こってくる。

 路代に続いて柾貴まで、自分たちが来ることを想定して動いてくれていたのだ、と知った。

 感動しないわけがなかった。

 洋海にいたっては親子二人の様子を見ながらわずかに涙ぐんでいるようにさえ見える。


「薬味もうちょい用意しとくか。もう一人来るしな」

「あ。て……手伝うよ睦月! 哲くんはほら、持ってきたケン◯ッキーとか出して。お皿とか準備準備」

「お、おう!」


「さすれば私は――」

「頼む。親父は座っててくれ……」


 なぜか動くなと父親を制し、準備の大詰めとばかりにそれぞれも動き出したところに。


「あー来てる来てるー。おっまたせー。美人サンタの登場よー!」


 例によってインターホンなしでドカドカ上がり込んできたのは、真っ赤なパンツスーツに黒いロングコートを羽織り、紅白ニット帽、大振りの雪だるまピアスでキメた倉田路代だ。

 背中までのウェーブヘアとメガネもそのままで、想像したようなミニスカではなかったが。


 ホントだ……派手だ、とうっかりつぶやいたら、「え? これでもおとなしいほうよ?」と後頭部に軽く路代チョップを入れられ、呆れ顔の睦月には静かにうなずかれた。

 去年までどんな格好をしていたのか気になる。怖いもの見たさというやつだが……。

 来年は見られたりするだろうか。


「サンタ伯母さん、その白い袋の中身なに?」

「呼び方! えっとねえ、ワインでしょ。焼酎でしょ……おつまみの高級チーズと、あとコレ」


 白いトートバッグから次々出してはテーブルに並べていき、最後に両手で取り出したのは特大サイズのタッパーだった。


「お赤飯。クリスマスといえばこれでしょうが!」


 湯豆腐とケン◯ッキー、赤飯に高級チーズ――


 どうよ!とふんぞり返る路代に、洋海と二人もう微妙な笑いを浮かべるしかなかった。


「そ、そうですね。はいっ」

「も……もう何でもアリで!」


「薬味もできたぞー。じゃ食うか」

「わーい」


 やや独特なメニューと組み合わせではあるが、大谷家のクリスマス晩餐が乾杯とともに始まった。







 湯豆腐もケンタッキーも、なんと赤飯もほぼ食べ尽くし、大人たちにも程よく酔いが回ってきたころ。


「では……このへんで」


 洋海が居住まいを正してコホンと喉の調子をととのえた。

 大谷家一同が何ごとかと顔を上げる。


「プレゼントタイムといきましょー! 哲くん?」


 じゃんじゃん持って来ちゃって!と上機嫌で声を張る洋海に、下働きよろしく「へい!」と威勢よく返事をして、大きめポインセチア鉢の陰に隠しておいた大袋を持って小走りで戻ってくる。


 その中から一番厚みのある大箱を手に取った洋海が、ぽかんとした表情の柾貴の前におずおずと進み出た。


「いつも、本当にありがとうございます。これ……よかったら使ってください」


 贈り物を手渡されているのだとようやく理解したらしい柾貴の目が、わずかに見開かれた。


「……ああ、いや……しかし、申し訳ないが私たちは君たちに何も……」

「いいんです、いいんです! 何も! じゅうぶんいただいてます。今日のお気遣いだってすごく……。ただ、使ってくれたら嬉しいです」


 戸惑いながらも箱を開けると、中には、ところどころに霜が降りたようにささやかな白が散らされた深い緑色の厚手マフラー。

 あまり派手ではなく和装にも合うようないい感じの色を、とこれにしたのは洋海のチョイスだ。

 手に取り、それをしばらく驚いた表情で眺めていた柾貴が、ゆっくりと顔をあげて洋海と哲哉に向き直った。


「ありがとう。使わせていただくよ」


 慈愛と感謝のこもったこれまでで一番の優しい笑顔を向けられ、洋海がきゅううぅと昇天しかけていた。

 よろりと倒れ込んでくる小柄なその背中を片手でざっくり支えたまま、哲哉の意識はすでに逆方向に向いている。


「ほい。これは睦月おまえに」


「え」


 振り向きざま、手のひら大の黒い不織布の袋をぽふっと睦月の手元に落とし込む。


「……」


「プレゼント。おまえに」


 手の中を見て固まってるだけの様子にやれやれ……と、さらに付け加えてやった。


「え、あ……でも、悪いけどこういうのは」


 親子そろってまったく……。

 贈り物にさえ慣れていないのか。

 予想どおりの反応にフッと笑ってため息を吐きつつも、用意しておいたセリフにほんの少しの演技を織り込んで伝えることにする。


「そう言うとは思った。けど安心しろ、買ったんじゃねえから。姉が趣味で大量に編んでて……こっちも困ってんだよ。だから遠慮なく貰ってくれ」


 もちろん嘘だ。姉はいるが、編み物や手芸などに興味を示したこともない。

 が、それをおくびにも出さず「ほれ、開けろ」とばかりに手元を顎で示してやる。


 未だ困り顔でそれでもおずおずと睦月が開けて取り出した中身は、フィンガーレスのニット手袋グローブ。薄いグレーの地に小さく雪の結晶が刺繍され、手首部分は太めのリブ編みになっている。


 完全なメンズ物を贈る気はハナから無く、なるべくユニセックスに見えるものを選んだつもりだ。

 それでも全体的に淡い色がやや女性っぽさを連想させ……てしまうような気がしなくもないため、せめてラッピングだけは暗い色を、とレジで強く希望したのだ。


「どうだ? 感想聞いてこいって姉に言われてんだけど。使えそうか?」


「あ……うん。さ、サン……キュ」


 父親と違ってこちらは笑みを浮かべてみせるという芸当がまだ無理らしい。

 ぼそりとつぶやくなり、弱々しく彷徨わせていた目線を隠すようにうつむいてしまった。


 どうしたらいいのか皆目見当もつかない、という様子は見られるものの、嫌がっている素振りは感じられない。

 それだけでも哲哉にとってはじゅうぶんだった。一応受け取ってもらえた、という嬉しさを味わえたのだ。


「はい、路代センセーにはこれです!」


 洋海が薄くて大きな箱を向けると。


「えっっ、私の分もあるの?」


 それまで一連のやり取りを微笑ましく眺めていた伯母は、即飛びついた。

 先の二人からも早くこんな反応を引き出したいものだ。(確実に困難を極めるだろうが……)


「はい。絶対今日会えるって思ってましたから」

「いやーーーーん、嬉しいいいい!」


 早速取り出して満足そうに肩に当てている大判ストールは、深みのある赤と渋めオレンジのペイズリー柄。

 こちらのチョイスも正解だったようだ。若々しく陽気な彼女によく似合っている。



 ほっこり空気の中でとりあえず全員に無事プレゼントを渡し終え、ひと段落ついたところで。


 突如、ぶるりと寒気が襲ってきた。


 追加の湯豆腐もすっかり平らげ、そういえばコンロの火を落としてからそれなりに時間が経っている。 

 単純に部屋全体の気温が下がっていたということもあるだろうが――


 浮かび上がった心当たりに思わず苦笑いする。


 正直、睦月に贈り物を受け取ってもらえるか心配で、気を張っていた。情けないがそれは事実だ。   

 ある意味緊張しっぱなしで、そのせいもあってここまで寒さに気付かないでいたのかもしれない。


(俺ってビビりだったんだな……。どんだけだよ)


 妙な笑いを浮かべ、寒さと情けなさでさらに肩を竦ませたところを、まともに睦月に目撃されてしまった。


「……あ、寒い? ちょっと待ってな」


 悪い、気付かなくて……と言いながら睦月がすっくと立ちあがり、居間を出てどこかへと向かった。






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