第8話
そして翌日、二時限目終わりの休み時間。
睦月が席を立ったそのタイミングで。
ゲンナリ顔の哲哉に「行ってくるね!」とばかりに目で合図して、
宣言どおり、よろめいたフリをして本当に触る気でいるらしい。
(マジかよ……)
当然そんな珍妙な企みを知らない睦月が、いつもどおり涼し気な無表情で教室出口に向かってくる。
トイレにでも行くのだろうか。
(ってか……真面目な話、トイレとかはどうしてんだろう? そう言えば一緒になったこともないし。野郎共と一緒に、って絶対無理だよな――)
横座りして机に頬杖をついたまま、ふとした疑問に眉根を寄せた瞬間。
すぐ目の前で、どこの少女漫画だコレ?と目を疑いたくなるような展開が繰り広げられていた。
出会い頭に急に(わざと)バランスを崩して倒れこんできた洋海の両肩を、睦月がとっさに支える(まあ自分に向かって倒れて来られたら、普通は手が出るだろう……)というシチュエーションに、その場にいた全員が目を奪われる。
抱いた感想は同じなのだろう。皆一様に顔を赤らめ、あんぐりと口は開いたままだ。
「あ、ご、ごめんね大谷くん。ありがとう」
「……」
ハッとしてあわてて謝る洋海の肩を無言で押し戻し、相変わらず無表情のまま睦月は教室を後にした。
一瞬の空白の後。
そこここで爆発音のような悲鳴やら黄色い声やらが湧き起こり、あっという間に周辺は女子で埋め尽くされる。
「ちょっとちょっとー! 何今の構図、凄い良かった!」
「いいなー洋海、触って貰えて!」
「ウチもよろめこうかなあああ!?」
(う、うるせえ……。なんでこう女子って)
位置的に人だかりならぬ女子だかりに敢えなく巻き込まれてしまった哲哉は、固く耳を塞いでとりあえず耐えたのであった。
「――で?」
興奮の渦からなんとか解放された洋海に、気が済んだか?という意味も込めて結果報告を促すと。
呆然とした様子で隣の席についたかと思うと、洋海は
「どこも触れなかった……。くーっ!」
小さな握り拳を悔しそうに震わせていた。
「ドンマイ……」
「けど、哲くん。やっぱり見間違いじゃない? 本当に女の子?」
「なんで?」
「一瞬ときめいちゃったんだけど」
「………………良かったな」
(女って……)
けど……と、すでに影も形もないドアの向こう――廊下へと視線を巡らせる。
身体が弱いにしては、とっさに――いや、むしろ機敏なほどに――反応できていた睦月の勇姿を思い返しながら。
まあ反射神経は別物なのかもしれない、ととりあえず納得しておくことにした。
「大谷くん、一緒に帰りまっしょー!」
ホームルーム後の教室に、洋海の大声が朗らかに高らかに響き渡った。
作戦第一弾が失敗に終わり、こうなったら何が何でも確かめてやるっ、となぜか火がついてしまった末の第二弾がコレらしい。
帰り支度をしていたクラスメートたちがギョッとして振り返るなか、当の睦月は例によって無視を決め込みすでに教室外へと歩き出していた。
「あっ、待ってってば大谷くん。ホラ哲くん行くよ!」
「ハイ……」
振り返りも立ち止まりもしない睦月の後を健気に追って行く洋海を、呆れ半分驚き半分に眺め遣る。
(協力モードっつーか、半分信じてくれてそうなのは非常に有り難いんだが……)
なんでめげないんだ、こいつ……と苦笑いしながらデイパックを担ぎ哲哉も後に続いた。
「大谷くん、家はどの辺? 歩き?」
完璧シカトされているにも関わらず、洋海はひたすら朗らかに交流を試みている。
長い廊下を進む間も階段を下る間も、靴を履き替えて昇降口を出てからも、薄幸の美少年(仮)の態度はまるで変わらないというのに。
「いっつも明るいうちに帰ってるけど、何かしてるの? 塾とかバイトとか?」
洋海のしつこさとワケ解らなさもさることながら、睦月の超絶無視もここまで来るとなかなか凄いと思ってしまう。
こうも一貫して別け隔てなくシカトされると、逆に清々しいというか……妙に感心したくなってくるから不思議だ。
「哲くんとあたしは緑町でねー。大谷くんは? あ、中学はどこだったんだっけ?」
「……」
「やっぱり中学の時からモテモテ? 今も凄いもんねー女子」
「……」
「そうだ大谷くん、部活は――」
「う・る・さいっ!」
正門を出る寸前、ついに睦月が振り返った。
よほど鬱陶しかったのか無表情の仮面は剥ぎ取られ…………普通に、怒っている。
思わず張り上げてしまった自らの声に驚いたのか、表情的にしまったと思ったのか、わずかに顔をしかめ、睦月はすぐさま踵を返して歩き出してしまったが。
よっしゃ、返事してくれたあぁ!
正門の角を曲がって睦月の姿が見えなくなったところで、洋海が小声でガッツポーズを決める。
返事かよアレが……と思ったが、気持ちはわからないでもない。
(なんだよ……普通に
歩き去って行ったと思われる方向をつい緩んだ顔で眺めていた自分に気付く。
ごまかすように咳払いを一つ挟んで、未だ喜びで手足をバタつかせている洋海を見下ろした。
「ほら、行っちまうぞ。追っかけなくていいのか?」
「あっ! 大谷くん、待っ――」
あわてて駆け出した洋海が、正門を折れたところでピタリと立ち止まる。
「……」
「どした?」
何ゴトかと思ったが、ゆっくり追いついて同じように角を折れると――
真っ直ぐに伸びた通りに、すでに睦月の姿はなかった。
「忍者か……あいつは」
まかれた、というやつだ。
(どんな足してんだよ? それともどっかに抜け道でも……?)
額に掌を当てて、どういうこっちゃとばかりに周辺を見回してしまう。
気付くと洋海が小刻みに肩を震わせていた。
お、さすがにショック受けたかな、と思いきや――。
「こうまで逃げられると、さすがに怪しい! 本当に女の子なんじゃないの!?」
「……だからそう言ってんじゃん。(普通にウザがられてるようにも見えるが)」
「でも大丈夫。決戦は明日だよ、哲くん」
なぜか毅然とした表情で洋海が見上げてくる。
「へ?」
「明日、健康診断。プラス身体計測」
「うん?」
「簡単に逃げられないし、これではっきりする」
「大谷…………は欠席、と」
決戦日らしい翌日。
ホームルーム中の教卓には、備忘録を読み上げながら出席簿に転記している中年担任の姿。
予想に反し大谷睦月は簡単に逃げ仰せたようだ。
(休んで済む問題じゃねーよな……いくらバレたくないからって。健康に関わることだし。……どうすんだろ?)
頬杖ついてぼんやり考え込んでいると、隣で洋海がまたもぷるぷると肩を震わせていた。
突然キッと顔を上げたかと思うと、哲哉の机にシャカシャカとシャーペンを走らせてくる。
『もーーーガマンできない! 哲くん、放課後第三弾いくよ!』
書かれた丸文字を見て「何だその行動力……」と思わず笑ってしまったが、鼻息荒く握り拳を作っている幼馴染の妙な迫力に、気付いたらうなずいてしまっていた。
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