華と月(後編)
(な、なんでこんな所でこんな無駄な体力を使わなければ……?)
予定外の重労働を終え、電車が走り去った後のホームでゼーハー息を切らして哲哉は膝を支えた。
その苦労を知ってか知らずか、視線の先では――――なかなか絵面的によろしくない光景が繰り広げられていた。
「てっめえぇぇ……気色悪いことしてんじゃねーぞゴラ」
薄暗いホームの壁際で、睦月が小太リーマンに壁ドンしている……。
ちょうど睦月と同じくらいの背丈のその男は、ぶるぶると震えながらすっかり迫力に気圧されているらしい。
「そ、そそんな僕は何も……」
「この期に及んで言い逃れか? ああ? ふてえ野郎だなぁ? デブだけに」
まずい。怒りのボルテージがさらに上がってきている。言葉のチョイスに問題ありなうえに、身も蓋もない罵り方になってきていることに恐らく本人気付いていない。
ふと思い至って周辺を見渡すと、自分と一緒に睦月を止めるべき洋海の姿が見当たらない。確かにまとめて引っ掴んで降りたと思ったのだが……。
なら仕方がない。(殺人が起きる前に)一人ででも止めなければ、とため息混じりに彼らに近付く。
「オッサン、マジで
「はあ!? 何だよおまえはっ!?」
――と、なぜか下から物凄い形相で睨まれた。
「この野郎、ヘンな言いがかりつけやがって! な、何か証拠でもあるのかよっっ!?」
「え、いや……それは知らんけど」
ここぞとばかりに唾を飛ばして哲哉を威嚇し始める小太リーマンの頭部に、ぺしっと睦月の平手が入った。
「オレがしっかり見てんだよ、その変な色の時計とずんぐりむっくりした手をよ。なに哲に向かってキレてんだよ」
白々とした視線を向けたまま睦月がさらにもう一発食らわせる。
「い、痛い。そ、そんな……ずんぐりって」
「これ以上しらばっくれるとテメェ、どーなるかわかってんだろーなあぁぁ」
「え、えええ……ぼ、僕はただ」
(ん? このオッサン……)
怯えながらも何やらもじもじチラチラ睦月を見上げる男を見て、ピンとくるものがあった。
狼狽えてはいるが、哲哉を睨んだ時とは明らかに質の違う目を睦月に向けている。あからさまに言葉遣いも違う。
どこかうっとりと(?)罵られている様もどうにも気色悪いというか――。
「――――――もしかして……オレが女にでも見えた、とか?」
眉をひそめ、神妙な表情で睦月が訊ねた。
必死に隠しているものがひょっとしてバレてしまったのか、と思うと確かに不安だろう。
ところが小太リーマン――
「まさか! 女なんかに見えたら触るわけないじゃないか!」
滅相もない!とばかりに抗議したあげく、まさかのドヤ顔をかましていた。
(ば、バカだ……このオッサン)
要はやはりそういう系で、たまたま好みだった(知らんが)睦月がすぐ近くに乗り合わせたので、ついつい手が……というところなのだろう。
他人の趣味にどうこう言うつもりはないが、反論するつもりで思わず色々ゲロってしまった馬鹿さ加減に遠慮無く呆れ笑いが出てしまった。
しかし睦月本人は、それでよしとは思えなかったらしく。(当然か……)
「……は? じゃ何? オッサン、男だと思った上でオレ触ったの? マジで? 変態なの? 気持ち悪いんだけど」
いっそう凄みを利かせて、再度壁ドン。
「ゆ、許してください。……ただちょっと君とお話がしたくて」
「話がしたくてなんで手が出てくんだよテメェ。この色ボケ変態」
今の場合どう答えても、どっちみち小太リーマンはこうなる運命だったのだろう。
が、これ以上無駄に近付かせたくないし(男を喜ばせているだけのような気がする……)、ちょっとデリケートな問題も絡んできそうな発言も睦月から出てきてしまったため、とりあえず引き離そうと二人の間に立つ。
「お、おい睦月。ちょ、ちょっと言葉……気をつけような……? 世の中には色んな趣味嗜好というものがあってだな――」
「知るか。世間がどうでもオレは冗談じゃねーんだよ、だったらまずお伺い立てるのが筋ってもんじゃねーのかよ、ええ!? 他人にまで勝手に趣味押し付けてんじゃねーよ。何とか言えよ、ああぁあ!?」
「ひ、ひいいいいい!」
マズイ、完全にキレている……。
言ってることが正論なだけにもう止められないかもしれない。
「で? まだ答え聞いてねーけど?」
「は、はい……?」
「窒息死か? 八つ裂きか?」
「!?」
「……(舌打ち)……しまった、道具ねーわ。それか、このまま次の電車来たら突き落としてやろうか」
あ、それイイわ決定ーとばかりに、襟首を掴んだまま睦月が踵を返し、一瞬のうちにボテッと男を引き倒していた。
さほど身長は変わらないとはいえ、線の細い美少年(仮)に何やら軽々と技をかけられて仰向けにされた小太リーマン。
「え」
何があったかわからずポカンとしていたのも束の間、ホームの先に向かってズンズン引き摺られ始めてようやく事態を把握したようだった。
「た、たたた助けてえええええええええええっっ!!」
耳を塞ぎたくなるような大音量で叫んだかと思うと、ちょうど洋海に連れられ駆けつけてきた駅員に涙ながらに取りすがっていた。
半泣きのすっかり腰の抜けた姿で駅員に連れて行かれる男と、それを見ながら「もうちょっとだったのによ」と本気で舌打ちする睦月を見て、ようやく三十度を下回ってきた気温の中だというのに寒気を感じてしまった。
うっかりでも何ででも触らずに済んでよかった……と、心底安堵したのは言うまでもない。
◇ ◇ ◇
あと二駅で会場に着くというところで……何だろうこのグダグダは。
よろよろとたどり着いたホームのベンチに腰掛けるなり、
「……なんか、悪かったな」
真ん中に座る睦月がぼそりと言い放った。
「え?」
「大騒ぎして、台無しにしてさ」
「おまえ悪くねーだろ」
「そうだよ。睦月こそ嫌な思いしたでしょ……。誘っちゃったばっかりに、ごめんね?」
「いや、まあ……。ムカついたけど……騒いだらそれなりにスッキリしたっつーか……。けど、悪い。なんかそんな気分じゃねーし今日はオレ帰るわ」
よほど悪いと思っているのか、どちらとも目を合わせないまま睦月が立ち上がった。
「――よし。じゃ、帰るか」
「そだねー」
「え……っ」
当然のように一緒に立つ二人に目を丸くし、何言ってんだとばかりに両手をはためかせる。
「え? いやいや……せっかく来たんだし、次の電車でおまえらだけでも行けよ」
「走って疲れちゃったー。柾貴さんもいないし。いいよぉ」
「俺様ももうイイ……。三人引きずって超ーーー疲れた」
「…………」
「じゃあせめて何か食べてこっか!」
「んだな。外で食ってこいって親父さんも確か言ってたよな?」
「あ、ああ……うん。けど」
よし善は急げー!と、申し訳なさそうにしている睦月を無理無理引っ張り、地上に出ることにした。
降りたこともない駅だが駅前なんだから何かしらあるだろう、と言い合いながら改札を抜ける。
階段を上って、生温い夜風が頬に吹きつけたと思った瞬間。
ドンと大気を震わせるような音が響いた。
連続して弾けるような音がした方角に目を上げると、無数の色とりどりの光が夜空を彩っていた。
「うわー綺麗!」
「おお、こっからでも見えるんだな」
ところどころ高層ビルで遮られていて花火の全貌を見渡すことはできないし、すぐ真下で観るほど迫力満点ではないのだろうが、人込みに揉まれずに済む穴場的な場所を見つけられてむしろ良かったかもしれない。
同意を得ようと睦月を振り返りかけて、知らず息を呑む。
色とりどりの鮮やかな光の軌跡をそのグレーの瞳に映して、睦月が驚いたように立ちすくんでいた。
そんな睦月に、自分もまたすっかり目を奪われてしまっていたわけだが――。
見とれてる場合じゃないでしょ、と言わんばかりに洋海の肘鉄が入る。
「げふっ……――な、生で見んの初めてか?」
「うん……」
あまりに小さく呆然とした返事に、ちゃんと聞いてんのかな?とも思ったが、大丈夫らしい。
すっかり見入っている様子で、だが口元には微かに笑みが浮かんでいた。
「凄い……。こんななんだ、花火って……」
嫌がる電車に乗せてしまったし、気色悪い……散々な思いもさせてしまった。
でも……と口角を緩めたまま、肩で触れてしまうくらいすぐ隣に立ってみる。……怒られたり大げさに避けられたりしない。大丈夫のようだ。
気付いて洋海も反対側に並んだ。
「綺麗だねえ」
「うん……」
両脇から寄り添うように立たれても、洋海になんて密かにシャツの裾を掴まれていても気付かないほど、今この瞬間、闇夜に鮮やかに咲く光の華に感動出来ているのなら――連れてきたのも悪くなかったのかもしれない。
都合のいい解釈をしてるに過ぎないのだろうが、そう思った。
こっそり洋海と目配せし、同意を求めるように笑い合う。
「来年もまた来るか?」
「あ、いいね。夢の国のパレードとかも見たいね。ね? 睦月」
「…………電車じゃないなら」
身内以外とはほとんど触れ合わず、多くの秘密を抱えて肩肘張って生きてきたこの静かな月のような少女に、……おこがましいかもしれないが色んな思い出を作ってやれたらな、と思った。
(って……阿呆だな俺。睦月の何になったつもりだよ?)
いつの間にか使命感めいた妙な思いに駆られていた自分に気付き、思わず笑いが込み上げる。
ま、いっか……と照れ笑いを隠そうともせず、そのまま空高く艶やかに咲き誇る花々を見上げた。
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