夢霞(後編)




「あ……そ、そそそうだよな、うん。ペアってことでつい……(やべえ)」


 マズい。女子同士という前提で問いかけをしてしまった。

 睦月はまだ完璧に性別を隠し通せてると思っているはずなのだ。知らないふりを通さなければ、とあらためて気を引き締める。   


「っていうか、洋海あいつは何の仮装なんだ?」


 ヴァンパイアとペアだから――何だ? 血を吸われた美女とか?(いかん、鼻で笑ってしまった)

 それとも特にコンセプトとかなくて、無難に魔女とか血塗れナースとか、一部のコスプレファンが喜びそうなミニスカポリス系とか?


「さあ? 実は聞いてない。本番まで楽しみにしてろってさ」

「え? それってアリなのか? 一緒に出るのに?」


 一緒に出場する相手に内緒にする意味はあるのか?

 まーたあいつはワケのわからないことを……と呆れのため息をひとつ落としたところで、後ろからツンツンと突付かれた。 


 振り返ると――

 いつの間にか真後ろには、頭の天辺からつま先まで全身包帯でぐるぐる巻きになったミイラ男。


「え……と?」


 顔なども到底判別できず思わずたじろいでしまったが、その小柄さから一瞬「洋海か?」と思った。

 ――――が、どう見ても身体つきは女子のそれではなく、手には『1年3組。お化け屋敷へどうぞ!』とオドロオドロしいペンキで書かれた大きめのダンボール看板を携えて、すぐ隣の教室をくいくいと指し示している。

 ぷらぷら暇してそうな人間を勧誘する人員といったところか。

 さらに教室入り口にはあまりクオリティの高くないゾンビが立ち、ゆったりと手招きしていた。


「『お化け屋敷』だってよ。どうする?」


 十中八九「興味ない」「くだらない」という返事が返ってくるだろうと思いながら銀髪ヴァンパイアにお伺いを立ててみる。

 と。


「おう、入るか」


 ぶっきら棒に言いながら、すでに睦月はお化け屋敷入り口に向かって歩き出している。

 

 なら不機嫌そうに顰めたままのその表情は何だ、と呆気にとられていると、「だって」とさらに面白くなさそうに振り返られた。


「出番までまだまだだし洋海はいねえし、このカッコでフラフラ回るのもここで突っ立ったまま注目浴びてんのも嫌なんだよっ」


 なるほど、もの凄い説得力だな……と苦笑しながら後に続いて踏み出し――

 かけて、思わず目を瞠る。

 

 大きな蜘蛛の巣が垂れ下がり赤黒く塗りつぶされたセットの入り口に、漆黒の衣装に包まれて今にも踏み入ろうとしている睦月の後ろ姿に。

 記憶の奥底の――何かが重なって心臓がどくりと嫌な跳ね方をした。


(記憶? そんなバカな……。こんな場面なんて今まで――)


 ただの気のせいだと頭を振って思い直すも、その何か――微かな記憶めいたものは、説明がつかないが明らかに無視できないレベルの警報を発している。 

 曖昧な……だが、確かにどこかで目にしたようなこの場面……。何だった?  

 輪郭さえ掴めない、霞がかった光景。

 今にも消えてしまいそうな――


(そうだ、あの夢!!)


「睦月!」


 気付いたら、手首を掴んで引き留めてしまっていた。

 なぜなのかはわからない。が、今この瞬間に確かにあの時の夢を思い出していた。

 何か怖いような……不安でたまらなくなってしまったあの時の――。


 靄のような漆黒の闇のような、何か黒い禍々しいものに覆われて。

 どんなに手を伸ばしても睦月が目の前から消えてしまう――――そんな夢だった。 


 しばらく完全に忘れていたのに、なぜ……。 


「哲?」

「あ……わ、悪い。つい」


 まともに手なんか掴んでしまって睦月が嫌がらないはずがないのに。

 あわてて手を離す様子を驚いた顔で眺めていた睦月が、怒らないばかりか、にやりと意地の悪そうな笑いを浮かべた。


「何? 怖いとか?」


「え? お、おう……」

「しょーがねーな。じゃマント掴んでな」


 こんな学生の手作りお化け屋敷が怖いという言葉を素直に信じるってどうなんだ……。

 ふっと肩の力が抜け、いつしかこっそり笑みまでこぼしていたのを自覚する。


 相変わらず言動だけは無駄に男気にあふれているというか……。

 女なのにやけに男前で、たまに笑う顔も可愛くて、そんな一挙手一投足にいちいちドギマギするこちらの気持ちなんて少しも気付かなくて……。 


 ……そうだ。

 睦月が目の前から消えてしまう。 

 そんな恐れを抱かせたあの夢こそ――あの光景こそ、たまらなく怖いと感じてしまった。

 たかが夢と笑い飛ばせば済むのだろうが、何か妙に現実味を帯びているような気がした、というのもある。

 


 ――『いつまで保たせられるか……』

 

 

 以前そうつぶやいた柾貴の言葉が、心に引っ掛かっているせいもあるのかもしれない。


「睦月、おまえ……」

「ん?」


 ――おまえ、どこにも行かないよな?


 つい確認をしてしまいそうになって、ハッとする。

 というかこれでは縋っているようではないか。

 情けなさに二の句を継げずに躊躇っていると――



「やっったあぁ、撮れた!」



 先ほどの小柄なミイラ男から、少しだけくぐもった洋海の声が聞こえた。……気がした。


「え」


 まさかと思って振り返ると。

 頭部だけくるくると包帯を外し、下から洋海がプハッと見慣れた笑顔をのぞかせた。


「洋海!?」

「おまえの仮装ってそれ? ヴァンパイアとミイラ男……?」

  

 どうもコンセプト無しのほうだったらしい。優勝の欲さえすでに無いようなチョイスに思える。……チケットはもういいのだろうか。


「っていうか……おまえ――」


(っていうか、っていうか! 思ってた以上に胸が無えぇぇ!)


「何よ、哲くん」

「い、いや……」


 睦月のように締め付けているのか元々ペタンなのかはわからないが。(おそらくは後者……)

 代わりに、何か詰めているのか肩幅だけはやたら強調されてある。

 そのせいで小柄だが「男」だと認識してしまっていたのだ。

 いや、それは今はいい。とりあえず置いておく。


「おま……何、他のクラスの手伝いなんてしてんだよ……」


「この全身ぐるぐる巻き、三組の友達に手伝ってもらったから。そのお返し。っていうか条件だったんだー」


 唖然と見下ろす自分たちを満足そうに眺め、洋海がフフンとふんぞり返った。

 まったく気付かれなかったことに優越感めいたものを感じているらしい。


「呼び込みがお返し?」


「呼び込みとね、あとコレ」

「写真?」

 

 ぱぱっとスマホを目の高さまで持ち上げてニヤリと笑んだかと思うと、小型ミイラはおもむろに撮った画像をチェックし出した。    


「睦月と哲くんのあやしいツーショット撮ってくれるなら、ってのが一番の条件だったの」

「あやしい、って……」


 撮られていた?

 いつの間にか鳴り出していた怪しげなBGMのせいで音すら気付かなかった。


「見て見て、よく撮れてるでしょ! うっかり手を出しちゃった哲くんナイス!」


 喜々として見せられたスマホ画面には、不気味な厚化粧メイドが恐ろしく見目麗しい銀髪ヴァンパイアの手首を掴んで引き寄せている――ように見えなくもない――という何とも胡乱で倒錯的な画。

 「手を出した」というのもとんでもなく語弊があるし、「意義あり!」と叫びたいのは山々だったが。


(ま……マズい)


 小刻みに肩を震わせている隣のヴァンパイアにそろそろと視線を落とす。


「洋海……てっめええええ」


 自分なんかとは比べものにならないほど睦月が怒っている。……らしい。

 隠し撮りなんてされたら当然だろうし、そもそも目立つということを何よりも嫌がる人間だ。

 無理もない。

 が、あまり怒りすぎてもステージに影響が出そうで(というか、やっぱ行かねえと言い出しそうで)マズいのではないだろうか。


「ま、まあ睦月……落ち着け」


 程々に怒りを抑えてやって、ワケわからん洋海にもきっちり謝罪させて……それで良しとするか。

 というか洋海よ、お前の目的はチケットじゃなかったのか? 目的変わったのか? もう破れかぶれとか?

 それにしても毎度毎度どうして自分はこういう役回りなのだろうか、と思えばついため息ももれる。


「え? あれ? 睦月怒っちゃってる? なんで?」 

「なんで……っておまえ――。オレにこんな格好させたあげくに、『仮装』なんかのためにオレと哲を売ったのか?」

「しゃ、写真くらいでそんな……。哲くんはキモいけど睦月はこんなに綺麗に写ってるし、ほら、ね? いいでしょ?」


 ――――前言撤回。(クチに出して言ってないけど)

 それで良し、などと誰がしてやるものか。


「――睦月。やっちまえ。許可する」

「おう。写真くらいいいんだよな? 恥ずかしい笑える写真撮ってまわしてやるか」


「え、え、え、あの……って そ、それだけはいやあああああああ!!」


 ゴツいピンクメイドと美ヴァンパイアにがっちりと両脇を抱えられてどこかに連行される小柄なミイラ男(仮)。

 その悲壮感たっぷりな叫び声が、いつまでも高らかにその階に響き渡っていた。








  

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