夢霞(前編)
――――夢を見た。
けれど何の夢だった? 具体的に、どんな……?
わからない。
元々おぼろ気だったその輪郭は、時間が経つにつれてさらに歪んで曖昧になって、あっという間に消えていったけれど。
やけにもの悲しい――喪失感のようなものがしばらく脳裏にこびり付いて離れなかった。
それだけは、憶えている。
◇ ◇ ◇
「仮装?」
今朝方の夢を引きずってぼうっとしていた哲哉の耳に、睦月の不服そうな声が飛び込んできた。
頬杖をついたまま、すぐ前の席に座す睦月とその隣の洋海のやり取りに目線を投じる。
「そ。エントリーしようよっ。睦月こういうのって初めてじゃないかな、って」
いつぞやの応酬を彷彿とさせるような
デジャヴか? いや、確かにあったわこんな場面……となんとなく重い頭を抱えたまま、哲哉は目の前の二人から視線を外し、あらためてぐるりと周囲を見渡した。
学園祭を一ヶ月後に控えたとある自習時間、クラスの出し物決めをしようと実行委員の男女が教室前方に出て声を張り上げ始めたところまでは憶えている。
個人的に意識をすっ飛ばしている間に、だいぶ意見が出揃っていたようだ。仲が良く何ごとにも協力的な一年二組らしい。黒板に書き出された候補と「正」の文字がずらりと並んだ状況を見るに、話し合いも大詰めを迎えているあたりだろうか。
「面白そう」「えーでも恥ずかしい」「お、俺彼女見に来るんだけどっ」などと愉しげな声も飛び交っている。
――そんな周囲とは少しだけ系統の違う雰囲気を醸し出している目の前の二人。
どこから拾ってきたのか『生徒会主催:ハロウィーン仮装大会』という要項を手に、洋海が異様に瞳を輝かせて睦月に迫っていた。それだけ見てもクラスの話し合いには一切参加していなかったなコイツ……と容易に推測できる。(
「仮装って……冗談だろ。高校生にもなってなんでガッコでそんなこと……」
「海外じゃ普通にやってるって」
「ここ日本――」
「えええええ、やろうよおおおおおおお! 優勝ペアにはコレだよっ! 夢の国チケット」
「……一人分じゃん。ショボ」
ジャーンとドヤ顔と効果音付きで要項を突き出す洋海に、負けじと睦月も眉を顰めて「面倒くさい」アピールをしている。
まあ睦月の場合は面倒くさい以上に「目立ちたくない」が理由だろうが。
「一人分でも浮いたらお得じゃん! いいじゃん! 睦月だってパレード見たいって花火見たいって、言ったじゃん!」
「いや、別にそこまでは言っ」
「行こうよおおお! 今度は柾貴さんも一緒にね! 四人でさっ」
重要ポイントはやっぱり
「…………いや、行くのはいいけど。つーか、んなモンに出なくたって普通に金払って行きゃいーんじゃねーの?」
「払うけど払うけど、でも少しでもお得になったほうが柾貴さんも誘いやすいっていうか」
「いや」
げんなり気味の睦月にまたも食い下がろうと反論しかけた洋海を、気付いたら遮ってしまっていた。
あれ?いつから聞いてた?とばかりに、二人揃って静かにこちらを振り返る。
「いやー……
「なんで?」
すかさずキョトンと訊いてくる睦月の様子に、思わず脱力しかけた。
本当にクラスの話し合いには耳も貸していなかったらしい。
「ほら、あれ」
黒板を指差し、ついに決定したクラスの出し物に意識を向けてやる。
「『TS喫茶』……? 何それ?」
使い方としては明らかにおかしいし無理があるが、今この場合に限って言えば『異性の格好をして給仕をする』ということらしい。
クラス外の人間にも突っ込まれることは想定内らしく、「もし何か言われたら担任の名前(坂上忠司)に
「特にクラブ発表、当番、生徒会イベントだのの用事がねえヤツは強制参加だってよ。――『女装』だぞ? いいのか?」
「!?」
こちらとしては結構かなり本気で見たいが。
必死に隠してる身としては冗談ではないのでは?という心配りのつもりで、余計なお世話だろうが言ってみた。
「まあ、おまえの『女装』ならムサくも見苦しくもないだろうし別に問題も無――」
「洋海、出るぞ。エントリーするぞ! どこでするんだ? どこ行きゃいいんだっ!?」
「えっ、せ、生徒会室だけど……睦月睦月、今授業中! 後でっ」
洋海の手を引っ掴んで(自分から触る分には平気なのか、相手が洋海だから問題ないのか、それどころではない程あわてているからなのか、はわからないが……チッ)今にも教室を飛び出しそうな勢いの睦月を眺めながら、
(そうか、人前で
心の中で密かに落胆した哲哉であった。
◇ ◇ ◇
あれよあれよと言う間に迎えた宮園祭。
早くも二日目である。
毎年三日間で最も来校者を見込めるのが、この二日目の土曜らしい。
ステージでの多彩な催しや模擬店も充実しているから、なのだとか。
デカくて邪魔だから出てろ、と準備係に追い出され、ぼんやりと教室前廊下に佇んでいると。
「哲」
背後からわずかに驚いたような声が響いた。
振り返ると、微妙な顔で辛うじて引きつり笑いを浮かべながら、睦月が歩み寄って来ていた。
「……キモい」
「あーありがとよ。似合うって言われなくて嬉しーぜ」
異論がないどころか大賛同の気分だ。
薄桃色のメイド服(よりによってミニでフリフリ)にどこの宮殿の誰想定!?と突っ込みどころ満載のブロンド縦ロールのウィッグ。
準備係の女子に厚化粧まで施された自分の顔は、我ながら完璧に吐き気を催せるレベルの仕上がりとなっている。
ソッチの気はもちろん無いが、ここまで来たらもう開き直るしかない。
そして開き直ったから、というわけではないが――
「そういうおまえは……」
思わず一呼吸おいて、まじまじと見下ろしてしまった。
「なんか、恐ろしい程に似合ってんな」
「そうか? これ、モノは全部洋海の指示なんだけど」
黒光りするロングマントを片側だけヒラリと持ち上げると、真っ赤な裏地と中には漆黒のタキシードが見えた。
衣装だけでもとんでもなくサマになっているというのに――
(……うわぁ)
無意識に何度も生唾をのみこんでしまっていた。
動く度サラサラと流れるように揺れる見事な銀髪。
最近テレビや街なかで見かけるごま塩のような妙な色合いではなく、どう形容したらいいのか……「神々しい」とさえ呼べそうな輝きに満ちた白銀色。
カツラか?と一瞬思ったが、どうも違うようだ。シルエットや長さもいつも通りらしいし、おそらくは染めたもの――?
目はカラコンなのだろう。真紅の瞳で真っ直ぐ見上げられた時には、冗談抜きで息が止まりそうになってしまった。
誰が何と言おうとこれまで見た中で最上級に美しく目映いヴァンパイアが、つけた牙に苦心しながら舌打ちし、不機嫌そうに自らの出で立ちを眺めている。
「やっぱ染めてくりゃよかった……」
舌打ちの延長で、睦月がぼそりと吐き捨てる。
「え?」
「あー……じゃなくて。染めてくるんじゃなかった。目立ってしょうがねえ」
いや、これは……おそらくいつも通り黒髪だったとしても、ある程度どころではなくかなり目をひくだろう、と思いながら苦笑する。
「まあ、しょうがねえよ。祭だし、あきらめろ」
言ってる側から通りすがりの他クラスの生徒たちが決して小さくはない歓声を上げていく。
中にはこっそり写メに収める不届き者までいる。
「うっざ」
舌打ちして振り返る様が只ならぬ気配を醸し出していて、怖い。
いつも以上に凄みがあふれている……というか。
「んじゃ今からでもこっちのフリフリ着るか? 交換」
「!? ぜってー嫌だ!」
あわよくば、と思っての提案に予想どおりの即答。
まあ、こんなヒラヒラ着られた日には女だけじゃなく普通に男どもも色めき立ってマズい状況になってしまうだろうが。
個人的にはかなり見たい、が……やはり野郎どもには見せたくない。
妄想だけで我慢しておくか、とあきらめのため息を吐きながら、そういえばと顔を上げる。
「つか洋海は? 一緒に着替えたんじゃないのか?」
「はあ? んなワケねーじゃん。オレに女子更衣室入れって?」
思いきり眉間に皺を寄せたヴァンパイアに睨み上げられてしまった。
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