おまけ
華と月(前編)
「花火?」
「そ。睦月こういうの行ったことないんじゃないかな、って思って」
昼休み真っ只中の一年二組。
向かいに座る睦月の鼻先にスマホを突き付けたまま、満面の笑みで
隣からひょいと顔を寄せ覗き込んだ画面には、毎年多くの見物客でにぎわうという都内の有名花火大会の広告。
何ごとにもとにかく関心を示さない睦月のことだ。どうせ「興味ない」と即答するだろうな、と思って哲哉が見ていると――。
意外にもグレーの目はしっかりと画面を捉えたままだった。
(お? 見たかったりすんのかな?)
「どう? 明後日。三人で行かない?」
「ぶ……っ」
三人と聞いて思わずむせてしまった。
「何よ哲くん?」
「い、いや」
俺も頭数に入ってんのか、いいけど今初めて聞いたぞ……と苦笑しながらこぼれたコーラを拭いている哲哉に構わず、横では睦月が微かに眉をしかめていた。
「……ちょっと遠くねえ?」
「んー、まあね……。でも確か乗り換えも二回でね――――ほら、行けるよ?」
手早く電車の乗り換え案内を表示させ、再度勝ち誇ったようにかざして見せる洋海。
気のせいか、箸を握ったままの手で頬杖をつく睦月の眉間のシワが深くなった……気がした。
「――パス。やっぱ面倒くさ」
「えー行こうよー! 絶対綺麗だよー!」
「どうせ人だらけなんだろ?」
カタンと箸を置き、軽くため息をつきながら睦月は弁当箱を片し始めた。
あれから約三ヶ月。
このシカト大魔王――大谷睦月もよほどのことがない限り周りに対して無視はしなくなり、自分らとはこうして共に弁当を広げたりする仲になっていた。
とはいえ、生来の人嫌いなのかあくまで用心しているのか、自分たち相手でも一定の距離をとろうとする姿勢は変わらないし、それ以外の人間とはまだまだ気軽に話ができるまでにも至っていない。
まあ、とんでもない秘密を抱えているだけに、しょうがないことではあるのだが。
それにしても……と哲哉は目の前の二人に意識を戻した。
しつこく食い下がりあの手この手で誘いをかける洋海に、花火自体には一瞬興味を示したように見えた睦月が、どういうわけかなかなか首を縦に振らない。
なんでまたそう頑なに……とため息をついて、哲哉が口を開く。
「ヒトいすぎて、逆に目立たねーぞ?」
「……」
ぼそりと助け船のつもりで発した一言に、一瞬考えるような素振りをした睦月。
「――――いや。でもやっぱいい。二人で行きゃいーじゃん。ちょっとトイレ行ってくる」
あっさり断り、この話は終わりとばかりに立ち上がっていた。
「ちょ……もーっ!」
あきらめられない!とばかりに洋海が、遠ざかって行く後ろ姿に叫ぶ。
「哲くんなんかと二人で行ったってしょうがないでしょお!?」
「
こっちにもソノ気はないが、言い方……と頭痛がしかけたところで高らかに予鈴が鳴り響いた。
◇ ◇ ◇
「……………………行かねえ、っつったよな?」
二日後の夕刻。
大谷家の玄関先で自分たち二人を出迎えた睦月は、不機嫌を通り越して完全に呆れ顔だった。
確かに断られたしアポ無し訪問だったため、なおさら無理も無いのだが。
「なに家まで迎えに来てんだよ、おめーら」
「ど、どう? 睦月っ。この浴衣ヘンじゃないっ?」
ただでさえ微妙な顔でため息を吐いている睦月に、新調した浴衣やらあやしげな髪飾りやらで全身しっかりめかし込んでいる洋海がなぜかトンチンカンな質問をした。
「…………よくわからん」
仏頂面のまま何故か律儀に答える(答えになってないが)睦月の後ろ――家の中――から、父親の柾貴がひょっこり顔を出す。
「行って来ればいい」
「親父……」
濃紺の道着、袴姿で歩み寄ってきた父親に、睦月が不服そうな目を向けた。
「こ、こんばんはっ。よ、よかったら柾……お、お父さんもどうですかっ」
「是非そうしたいが、まだこの後も稽古があってね」
焦りだし見る間にカーッと顔が茹だる洋海に、もうすぐ次の子供たちが来るのだよ、と穏やかな笑みで応える柾貴。
しょぼくれながらもぽーっと見上げる幼馴染を見て、このたいそう気合いの入った洒落込み具合に得心がいった。
道理で「迎えに行こう! 絶対行こう!」と張り切っていたわけだ。
「何ごとも経験だ。行って来なさい」
穏やかに勧める父親に、睦月はやはり気乗りしないといった体で何やら言い淀んでいる。
「……電車で行くんだぜ?」
「いいではないか。たまにはゆっくりしてきたらいい」
「けど……」
「そんなに稽古がいいなら、今日明日と寝る時間も与えず立ち合いするが?」
恐ろしいほど柔和な笑みに、珍しくぐ……っと唸るような睦月の声が聞こえた。
◇ ◇ ◇
最寄り駅に着いてホームに上がってからも、睦月のしかめっ面は消えなかった。
「何がそんなに不満なんだ?」
「だってー柾貴さんが行かないってー」
「おまえじゃねーよ……。つか仕事残ってる人を突然誘ったって無理に決まってんだろ」
だってーだってー、そのためにこの浴衣買ったのにいぃぃ、と振り返って地団駄踏む洋海をハイハイとテキトーに宥めて回れ右させ、隣に立つ睦月にあらためて目を下ろす。
「花火自体には興味あるんだろ?」
あからさまにブスッと線路を睨んでいる睦月につい苦笑して訊いてみる。目立つことも人と接することもとにかく避けてきたのはわかるが。
こうも感情をあらわにすること自体珍しいのだ。「電車」と聞いてから特に不機嫌さに拍車がかかっているような気がする。
「電車に何か……嫌な思い出でも?」
イザコザに巻き込まれたとか、車内で痴漢にあったとか?
(ん? だとしたらその場合相手は男だろうか? 女だろうか?)
返事も聞かぬ間に一瞬どうでもいい(いや、よくはない)疑問が掠めて首を捻るが、そんな哲哉には一瞥もくれずに睦月はあからさまにため息を吐く。
「……逆に良い思いしてるヤツなんていんの? 狭ぇわヒトは近ぇわ暑っ苦しいわ……」
「まあ、な」
「それに、電車ってタルくて乗ってらんねえ……」
「タルい?」
「……あー、いや」
ぼそりと言い放った後、睦月はそれ以上語ろうとしなかった。
乗り換えが面倒――ということだろうか?
首を傾げているうちに、電車が滑り込んできた。
「うっわ……すっげえヒト」
花火大会当日ということで覚悟はしていたが、帰宅ラッシュも手伝って車内の混雑は半端なかった。
停車して降りる人の流れにホッとするのも束の間、すぐにそれ以上の人数が乗り込んできて、身動き出来る範囲がどんどん狭くなる。
これほとんど同じ目的地に向かうのかな、と思うと早くもかなりげんなりしてきた。
ひたすら我慢を重ねて二回の乗り換えも果たし、最終目的地まであと数駅を残すのみとなった辺りで。
忍耐とウンザリが限界にきているのか、なぜか唐突に妙な思い付きが哲哉の頭をよぎった。
(し、しかしアレだな……)
すぐ隣に立って吊革に掴まる睦月に意識が向かう。
(こんだけ混んでると、人波に押されてしょーがなく密着してしまったりなんかして……。んでもってうっかり間違ってどっか触ってしまったり――。うわ……やべぇ、触ったらどうしよう! つか触りてえ!)
しょうもない喜びに妄想を膨らませて反対側の口だけでニンマリしていると――。
ひときわ大きく揺れた車体に足をとられ、小柄な洋海が「うきゃっ」とよろめいて転びそうになっていた。乗り込んできた人波に押されて、いつの間にかさっきまでの手すりには掴まれなくなっていたらしい。
見かねた睦月が、おまえはこっち来て掴まっとけと言わんばかりに洋海の腕を引き、場所を入れ替わってやっていた。
「ご、ごめん睦月……ありがと」
「ほら、ここ」
さらに自分の掴まっていた吊革を握らせてやる様子に、(ほんとは女なのに)なんて男前な!と小さく感動すらしてしまった。
それに引き換え、なんと自分はエロく
これも男の
それにしても……洋海を間に挟み少しだけ距離が開いてしまった。
チッと思いながら、それとなくその凛とした横顔を窺っていると――
突然、睦月が目に見えて肩を震わせた。
と思うと、青ざめた表情でぐるりと自身の後ろを振り返って誰かを探すような素振り。
「睦月?」
「どした?」
こちらの呼び掛けに応えないばかりか、なんと突然――
斜め後ろにいたサラリーマンらしき男性の胸ぐらをがしっと引っ掴んだ。
「な……なななんだ、何するんだ君、突然……っ」
他人にぶつかるのも構わず力任せに引き寄せられ、眼鏡に小太りの男が目を見開いて喚きたてている。
周りの乗客たちも何ごとかと目をしばたたかせるなか、自らの顔をずいっと寄せたかと思うと。
「アンタ――――どうやって死にたい?」
これまで聞いたこともないような、地の底を這うような低い声で睦月が凄んだ。
「ひっ!?」
「!?」
近くにいた乗客たちがぎょっとして一気に引いたのがわかった。
だが睦月本人はまったく意に介していないらしく、青筋立ったこめかみが微妙にひきつり、目は完全に据わっている。
これ以上はないというくらい、完全に本気で腹の底から怒っているらしい。
(も、もしやこの小太りオッサン……間違ってうっかりか意図的にか、痴漢を働いてしまった? よりによってこの睦月に?)
数瞬前まで自分も似たような妄想をして浮足だっていたことから、結構な後ろめたさが哲哉を襲い始めていた。
やべえ、バレてねーよなこの頭ン中……と内心冷や汗だらだら状態だ。
「よお、どうなんだよオッサン?」
口の端をひきつらせ半ギレで迫る美少年(仮)の様子に、周囲も何となく察するものがあったらしい。固唾を飲んで成り行きを見守る空気になっていた。
そんな注目の集まる只中で、睦月の顔に世にも恐ろしい薄ら笑いが浮かぶ。
「八つ裂きか? 絞め殺されてーか? 選べ」
「ひいぃ!?」
(ちょ……! 待て待て待て! 場所考えろおおおぉーーー!)
睦月と洋海、ついでに小太り中年までまとめて引っ掴んで、すいませんすいません降りますー!と謝りながら猛ダッシュをかけ、気付いたら予定外のホームに降り立っていた。
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