第14話




「お、来た。おっす」

「おはよー睦月っ!」


 相も変わらず無表情で登校してきた大谷睦月に、教室後方で他のクラスメートたちと話していた哲哉と洋海が声をかけた。


「……おう」


 ちろりと視線を向けて、睦月もぶっきら棒ながら挨拶を返す。

 そのまま足早に自席へと向かい教科書類を出している彼の姿を眺めながら、皆ごく普通の朝の風景を感じていた。




 ――――なワケはなく。




 「ん? 待てよ」と誰もが一瞬奇妙な空白に襲われた後、一年二組内は爆発するような勢いで沸いた。



「ええええええええええ!? 大谷が応えた!」

「じゃ、あたしもー! おはよう大谷くん!」

「おっす、大谷!」

「きゃああああぁ! おはようー!」

「俺も俺も俺も! オハ!」


「う……」


 次々と雪崩のように押し寄せるクラスメートたちの迫力に圧倒され、言葉なくたじろいでいた睦月だったが……。

 はっと睨み殺す勢いで廊下側最後列を振り返ったかと思うと――――   

  

「て、てめえっ……ちょっと来い……!」


 鷲掴んだ腕を力任せに引っ張られて、哲哉は廊下へと連れ出されていた。





「目立ってんじゃねーかよ……!」


 助言どおりシカトしなかったのに、話が違う!……とオカンムリらしい。


「今まで睦月おまえがツンケンしすぎたから、みんな嬉しいんだろうがよ。ま、三日もすりゃ収まんじゃねえ?」


 哲哉はというと――――睦月から触ってもらえたという事実に緩みっぱなしになりそうな口元を気合で維持しようと試みるが、結局は締まりのない笑みと軽いアドバイスになってしまった。(そしてもちろん自覚はない)


「こ、この……っ」


 へらりとした軽い応答に、てめぇ……いつか遠くない未来に何らかの形で復讐してやる、と誓った睦月の心の声を、当然ながらこの時の哲哉は知る由もなかった。







 いい意味でいろいろ吹っ切れたのか、『なんとびっくり挨拶返し事件』による雪崩以降、睦月は他の連中にも完全な無視はしなくなったようだ。

 距離を取ろうと反射的に後ずさったり元々口数が少ないのは変わらないが、睦月にとっては良い傾向だろうと思う。

 敵を作らないに越したことはないのだ。

 じゃねーとまた変な奴らに触られっかもしれねーしよ、チッ……という哲哉の心の声はもちろん内緒だ。

 隣の生徒に何か話を振られて仏頂面のままこくりとうなずいた様子を見た日には、柾貴のように頭を撫でくり回したい衝動に駆られた。(それをしたら最期。絶対に命はないだろうが……)


 ただやはり、全ての人間に同じ対応を、というわけではないらしい。


 先日、教室移動の際に例の一組連中とバッタリ出くわした際には―――― 


「ひっ!」


 と、なぜか奴らがギョッとして飛び退いていた。


「?」


 訳がわからず首を傾げる哲哉と洋海、そして睦月のために、通る道を空けてくれたのかと思わせるくらい廊下の左右の壁に張り付いていた奴等。

 通り過ぎる睦月を心なしか青ざめた表情で微動だにせず見ていたのは、おそらく気のせいではないだろう。


 後々、何をしたのか聞いたら

『知らないほうが身のためだ』

 と、しれっとした顔で言われた。


 ……気になるが、なんだか物凄く怖いので突かないでおこうと決意する。







 少しずついろんなことが変わっていき、季節も完全に夏に移り変わった。


 それでも睦月の標準仕様は変わらない。

 相変わらず体育は完全見学で、みんなが暑い暑いと盛夏服になっても涼しい顔でしっかりベストまで着込んで。

 もちろん宿泊行事なんかも欠席で。


 でもさらしのキツさに慣れてきたのか、苦しげな表情を浮かべることは無くなった。



 結局どうして「男」のフリをしているのかはわからないままだが、ここは無闇に突っ込んでいい領域ではない気がするので、しょうがない。


 一度早朝でも日中でもなく夜遅くに稽古をする理由を訊ねたら、

『朝にアレやったら、疲れすぎてその日一日使い物にならないから』と言われた。

 ちなみに今まで苦情らしきモノが寄せられたということは、やはり無いらしい。



 ときどき洋海と二人で大谷家にお邪魔する。

 テスト前、一緒に勉強したりとか、おばさ……倉田路代先生に乱入されたりとか。

 そしてそのままにぎやかに夕飯を囲むことも増えた。


 なんと路代伯母さん、あれで四十後半らしい。

 五月蝿いしいろんな意味で元気だしもっと若いと思ったが……。

 でも睦月にとって「伯母」なら、そうかそれくらいか、三十代半ばなわけはねーな……と素直に納得した記憶がある。

 「えっ見えねえ! おばさん若え! 妖怪かっ」と、ついうっかり叫んだら、キスは飛んでこなかったが「美魔女と呼べい」とスリッパで叩かれた。







 少しずつ……本当に少しずつではあるが、気を許してくれるようになってきたのか、睦月の笑う回数も多くなったような気がする。

 自分と洋海にさえ「女であること」だけはまだ伏せたがっているようだけど。


「もう知ってんのにな……」


「ん? 哲、何か言ったか?」


 ま、いっか。とりあえずはこのままで。

 つい頬が緩んでしまう。


「いんや、何も」

「?」


 ゆっくりでいいよな……と自己完結して、キョトンとした表情の睦月に笑ってみせる。


「洋海ー。帰んぞー」

「はーーーい、ごめんごめんお待たせ。今日も寄ってく?」

「おー」


「……てめーら……まずウチの都合を訊け」



 このままもっと近付いていって

 もっとずっと一緒にいて

 話して、笑って……


 そうしてるうちに、いつかは話してくれたりしねーかな、と。


 少しだけ待ち遠しいような気分で、青い空とゆったり流れていく白い雲を見上げた。






   

――おわり――

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