第7話




 草木も眠る丑三つ時……にはまだまだ早いが、家族はすっかり寝静まった二十三時四十分。


『え? ……女の子? ………………大谷くんが?』 


「そうだってば……」


 できるだけボリュームを抑えて、だがため息だけは盛大に電話の相手に聞こえるようにかましてやる。

 しどろもどろで始まった話をやっとのことでそこまで持ってくることができ、おまけに(いや、これこそが本題だったのだが!)桜井哲哉バラ説をどうにか打ち消せたと確信して、とりあえず哲哉はホッと一息ついた。


 安堵の吐息ではなく、どこかやりきれない複雑なため息がほとんどを占めてはいたのだが……。

 偶然知り得たにせよ他人の秘密を明かしてしまったのだ。今さら遅いが、思った以上に罪悪感が燻っている。


 それでも相手が旧知の仲であり信頼のおける洋海ひろみであることが、不幸中の幸いだ。そう無理やりにでも納得しておく。  

 お互い恋愛感情はないが、ちょっと待て俺は正真正銘ノーマルだぞ、とそれだけは今日中に何としてでも主張しておかねば、と思ったがための夜遅くの電話だったのだが……。


『……哲くん。あたし別に反対しないよ? さっきはちょっとビックリしただけで――』


 バラ説、打ち消せてない……。

 スマホを宙に残したまま、ゴンと額が窓枠にぶち当たる。


『で、でも……そ、そのまま大谷くん一筋で行っちゃって、もう絶対女の子に戻らないでくれたら、べ、別に――』

「何でそーなるっ! マジでマジで本っっ当に女なんだよっっ!」


 思わず噛みつかんばかりにがなり立ててしまってから、おっとイカンと言葉を飲み込み、自分の部屋にいるにも関わらず周囲を見回してしまった。

 忘れてはいけない。今は真夜中なのだ。

 とりあえず家族から何も罵声めいたものが飛んでこないことに胸を撫で下ろしつつ、あらためてそっと吐息した。


 当然といえば当然なのだ、洋海のこの反応は。

 自分とて数時間前、確かに思っていた。たとえあえて触れ回ったとしても絶対に誰も信じないだろう、と。

 なぜこんな大変なことを、苦しい思いをしてまで睦月はしなければならないのだろう?……とも。

 他にも、体にあった痣のことや父親のこと、倉田路代との関係など――気掛かりは増してくるばかりで……。

 そうした疑問と疑念と葛藤に苛まれる中、無意識に睦月に触れそうになっていたところに現れたのが、自分たちの分まで荷物を持ってきてくれた洋海だったわけであるが――。

 思い返す度に赤面モノだが、見られたのが洋海コイツで良かったと心底思う。




(えっ、哲くんの趣味だったっけ!?)

(ち、ちちちちがう! 聞け! これにはワケがっ!)


 緊張感マックスなそんなやり取りを、幼なじみ同士、小声とジェスチャーで繰り広げていたあの時。

 さすがに目を覚まし、のそりとベッドに身を起こした睦月。

 今までで最大級の「超」迷惑そうな視線を一瞬だけ二人に向けたかと思うと――

 隣の空きベッドに置いてあったブレザーとネクタイをひったくるように手に取り、スタスタと保健室出入口に向かっていた。


『あ、ち、ちょ……大谷』


『――』

『送ろう、か?』


『………………………………なんで?』


『いや、ほら……倒れたわけだし。打ちどころとかも……心配だし?』

『必要ない』


 キッパリ言い捨てて開けっ放しになっていたドアから出て行きかけ――た足を止め、半歩戻って無言で洋海に手を差し出していた。

 男二人の(というか哲哉の)妙な言動に固まりかけていた洋海が思い出したように睦月に荷物を手渡すと、今度こそ振り返りもせずに保健室を後にしたのだった。

 その後、いつもは並んで帰る洋海が微妙に顔をひきつらせ、一定の間隔を保ちながらビクビクと哲哉の後ろを歩く様を見て、思わず天を仰いだのは言うまでもない。

 どーしたモンかと悩んだあげく、今に至る。




『う、うーん、長い付き合いだし、哲くんの言うことだから信じてはあげたいけど……うーん』


 内容が内容なだけに……と、申し訳なさそうに洋海は付け加えた。

 まったくもって無理もない。

 受話器越しに唸り続ける幼なじみに「だろーな」と心の底から同意し、哲哉は大きくため息をついた。



『で、女の子だとして…………哲くんはどうしたいの?』



 不意に投げられた質問に一瞬ついていき損ねる。


 どう……って。


『さっきの様子だと、惚れちゃった?』


「…………………………わかんねえ」


 ただものすごく気になることは確かだ。

 未だいろいろな感情は入り混じっているが。


(それに、あの体の痣だって……)


 黙って見過ごせる段階ではない気がした。

 だからと言ってこんな高校生ガキに何ができるかと問われたら――せいぜい学校や警察に駆け込むくらいだろうか。

 それだって最善策であるという自信はない。

 事情をよく知りもせず騒ぎ立てて、女であることも露見してしまったら――それはそれで睦月本人が困ることになる……気がするのだ。

 結局とるべき行動も思い付かず、ため息とともに思考の淵に沈み込んでいく。


『あたし、ぶつかってみようか?』


「……は?」


 またしても話がぶっ飛び過ぎて面食らう。

 いきなり真正面から問いただしてみる、ということだろうか? 誰に? 睦月に? 何を? 

 いや何にしても無駄だろう。考えるまでもなく。

 白を切られるとか言い逃れされるだけならまだしも、ますますシカトに拍車がかかり取り付く島も無くなってジ・エンドという構図しか浮かばない。 


『さらしを巻いてたわけでしょ? 見た目じゃごまかせても触ったら判ると思うんだよね』

「――ちょ……待て待て待て、触るっておまえ」


 文字どおり本当に物理的に、睦月に触るつもりらしい。しかも胸を!

 こ、コイツ正気か!?と、思わず耳から離したスマホを凝視する。


『大谷く……大谷ちゃんの目の前でよろめいたフリでもしてさ。ぺたーって。本当に女の子だった場合、哲くんがやったら問題だけど、あたしならいいんじゃない?』


 いや良くはねーだろ、と痛みだす頭を抱えて、哲哉はこの馬鹿モノを止めるための最適な言葉を探す。


「そ、そんな羨ま……じゃなくて。ま、待て、落ち着け……とりま」

『それではっきりするでしょ? 単なる見間違いかホントに女の子か。……まあ、どっちでも哲くんの応援はするからさ!』


(……やっぱ洋海コイツ、わからない……)


 今さらながら妙ちくりんな幼馴染に恐れ慄き、開いた口が塞がらなくなったのは、言うまでもない。





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