第3話




「……っと、悪い」


 トイレから急ぎ戻ってきた矢先、教室入口でぶつかりかけた相手が大谷睦月だった。

 とっさに互いに後ずさって衝突を免れたものの、例によって睦月は冷たい無表情で大げさに哲哉をけ、教室を出て行く。


(何もそんなに嫌わんでも……)


 少しだけガックリ肩を落としたところに、桜井ーと呼ぶクラスメイトたちの声がした。


「着替えて体育館だってよ。行くべー」


 おそらく他はすでに体育館へ向かったのだろう。残っていたのはジャージを小脇に抱えた男子三人だけだった。


「ええぇぇ? 小池T、外でサッカーとか言わんかったか?」

「この雨じゃ無理だろ」

「雨でも試合するじゃん、サッカー!」

「ただの体育でずぶ濡れになりたかねーよ」


 笑い合い、ロッカールーム兼更衣室へと向かう。

 そういえば、と先ほどぶつかりかけた睦月が手ぶらだったことを思い出した。


(本当に見学なんだな……。ちょっとの運動も無理なんかな?)


 なんとなくぼんやりと考え込んでしまい、到着して周りが着替え始めても、哲哉の手は空きロッカーを開けたきり一時停止したままだった。


(……だよなあ、医者からストップかけられるようじゃなあ)


 さっさと着替えを済ませて「先行くぞー」と声を投げ掛けてくる三人に生返事をし、ようやくのそのそとブレザーを脱ぎ始める。


(けど……まさか命に関わるような病気、なんてことは――……まさかな)



「――そそ、あいつ。大谷とかいうヒョロそうな奴いんじゃん」


 ネクタイを引き抜いたところでタイムリーな名前が聞こえてきて、ふつりと思考が中断される。


「あーあの女みてーな顔した?」


 複数の男子生徒の気配。

 自分たち以外にはもう誰もいないと思っているのだろう。声も潜めず更衣室に入ってきたかと思うと、盛大にロッカー扉の開閉音を響かせて着替え始めたらしい。

 L字型に置かれたロッカーの陰で、哲哉はじっと様子を窺うことにした。


「なんかスカしてんよな。誰にも何にも興味ありませんって顔してさー」

「女子の前でやっちゃう?」


 物騒な物言いに、思わず眉をしかめた。

 あまり聞き覚えのない四人の声。ということは一組の連中だろうか。


(……何をやっちゃうって?)


 できるだけ気配を殺し、可能な限り聞き耳を立てる。


「今日バスケらしいから、まず一発当ててさ。保健室連れて行きます、つって引っ張り出すとか……どうよ?」

「マジでケガとかしたらヤバくねえ?」

「死にやしねーだろ、そんくらいで」

「ひん剥いてちょっと脅せば、泣いて引きこもんじゃね?」

「お、いいねぇ。見るからに弱そうだもんなー」

「パンツ一本で校内一周してこい、とかさ」

「ぎゃはははは」 


 下品な笑いを残して出て行く彼らの後ろ姿を辛うじて視界に収め、哲哉はゆったりとロッカーにもたれ掛かった。


「……くだらねえ」


 思わず吐き捨てた声は静かで、なぜか不思議なくらい思考も冴えている。

 宙を見上げる視線に徐々に鋭さが増していくことだけは、自覚できていた。

  

  





 雨のためグラウンドが使えず、二クラス分の男女が押し込められた体育館には、異様な熱気と湿度が充満していた。

 スペースを半分に仕切ってバスケとバドミントン――男女別々の授業――のはずが、女子体育担当教員不在のせいもあるのだろう。シャトルを打ち合う音よりも黄色い歓声のほうが遠慮なく体育館ステージ側に聞こえてくるようになったころ。


「加藤! こっち、パスパスパスっ」


 クラス一のおちゃらけマン、桜井哲哉は予想外の健闘を見せていた。

 ディフェンスについた相手チームの一組男子も、その長身と何やら鬼気迫る迫力にたじろぎあっさり真横をすり抜けられる。

 スパッという擦過音とともにシュートが決まり、ホイッスルが鳴り響いた。

 

「ちょっと、桜井くん凄いじゃん」

「見る目変わったかも!」

「渋くないけどイイぞ、哲くん! ガンガン行こーーー!」


 女子連中の応援に混じって洋海ひろみの妙ちくりんな叫びも聞こえてくるが、はっきり言ってそれどころではない。本来喜ぶべき黄色い歓声も、実のところ半分も耳に入っていなかった。

 ハイスピードで試合ゲームは動き、仲間がカットしたボールがまた自然に哲哉に集められる。


(要は、あのフザけた奴らにボール渡さなきゃいいんだろ)


 二、三度あえてゆっくりとボールを床に打ち付け、相手のメンツを眺めやる。

 その内の四人。

 気に入らないという理由だけで睦月を痛めつけ吊し上げようとしている男子生徒たちを軽く睨み、密かにステージ上に視線を転じる。

 出番待ちの連中からさらに距離をおいて、一人制服姿のまま膝を抱えて睦月は座っていた。

 やはり大して興味も無さそうにフロアを見下ろしているその顔は、確かに小綺麗で女ウケしそうだが。

 誰にも何にも馴染もうとせず、寄って来んじゃねえ的なオーラでガチガチに身を固めてるばかりか、ヒトの本気の心配まで平然と一蹴するような鬼畜野郎だが。 


(だからって……んなくだらねえやり方で――)


 感情がそのまま表れたような哲哉の荒いパスから、コート上の時間は再び動き出した。

 虐めの的になりそうだとは、自分も先日確かに危惧したことだ。

 が、実際にその算段を目の前でされて、関わらずにおくという選択肢は当然のことながら――まるで無かった。

 卑劣でろくでもないことを企むあの四人に、なぜか無性に腹が立った。


(だったら何が何でも阻止してやる……!)


 勢いよく走り込んだゴール前。

 けたたましく吹き鳴らされる笛の音で、自分が相手チームの妨害をしてしまったという事実を突き付けられた。

 場を占めていた黄色い声が抑えられ、落胆の色がとって変わる。

 やらかしてしまった……。

 勇みすぎたらしい。

 むざむざ相手ボールにしてしまった自己嫌悪の所為か、わずかに気付くのが遅れた。


 ジャージの袖で無造作に汗を拭いながら、迎え撃つ配置に着こうと向かった途中の……


(え…………やばっ!)


 一瞬視界を掠めたあの一組連中の表情に。


 仲間に放ると見せ掛けて勢いよくボールが投げつけられた、その先は――。


「よけろ、大谷!」


 嫌な感じで口の端を吊り上げた男生徒の顔を二度見する余裕もなく、哲哉は叫んでいた。

 




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